天井に向かう煙
口から吐き出された煙が輪っかになって浮かんでいき、天井に吸い込まれるように消えていくのを、クインスはじっと見ていた。
キセルの中に溜った刻み煙草の燃えカス――灰を灰皿として使われているのだろう壺に落とし、吸い口に紫の口紅がついたキセルを金属のケースに入れて、ただ息を吐いた。
説明を終えて、クインスは何か考えるようにキセルを吸っていたが、考えが纏まったらしく、
「女神様の加護ね……あの怠け者と噂のトレールール様が、迷い人の言葉とはいえ職業を変えてくれるとは思えないけどね」
そう言って、クインスは俺とハルを順番に見た。
女神の加護で全部誤魔化せるかと思ったが、考えたら俺に騙されたのはキャロを除けばバカ三人だもんな。
普通に考えたらおかしいと思うだろう。
キャロは自室に戻っているらしい。彼女が迷宮の最奥で手に入れた銀貨10枚、1000センスはクインスに渡された。
「まぁ、あの子が誘惑士でなくなったのは確かなようだけどね……弱ったよ。一番の稼ぎ頭だったのにね」
「そう言っている割にはうれしそうに見えますよ」
「そう見えるなら、私もまだまだのようね」
クインスは小さく笑うと、金属箱を弄り……そっと手を離した。
「で、どうするんだい? あの子を買うのかい?」
「それは彼女が決めることです」
「金は?」
「10万センスまでなら」
「……手札を簡単に見せるものじゃないよ……よくそんなことで賭場荒らしなんてできたね」
クインスは忠告のように言った。
普通、商人相手に自分の所持金を言うと――しかも相場よりも高い金額を言うと毟り取られる可能性があることくらい俺もわかっている。
「賭場を荒らしてはいませんよ。ゴルサさんに聞きませんでした?」
「ゴルサと知り合いだとは言った覚えはないけどね……まぁ、言ってたよ。誰かと勝負して楽しいと思ったのは初めてだってね」
クインスはハルに顔を向け、
「ハルワタートってあんただね? 主人が亡くなったらいつでも賭場で雇ってもらえるそうだよ」
「ご主人様が私よりも先に死ぬことはありません。私の命は御主人様の盾ですから」
「ははは、いいね。一体、どうやったらここまで奴隷が懐くのか」
クインスは快活に笑い、身を僅かに乗り出して俺に顔を近づけて訊ねた。
「うちから奴隷を買っていく奴らのためにも、後学のために教えてくれないかい?」
「俺は何も特別なことなんて何一つしていませんよ」
そう、俺は別になにもしていない。ただ、ハルが俺に忠誠を誓ってくれているだけだ。そして、俺はその忠誠に応えたいと思っている。それも特別じゃない、当然のことだ。
クインスはますます楽しそうに笑った。
「特別なことをしていない、それが答えというわけね」
彼女は一度ひっこめた手を前に伸ばし、金属箱を開けてキセルを取り出した。
キセルの先に刻みタバコを摘めて火をつけた。煙が天井へと上がっていく。
クインスはキセルの煙を大きく吸い込み、天井に向けて煙を吹き出す。
「10,000センスでいいよ。私は平民のあの娘になんて、それ以上の価値を見出せないからね。あんたがあの娘に10,000センスの価値があると思うのなら、買っておくれ」
クインスは煙が浮かんでいるのを見つめて呟く。
その顔には、嬉しそうな、そして寂しそうな表情を浮かべていた。
「クインスさん、もしかして奴隷商に向いてないんじゃないですか?」
「言われなくてもわかってるよ」
「ハッ」と悪ぶった笑いをし、もう一度天井を見た。
いや、クインスはずっと天井を見ているフリをして、二階にいるであろうキャロを想っていたのだろう。
気配探知のおかげで、この部屋の真上が彼女の部屋であることを俺はわかっていた。
「何度も言いますが、彼女を買うかどうかは、キャロ自身が決めることですよ」
「大丈夫さ、あの子は男を見る目はあるだろうよ」
クインスは俺を見つめて、自信満々に言った。
「なんたって、私が育てた子だよ? なんなら賭けるかい?」
「クインスさん、ギャンブルは嫌いじゃないんですか?」
「負ける勝負が嫌いなだけさ」
俺も負けるのは嫌いなんで、丁重に断らせてもらった。
もっとも俺には勝つ確信なんて何一つないんだが。
※※※
冒険者ギルドに着いたらもう太陽も大きく傾き、東の空には星々が輝いている時間だった。
冒険者ギルドに入ると酒の匂いが充満していた。
ウールワームを倒したことであぶく銭を手に入れた冒険者達が騒いでいるんだとすぐにわかった。
楽しそうな雰囲気は嫌いではないが、この匂いはあまり好まないな。ハルも匂いには敏感だろうから、すぐに用件を済ませて帰りたい。
ギルドの喧騒とは裏腹に、暇そうにしている受付の男を見つけて挨拶をした。
昨日も世話になった男だ。
彼は、俺を見るなり笑みを浮かべて言った。
「よう、ギライドの奴が騒いでたぞ。大手柄だったようだな」
「ギライド?」
「昨日、お前さんが捕まえてきた冒険者だよ。余罪は今のところ見つかっていないからな、罰として町の外警備に当たらせていたら、ウールワームの群れが訪れたってわけさ」
あぁ、それであいつあんなところにいたのか。
「大手柄ってほどじゃありませんけどね。ところで、ウールワームが町に来た原因はわかったんですか?」
「いや、それはまだだ。だが、この時期はウールワームがちょうど繁殖の時期だからな、それが原因だろうって噂になってるさ」
よかった、キャロのことは知られていないようだ。
一安心し、
「俺とハルの分の報酬を貰いたいんですが。ギルドの様子だと、既に支払いは終わったんですよね?」
「あぁ、一人頭平均200センス、地上で戦ってたやつは多めに出ることになったからな、お二人さんで700センスだ。ちなみに内100センスはギライドからだぜ」
「ギライドから?」
「命を助けてくれたお礼だとよ」
「あいつの命は随分安いんですね」
「言ってやるな、あいつはまだ駆け出しの冒険者だからな。奴の稼ぎだと100センスの損はかなりの痛手のはずだ。それだけ感謝してるってことさ」
受付の男はそう言うと、
「まぁ、それだけ稼ぎが悪いから、仲間と手を組んで解体された魔物の強奪なんてしようとしたようだが、奴ももう懲りてるさ」
「だといいですね」
俺は銀貨を7枚受け取る。ミノタウロスが落とした素材や魔石は少しは拾ったが、大半は放置してきたからな。
売るのはまた今度でいいか。
さて、ギルドを出て買い物にでも行くか、そう思って踵を返し、ギルドを出たときだった。
後ろから――急にハルが抱きついてきた。
二つの膨らみが俺の背中に当たり、俺の背筋がピンっと伸びた。
「ハ、ハル?」
「ご主人様……キャロを身請けしても、私のことを捨てないで下さい」
「捨てるわけないじゃないか……」
「不安なんです。ご主人様はどんどん強くなっていって、私のことが必要ないんじゃないかと思って」
「必要ないわけない。今回だってハルがいたからキャロを助けることに成功して――あ……」
振り返ると、ハルは目をくるくる回し、顔を真っ赤にして眠っていた。
……ギルドの中の酒の匂いにやられたな。
酒に弱いにも程があるな。
これなら買い物はもう無理か。そろそろ店も閉まる時間だろう。
買い物は明日にするしかないな。
「やれやれ」
俺はそのままハルを背負い、宿に向かって歩いていった。
もちろん、職業の一つを遊び人に変えるのは忘れずに。