34 私、夢見るヲ・ト・メなのです。
「あ」
「あ?」
イアナさんがポンと両手を打ち合わせ、思い出したとばかりに声を上げるものだから、釣られて私も声をあげてしまった。
「失礼しました。リィタからお話する予定だったのですけど、今のうちに伝えておきますね。明日の午後、仕立屋が参りますのでお体の寸法を測らせていただきます」
「え?」
なぜ? と疑問が顔に出ていたようだ。イアナさんが可愛らしく笑いながら理由を教えてくれた。
「陛下と謁見する際に着る衣装です」
なんと! まさかの、お姫様的なドレスですか! プリンセスチックなドレスですか! いやぁ、どうしましょ。背も高くないから、ふんわりとしたスカートはどうなのかなぁ。典型的な日本人体型だけど、どんなタイプが似合うかなぁ。いやぁん、悩んじゃうなぁ。
自分でも頬が緩むのが分かる。なにせ、女の子なら一度や二度くらいは憧れるあのドレスだ。例え、実際に着て似合わなかろうともだ。そして大人になって現実を知るとしてもだ。
締まりのなくなった私を微笑ましく見ながら、イアナさんが明日の予定を簡単に説明してくれる。
「お色は禁色といいますか、王族の決められたお色と、軍関係で使用しているお色を避けていただきます。仕立屋が布の見本を持ってまいりますので、その中から選んでください」
「はい」
いやいや、誂えていただくのですから、贅沢なんて申しません。はいっ。
「型については時間が足りませんので、ある程度決められた物から選んでいただき、そこからタテシナ様に合うよう調整していく予定です」
「分かりました。宜しくお願いします」
「本来でしたら、殿下よりお話があった時点で仕立屋を呼ぶべきだったのですが、すっかり遅くなってしまいました。タテシナ様には慌ただしいことばかりで申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもないです!」
もう本当に。十二分に良くして頂いておりますから!
ドレスと言ったらマーメイド? というか、ウェディングドレスか、お子様の発表会ドレスしか思い浮かびませんけど。あれこれ浮かぶドレスのどれもが似合わないというのだけは分かるのだが。
いっその事チャイナ、いや中国の民族衣装を選ぶなら、やはりここは日本の民族衣装である着物一択だろう。それよりもなによりも、選ぶ以前にチャイナ服を着られるような体型をしているのかと。冷静になれ自分。そして、着物を作るには時間が掛かりすぎるでしょうがお馬鹿さんっ。
楽しみだなぁと、久し振りに心浮き立つ気分に浸っていると、顔を強張らせたリィタさんが戻ってきた。心なしか、顔色も青ざめているようだ。
足取りは至って普通、寧ろ意識して普段通りを心がけようとしている風にも見える。
何かあったのだろうか。先日のような緊急性はなさそうだが気になる。
「リィタ? どうしたの……」
イアナさんも気になったのだろう、腰を上げながら尋ねる。
「それが……いえ……」
聞かせたくないのか、或いは憂いた表情は私を慮っているのか、こちらを一瞬見たリィタさんが躊躇する。
いやいや、そんな顔をされていては余計気になるんですが。
イアナさんがリィタさんの椅子を引き、座るように促す傍ら、私はポットのお茶をカップに注いで差し出す。取り敢ず、気持ちを和らげましょう。
「あぁ……」
苦悶さながらな声を漏らし、リィタさんは両手で顔を覆ってしまった。
「リィタ、一体どうしたの……」
思わずイアナさんと顔を見合わせてしまった。普段は姐御然として、姿勢良くシャキシャキと仕事をこなしているだけに、心許ない様子を気遣うなという方が無理である。
「ラベーヌ様が討たれたそうです」
顔を覆ったままの呟きに、イアナさんが目を瞠り息を飲む。
ラベーヌ様って誰、と聞ける雰囲気ではない。
ないのだが、縋るような眼差しでついイアナさんを見つめると、「前宰相です」と囁きが返ってきた。
それは確かに驚きである。というか、誰に?
「シュリヒ様、ラミエクル様、共に討たれたとの事」
初めて聞く名前だが、おそらく王太后とその息子の事だろう。
リィタさんが聞いてきた話によると、ダウェル国の使者が切り落とした三人の首を持ってきたのだそうだ――証拠として。
物言わぬ首が証拠になるの? なっちゃうような世界なの? それって有りな訳?
首謀者はあくまで前宰相のラベーヌ様というお方で、送出陣を造るために手引きしたダウェル国の貴族も捕らえた後、必要な情報を得たので既に処刑。
他、送出陣を造る契約書、ラーベヌ様とダウェル国の貴族より依頼を受けた祝術士の証言、これらが立派な証拠になるとか恐ろしい。
「いやいや。それおかしいじゃないですか!」
だって、全部ダウェル国に都合の良い材料ばかりでしょう。都合良すぎでしょう。
「教会の知り得ない送出陣を造るという事は、そういう事なのです。いかに理不尽であろうと、我々に弁明の余地はありません……」
イアナさんが悔しそうに呟く。
「タテシナ様の仰りたい事は分かります。確かに、ダウェル国にとって都合の良い事ばかりです。しかし、ダウェル国の謀略であるという証拠を我々は持っておりません。それだけ送出陣に関する規律は儼たるものなのです」
クーデターの首謀者ではあるが、首だけの帰還――しかも、グララド国から見れば進軍してきたダウェル国の手で刎ねられたのだから、その胸中は複雑な思いなのだろう。瞬く間に話は城内へ広がり、それこそ蜂の巣を突いたような騒ぎなのだそうだ。
でも、と開きかけた口を閉じる。私がいくら、それはおかしいと言った所でどうにかなる訳でもないし、一番悔しい思いをしているのはリィタさんやイアナさん、他ニレスさんたちなのだから。
この世界に落ちてから二週間弱。世の理が分かってないとはいえ、なんだかなぁとやり切れない気分である。
しかし、死人に口なしとは良く言うけれど、トカゲの尻尾切りさながらだ。
尻尾切り――――って、あれ?
前宰相ってクーデター起こそうと何年も前から準備してたんだよね? で、準備整ったから今回クーデターに発展したんだよね? ダウェル国って、後ろ盾だけじゃなかったのだろうか。成功すれば当然、旨い汁を吸う気ではいたのだろうけれど。あれ? 証拠だなんだと、やけに周到すぎない?
城へ向かう途中、ニレスさんは何て言っていた? 少なくとも前宰相は十年以上前から準備をしていたと言っていた気がする。ダウェル国の人間が、前宰相の元に集まりだしたのっていつ頃からだ?
その前にダウェル国がクーデター計画を知ったのは? そもそも、計画自体を発案したのはどっちなのだろう。
――――という私の疑問は、翌日にはすっかり忘却の彼方へと去っていた。
なぜなら、明後日にはダウェル国の使者が帰るという事で、城内はにわかに忙しくなったのが一つ。
話し合いの結果、両者痛み分けという、一応ながらのまとまりがついたらしい。
ダウェル国は、送出陣で送った軍を失った事について。グララド国は前宰相及び王太合と元王太子の不帰について。これら、以降はどちらも不問に付すという事で決着がついたらしい。
話し合いは円満とまではいかずとも、物別れにも至らないという事で、今夜は晩餐未満の食事会を行って見送るらしい。そんな事情から、城勤めの方々は忙しく動き回っているため、リィタさんもイアナさんも詳しい事は聞くに聞けず、私も唯一の情報源である二人から根掘り葉掘り聞けない状態となってしまった。
正直、そんなので良いのかしらと思わなくもないが、経緯とか全てすっ飛ばしての結論だけを聞いたので、機会があればどうしてそれで互いに納得いくのか聞いてみたいものである。
そして、聞いてみたいと思っていた事さえもが、どうでも良いと思わざるを得ない事情が現在進行形で進んでいる。
仕立屋が、私の股下や胸回りや、腹回りやら尻回りやらを容赦なく測っているからだ。そんな微に入り細に入り測らないで。メモらないでっ!
下着姿で体中の寸法を測られた後、次は布地についてあれこれと盛り上がる。
髪が黒いから黒の布地、いやいや赤い布地で、果ては青だ紫だと、主に仕立て屋さんとリィタさんとイアナさんが白熱していた。
私はといえば、借りてきた猫のように大人しくラリー観戦をしている。
「ですから、ここは金の飾りを用いた方が絶対良いです。女性らしく花の飾りで! それでしたら黒の方が絶対映えますから!」
イアナさんが身を乗り出すように力強く言い切る。
「いいえ!それでしたら、赤の刺繍がよろしゅうございます。なにせ、毒竜の騎調士様ですよ? 前代未聞の毒竜の騎調士様! 白地に赤! 竜の刺繍に飾り釦は金!」
対して仕立屋が言い返す。というか、白地に赤い竜とか、どこのスカジャンですか。ちょっと恥ずかしいのですが。
ちなみに、明るいグレーというかシルバーっぽい色は王族の色だそうで、一般市民でも一応は使えるらしいが、布地の三割以上は使用してはいけない決まりだと教えてもらった。
一方、緑は軍の正装に使われているそうで、陸海空と濃淡併せて三色はやはり避ける傾向にあるらしい。
「主に乗ってらっしゃるのは黒い毒竜ですから、黒の方が良いかしら? いっその事、毒竜とは異なるお色、こちらの明るい紫なんかも捨てがたいわね」
なんでも服自体のデザインは既に決まっており、後は布と刺繍のデザイン、装飾の釦だなんだを決めるらしいのだが、口を挟む余裕がない。怖くて挟めない。そっと気配を消して、お茶を啜るのみである。
リィタさん、イアナさん、三名の仕立屋、私以外の五名からなる熱き協議の結果、白地に金の刺繍、ポイントで黒と赤を使うという事でまとまった。
よきかなよきかな。いつ目の前でキャットファイトが始まるかとヒヤヒヤしたが、これで一安心である。
しかし盛り上がった結果、帽子もつくそうなのだが、謁見の間とか? それっぽいゴージャスなお部屋で、王様とご対面という時に帽子を被っていて良いのだろうか。正月にニュースで流れる参賀の様子を思い浮かべ、私はロイヤルファミリーじゃないのだから参考にならんだろうと頭を振る。
仕立屋は勿論、リィタさんも盛り上がっていたのだから問題はないのだろう。
鍔の広い高原で避暑を楽しむお嬢様風か。或いは鍔の広いセレブなマダム風か。優雅な帽子といったら、あの柔らかな鍔の広い帽子しか思い浮かばない。あ、ロイヤルな人が潰したトルコ帽子みたいな物を斜めに被っていた気がする。というか、こっちの世界で地球のドレスコードが通用するのか。
どちらにしても、できあがるまでのお楽しみと言われ、お預け状態になった。
仮縫いが済んだら調整を含めて持ってくるそうなので、それまで楽しみに待つ事とする。
そして二日後の朝。
ダウェル国の使者が帰途につく日を迎えた訳である。密かに危惧していたアーデントさんは、あの夜から現れる事もなかったし、代わりとなるダウェルの人間が忍んでくる事もなかった。
最近では、リィタさんたちが来るよりも先に目覚める事が増えてきた。というのも、ワイバーンたちが日の出とともに鼻息を吹きかけてくるからなのだが。
空が白み出す頃、フゥンと生暖かい鼻息がかかり、城内で朝早く働く人たちが動き出す頃、フゥンフンフンと幾分感覚が小刻みとなった鼻息がかかり、リィタさんたちがやってくる少し前には、フンフンフンフンッと息がかかる。バリエーション豊かな、それでいて生暖かい上に妙な生臭い息が頻りにかかるのだから、おちおちと寝ていられない。
本日はフッフーンといった息づかいで目が覚めた。
「起きた。起きたから、その鼻息は止めて……」
寝ぼけ眼な半目状態で飛燕に掌を向けつつ、深く息を吐き出してからベッドを下りようとして、枕元に昨夜はなかった生成り色の封筒が置かれている事に気づいた。
名刺が入るくらいの大きさで、日本で売っている安い封筒よりも紙質は悪いが、書き取りに使っている用紙よりも上質な封筒である。こちらの世界では良い紙の部類に入るのだろう。
表に裏にと返していると、微かながらに甘い香りがする。封筒を鼻に寄せると匂いを薫き込めてあるらしい。
「何これ」
裏を改めてみると、江戸紫というか茄子のように濃い紫の封蝋が押されている。何かの紋章のようなのだが分からない。分かるはずがない。
「これは…………」
ラブレターですか?!
二つの月が中天をすぎた頃、ヒラリヒラリと小さな木の葉が舞っていた。
そよとも風のない夜である。庭園から舞い込んできた葉は、地面へ落ちる様子を見せず、体を丸めて寛ぐワイバーンの横をすり抜け、薫が眠る部屋へと入り込んでいった。
その様子を、今夜の留守番組である飛燕が薄く瞼を開け、ジッと目で追っている。一度、飛燕は葉に向かって深く息を吐き出したが、煽られる事なく薫の枕元へと到着した。
すると、木の葉が小さな動物の姿へと変わる。薫が起きていたら、その姿を見て牝鹿と思った事だろう。緑地に白のマーブル模様のある鹿を模した精霊は、覗き込んだ薫の眠りが深い事を確かめ、口に咥えていた封筒をそっと置いた。
暫く精霊は薫の寝顔を熱心に眺める。次第に、うろうろと横を向いている薫の枕元を回っては寝顔を覗き込むという動作を繰り返していた。
辺りには置かれた封筒から甘い香りが漂っている。通常であれば諄すぎる甘い香りは頭痛を伴いそうなほどだが、幸いにも薫は寝入ったままで気づかない。
もし、リィタやイアナがその場にいれば、すぐさま匂いの元を処分した事だろう。警戒心や思考能力を鈍らせる香りなのだから。
緑の精霊はダウェル国、アーデントの命を受けて封筒を届けにきたのだが、薫に近づいた途端、どうにも離れがたくうろついているのである。
とうとう精霊は枕に膝を折り、薫と鼻先が触れそうなほどに近づいた。
目を開けないか、自分を見てくれないだろうか。そんな風にも見える姿で覗き込んでいた精霊が、ハッとした様子で背後を振り返り、驚きの余り高く飛び上がった。
近すぎる距離で、真っ白い塊が緑の精霊を見下ろしていたのだ。
我らがアイドル阿武隈である。
ブンブンと尾を振り、緩く開いた口からハッハッという息づかいが今にも聞こえそうだ。
自分よりも一回りは大きい阿武隈に、緑の精霊は戦慄いた。往々にして、生まれたての精霊は無慈悲なほどに無邪気だ。阿武隈とて例外ではなかった。
緑の精霊は逃げる。阿武隈、追いかける。薫の回りを二匹の精霊はもの凄い早さで周回し、薫が蚊帳と呼ぶ天蓋を跳ね上げ、火桶を蹴り倒し、テーブルをなぎ倒し、家具を揺さぶり、部屋中を駆け巡った。
「うるさーい!! 遊ぶなら外で遊びなさい!!」
薫の怒声とともに緑の精霊は部屋を飛び出し、阿武隈が追いかけていった。
飛燕は既に瞼を閉じている。猛烈な風が鼻先を掠め、秋火がのんびりと顔を上げたが、既に小さな二匹の姿は見えず、大きく口を開けて再び寝入った。
封筒から漂っていた濃すぎる香りは阿武隈の巻き起こす風で霧散し、一度は起きたものの眉を微かに顰めただけで、再び寝入ったしまった薫が気づく事はなかった。