罪を数える
黙って聞けと言って了承してもらっているのでファビエンヌばかりが喋って台詞でいっぱいです。
「わかった。条件を飲もう」
マティアスは背筋を延ばして頭を上げた。
見苦しいところを晒して今更だったが、今この学園で一番身分の高い男は王族を除いて侯爵家嫡男である自分なのだという自負が彼にそうさせた。損なわれた威厳を少しでも取り戻したかったのだろう。そしてセシルはもう既に妻のような心持ちでそれに寄り添った。
恋に熱くなり過ぎて馬鹿になった典型のような二人に注がれる視線の意味も当人達には分からない。
ファビエンヌは深く頷くと、この公演の助演者を募るために動き出す。
回廊から中庭を眺める見物人達を一人ひとり確認して目当ての人物を見つけた。
「ドルイユ様、アデライド様」
ファビエンヌは二人に向かってヒラヒラと手を振った。
「哀れなわたくしに少しお力を貸していただきたいの。前に出てきてくださる?」
両掌を合わせて小首を傾げながらのこの台詞は周囲の庇護欲をおおいに唆った。
名指しされた2人に否やはなく無言で深く頷いて人混みを縫って中庭にやってくる。
クレマン・ドルイユは剣の腕を見込まれて将来は近衛騎士に。
片やアデライド・オータンは女騎士として卒業後王宮に勤める予定になっている。
彼らの持つ騎士道では気の毒な令嬢の助けを求める手を振り払うという選択肢はない。
「ファビエンヌ…なにを…」
暴力行為を彼らにさせるとは思っていないが、その人選にマティアスは怯んだ。
ふたりとも嘱望された職務に見合った体格をしている。
ファビエンヌは無視して未来の騎士達に頭を下げて礼を言った。
「来てくださってありがとうございます。とても…心強いわ」
噂を既に耳にしていた騎士道を重んじる2人は、罪なき令嬢が婚約者の不実から衆目ある場で窮地に立たされてなお頭をあげているさまに思う所があった。けれども労いか、慰めか、激励か。今どんな言葉をかけるのが正しいのか分からず口を開くも思い直して閉じた。
ファビエンヌはその思いやりが今の自分を傷つけることを知っていた。心がそれを拒んで一瞬顔をわずかに伏せたが気を取り直して顔をあげた。
「お二人には、わたくしが話をしている間に目の前の罪人らが逆上してわたくしを害さないよう、この場から逃げ出さないように見張っていただきたいの。そして、もしもだれかが錯乱した場合は鎮圧をお願いしたいのです」
それを聞いてマティアスとセシルの顔に呆れと不快が出て歪んだ。
存外気の強いセシルが吠えてこの場を台無しにしないようにマティアスは抱きしめる手に力を入れた。
「わたくしでよければ承ります」
「そのようなことなら喜んで」
未来の騎士たちからは快諾の言葉を聞けた。
「快くお引き受けいただけて嬉しいわ。ひとまず真後ろに立っていただくだけで結構です。お願いできまして?」
右胸に手を当てて軽く頭を下げて頷いた2人はマティアス達の後ろに立った。
「お聞きのとおり、お約束を破られた場合は猿轡をかまされたり、拘束されたりします」
猿轡については何も言われなかった罪人の後ろに立つ二人は胸元からタオルを出して捻ることで、その時に備えた。
それを半身捻った姿勢で嫌な顔をしながら眺めたマティアスはファビエンヌに言った。
「…この場から動かず黙って聞けばいいのだろう?」
「ええ、そのとおりです。ご不満のようですが婚約という家同士の重要で大きな約束を卑怯な真似で反故にする人が相手ですもの。相応の対策だと思いますわ」
そう言わればそのとおりなのでマティアスも二の句が継げない。
それにしてもマティアスはこの中庭で起きている非現実的な出来事に少し感覚が麻痺してきたようだ。
これほどの人が学園にいたのかと感心する程の数の人の目が自分に集まっているというのに最初感じていた精神的重圧感は不思議と薄れてきた。
ただ、自分を拘束するかもしれない人物が真後ろに立っているので少し落ち着かない気持ちにはなっている。それでも思ったより威圧感をおぼえなかったことに安心してマティアスはセシルの耳元に顔を寄せて囁く。
「大丈夫。少し我慢したら終わるから」
そんなもので済ませる訳がないファビエンヌは容赦なく言った。
「いざと成ったら拘束しやすいように、お二人には少し離れていただきます。よろしくて?」
「ああ!わかったよ!」
マティアスはやけっぱちになって大声で返事をする。
この時間も長く続かない。今だけ耐えればいい。婚約さえ白紙に出来れば、あとは何とでもなる。エマール公爵の損ねた機嫌を回復するのに大分金はかかるだろうが。
マティアスは油断すると乱れてしまう息を整えた。
これまでの不義理と不実の対しての怒りを人前でぶつけられることへの恐怖心はあるが、それよりも未来への期待と興奮のためマティアスの頬は紅潮した。
ファビエンヌの視線を感じてマティアスは下げていた視線を戻した。
「それでは本番の前にテストいたしましょうか」
ファビエンヌは唇を三日月のように引き上げて笑った。
この場にいる誰もがその意味が分からない。
ツカツカとマティアスの間近までファビエンヌは歩み寄った。
「わたくしの取りなしでマティアス様との婚約が白紙になったとしても、ご希望どおり婚姻が認められるかは別の話でしょうね」
マティアスは反射的に出ようとする言葉をグッと堪えた。
セシルは口が " あ " の状態で開いていたが発声する前に堪えたようだった。
それをさも感心したように何度も頷いたファビエンヌは言った。
「大変結構です。では始めましょう。まずはお祝い申し上げますわね。おめでとうございます。これで貴方がた二人は貴族の間で少なくとも3代は語り継がれるだろう伝説をお作りになったのです。……もちろん悪い意味で」
マティアスはこの言葉を心の中で笑う。
確かにひどい醜聞になるだろうがエマール公爵もひとり娘の今後の縁談を考えてそれほど大事にはしないはずだ。あとは家と金の力を使えばどうとでもなる。家もすぐ継ぐわけでもない。数年領地に籠もっている間にファビエンヌも何処かに嫁いで社交界の噂も風化すると彼は高をくくっていた。
父親には、こっ酷く叱られるだろうが基本親族は自分に甘いことをマティアスは経験で知っていた。
こんな風にマティアスが甘く考えているのは今までの行いからも今の表情からも簡単に伺い知れた。
ファビエンヌはこの衆目のある場で自分に非がないことを主張し婚約者の罪状を読み上げた。
今から大罪人たちを断罪するのだ。
「わたくしはこの数カ月の間、父エマール公爵から婚約者である貴方様との関係修復をはかるよう注意を受け続けてきました。わたくしは話し合いを試みる努力を怠りはしませんでしたわね。それは出し続けた手紙や招待状の数が証明します。一度もご返信はありませんでしたが全てお手元に届いているのは分かっています」
非常識な行いをした自覚のあるマティアスは、ばつが悪くてファビエンヌから目をそらすが何処に目をやっても批難の目しかない。仕方がなく自分の足元を見る。
「お邸に伺っても急用や急病でお目にかかれませんでした。学園でもわたくしを意図的に避けられていました。学年が違いますから合間を見てわたくしがマティアス様を学園内を探し回ってきましたが辛うじて見掛けたのは貴方様の残像だけでした。その姿は学園内の誰しもご覧になっているかと思います」
そう言ってファビエンヌは回廊に鈴なりになっている見物人達を見回す。
誰しもその言葉に同意するために小さく頷いた。
公衆の面前で罪状を明らかにされて批難の目に晒されるのは思った以上に辛いものだとマティアスは思った。
それもじきに終わる。この場を我慢してやり過ごせばいいだけだ。あと少し。あと少しと呪文のように心の中で唱えて、マティアスはここから立ち去りたい衝動を抑えた。
まあ、衝動に従っても真後ろに立つ屈強な男がそれを許すはずもないが。
「それ以外にマティアス様がこの半年、わたくしにしてきたことは何でしたでしょうか」
ファビエンヌはそう言うが当のマティアスは何かした覚えがない。
しなかったことを責められるのなら身に覚えがあり過ぎる位だが。
彼は意識が反れたことで神妙な表情が崩れないように表情筋に力を入れた。
いま中庭で行われている有罪と決まっている公開裁判の様子をエマール公爵は多くの人間から聞くだろう。マティアス・バイエは婚約者のファビエンヌへのこれまでの所業を心から侘びていたとエマール公爵には思われたかった。神妙に見えるように眉を下げ目を伏せ唇を引き結んで端を下げ気味にしてマティアスは聞き続ける。
その間、セシルは不貞腐れたように口を曲げては、ハッと気づいて表情を取り繕うということを短い間に幾度も繰り返した。
周囲を見渡しながらファビエンヌは高らかに言う。
「よりにもよって、婚約者のいる男性と分かって意図的に近づいた泥棒同然の卑しい女に」
セシルを罵倒する言葉にマティアスとセシルの口が瞬発的に開くがファビエンヌの反応は早かった。
唇に人差し指を当て「しー。口を閉じませんと猿轡です」と言って黙らせたのだ。
セシルがわなわなと肩を震わせるとマティアスは腕を延ばしてその肩を幾度か優しく撫でて宥めた。
ファビエンヌは軽く目を閉じて鼻で嗤ってから話を続けた。
「…名を呼び捨てにすることを許し、ご自分の色をまとうことを許し、婚約者を持つ身でありながら、その女に不適切な距離を進んで許した…だけではありませんでしたわね」
彼女が男性であったなら素晴らしい判事になっただろうと誰しも認める才能をファビエンヌはこの場で見せつける。
その美声を響き渡らせながら、まるで胸の中に証拠があるとでも言うように腕を広げて回廊の見物人一人ひとりに目を合わせながら訴えた。
「マティアス様は、わたくし宛と偽って高価な贈り物を買い求めては、あろうことか泥棒猫に横流しされました。そして顔が見えないようベールをさせたり帽子を深く被らせて劇場や庭園に連れ回されました。仮面舞踏会にもご出席されたのでしたか。いずれにしても意図的に、わたくしが同伴していると周囲には勘違いさせました」
マティアスの行いを初めて知った者達は、あまりの悪辣さに閉口したり、吐き捨てたり、罵倒したり、我が身だったらと思って涙するご令嬢が居たりと反応は様々だった。
そのざわめきが少し収まるのを待ってファビエンヌは続けた。
「そのような驚くべき方法で逢引を重ねておられるとき、わたくしは別の茶会や晩餐会などに出席していましたから、マティアス様の同伴者がわたくしではないのは分かる方には分かったと思います」
同意して頷く者、その場に居たと話す者、その詳細を訊ねる者で少しの間、またサワサワと囁き声が響いた。
自分の行いを他人の口から改めて聞き、その卑怯さにマティアスは冷や汗が止まらない。
いずれもセシルの入れ知恵だが、実行したのは自分なのだ。
これまでのこと、今回のことで父親にどれ程の罰を与えられるのか考えて血の気が引いた。
ここでようやくマティアスは人目を避けて話をつけようとしなかった自分の選択の誤りを後悔する。
ファビエンヌは右腕をあげて周囲に静まるように促した。
「このように貴方様はとても卑劣な方法で信頼で結ばれるはずの婚約関係を踏みにじり、不当にもわたくしの名誉を著しく傷つけました」
憤りを飲み込むように目を閉じてファビエンヌは少しの間沈黙した。
とても深い溜め息をついてから目を開けて話を続けた。
「集団内で決められたルールから逸脱した者は集団から爪弾きになるものですよ。それは王族でも貴族でも平民でも奴隷でも同じなのです。重大なルール違反をして集団から外された人間はまた受け入れてもらえるでしょうか?その血と考えを受け継いだ子供は?その孫は?良識のある貴族は彼らと縁付きたいと願うでしょうか?どうお思いに?」
マティアスは自分達のためにファビエンヌの考えを否定しようと口を開くが、婚約者の唇の片側が面白そうに上がっているのを見て約束を思い出し引き続き沈黙する。
「あら、黙っているように言ったのでしたわ。わたくしったら駄目ね」
白々しいとマティアスは思わずファビエンヌを睨んでしまい、表情が崩れたことに気づいて元に戻した。
「これまでのわたくしの父からの苦情は幾度かお父上のバイエ侯爵を経由して貴方様の元へ当然届いたのでしょうが謝罪もなければ、行いが改まったりもしませんでした。バイエ侯爵が黙認されていたのかご存じなかったのかは、ここで言及するのは止めましょう」
それ以上、続く言葉がなかったので罪人の2人はファビエンヌの顔を伺った。
目が合うとファビエンヌは、にこりと笑う。
やっと話が終わったかとマティアスとセシルは脱力した。
安堵が表情に出ていたのにファビエンヌは思わず小さく笑ってしまう。
「あら、いやだわ、おふたりとも。話はこれからですのに」
ファビエンヌは中庭の中央まで移動し、また手を三回叩いて群衆に注目するよう促した。
「さあ、この場にいらっしゃる紳士淑女のみなさま。どうか引き続き静かにお聞きくださいませね。これからお話することは、みなさまにも関係がございますの」
なにやら、きな臭さを感じたマティアスは、ファビエンヌが話し出すのを止めようと一歩前に踏み出そうとする。
それを目ざとく見つけたファビエンヌは咎めた。
「拘束されたいのですか?元の位置にお戻りを」
ファビエンヌは冷たく言うと、後ろのドルイユにも声をかけた。
「ドルイユ様、次に動いたら問答無用で拘束していただいて結構ですわ」
悔しそうに顔を歪めたマティアスが急いで一歩戻ったことを確認するとファビエンヌは、また周囲を見渡しながら話し出した。