18.旧交
久しぶりにノボリの街へとやって来たオパールは、マクラウド公爵領の管理人であるオマーとの再会を喜んだ。
さすがにマクラウド公爵の領地に足を踏み入れるわけにはいかないので、オマーにわざわざ出てきてもらったのだ。
本当は領館の執事のリンドや家政婦のデビーにも会いたかったが、それは残念ながら諦めるしかなかった。
「それにしても、これほどに街が変わるなんて私も年を取るわけですね」
「年齢について触れるのはやめましょうよ。それよりも、この街がこれほどに変わったのはここ二、三年だと思うわ。前回来た時にはこんなに変わっていなかったもの」
オマーは八年前から一度もノボリの街へは足を踏み入れなかったらしい。
驚くオマーの言葉に答えながらも、オパール自身も驚いていた。
オパールはあれから何度かノボリの街に訪れていたのだが、その時にはこれほどに変化はなかったのだ。
付き添いのナージャは活気ある街並みを見て、到着した時にはかなりはしゃいでいた。
「それで、今回のご旅行は順調でしたか?」
「ええ、ありがとう。とても充実していたわ」
オマーは深く訊きはしなかったが、オパールのこの旅行が領地の視察だけでないことに気付いているらしい。
オパールは領地に問題ないことを確かめた後、このノボリの街にある鉄道会社の経営者と会っていたのだ。
その話はわざわざすることではないので、オマーとは最新の農業機械などについての話題で盛り上がった。
そこに懐かしい声がかかる。
「やあ、これはマクラウド公爵夫人。お久しぶりですなあ」
オマーは現れた人物を目にして渋面になり、オパールはすぐさま近寄ってこようとした護衛に大丈夫だと合図してからにっこり笑いかけた。
「お久しぶりね、ルボー。だけど私はもうマクラウド公爵夫人ではないのよ」
「ああ、そんな話も聞いたような気がしますなあ。では、今は何とお呼びすればよろしいのですか?」
「――フレッド夫人でいいわ」
「おや、再婚なされたのですか?」
「ええ、そうなの」
情報通のルボーなら再婚のことは知っているはずだが、白々しく質問してくるので、オパールもクロードの爵位は名乗らなかった。
八年前にオマーの借金をオパールに取り立てにきたルボーは相変わらず抜け目がない。
この再会も偶然を装ってはいるが、わざわざ会いにきたのだろう。
普段からルボーがこの大衆向けサロンを利用しているとは思えなかった。
護衛は本当にオパールに危害はないようだと判断したらしく、また少し離れた席に座り直す。
ナージャは今までオマーとの会話を黙って聞いていたのだが、ルボーの登場に顔を輝かせた。
どうやらルボーの悪辣な風体にわくわくしているらしい。
「せっかくなのでご一緒してもよろしいですかな?」
「私はかまわないわよ」
「わ、私も別に……」
「何だ、オマー。お前はもう私に何の借りもないのだから、堂々とすればよいではないか」
「はあ……」
借りはなくても居心地は悪いのだろう。
わかっていて邪魔をするルボーの意地悪さに、オパールは呆れた。
負い目があるオマーには悪いが、ルボーとの会話は得るものが多い。
それに本人曰くの真っ当な金貸しであるルボーは、見かけに反して気さくな人物なのだ。
とはいえ、淑女が金貸しと親しくするなど本来はあってはならず、一緒にいるところを見られるだけでも不名誉なことであった。
しかし、ノボリの街では少々羽目を外しても誰も気にしない。
もちろんオパールにとってそんなことは関係なく、付き合いたい人と付き合っているだけである。
「オマーとも話していたんだけど、ずいぶん街並みが変わっていたから驚いたわ」
「ああ、それはこの一年はちょっとした好景気に街が沸きましたからね」
「好景気?」
オマーの隣にどっかり座ったルボーに話を振ると、意外な答えが返ってきた。
特にここ近年、この近辺に景気がよくなるようなことはなかったはずである。
確かに、このノボリの街の大領主である侯爵は他の領地にある金鉱山を所有しているが、それはかなり以前から定期的に一定量を供給し続けているので関係ない。
「少し前に世間を賑わせていた賊の話はご存じですか?」
「ええ。仲間割れをして捕まったのでしょう?」
タイセイ王国まで訪ねてきたヒューバートとの別れ際の会話を思い出して、オパールは頷いた。
あの後にクロードから聞いた話では、この辺り一帯の領主である侯爵も被害に遭ったらしい。
金鉱から掘り出した金を運んでいる途中で何度か襲われ、金を奪われたそうだ。
「その賊のやつらがね、この街で散財してたんですよ」
「あら、それは嫌な流通ね」
「そうなんですよ。何人も殺されてますからね。とはいえ、金は金です。当時は皆、羽振りがいい常連客くらいにしか思ってなかったですから。やつらは街へ来る時はまるっきり紳士の格好で、まさか賊とは誰も思いませんでしたよ。やつらは賭け事でもよく負けた。その分、他の客が勝って潤い、店も潤いました。ですから、わしの商売はあがったりですよ。金を借りるやつがいなくなってね」
最後は愚痴になったルボーの話を聞いて、オパールはクロードの心配を思い出した。
こちらへ来る時、クロードは賊が出没するからと途中まで送ってくれたのだ。
ルボーの言う賊とは違うらしいが、それはそれで問題である。
「この一年でこの国はかなり治安が悪くなったのね」
「時代は急激に変化していますからね。皆が必死ですよ。ですが、変化についていけない者たちは路上で寝るか、路上で襲うかしかないんですよ」
「ずいぶん極端ね」
オパールがため息交じりに呟くと、オマーが弁解するように答えた。
だが、オパールにとって犯罪は犯罪である。
世の中にはどんなに苦しくても正しく生きようとする人たちも多く、犯罪は言い訳にならない。
それでもオマーに怒りをぶつけても仕方ないので、一言だけ吐き出した。
するとルボーがオマーを庇うように続ける。
「いや、オマーの言うとおりですよ。こんなことを言っては申し訳ないが、夫人は強者であり勝者です。生まれた時から金も地位も手に入れている。大人になった今、さらに金と地位を得ているのですからな」
「それを言われると私には何も言えなくなるわ。犯罪者に怒ることさえできなくなるもの」
「いやいや、もちろん夫人はお怒りになってよいのです。感情は自由ですから」
「だけど言動には気をつけろと?」
「注目されておりますから」
「そう。でも私は私の地位と財産を使って自由に生きるわ。私の人生だもの。世間なんて関係ない。偽善だろうが何だろうが、苦難に立ち向かっている人を助けるつもりよ」
オパールが胸を張って答えると、ルボーは声を出して笑った。
その笑い声に皆が注目する。
「注目されているのはあなたのようね」
わざとらしくルボーを責めるオパールの言葉に、気まずそうにしていたオマーまで笑った。
どうやらオマーは自分の発言をきっかけに始まった冷ややかな会話を申し訳なく思っていたようだ。
ルボーに腹を立てていたらしいナージャも笑っている。
しかし、ルボーは座ったままではあったが、オパールに向けて深々と頭を下げた。
途端にざわりと周囲がどよめく。
「ルボー?」
「私は貴族なんてものが大嫌いでした。ですが、あなたは違う。あなたは尊敬に値する人だ」
「――ありがとう」
突然のルボーの言葉に驚きながらも、オパールは落ち着いて答えた。
ルボーは顔を上げるといつものにやりとした笑みを浮かべる。
「あなたには迷惑な話でしょうがね、この数年は何かと注目していたんですよ。そしてずいぶん楽しませていただきました」
「まあ、怖い」
わざとらしくオパールが震えてみせると、ルボーは再び声を上げて笑った。
「私に父親はいません。母は苦労して私を一人で育ててくれたんですよ。ですから、夫人にはこんな下品な輩の友情なんていらんかもしれませんがね、何かあったら声をかけてください。いつでも力になりますよ」
「下品だなんてとんでもない。とても心強いわ。ありがとう、ルボー」
「私だっていっぱい力になります!」
「わ、私も力になりますよ!」
ルボーのありがたい申し出にオパールは喜んで答えた。
すると今まで黙っていたナージャやオマーまでもが続く。
「ありがとう、ナージャ、オマー。こんなに頼もしい味方がたくさんいて、私は幸せね」
にこやかに答えながらも、その言葉は心からのものだった。
普段は他人に干渉しない街の者たちも、ルボーにあれほどのことを言わせるあの女性は誰だと気にしている。
そんな視線を気にすることなく、オパールたちは午後のひと時を楽しんで過ごしたのだった。