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5.公爵邸

 

 オパールは言われた通り、夕食を部屋で取ると、早々にベッドに入り、眠ろうとした。

 しかし、眠れるわけもなく、ようやくうとうとし始めたのは太陽が昇る頃で、そのまま昼まで眠ってしまったらしい。

 呼び鈴でベスを呼べば、仕方なくといった様子で支度を整えてくれる。

 まるで怠惰な生活を送っていると咎められているようだ。

 普段のオパールは貴族にしては早起きなのだが、いちいちそれを説明するのも面倒だった。


 ただしなければならないことはある。

 ノーサム夫人と一度話をしなければならない。

 そう考えたオパールは、ベスにそのことを伝えた。

 すると、ベスはしぶしぶといった様子で部屋から出ていく。

 主人に対する態度ではないが、注意するのはまたにしようと夫人からの返事を待った。

 ところがしばらくして、ノックの音がしたので答えると、見知らぬ女性が入ってきた。

 どうやら身なりから、この女性がノーサム夫人らしい。


「お呼びだと伺いましたが?」

「あなたがノーサム夫人?」

「はい。申し遅れました。タリア・ノーサムと申します。先代公爵のジョセフ様の従妹にあたりまして、ジョセフ様がお亡くなりになった時に、私と夫がヒューバートの後見人として育ててまいりました」

「そうですか。私はオパールと申します。どうぞオパールと呼んでくださってかまいません。では、話を戻しますが、私はあなたと話がしたいと申しただけで、お呼び立てするつもりはありませんでした。ですが、せっかくですから今からよろしいでしょうか?」

「もちろんです」


 そう答えると、ノーサム夫人はさっさとソファに腰を下ろそうとして、自分の立場を思い出したのか、動きを止めた。

 その様子を見て、オパールは苦笑しながら座るように勧める。

 そして向かいに座ったオパールはベスにお茶を頼むと、単刀直入に切り出した。


「今まで長い間、ノーサム夫人がこの家の女主人として切り盛りしてくださったそうですね。ありがとうございます」

「いいえ、お礼を言われるようなことではございません。それで、お話というのは女主人の座を明け渡せということでしょうか?」


 かなり強気な発言にオパールは挫けそうになったが、今まで何度も年配の女性からの嫌みを返していたのだ。

 本当ならば、その通りだと言いたかったが、昨日の馬車の中でのヒューバートの言葉を思い出し、ぐっと堪えた。


「無理にとは申しません。まだ私では不慣れな点も多いですから、できれば夫人に色々と教えていただきたいと思っております」

「そうですか」


 夫人の当然だと言わんばかりの返事に苛々しながらも、オパールは笑顔を崩さなかった。

 これでヒューバートに前もって言われていたのだと伝えていれば、夫人はもっと得意になっていただろう。


「ただ一つだけ気になるのが、主寝室のことなの」


 オパールが思い切って言うと、夫人は不機嫌そうに顔をしかめた。

 だが負けるものかとオパールは真っ直ぐに夫人を見つめ続けた。

 今さら、ヒューバートに何かの感情はない。

 ちょっとした期待は、昨日全て打ち砕かれてしまった。

 だが、結婚してこの屋敷にやって来たからには、女主人としてこの屋敷を切り盛りする必要がなくても、主寝室を別の女性が使っているというのだけはどう考えてもおかしく、許容できなかったのだ。


「今まではどうか知らないけれど、私が公爵様の――旦那様の妻としてこの屋敷に嫁いできたんだもの。あなたの娘さんのステラさんが旦那様と扉一枚で繋がっている主寝室を使うのはどうかと思うわ。世間だってどう思うか」

「あの子は……あの子は、もう何年もあの部屋で暮らしているんです。ですが、この屋敷にはそのような下世話なことを外へと漏らすものはおりません!」

「でも私が話すかもしれないわよ?」


 この言葉は腹を立てていたために口にしただけで、本気ではなかった。

 そもそもそのような恥を自分から言う訳がない。

 しかし、背後でベスが息を呑み、夫人はぶるぶる震えて泣きだした。


「あの子は、ずっとヒューバートを支えてきたんです! そして今は、ヒューバートがあの子を支えてくれているのに! ヒューバートから引き離されたら、あの子は死んでしまうわ!」


 なんて大げさなと、オパールはうんざりした気分だった。

 夫人はそんなオパールには気付かず、ハンカチを取り出して涙を拭いながら訴える。


「あの子は重い病なんです! 二十歳まで生きられないと言われていたのに、ヒューバートの献身的な支えのお陰で、今まで頑張っていられたというのに……」


 それきり夫人は声を上げて泣き始めた。

 ただそれをオパールは唖然として見ていただけだった。

 まさかステラがそこまで重い病気だとは思わなかったのだ。

 誰も教えてくれなかった。ただオパールに敵意を向けるだけで。


「ごめんなさいね。ステラさんの体が弱いとは旦那様から聞いていたけれど、そこまで悪いとは知らなかったから。そういうことなら初めから教えてくださればよかったのに」


 どうやらオパールの謝罪は泣くことに夢中な夫人には届かないようだ。

 オパールだって鬼ではないのだから、最初から知っていればこのようなことは言わなかった。

 それでもやはり主寝室を使うのはおかしいとは思うが。

 そこでふと、主寝室を与えるほどに大切にしているのに、ヒューバートが結婚をしなかったのは、ステラが病気だったからだと思う。


(でも、傍にいるだけが支えることでも守るってことでもないわ)


 ベスが主人を差し置いて、泣き崩れるノーサム夫人を宥め部屋から連れ出している姿を見つめながら、オパールは冷めた考えになっていた。

 すると、しばらくして大きな足音が近づいてくる。


(ああ、まただわ)


 そう思った瞬間、再びノックもなしにドアが開かれ、怒りに顔を赤くしたヒューバートが部屋へと入ってきた。


「あなたはどれだけ酷い女なんだ! 昨日、言ったことをもう忘れたのか!?」

「おはようございます、旦那様」

「何がおはようだ! さっそくノーサム夫人に女主人の座を明け渡せと言い、次には主寝室からステラを追い出せと言うなど、本当に血も涙もない女だ!」

「その話には誤解がございます」

「どこが誤解だ! 実際、ノーサム夫人だけでなく、傍で聞いていたベスも証言しているんだ!」

「そうですか」


 オパールはヒューバートが怒れば怒るほど、頭も心も冷めていった。

 そんなオパールの態度に、ヒューバートはますます怒りを募らせていく。


「なぜ私はあなたとの結婚を承諾してしまったのだろうな!? ふしだらなだけでなく、こんなに冷たい女とは!」

「……では、今すぐ結婚無効の手続きを取られたらいかがですか? そうすれば、このお屋敷にも平穏が戻るでしょう。ただし、私の持参金と父からの祝い金はお返しくださいね」

「なっ!?」

「先ほどの旦那様のご質問ですが、私と結婚されたのは持参金目当てでしょう? そして旦那様は望み通りにお金を手に入れられた。無事に借金も返すことができ、公爵家の体面は保たれたわけです。それなのになぜ私はこのような扱いを受けなければならないのでしょう? 使用人たちは私へ敬意を払いもしない。主寝室に別の女性がいて驚くのは当たり前ではないですか。ですが、その理由も教えられておらず、一言申せばこうして責められる。なぜですか? 私は旦那様に――公爵家に報いこそすれ、何の罪を犯したというのです? そもそも私はこんな結婚など望んでいなかった。父に命じられて仕方なく嫁いできたのです」

「仕方なく……」

「ええ、仕方なくです。それともまさか、私があなたに恋をして父に頼み込んだとでも?」


 冗談のつもりで言った言葉に、ヒューバートは顔を赤くした。

 どうやら、そう思っていたらしい。

 その馬鹿馬鹿しさに笑いがこみ上げてくる。


「私はこの家では必要とされていません。必要なのはお金だけ。ならばいっそのこと私を殺したらいかがですか?」


 ヒューバートはその言葉にはっと息を呑み、赤かった顔を青くした。

 その反応が思いもよらず驚いたからか、少しでも考えていたからかはわからない。


「きっと上手くいくと思いますわ。嫁いできてたったの一日で、使用人たちにまで私はとても嫌われているんですもの。みんな口裏を合わせてくれますでしょう?」

「ば、馬鹿なことを言うな!」

「ええ、本当に馬鹿だわ。私はこの結婚に少しは希望を持っていました。お金だけでなく、少しは私のことも尊重してくれるのではないかと。ですが、よくわかりました。私は本当にこの家では邪魔者のようですから、いないものと考えてくださって結構です」

「何を……」

「旦那様が昨日おっしゃった通り、私は大切なステラさんにお会いしないようにひっそりと部屋で暮らします。もちろん外へ出る時には前もってベスに知らせます。それでご満足なのでしょう?」


 正直なところ、ここまで言うつもりはなかった。

 だが、昨日から――いや、父に結婚を命じられた時から募っていた怒りが爆発したのだ。

 やられたら、やり返す。

 それが幼い頃からのオパールの性格で、お転婆どころではないとよく領館の者たちや幼馴染みのクロードに言われていた。

 さらには頑固で意地っぱりだと。


 ヒューバートはここまで反論されるとは思っていなかったのか、ろくに口を挟むこともできず、ただ聞いていた。

 だが、ひと通りオパールが話し終えると我に返ったのか、一度きゅっと唇を引き結び、そして告げた。


「我々に迷惑をかけないのなら、好きにすればいい!」


 負け惜しみにも聞こえる言葉を残し、ヒューバートは踵を返すと、荒々しくドアを閉めて去っていった。

 さすがに今の音は主寝室まで聞こえたのではないかと思い、オパールはため息を吐いた。


 きっと大切なステラを驚かせたのではないだろうか。

 そう思いながら窓辺へ寄ったオパールは、余計な心配だったと知った。

 窓から見下ろせる庭には、車椅子に座った可憐な女性が夫人に付き添われて花を愛でていたのだ。


 ここでオパールが見つかれば、またヒューバートに怒りをぶつけられると窓から離れようとしたその時。

 女性がふっと顔を上げたために目が合ってしまった。

 途端に女性が微笑む。

 その笑みはとても意地悪く見え、オパールは目を瞬いた。

 今のは光の加減か、見上げていたせいかもしれないと思い、オパールは窓から離れた。

 そして、呼び鈴を鳴らす。

 これからすることはオパールの意地でもあったのだった。




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