2.王城
翌日。
ルーセル侯爵邸から王城までは馬車でそれほど時間をかけずに到着した。
もちろん王城が近いことは屋敷に来てからすぐに気付いていたが、オパールが驚いたのは王城正面の馬車寄せまで一度も止まることなく進んだことだった。
それだけ王城内でのクロードの地位が窺える。
「……ねえ、今さらなんだけど、クロードは王城ではどんな役職に就いているの?」
「ああ、そうか。まだ説明していなかったけど、秘書だよ」
「それって、まさか国王秘書長官だったりしないわよね?」
「このたび、陛下のお傍を離れることになるから、辞職を申し出たんだけどね……保留にされたままだから、おそらく復職することになると思う」
「この国の社交界の方々は、馬鹿ばかりなの? 国王秘書長官を受け入れないなんて……」
「表向きはとても好意的だよ。むしろ俺に媚びへつらってくるぐらいだ。ただ裏では好き放題に言っているみたいだね。だからオパールも……もしこの国の風習だと知らないことを言われたとしても、無視すればいいよ。外国人を排除するためにできた新しい風習だからね」
「そういうことなら、任せて」
オパールが胸を張って答えると、クロードは楽しそうに笑った。
その笑顔がオパールに勇気をくれる。
(そうよ。か弱い女性は――か弱く見える女性はたくさんいるけれど、それでもクロードは私を選んでくれたんだもの)
オパールの気の強さは幼い頃から変わっていない。
そんなオパールを好きだと言ってプロポーズしてくれたのだから、クロードを信じればいいのだ。
そう思うと、オパールの不安は消えていった。
「じゃあ、戦いに出る前に訊いておくけれど、クロードが敵に回したくない人を教えてくれない?」
「ああ、それは簡単だよ。俺が敵に回したくないのはオパール一人だから」
「クロード……。私は本気で訊いているのよ」
「うん。だから俺も本気で答えてるよ」
冗談を言うクロードをオパールは睨みつける。
だが、クロードは微笑んだまま。
結局オパールは怒りよりも込み上げる笑いを抑え、真面目な調子でさらに問いかけた。
「でもさすがに陛下を敵には回せないでしよう?」
「逆だよ、オパール。陛下が俺を敵に回したくないんだよ」
「……ずいぶん強気な発言ね。誰かに聞かれたら不敬罪になるわよ?」
「陛下ならお笑いになって、その通りだとおっしゃってくださるよ」
変わらず微笑んだままのクロードの顔をじっと見つめ、オパールは大きくため息を吐いた。
冗談で誤魔化してはいるものの、きっと何かがある。
この八年、オパールも苦労しながら成長したつもりだったが、クロードはそれ以上だったのだろう。
きっと言わないだけで、命のやり取りもあったのかもしれない。
そう考えるとオパールは再び不安になった。
本当にこの結婚は正しいのだろうかと。
もっとクロードの後ろ盾になるような女性がこの国にいるのではないかと。
そこまで考えて、オパールははっとした。
先ほど自信を持ったばかりなのに、何を弱気になっているのだろう。
クロードに後ろ盾が必要ならば、自分がなればいいのだ。
オパールはまだこの国では新参者ではあるが、知識も経験も財産もある。
もう自分の境遇に拗ねて屋根裏部屋に閉じ籠もった小娘ではないのだから。
情緒不安定なのは緊張のせいで、これからこの国の王に謁見するとなれば誰だって動揺してしまうものだろう。
「……クロード」
「うん、大丈夫?」
「緊張はしているけど大丈夫よ。ただクロードは私を選んだことを後悔するかも」
「しないよ」
「じゃあ、後悔させてあげるわ。どうしてこんなに強気な嫁をもらったんだろうって」
「それは楽しみだな」
今度は声を上げて笑うクロードに、行き交う人たちが驚いて振り返る。
ただでさえ注目を浴びていたのだが、今は遠慮なく見られてしまっていた。
だがオパールはしばらく田舎に引っ込んでいたとはいえ、人の視線には慣れているので気にならない。
たとえそれが悪意あるものでもかまわないのだ。
そしてクロードもまた気にした様子はなく、堂々としている。
しかも付き添ってきた侍女のナージャも怯むことなく、少し後ろを歩きながら物珍しそうにきょろきょろしていた。
「付き合ってくれてありがとう、ナージャ」
「お礼を申し上げるのは私のほうです、お嬢様! このように素敵な場所にお連れくださるなんて!」
相変わらず自分のペースを崩さないナージャにオパールは微笑んで応えてから前を向いた。
ナージャはこの数年の間、オパールの父であるホロウェイ伯爵の伝手で、とある侯爵家の侍女見習いとして働いていたらしい。
それも、前夫であるマクラウド公爵家に味方がいないオパールのために、自分が立派な侍女となってオパールの傍にいようと決意したからである。
そのことをホロウェイ伯爵家の家政婦のマルシアから聞いたオパールは感激し、このたびの輿入れについてきてくれないかとお願いしたのだ。
この国にもオパールの敵は多いのかもしれない。
それでも強力な味方がすぐ傍に二人もいてくれる。
すっかり自信を取り戻したオパールは、珍しいものでも見るように視線を向けてくる人々に微笑みかけた。
「オパール、あまり魅力を振りまかないでくれ。嫉妬に狂いそうになってしまうよ」
「信じてくれないの?」
「オパールの問題ではなく、俺の問題だよ。オパールのことは信じているけど、オパールのことを好きになるやつの心までは干渉できないだろ? だが、他の男の心にオパールが存在するのが許せない」
「同感だわ。私もクロードが他の女性の心に存在しているだけでも嫉妬してしまうわね」
「私はお二人に嫉妬してしまいますけどね!」
はっきり言ってただの惚気でしかない二人のやり取りに、ナージャが遠慮なく割り込んで止めた。
使用人としては無礼でしかないが、オパールもクロードも気にせず笑う。
そこでちょうど目的の部屋に着いたらしく、クロードは足を止めてノックをすると応答も待たずに扉を開いた。
「陛下には私たちが到着したことが伝わっているだろうから、しばらくすればお呼びがかかる。それまでここでのんびり待っていよう」
軽く中を確かめて先にオパールに入るよう促したクロードは、続いてナージャも遠慮がちに部屋に入ると扉を閉めながら告げた。
そして、呼び鈴を鳴らす。
途端にこの王城のメイドらしき制服を着た若い娘が現れ、クロードがお茶を用意してくれるように頼んだ。
命令形でないところがクロードらしくて、オパールは嬉しくなった。
どんな立場になっても、やはりクロードは変わっていない。
「どうかした?」
「いいえ、何でもないわ」
「そう?」
微笑むオパールを不思議に思ったのか、クロードが問いかけた。
この温かな気持ちを上手く説明できる気がしなかったので、オパールが無難に答えると、クロードも深くは追及しなかった。
そこにノックの音が響き、クロードが応じれば男性の声がする。
どうやら友人らしく、クロードはすぐに扉を開けて、室内へと招き入れた。
「オパール、急ですまないが私の友人を紹介するよ。彼はエリク・バポット。プラドー男爵だよ。エリク、こちらは私の婚約者でもうすぐ妻になるオパールだ。まあ、オパールのことは散々話しているから、今さら紹介するまでもないかな」
「ああ、そうだな。うんざりするほど聞かされているよ」
オパールが立ち上がって男性を迎えれば、クロードが紹介をしてくれる。
男性は――エリクはとてもクロードと親しげではあったが、オパールは直感した。
彼は自分に敵意を抱いている、と。
「はじめまして、プラドー男爵。オパール・ホロウェイです」
「マクラウドではなくて?」
「エリク!」
「冗談だよ、クロード。はじめまして、ホロウェイ嬢。クロードは今まで多くの若く美しいお嬢さん方に好意を寄せられていたのに、貴女を選んだ理由がお会いしてわかりましたよ。とてもお美しい」
「――ありがとうございます」
オパールの直感は正しく、エリクはどこまでも嫌味たらしかった。
クロードもすぐに気付いたようだが、オパールは大丈夫だと笑ってみせると、引いてくれる。
ここでクロードに庇われるだけなどと我慢ができない。
そのオパールの意思を察したクロードは、どこか諦めたようなため息を吐いたのだった。