私の恋人は追加課金制の契約彼女です! ~契約彼女なのにめちゃめちゃ迫ってくるのでとても辛いです~
――やってしまった。
目覚めてすぐ、私は後悔と罪悪感に顔を青ざめさせていた。
状況を整理する。今いる場所はベッドの上、そこで私は生まれたままの姿で眠っていた。
――そして、私の隣には〝少女〟が寝息を立てている。
癖がかかった艶やかなエメラルドグリーンの髪がベッドの上に広がっている。大人びた横顔は美女と言うのに相応しく、目を閉じている姿すらも美しい。
その少女もまた、私と同じように生まれたままの姿だ。私たちは互いに裸のまま、ベッドの上で眠っていた。
(やってしまった……!)
何度繰り返したかわからない呻きを心の中で呟く。後悔と罪悪感に頭がガンガンと叩かれたように痛んでいく。
私――アルリア・プリフェットが何故、このように頭を抱えるような事態になったのか?
過去を悔いるように、或いは現実逃避だったのかもしれない。この状況に至る経緯を思い出そうとした所で、隣で眠っている少女が身動ぎをした。
「……ん」
「……あ」
「……おはようございます」
開いた瞳は月を填め込んだかのような金色の瞳。印象的な瞳に見つめられた私は蛇に睨まれたカエルのように身を固めてしまう。
微動だにしない私を見て、少女は蠱惑的な笑みを浮かべた。昨夜の記憶も相まって、その表情に心臓の鼓動がおかしくなりそうだった。
「……昨夜はお楽しみ頂けましたか?」
「え、えぇ……」
「そうですか。それは良かったです、アルリアさん。〝騎士〟の方って、女性でも激しくされる方なんですね」
上半身を気怠げに起こして、自分の唇を指でなぞる少女。そのちょっとした仕草でも私の頭は沸騰しそうになってしまう。
しかし、心はどんよりと沈んでしまっている。身体の熱と精神の憂鬱が一致せず、目眩が起きてしまう。
「そ、その……今になってこんな事を言うのも凄く失礼かもしれないんだけど、本当に申し訳ないというか、どうやって謝っていいか……」
「そんな他人行儀になさらなくても。一夜を共にした仲じゃありませんか?」
「うぐぅっ……」
私は彼女の一言に致命傷を受けたように頭を項垂れさせてしまった。
彼女の名前は、エミーリエ・イステル。私が一夜を共にして、肌を重ねてしまった相手だ。
「大丈夫ですよ。ちゃんと〝買って〟頂けたんですから。まさか路上の花売りと誤解されて、女性の騎士ともあろう方から誘われるとは思いませんでしたけど」
「――……殺してください」
私はベッドの上に崩れ落ちながら、いっそ自害したいという気持ちに苛まれる。
エミーリエとの出会いは、つい昨日のこと。私たちの関係を一言で言うなら〝身体を金で買った関係〟である。
(我ながら思うけど、最低最悪じゃない? あぁ、何故こんなことになったの……?)
* * *
私――アルリア・プリフェットは騎士である。もっと言えば、騎士の中にいれば珍しいと言われる女性騎士だ。
民を害する魔物を倒し、街の平和を守るのが騎士の仕事だ。私自身、騎士として務めて数年が経過し、すっかりと貫禄も身についたと自負していた。
騎士の中でも数少ない女性騎士ということで多くの尊敬を集めることにもなった。子供、それも特に少女から羨望の眼差しを向けられることも、ささやかな誇りに繋がっていた。
街を守り、民から尊敬され、信頼出来る仲間の騎士たちと共に邁進する日々は私を逞しく育ててくれた。この幸せに感謝を覚えなかった日はない。
――そんな順調な人生を送っていた私だけど、ある一つの大きな悩みを抱えていた。
この悩みは誰にも相談出来なかった。相談した所で誰が私に答えをくれると言うのだろうか? それ程までに難しい話だった。
教会に赴いて罪を懺悔してしまおうかとも考えたこともあった。しかし、それもまた難しかった。この悩みを口に出してしまえば、それが形になってしまうのではないかと。
私が抱えていた悩み、それは……――恋だ。
恋。それは人を愛する上で大事な感情だろう。私だって恋する人を見つければ、そっとささやかに応援したいと思う程度の気持ちはあった。
同僚の騎士がもうすぐ結婚するんだと聞かされれば、それはもう祝福してやった。恋とは、愛とは、そして結婚とは素晴らしいことなのだろうと。
同時に私にとっては縁遠いものに違いなかった。私の抱えている恋が、きっとそんな普通の幸せを許すことはないだろうという確信があったからだ。
何せ、私の恋愛対象というのが――同性、つまり女性だったからだ。
別に特定の相手がいた訳ではない。ただ、恋心を向ける先が誰になっているかと聞かれれば、その対象は男性ではなくて女性だったのだ。
気が付けば、私に気を遣って離れた所で猥談に盛り上がっている同僚たちの会話に羞恥心を駆り立てられながらも聞き耳を立ててしまっている私がいた。
それだけ私は同性に恋愛感情を向けていた。好きだ、と思えるのがどうしても女性だった。
「……このままじゃ、不味い気がする」
ぽつりと、自分が零した呟きは苦々しい感情を含んでいたと思う。
最初は気の迷いだと思った。何かの勘違いだろう、もしくは自分が持てないだろう女性的な魅力を持つ人に憧れるような気持ちだと思った。そう思おうとした。
しかし、どんなに誤魔化そうとも私は女性を恋愛対象として見ている自分から逃れられなかった。
その思いが抑えられなかったのは、同僚の騎士と騎士団付きのメイドが物陰で逢瀬を楽しんでいた場面を目撃してから。
私が目を離せなくなったのは、やはりメイドの方だった。恋心に目を潤ませ、熱っぽく相手を見つめる姿に――自分にもそんな恋人が欲しいな、と思ってしまった。
最早、誤魔化すのは無理だと悟った。そして諦めた。自分は女性が好きなのだ。恋をする女の子が好きなのだ。恋の熱に浮かされた瞳を一心に受けて、愛で回したいと思っているのだと。
しかし、一体こんな事を誰に相談出来ると言うのか? はっきり言って同僚からも熱っぽい視線を受けることもあるから、恋に鈍感のつもりはない。私に恋心を抱くのも同僚で距離が近い女性だと考えれば自然だろう。
でも、応える気に一切ならない。私の恋心は男性に対して何ら反応を示さないのだ。どうしてそうなのだと、頭を抱えたことなど何度もある。
日に日に私の思いは強くなっていく。最近、自分の同性に対する目線が節操なしになっている自覚がある程だ。
髪の手入れを頑張っているのだろうな、とか。唇が瑞々しくて良いな、とか。働き者の指を見て触れてみたい、とか。衝動と正気の挟間で反復横跳びをしている気分だ。
そして先日――無邪気に私に尊敬の眼差しを向けてくる幼い少女を、良いなと思ってしまった瞬間、私は絶望した。
「騎士である私が! 同性に! しかもまだ幼い少女に! 不埒な視線を! もうダメだ! 私はおしまいだぁ!!」
このままでは犯罪者になってしまう。さよなら、輝かしい騎士人生。こんにちは、牢獄人生。
いや、ここで屈する訳にはいかない。絶望に苛まれながら、私はなんとか自分を取り戻すべく必死に考えた。そうして悩みに悩んだ末、私はある一つの決断をした。
「……実際に、誰かと一夜を過ごしてみれば何かが変わるかもしれない……!」
そう、結局自分は恋心を持て余しているだけで、恋そのものを体験した訳ではない。私の抱いている気持ちはやっぱり錯覚で、体験を経て何かが変わるかもしれない。
もし、自分の気持ちが本物だった時は覚悟を決めよう。今はその覚悟すらも固められない不確かな状態だ。いつ何をキッカケとしてタガが外れるともわからない。それ程までに私は自分への信用を失っていた。
「……やっぱり娼館? しかし、娼館には同僚が通っている可能性が高いし……」
娼館に関しての知識は、同僚の会話から拾って学んでいた。
しっかりとした娼館であれば顧客の秘密を漏らすようなことはないだろう。そういう意味では一夜だけの体験を求めるのに娼館に行くのは手堅い選択だと思う。
しかし、もし現地で同僚と鉢合わせたら気まずいなんてものではない。その場で自害を選択してしまうかもしれない。そんなのは誰にとっても迷惑だろう。そうなると手堅い選択である娼館も二の足を踏んでしまう。
「……となると、花売りか……」
どんなに騎士が街を守り、治安を守ろうとも貧しい人は生まれてしまう。
中には娼館にも入れず、自主的に花を売っている人たちがいることを知っている。生きるためには仕方ないとはいえ、騎士としてその姿を見る度に歯噛みする思いがあった。
そんな自分が花売りの少女を買うだなんて、最早どうかしているとしか思えないのだが、この時の自分にとっては妙案としか思えなかった……。
「……一夜だけ、お金なら貯め込んでるし、ちょっと多めに握らせて、秘密を守って貰えれば……!」
絶望の中で唯一垂らされた蜘蛛の糸、それに縋るような気持ちで私は正体がバレないように変装をして街へと繰り出すのであった。
* * *
私が向かったのは歓楽街の少し外れた路地。娼館の客引きに混じって、花売りの少女が客を探している場所だ。
花売りの少女は、造花の花も売っている。これは目印でもあり、暗黙の了解でもあった。いつから出来上がった風習なのかは知らないけれど、造花を売っている少女を見ると暗澹な気持ちになりそうになる。
そんな思いを振り払うように首を左右に振った。今日だけは、自分は買う側で来ているのだ。いちいち彼女たちを哀れむようなことを考えているのは良くないだろう。
――誰に声をかけようかと思った時、目の前を横切った少女に目を奪われてしまった。
頭から被るようなローブ、はみ出るように覗いたエメラルドグリーンの癖毛はとても艶やかに見えた。
顔立ちはとても大人びていて、目を離せないような色香に満ちていた。どこか憂うような金色の瞳も相まって、私は一瞬にして彼女に目を奪われた。
少女の手には籠があり、そこに造花が見えた瞬間に私は手を伸ばしていた。
――この子に、触れてみたい。
既にタガが外れかけていた欲望が、私に一歩を踏み出させていた。
少女の肩を掴んで自分の方へと振り向かせる。少女が驚いたように振り返ると、あの不思議な金色の瞳が私を映した。
「あの、あ、あな、貴方を――買わせてくれませんか!?」
少女は目をぱちくりとさせて、私を頭からつま先まで眺めるように見た。
そして自分の手の中にあった造花を見て、少し考えたように黙ってから私を見上げた。
「……貴方、女の人ですよね?」
「……はい」
「……花売りを買いたいんですか?」
「お、お金ならあります」
「……はぁ」
「……だ、ダメでしょうか?」
感情を感じさせないような冷めた瞳でじろりと見つめられる。それに萎みそうな気持ちを奮い立たせて、縋るような声で尋ねる。
少女は暫し、私を見つめる。沈黙のあまり、自分の鼓動の音しか聞こえなくなってしまいそうだった。
「……いいですよ」
「……えっ」
「どれだけ払ってくれるんですか?」
望んでいた、だけど諦めかけていた言葉に私は一瞬呆けてしまった。
怪訝そうな顔をしていた少女が、口の端を盛り上げて目を細める。ちろり、と唇を舐める仕草にどきりと心臓が跳ねてしまった。
「え、えっと……最低で金貨一枚……?」
「……花売りの相場、知ってます? それだと十倍ぐらい違いますけど?」
「く、口止め料! 口止め料も含んでるから!」
「……へぇ? じゃあ、金貨三枚で買わせてあげますよ」
「い、良いんですか?」
「金貨三枚も出してくれる人なんて逃がす訳ないでしょう?」
金貨三枚。出費としてはかなり痛い。だけど、これで心の安寧が買えると思えば私には必要な出費だ。
少女は籠を持っていない手を私の腕へと絡めて密着してきた。その際、わざと胸を押し当てるように触れさせてきた。
「さぁ、行きましょうか。私の家で良いですか?」
「ひゃ、ひゃい……」
「そういえば、まだ名乗ってませんでしたね。私はエミーリエです」
「ア、アルリアです」
「……アルリアさん。ふーん、そうですか。じゃあ、行きましょうか、アルリアさん」
そうして私は彼女、エミーリエに腕を引かれるままに歩き出した。
エミーリエの家は貧困街の一角にある古びた一軒家だった。年季の入った建物に入ると、嗅ぎ慣れた香りが鼻を擽った。
「……これ、薬草の……?」
「えぇ。薬の販売をやってるので」
「あ、そうなんだ。私、薬にお世話になることが多いから嗅ぎ慣れてるんだよね」
「そうでしょうね、アルリアさんは治癒魔法が効かない体質でしょうし」
エミーリエの言葉に私は思わず、ぎくりと身を竦めてしまった。
「……な、なんでそう思ったのかな?」
「――アルリア・プリフェット、貴女はかの〝朱髪の聖騎士〟様でしょう?」
〝朱髪の聖騎士〟。それは一人歩きしている私の異名だった。その名を呼ばれているということは、と思いながらエミーリエを見ると、意味深に笑みを浮かべていた。
「……もしかして、バレてた?」
「せめて偽名ぐらい名乗るべきだったかと。あと、髪の色も染めた方が良かったですよ。騎士でありながら聖女の資格も持った、華々しき戦乙女である貴方は有名ですから」
なんたる失態。当然の指摘を受けて私は天を仰いでしまった。
「……あの、口止め料は足りますか?」
「えぇ、金貨三枚も頂いたら黙っていますよ」
そう言って、エミーリエは羽織っていたローブを脱いで壁掛けにかけた。
ローブを脱ぐとエミーリエの美貌は更に際立っていた。肩にかかったエメラルドグリーンの髪を払うと、彼女はそのまま服に手をかけた。
「お風呂なんて気の利いたものはボロ屋にはありませんので、水で濡らした布で拭くぐらいしか出来ませんが……身を清めた方が良いですか?」
「えっ、あの、もう、その、するの?」
「何の為に来たんですか? 貴方」
呆れたようにエミーリエに言われて口を閉ざしてしまう。確かに彼女の言う通りだ。ここまで来たなら腹を括ろう。
私はエミーリエの肩に手を置いて、彼女を正面から見つめる。背の高さは私の方が頭一つ分ほど高い。
「……キスしても?」
「……ふふ、どうぞご自由に」
誘うように微笑むエミーリエに、私は理性の枷を遂に外してしまった。
触れてみたいと思った肌に触れると、思ってた以上の感触が返ってくる。頬に手を添えたまま、距離を詰めてエミーリエの唇を自分の唇で塞ぐ。
柔らかく、温かくて、息遣いがくすぐったい。戸惑いは奇妙な充足感へと変わっていき、なんども啄むように唇を食んでしまう。
エミーリエも自分から啄むように唇を重ねてきてくれたので、何度も何度も互いの唇を食み合った。
「……ベッド、行きましょうか」
そっとエミーリエがキスを中断するように肩を押した。少しでも離れたくなくて、私はそのままエミーリエを抱きかかえてベッドまで運んでしまった。
エミーリエをベッドに降ろすと、彼女は目を丸くさせてからおかしそうに口元に手を当てて笑った。
「流石、騎士様。力強いですね」
「……えっと、じゃあ、よ、よろしくお願いします」
「えぇ。私も初めてですので、優しくして頂けると」
「……えっ、初めて?」
「――だって私、別に花売りじゃないので。籠に入ってた造花は売り物じゃなくて、私が買ったものですよ?」
思考が停止した。エミーリエは花売りじゃない? 今夜が初めて? ただ単語だけがぐるぐると頭を巡っている。
無意識にベッドにつけていた膝を戻して立ち上がろうとしたけれど、それよりも先にエミーリエが私の首に腕を回して、耳元で囁いた。
「――本当に、やめていいの?」
脳髄が痺れたような気がした。意識が落ちていく、溺れるように沈んでいき、私はそのままエミーリエの香りを確かめるように彼女と一緒にベッドに倒れ込んだ。
薬草の香りに混じって、甘く蕩けてしまいそうな花の香りがした気がした。それからは、まるで自分が自分でないように夜が更けていく。
ただ私の腕の中にいるエミーリエが狂おしいほどまでに魅惑的だったことしか覚えていられなかった。
* * *
「――私の誤解で、大変申し訳ありませんでした!」
「まぁ、騎士の最敬礼なんて自分に向けられるなんて思いませんでした」
そして、朝である。
私は跪いてエミーリエに謝罪の姿勢を取っていた。ベッドに腰かけてシーツをたぐり寄せているエミーリエはおかしそうに笑うだけだ。
「別に貴方が謝ることではないでしょう? 了承したのは私もなのですから。合意の上ですよ」
「で、でも、花売りと誤解してしまった上に、不躾にお金に物を言わせて……!」
「籠に入れた造花なんて持っていれば誤解することもあるでしょう。誤解されるだけなら以前にも何度かありましたしね。別に気にしていませんよ。あれは花売りの子供たちに薬を譲る代わりに造花を頂いていただけなのです」
「そ、そうだったんだ……」
「油断すれば花売りの子供なんて、すぐに病にかかって死んでしまいますからね。まぁ、単にお節介しているだけですよ」
エミーリエの言葉に私は眉を寄せてしまった。確かに花売りの子供なんて病にかかってしまえばそのまま死んでしまう事が多い。
彼女はそんな子供たちに薬と造花を交換していたという事になるのでは?
(もしかして、とんでもなく良い人なのでは? そんな人を私はお金で買ったんですか? 最早、首を落として詫びるべきなのでは? よし、死のう……)
やはり私はとんでもなく罪深かった。申し訳ありません、私の面倒を見てくれた騎士団長。私は騎士失格です……!
「さて。それでは、今後の話をしましょうか? アルリアさん」
「へ? こ、今後の話と言うと……?」
「アルリアさん、女性を性的対象で見てしまうのはさぞ生き辛いとお見受け致しますが」
「うぐっ」
事実を指摘され、私はその場に倒れ込んでしまいそうだった。あぁ、どうしてこんな性癖に育ってしまったのだろう……?
「……その、恥ずかしながら私には両親がいなくてですね」
「孤児だったのですか?」
「は、はい。それで育ててくれたのもシスターたちで……その後、聖女の資質を見出された後も同じ聖女だった子たちと修行の日々で、騎士になると志すまで異性と触れ合う機会がなくて……その……」
「成る程、女性とばかり付き合っている内に興味の対象になってしまったと」
「……はい」
軽蔑されないだろうか、と恐る恐るエミーリエを見ると、彼女は意味深に笑みを浮かべるだけだった。
……何故だろう、その笑みに薄ら寒いものを感じてしまったのは。
「別にそれ事態は構わないんじゃないですかね。そういう人もいるでしょう」
「……へ、変に思わないんですか?」
「えぇ」
ただ一言、その一言に私は涙が溢れてきそうな程に安堵してしまった。
ずっと自分が変なんじゃないかと思っていた。自分と同じように女性に興味を抱いているような子なんておらず、ずっと誰にも相談出来ずに抱え込んできてしまった。
その忍耐がたった一言で報われるようだった。そのままお礼の言葉を伝えようとして――。
「――その方が、利用しやすいですしね?」
「へ……?」
「まさか、あの街の少女たちにも大人気な〝朱髪の聖騎士〟様が女性に欲情して花売りを買うような人だなんて……知られたら大変ですよねぇ?」
ぶわっ、と一気に汗が噴き出た。今までとはまったく違う意味で心臓の鼓動が煩くなる。
先程まで慈母のように見えていたエミーリエの笑顔が、まるで悪魔の笑顔のように切り替わってしまったようだった。
「……勿論、口止め料は頂いておりますから言いふらしたりなんかしませんよ? でも、お金というのは使ってしまえば無くなってしまうものですよね? お金って無情なものですよね。あっても、あっても、どんどんなくなってしまうんですから。貧しさというのは心まで貧しくしてしまうんですよね、そしたら人って何するかわからないですよねぇ?」
「……お、脅すつもり……?」
「脅しなんて……これは、取引ですよ?」
どこまでも見惚れそうな、なのに震えが止まらない笑顔を浮かべながらエミーリエは言い放った。
「私をこれからも〝買って〟頂けませんか? お互い、都合の良い取引でしょう? 貴方は自分の隠したい秘密を守り、私で自分を慰めることが出来る。私は貴方の秘密を守る代わりに、お金を貰って愛して頂く。ねぇ、理想的でしょう? それに何も豪邸買えだとか言いませんよ? そうですね、一緒に部屋をシェアしましょうか。良いですね、隙間風が入ってこなくて、床が軋まない物件とか。あと、本業は薬屋なんですよ、私。素材とか買って貰えたら貴方に薬を個人的に卸しても構わないですよ?」
「あ……ぅっ、うぅっ……そ、それは……」
これは罠だ。このまま一つ、許してしまえばまた一つと要求が重ねられてしまう。既に遅いとはわかっている。それでも簡単に頷いてはならない。このままでは彼女に搾取されてしまう――ッ!
「――私の身体、好きにしたくありませんか? ねぇ、アルリアさん?」
いつの間にか私の傍に身を寄せて、耳元に囁きかけるエミーリエ。その際に吹きかけられた熱を帯びた吐息に、腰がかくりと抜けて尻餅をついてしまう。
そんな私を見下ろすように、立ち上がるエミーリエ。唇を指でなぞりながら、彼女は妖艶に微笑んだ。
「きっと私たち〝仲良く〟出来ますよ? 優しい騎士様? 私を助ける為だと思って、ねぇ?」
――抗う術など、もう残っていなかったことを悟るには十分すぎた。
* * *
――とんでもないカモが食いついてきた。
私こと、エミーリエ・イステルは笑みを堪えるので必死だった。
先程、夢遊病者のような足取りで去っていった女、アルリア・プリフェットのことを思う。
三つ編みに束ねた異名の由来となった朱髪、柔らかく優しげな若草色の瞳。まだどこかあどけなさを残しつつも、騎士として誉れ高い女性だ。
彼女はただの騎士ではなく、治癒魔法を使える稀有な才能を持つ聖女でもあった。だからこそ彼女の異名は聖騎士なのである。
聖女として治癒魔法を使うだけでも貢献出来ただろう。それでもアルリアはそれに満足せず、最前線で失われる命がないようにと剣を手に取り、騎士の道を志した。
通常、聖女というのは治癒魔法という才能に恵まれていても身体能力までは並の人間だ。彼女には聖女だけではなく、騎士としてやっていくだけの才能があった。
それは、聖女と対を為すもう一つの栄誉ある称号、勇者の特徴にも似た才能である。
かつて世界の危機を救った勇者と聖女、それは人の尊敬の対象となっている。その両者の才能をいいとこ取りしているのが、あのアルリアという女だ。
「……私のような存在とは天地ほども差があるわよね」
誰からも尊敬と期待の眼差しを向けられる稀代の騎士と、裏路地で怪しげな薬を売っている薬師。なんて釣り合わない二人だろう。
本来では道なんて交わる筈がなかった二人の縁が繋がったのは、まさかあのご立派な騎士様が女性に懸想をしてしまう性癖を持っているだなんて思ってもみなかった。
「くくっ……! あは、あはははっ! 本当、おかしい! 騎士様よ? 騎士様! 今でも聖女って呼ばれてもおかしくない人なのに! それなのに私になんか引っかかってるなんて、もうダメ! 笑っちゃうわ!」
笑いすぎて涙が浮かんでくるけれど、もう笑うのを堪えきれなかった。
あんな高潔な存在が、まさか自分に脅されるような立場に落ちてくるなんて昨日の自分に言っても信じないだろう。
「えぇ、えぇ、大丈夫よ。アルリアさん。裏切りなんかしないわ。貴方が私のカモになってくれている間はね……」
別に同性と一夜を共にすることを嫌だとは感じない。むしろ、あの騎士様を存分に利用し尽くせるというのなら多少は乗り気になってやっても良いだろう。
「……なんだかんだで優しかったしね」
まるで壊れ物を扱うように丁重で、それでいて奧を探りたくて堪らないような好奇心溢れる子供のようだったアルリアを思い出す。
……胸の奥が疼くのは、きっと昨夜の名残だろう。そう、多分、ただそれだけ。
「……あんなに人に触れて貰うのも、何年ぶりかな」
ずっと、一人で生きてきた。
誰にも心を許さず、都合が悪くなれば姿を消すように住処を変えてきた。
そうでなければ生きていけなかった。私の生きている世界は、あまりにも無慈悲が満ちていたから。
「……絶対に幸せになる」
手が伸びたのは、唯一残された親との縁。首から下げたペンダントを服越しに触れながら私は祈るように告げる。
何を利用しても、卑怯者だと言われようとも、絶対に幸せになってみせるから。だから、届かないとしても口にせずにはいられなかった。
――だから何も心配しないで、お母様。
人の温もりなんて、触れてしまったから思い出してしまった。
ただ、それだけなのよ。
* * *
エミーリエと契約を交わしてから、一ヶ月ほどの時間が経過した。
勤務時間も終わり、帰り支度をしていると騎士団長に声をかけられた。
「おう、アルリア。お前、引っ越すって本当か?」
「あ、騎士団長。はい、本当です」
「お前さん、家なんて住めれば良いって言ってたのにどんな風の吹き回しだ?」
「あぁ、えっと……実は、友人と家をシェアしないかと言う話になりまして、ほら、やっぱり女の一人暮らしは危ないと感じてたみたいで……」
「ほぅ? なんだ、お前さんちゃんと友人らしい友人がいたんだな、安心したぜ」
騎士団長は魔物であるオーガと言わんばかりの凄みがある顔で笑った。時には子供を泣かせてしまうことのある笑顔だけど、その内面は気配り上手の面倒見の良い人だと知っている。
そんな騎士団長に真実を告げることも出来ず、私は内心汗をダラダラ流しながら話しを切り上げて騎士団の詰所を後にした。
向かうのは今まで住んでいた家ではなく、エミーリエと一緒に暮らすために新たに借り受けた物件だ。
少し早足に帰路を急ぎ、新しい我が家の扉を開けた。
「ただいま、エミーリエ」
「おかりなさい、アルリアさん。食事の用意が出来てますよ」
「ありがとう! お腹ペコペコだよ!」
出迎えてくれたエミーリエはエプロンを身につけてキッチンに立っていた。鼻を擽る食事の香りは空腹を更に責め立てた。
……ここだけ切り取れば、気の良い友人と家を借りた新生活って感じなんだけどな。
「では、夕食代を」
「……はい、どうぞお納めください」
「毎度、ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべるエミーリエ。それはもう、お客様向けの笑顔なんじゃないかと思うと心にクるものがある。
項垂れそうになりながら席に座ると、エミーリエも私の隣へと椅子を持って来て座った。
「エミーリエ?」
「ふふ、今日はあーん、してあげますよ?」
「へっ?」
「ほら、冷めない内にどうぞ? あーん」
そ、それは恋人のいない同僚が憧れて止まない、恋人が手ずから食べさせてくれる伝説のイチャイチャシチュエーションなのでは!?
動揺を隠しながら、私はエミーリエが差し出してくれたスプーンを口に含む。……動揺しすぎて味が全然わからない。
いや、待って。これは罠よ、あくまで私たちの関係は契約によるものであって、別にイチャイチャしたくてエミーリエが私にあーんなんかする筈もなくて――。
「――精がつくもの、たくさん用意しましたから。……夜、楽しみにしておきますね?」
追加料金も含めて、なんて後付された言葉は私の耳に届かなかった。
突然降りかかってきた幸せ、これで裏なんてなかったらどれほど良かったことだろうか。
それでも幸せを感じてしまう私はもう手遅れなのだろうか。そんな事を思いながら、私はようやく味がわかってきた食事のおかわりを頼むのだった。
読んで頂きありがとうございます。面白かった、続きが読みたいと思っていただけたらブックマーク、評価ポイントを頂けると嬉しいです。
以下、登場人物の設定です。
【登場人物】
○アルリア・プリフェット(18歳)
元々は孤児でガキ大将だった程度におてんばな娘だった。
聖女の力を見出され、幼い頃から聖女として活動してきた。そこで戦場で負傷した騎士の手当をしたことをキッカケとして最前線で自分の力を使いたいと望むようになる。
聖女として一般的な治癒や呪い祓いの力量もある上、剣の才能にも恵まれた彼女は騎士の道に進み、騎士としての地位と名声を築き上げた。
立派な騎士として憧れを向けられる立場にあったものの、理想を求められる生活の中で自分の欲求や青春といったものを犠牲にしてきた。
その結果、同性に対して恋愛感情を持て余してしまうという悩みを抱えてしまう。
一度だけ、という思いで娼婦の女性を買ってみようと思い至った所でエミーリエと出会う。
○エミーリエ・イステル(15歳)
薬師として生計を立てている少女。花売りの少女などに半ば慈善のように薬を売っていたりしていた。
しかし、大人に対しては厳しくビタ一文でもまけない。むしろ嬉々として毟り取ろうとする悪魔。
幼い頃から母親を失い、一人で生きて来た。各地を渡り歩いた経験があり、人間不信な部分がある。
自分を花売りだと誤解して近づいて来たアルリアを利用して快適な生活を送ろうと目論む。彼女から金を毟り取る為なら誘惑も辞さない。
なんだかんだでアルリアのことを気に入っているので、誘惑自体は楽しくやっている。
余談ではあるが、アルリアはエミーリエのことを同い年か年上だと思っているが、エミーリエは知らない。