4.公爵邸
「ヒューバート様、お帰りなさいませ。お部屋の用意はできております」
「ああ。では、彼女を案内してくれ」
オパールが階段を上り終えると、執事らしき男性がヒューバートに声をかけていた。
そこには結婚したばかりの二人を祝う気持ちはいっさい窺えない。
また主人夫妻を迎えるために並んでいる使用人たちの顔は皆一様に冷たく、オパールを値踏みするように見ている。
それがどんなに失礼なことか、ここの使用人たちは知らないのだろうかと、オパールは怒りがこみ上げたがどうにか抑えた。
第一印象が怒った姿というのはよくない。
後ほどメイド頭を呼んで注意しようと、心に書き留める。
そこに、執事らしき男性がオパールへと頭を下げ、挨拶をした。
「ようこそいらっしゃいました、奥様。私はこのお屋敷の執事を務めさせていただいております、ロミットと申します。御用がおありでしたら、私かこの――ベスへとお申し付けください。ベスは奥様付きの侍女でございます」
ロミットの言葉に、一番手前に並んでいた若い女性が一歩前に進み出て頭を下げる。
しかし、その顔に反抗的な表情が浮かんでいたのを、オパールは見逃さなかった。
何をどう伝えてこのように使用人たちが反抗的なのか、オパールはヒューバートを恨みたくなった。
当のヒューバートはさっさと屋敷の中へ入っていく。
「では奥様のお部屋へご案内いたします。今日はお疲れでしょうから、夕食はお部屋へと運ばせますのでご安心ください」
「そうなの? 私は平気だけれど?」
「ノーサム夫人のお心遣いでございますので」
「……そう」
執事さえも女主人は未だにノーサム夫人だと思っているらしい。
しかも結婚して初めての夜を祝いもなく、部屋で食事をすることが〝お心遣い〟だとしたら、夫人はどうかしている。
だが嫁いできたばかりの屋敷で騒ぎを起こしたくなくて、オパールは黙ってロミットの後に続いた。
屋敷というのは大きさに関係なく、たいていは同じ造りなので、正面の大階段を上ったオパールは自分の部屋となるであろう主寝室をすぐに見つけた。
しかし、ロミットはその部屋の前を通り過ぎていく。
どうやら見当違いだったらしいと考えたオパールだったが、気がつけば廊下の一番端まで来ていた。
ロミットはそこにあるドアを開く。
訝しく思いながらも促されて部屋に入ったオパールは、そこがどう見ても客間であることに気付いた。
「ロミット、まさかここが私の部屋なの?」
「さようでございます」
「だけど、ここは客間だわ。ひょっとしてまだ主寝室の模様替えが済んでいないの?」
「いいえ。こちらの部屋は確かに階段より一番遠くございますが、洗面室もクローゼットも充実しておりますし、何より窓からの眺めは素晴らしいものです。また煩わしい物音に悩まされることもないとのことで、ノーサム夫人が奥様のために選ばれたのでございます」
「……その〝お心遣い〟はとてもありがたいけれど、私は公爵夫人なのよ? 主寝室を使って然るべきでしょう? 今すぐ、荷物を移してちょうだい」
「それはできかねます」
「なぜ?」
「主寝室は――ヒューバート様との続き部屋は、ステラ様がお使いでいらっしゃいますので」
「は……?」
居丈高な態度になっているのはわかっていたが、ここで舐められてはダメだと、オパールは自分を叱咤しながら、ロミットに命じた。
まさか主寝室を使えないばかりか、このような端の部屋に押し込められるとは思ってもいなかったのだ。
さらには驚くべき事実を知らされて、オパールは唖然とした。
自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。
それでもここで倒れるものかと右手で左手をつねり、何か言わなければと口を開いた。
「そのステラさんは、旦那様の愛人なの?」
自分でも思ってもみなかった言葉が飛び出してしまったが、そう考えても仕方ない状況だろう。
だが今度は、オパールの言葉を聞いたロミットの顔から血の気が引いていく。
「まさか……そのような……私はこれで失礼いたします」
信じられないとばかりの表情を浮かべたロミットは、最後にオパールに侮蔑の視線を投げつけて部屋から出ていってしまった。
残されたオパールは、何事もなかったように着替えを用意している侍女のベスをちらりと見た。
彼女は何も言わないが、今の会話を聞いていて腹を立てているようだ。
どうやらこの屋敷には天使がいるらしい。
そして、その天使を汚すかもしれないヘビが入り込んでしまったために、皆がヘビに敵意を向けているのだ。
二年目のシーズンで結婚を諦めたオパールは、自分の評判などどうでもよかった。
しかし、今こうしてその評判が仇となっている。
(でも、私はこの家を救ったのでしょう? それなのになぜここまで初対面の使用人たちにも馬鹿にされないといけないの?)
考えれば考えるほどに腹が立ち、抑えていた怒りが再燃してくる。
この屋敷にいるヘビは自分ではない。
まだ会ったこともないが、皆を唆しているのはこの家を取り仕切っている人物――ノーサム夫人に違いない。
おそらく自分の立場が脅かされると思っているのだろう。
「馬鹿馬鹿しい」
ウェディングドレスから、簡単なドレスに着替えながら呟いたオパールだったが、聞こえたはずのベスは何も言わない。
やはり二十歳になったら離縁を申し出よう。
どうせこの調子なら子供などできるはずもないのだと決意した時、力強い足音が近づいてくるのが聞こえた。
この屋敷で、このような音を立てて許されるのはヒューバートしかいない。
ノックもなく開かれたドアの向こうに立っていたのは、やはりヒューバートだった。
「旦那様――」
ちょうど着替えを終わらせたところではあったが、途中だったらどうするのだとの思いから、ノックをしてくださいとオパールは言おうとした。
だが、鬼の形相で近づいてくるヒューバートの顔を目にして声を詰まらせる。
「――っ!」
「なんと汚らわしい女なんだ! ステラを……ステラを、愛人などと!」
右腕を強く摑まれて痛みに悲鳴を上げそうになったが、オパールは歯を食いしばり堪えた。
ヒューバートは怒りを吐き出すと、汚らわしいと言わんばかりにぱっとオパールから手を離す。
「あなたがステラと会うことは許さない。いいか、部屋から出たい時にはベスを通すように。偶然でも起こったらたまらないからな。もちろん、あなたが外出するのを止めたりはしない。ただし、たとえあなたが身籠もっても私は認知しない。夫婦といえど、王宮の法務官に申し立てるからそのつもりでいてくれ」
それだけ言って満足したのか、ヒューバートは最後にオパールを睨みつけてから出ていった。
オパールはズキズキと痛む腕をだらりとさせたまま、その後ろ姿を見送った。
そして、ベスはその間も何も言わず、ただ黙って部屋の隅に控えていたのだった。