10.結婚式
ヒューバートとの結婚式はとても冷たいものだった。
淡々と進められた式が終わると、少ない参列者からなおざりの祝福の言葉がかけられ、披露宴もなかったのだ。
それが今、参列者だけでなく礼拝堂の周囲に集まってきた村人たちからも祝福されている。
こんなにも多くの人たちから純粋におめでとうと言ってもらえることが、オパールには嬉しかった。
「クロード、どうしよう……」
「大丈夫か? 何があった?」
「すごく……陳腐だと思うかもしれないけど……」
「うん、何?」
「幸せすぎて怖いわ」
自分がこんな言葉を口にするとは思ってもいなかった。
当然笑われるだろうと思ったのだが、クロードは真剣な表情で頷くと、腕に添えたオパールの手に手を重ねた。
「俺も怖いよ。これは夢なんじゃないかって。昨夜も眠れなかった」
「クロード……」
いつも自信たっぷりに見えるクロードの弱音を聞いて、オパールはきゅっと胸が苦しくなった。
たった今、結婚式を挙げて正式に夫婦になったというのに、まるで片想いをしているかのようにドキドキしてしまう。
同時に、話しておかなければならないことを思い出し、オパールの顔は真っ赤になった。
「あの、言っておかないと――」
「クロード! いつまでも花嫁に見惚れてないで、早く来いよ!」
言いかけたオパールの言葉は、クロードの長兄の冷やかしに遮られてしまった。
礼拝堂を出てすぐに立ち止まった二人は見つめ合っているように見えたのだろう。
実際に見つめ合っていたのだが、オパールは照れ隠しに皆のほうへ向き直って笑った。
男爵家の人たちには小さい頃から知られているせいか、何となく恥ずかしい。
何か言いかけたことには気付いたらしいクロードだったが、オパールの心情も理解しているらしく追及はせずに兄をわざとらしく睨んだ。
「兄さんの時ほどじゃないだろ? 気持ちでは負けないけどね」
そう言ってクロードは兄嫁に悪戯っぽい笑みを向け、オパールへと視線を戻す。
オパールも恥ずかしさを押しやって笑顔を返した。
こうして皆の祝福と笑顔に包まれて馬車に乗り込むと、オパールはふうっと大きく息を吐いた。
次は屋敷で披露宴がある。
「疲れた?」
「いいえ、大丈夫。でも何だか胸がいっぱいで苦しいの」
胸を押さえてオパールが答えると、クロードは何も言わずに穏やかに微笑んだ。
クロードのこういうところがオパールは弱い。
言葉がなくても安心させてくれるのだ。
「クロードはずるいわ」
「何が?」
「私のことは何でも知ってるみたい」
「何でもってことはないよ」
「でも、私がクロードのことを知っているよりは知っているわ。たとえば……」
「たとえば?」
一気に言ってしまおうとして、オパールはためらった。
やはり七年も結婚していて何もなかったなど、さすがにクロードも考えていないかもしれない。
それでもクロードなら理解してくれるはずだ。
「わ、私がまだ一度も……その、け、経験したことがないってこと」
「経験って、何の?」
「そ……そういうことのよ!」
恥ずかしさに思わずきつい口調になってしまった。
こうなると意地っ張りなオパールが顔を出して素直になれない。
クロードはそんなオパールを不思議そうに見つめる。
「そういうこと……?」
「ふ、夫婦のことよ」
呟きながら考えるクロードの視線に耐えられなくなって、オパールはつんと顔を逸らして窓の外を見た。
とはいえ、景色はまったく見ておらず、全神経がクロードへと向いている。
「……え? いや、だけど七年も結婚していたんだよな?」
「だって別々に暮らしてたもの」
「それにしたって……」
オパールは強気で答えながらも、クロードの反応に不安になってきていた。
大したことではないと思っていたが、やはり問題なのだろうかと勢いをなくす。
「ひょっとして、そんなにおかしなことなの? やっぱり何か問題? 私じゃダメってこと?」
「ダメなわけないだろ! 問題は俺がっ――」
すっかり元気をなくしてオパールが問いかけると、クロードは激しく否定した。
そして何か言いかけ、口を閉ざす。
「クロードが?」
「――何でもない」
オパールなりに精いっぱいの気持ちで打ち明けたのに、クロードはきちんと答えてくれない。
そのことにオパールはむっとして、恥ずかしさも忘れてしまった。
「クロード、ちゃんと話して」
「大したことじゃないから、気にするなよ」
「気にするわよ。ますます気になる」
「じゃあ、後で話す」
「ええ? 後っていつ? それまで我慢できないわ」
「我慢できないのは俺のほうだよ! そもそも何で今、ここで言うんだよ!」
「そんなの、いつ言えばいいのかわからなかったからじゃない! どうして怒るの!? やっぱりダメなの!?」
「だから違うって! オパールは悪くない! ただ俺が――」
「どうした? もうケンカか?」
オパールもクロードも話に夢中になるあまり、馬車が止まっていたことに気付かなかった。
しかも、なかなか降りなかったからか、オパールの父が勝手に扉を開けたようだ。
ひょっとして声はかけられたのかもしれないが、オパールは腹立ち紛れに父親を睨みつけた。
「お父様、勝手に開けないでください」
「オパール、お前はその気の強さをどうにかしないと、愛想を尽かされるぞ」
「それはオパールの魅力の一つですよ」
父親の言葉にますます腹を立てたオパールを、クロードは穏やかに微笑んでフォローしてくれた。
そうなるとオパールもそれ以上は何も言えず、伯爵も呆れたように肩をすくめてその場から離れる。
「まずい。皆を待たせてしまったな」
屋敷の前にずらりと並んだ使用人たちを見て、クロードが申し訳なさそうに呟く。
これから使用人たちの祝福を受けた後、今度はオパールたちが披露宴の招待客を迎えなければならないのだ。
父親が皆より早く戻ってきているのは、途中で抜けるつもりだからだろう。
ひょっとして今のが、父親なりのアドバイスだったのかもしれない。
(不器用とかっていうレベルじゃないわね……)
オパールはクロードの手を借りて馬車から降りながら、去っていく父親の背中を見つめた。
そんなオパールの手を強く握り、クロードがそっと体を寄せる。
「俺はオパールの全部が好きだよ」
「わ、私は困る。クロードのそういう……何でも言うところ」
「ごめん」
「……嘘よ」
「うん?」
クロードはオパールの父親のフォローをしてくれたのに、恥ずかしくてつい否定的なことを言ってしまった。
それなのにクロードは怒るどころか謝ってくれる。
素直になれない自分が嫌で、オパールはクロードの手を強く握り返し、勇気を出して本音を打ち明けた。
「困るけど……本当はそれ以上に好き。クロードが大好き」
「……ありがとう、オパール。すごく嬉しい。だけどやっぱりそれを今――」
「ご結婚、おめでとうございます!」
クロードは少し照れたように笑いながらも何か言いかけ、使用人を代表した執事の祝福の言葉に遮られてしまった。
それからはあっという間で、二人でゆっくり話をする暇もなく夜を迎えることになったのだった。