21.逮捕状
誰かが「まあ」と声を漏らした以外は驚くほど静まり返り、広い会場を静寂が満たしていた。
しかし一瞬後には耳障りなほどに大きな笑い声が響く。
「なかなか面白い余興だったよ、ルーセル卿。いや……あなたは本当にルーセル侯爵なのか?」
笑いながら言うキーモントの言葉は疑問に変わり、周囲の人々もまた答えを求めるようにオパールを見た。
さすがに逮捕状とまで出てくると、皆も俄には信じられないのだろう。
オパールも逮捕状についてはわけがわからなかったが、この疑問にははっきりと答えられた。
「ええ、もちろんです。――クロイゼル子爵、奥様、ご紹介が遅くなってしまいましたが、こちらが主人のルーセル侯クロード・フレッドです」
舞踏会で騒ぎを起こしてしまったことは後でしっかり謝罪と償いをしようと思いながら、オパールはクロードをクロイゼル子爵夫妻に紹介した。
するとクロードも続く。
「はじめまして、クロイゼル子爵、子爵夫人。招待状をいただいたのに返事も出さず、このように突然押しかけたことをお詫びいたします。また騒ぎを起こしたことも謝罪させてください」
「ルーセル侯爵、お会いできて光栄――」
「何とでも言えるさ! この場には本物のルーセル侯爵を知っている者はいないんだからな! 何が逮捕状だ。馬鹿げたことを言うな!」
クロイゼル子爵はこの状況でも笑顔で応じてくれていたのだが、そこに苛立ったキーモントが遮った。
挨拶の途中で割り込むだけでも失礼なのだが、オパールを嘘つき呼ばわりしていることもかなり失礼である。
それなのにいつもは礼儀に煩い伯爵夫人は息子を叱ることもしない。
「そ、そうよ! これはいったい何? どうして誰もあの無礼な人たちの好きにさせているの!? クロイゼル子爵も皆もどうかしているわ! こんな侮辱を受けるなんて、あなたたちを絶対に許しませんからね!」
すっかり礼儀を忘れてしまったらしい伯爵夫人の甲高い声で、成り行きを黙って見ていた人たちもざわつき始める。
皆が次の展開に注目する中でもクロードは冷静なまま告げた。
「ここ最近王都近辺に出没していた賊の何名かが本日捕えられました。その者たちからの供述でキーモント卿も仲間であることが判明したのです。よって、先ほど逮捕状が発行されました」
「う、嘘だ……」
「賊は身分ある若者ばかりであることから全ての逮捕状が陛下の勅諚によって発行されました。またキーモント卿の身柄を拘束するために警官たちがこの会場の外で待機しております。私は皆に迷惑をかけないようキーモント卿をここから連れ出す役目だったのですが、失敗してしまいましたね」
肩を竦めるクロードを誰もが信じられない思いで見つめていた。
会場は再び静寂に包まれ、キーモントの荒い息遣いだけが聞こえる。
伯爵夫人は立ったまま気絶しているのではないかというほどに血の気を失くして微動だにせず、キーモントは反論の言葉さえ口にしない。
「さあ、キーモント卿。このまま外へ――」
言いかけたクロードの言葉は途切れた。
キーモントが逃げ出したのだ。
周囲にいた女性を乱暴に押しのけ、外へと向かって走り出す。
悲鳴が上がり、唖然としていたオパールもはっと我に返ってキーモントの行方を目で追うと、すでにクロードや数名の男性が後を追っていた。
そして扉の前で取り押さえる。
「放せ、無礼者! 私はキーモント伯爵家のジェブ・キーモントだぞ!」
喚いて暴れるキーモントを囲む男性は、キーモントに劣らぬ身分の者たちばかりだった。
しかもクロイゼル子爵まで加わっている。
皆が驚き見守る中でキーモントは勾引されていき、クロードはゆっくり戻ってきた。
「クロード?」
「後でちゃんと説明するよ」
「ええ、お願い」
クロードに申し訳なさそうに言われては、この場で問い質すことなどできない。
そんなオパールにクロードは感謝の笑みを浮かべると、次いで伯爵夫人に向き直った。
息子であるキーモントが引き立てられていった扉を放心状態で見つめていた伯爵夫人は、目の前のクロードに気付いた瞬間、怒りの形相に変わった。
「あの子は……あの子は無実よ。無実に決まっているじゃない! あなたね? あなたがあの子を陥れたのね! 夫があなたを――あなたたち二人を訴えるわ!」
「……私は何もしておりません。むしろ何もできなかった。ですが、あなたにはもっとできることがあったはずです」
「いったい何を言っているの!?」
「子供の不始末は親の責任なのでしょう? ですが、彼らが行っていたことは不始末などではなく犯罪です。数ヶ月前に街道を荒らした賊を真似て道行く人々を脅し、金品を奪い取っていたのですから。そんな犯罪者たちが身分ある者たちだったとお知りになった陛下はどれほどに嘆かれお怒りになっておられるか……」
「そんな……」
「これからはご自分や息子さんのことよりも、気の毒な被害者の方たちのことを考えてほしいものです。では、失礼」
怒りに喚く伯爵夫人に対し、クロードは最後まで冷静だった。
しかしクロードはとても怒っている。
そのことにオパールは気付いていたが何も言わず、クロイゼル子爵夫妻に挨拶を終えて馬車に乗り込むまでは当たり障りのない会話を続けた。
そして車内で二人きりになると、オパールは切り出した。
「さあ、ナージャは別の馬車で帰したし、今は二人きりよ。何でも聞くわ」
「今夜の説明が必要だったな」
「それは後でいいわ。だけど私に何か話すことでその怒りが少しでも治まるなら話してほしいの。もし私に何かできることがあるなら言ってほしいわ」
気になることはたくさんあるが、めったに怒らないクロードの怒りの原因のほうが気になる。
今夜は多くのことが起こりすぎて予想がつかないのだ。
車内灯だけの薄暗い車内で、オパールが真剣に気持ちを言葉にすると、クロードはいきなり抱きしめた。
その力はいつになく強い。
「クロード?」
「ごめん、オパール」
「え?」
「オパールを悪く言われたことが悔しい。オパールの計画を邪魔してしまったことが申し訳ない。キーモントのようなクズを今までのさばらせていたことに腹が立つ。侯爵なんて身分を得ても大した力のない自分が情けなくて嫌になる。本当にごめん、オパール」
クロードの怒りはオパールや被害者のための怒りだったのだ。
昔からクロードは変わらず優しくて温かい。
オパールはクロードを抱きしめ返してほっと息を吐いた。
「ありがとう、クロード。でも私は大丈夫よ。どうでもいい人に何を言われようとどうでもいいもの。キーモント卿に関しても目的は果たせたわ。彼がどんなに無責任に女性たちを苦しめてきたかを皆に知ってほしかったのだけど、それ以上に最低の……クズだったわ」
キーモントを表現する言葉が見つからず、オパールはクロードの言葉を借りた。
淑女としてははしたない言い様だが、クロードはくすりと笑う。
「それに今夜のことで、気の毒な境遇にある女性たちに対する偏見も少しは減るんじゃないかしら? 賊の被害者の方たちは少しでも救済されるといいのだけど……」
「幸いにして被害者に怪我はほとんどないらしい。金品を盗まれはしたけれど、それはキーモントたちがしっかり弁済することになる。賠償金も合せてね。やつらは盗品を隠れ家にしていた屋敷に放置したままだったんだ。それが証拠となったんだが……。やつらの目的は金品ではなく、スリルを楽しむためと被害者が怯える姿を見て楽しむためだったらしい」
「やっぱり救いようのないクズだわ」
今度ははっきり言い切って、オパールはクロードの肩に頭を預けた。
「ねえ、クロード」
「うん?」
「クロードに大した力がないなんて嘘よ。私は一人でも大丈夫だけれど、クロードが助けにきてくれてすごくすごく嬉しくて力が湧いたわ。それにキーモント卿を殴ってくれた時にはとってもすっきりしたの」
「それを聞いて安心したよ。怒りのままに動いてしまったけど、乱暴者だと嫌われたらどうしようと内心びくびくしていたんだ」
本気で言っているのかと、オパールは顔を上げてクロードを見た。
クロードはいつも自信たっぷりに見えるのに、今は少し頼りなく見える。
「……私だけじゃないわ。クロードに救われた人はたくさんいるはずよ。クロードがいてくれるだけで強くなれるもの。だからといって、クロードが全部一人で背負わないで。約束したでしょう? 一緒に力を合わせて生きていこうって。私も一緒にクロードの荷物を背負うわ。だからもっと私に頼ってほしいの」
昔から変わらないクロードは何でも一人で抱えようとするところまで変わっていなかった。
オパールが困っていると必ず助けてくれるのに、自分が困っても人には頼らない。
すぐに変えることは無理でも、少しずつオパールが助けていけたらと思う。
「……ありがとう、オパール」
再びクロードの肩に頭を預けたオパールの耳に、低く優しい声が触れる。
それがとてもくすぐったくて、照れ隠しにオパールはぱっと顔を上げて意地の悪い笑みを浮かべた。
「――というわけで、この後は今夜のことをちゃんと説明してもらいますからね」
「これから?」
「夜はまだこれからだもの」
「意味深だな」
クロードもわざと意地の悪い笑みを浮かべて答えた。
それからの二人は屋敷に着くまでの間、昔のように軽快な言い合いを続けたのだった。