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17.公爵邸

 

 数日後の午前中、王都の公爵邸に戻っていたオパールは、誰かが訪ねてきた音に気付いて一階に下りていった。

 そのまま書斎に向かい、扉をノックする。

 誰何する声が聞こえたので答えると、中から執事のロミットが訝しげな表情で扉を開けた。


「旦那様にお伺いしたいことがあるの。入れていただけるかしら?」


 仕方なく、といった様子ではあったが、ロミットが一歩下がり、オパールを中へと通す。

 すると、書斎机の前に座っていたヒューバートも訝しげにオパールを見上げた。


「何の用だ?」

「……おはようございます、旦那様。先ほど、誰かが訪れたようでしたので、もし午後からお客様がいらっしゃるのなら知っておきたいと思ったのです」


 自分が挨拶さえしなかったことに気付いたのか、ヒューバートはかすかに顔を赤くした。

 いくら嫌いな相手でも礼儀を忘れたことが恥ずかしかったのだろう。

 だが、続いたオパールの質問に、一気に顔をこわばらせる。


「私の訪問客を、いちいちあなたに報告する必要はないはずだ」

「ですが、私はこれでもこの家の女主人です。お客様をおもてなしするのは、本来は私の役目なのですから、どなたかがいらっしゃるのなら知らせてくださるべきでしょう?」

「あなたへの来客だったならば、当然あなたに伝えよう。しかし、今回は私の客だ。あなたのもてなしは必要ない」

「……何とおっしゃる方がいらっしゃるのですか?」


 変わらずヒューバートに冷たくあしらわれても、オパールはなおも食い下がった。

 その様子を見ていたロミットは、無表情の中に喜びを隠しながら、ようやく書斎から出ていく。

 ヒューバートはオパールのしつこさに根気負けしたのか、苛々しながら口を開いた。


「先ほどの者は、オマーからの手紙を届けに来ただけだ」

「では、訪問者があるわけではないのですね?」

「ジョナサン・ケンジットという男がもう一人の男と書類を持ってくるそうだ。だが、私の署名を必要としているだけであなたには関係ない!」

「……本当に私には何の関係もないと?」

「ああ、そうか。あなたはオマーが不正を働いていると言っていたな。しかし、私は彼を信頼している。それが答えだ。では、もう出ていってくれないか?」


 自分でも熱くなりすぎたと思ったのか、ヒューバートは大きく息を吐き出し、落ち着いた声に変えてオパールの問いに嘲るように答えた。

 オパールは落胆する気持ちを抑え、冷静に頷く。


「わかりました」


 声が震えなかった自分を密かに褒めながら、オパールは書斎を出て屋根裏部屋へと戻った。

 やがて午後になり、馬車の音が聞こえたことで訪問者が来たとわかった時も、オパールは部屋から出なかった。

 ただ静かに座って待つ。

 しかし、オパールが呼ばれることも、怒りに満ちた足音が部屋へと近付いて来ることもなく、再び馬車の音が聞こえ、訪問者たちが帰っていったことを知った。

 覚悟していたはずなのに、オパールの頬を涙が流れ落ちる。

 たが、オパールはこんなことで泣くものかと、すぐに頬を乱暴に拭った。


 その夜、オパールが夕食もとらずベッドに入ったと、ベスから聞いた使用人たちは喜んだ。

 ようやく旦那様が強く出られたことで、あの侵入者はこの屋敷での立場を理解したのだと。

 一方のヒューバートは、居心地の悪い思いをしていた。

 今朝の自分はあまりに無礼だったのではないか。

 そもそも彼女に対して自分の態度は不公平だと。

 久しぶりに機嫌のよさそうなノーサム夫人と食事をとりながら、ヒューバートは悩んでいた。


 そして翌日。

 オパールは何事もなかったかのように堂々とした態度で、叔父の屋敷へと出かけた。

 それから書類を受け取ったオパールに、叔父は優しい言葉をかけてくれる。

 無理して結婚生活を続ける必要はないと。

 だが、オパールは微笑みながら首を横に振った。


「せっかく何かのご縁があって結婚したのですから、このまま別れるつもりはありません。私は、私のやるべきことをしようと思います」

「オパール……。お前がそこまで寛大になるほどの価値は、あの愚かな若造にはないぞ」

「だとしても、領民をこのまま見捨てるわけにはいきませんから」

「そうか……。お前は姉さんによく似ているよ」

「そうおっしゃっていただけると嬉しいです」


 オパールが顔をほころばせて答えると、二人の間の空気が和んだ。

 そこからは母の思い出話を色々と聞かせてもらい、オパールは楽しい気持ちで叔父の屋敷を後にした。

 しかし、馬車に乗ったオパールは表情を改めて、御者のケイブに合図を送ると、行き先の変更を告げた。

 ケイブは快く引き受けてくれる。


(やっぱり公爵邸で私に敵意を持っていないのって、ケイブくらいね……)


 だがそれも、この先変わってしまうかもしれない。

 そう思うと寂しかったが、これからのオパールはほとんど公爵領の領館で過ごすつもりなので、こうして馬車を利用することもなくなるだろう。

 領館では、新しくオパール専用の馬車を用意するつもりだった。


 そして目的のホロウェイ伯爵邸――オパールの実家に到着すると、オパールは大歓迎を受けた。

 王都の伯爵邸には結婚以来一度も帰っていなかったのだ。


「突然でごめんなさいね。驚いたでしょう?」

「嬉しい驚きでございます」

「水臭いですよ、お嬢様。伯爵家のご領地には何度もお戻りになっていらっしゃるのに、こちらにはご結婚から一度もお顔をお見せになってくださらないなんて」


 執事や家政婦たちに囲まれて、オパールは涙が込み上げてきたが、必死に抑えて笑った。

 実際、嬉しいのだ。

 ただ色々な感情が渦巻いていて、今は屋敷のみんなに喜びを上手く伝えることができなかった。

 従僕がオパールの持った鞄を受け取ろうとしたが断る。

 そのまま、気持ちを入れ替えて執事に問いかけた。


「お父様は、やっぱりお留守かしら?」

「いいえ、本日はご在宅でいらっしゃいます。書斎にてお仕事中でございますが、しばらくはどなたも取り次がないようにと申しつけられております」

「そう……。でもいいわ。あなたのせいじゃないって、ちゃんと伝えるから」

「お嬢様!?」


 運よく父がいると聞いて、オパールは書斎へと向かった。

 執事は驚き引き留めようとしたが、オパールは止まらずに書斎の扉を軽くノックしただけで応答も待たずに入る。

 父は騒ぎを聞いていたのか、それほど驚いた様子もなく、書類から顔を上げて問いかけるように片眉を上げた。


「お聞きの通り、私は制止を振り切ってこの部屋に入りましたので、私以外に咎める必要はありません」

「それはわかっている。それで、お前には私を納得させるだけの理由があるのだろうな? まさか結婚生活が耐えられないなどといった馬鹿げた苦情は聞かんぞ」

「残念ながら、私には結婚生活などといったものはありません。ただ、お父様はきっとご興味がおありになるだろうことをお知らせすると同時に、お願いがあって参りました」

「ほう?」


 オパールは久しぶりの父との再会に挨拶もしなかった。

 しかし、父は気にした様子もない。

 何もかも以前と変わらないままで、オパールも無理に笑う必要はなく、父に対しては感情を抑える必要もなかった。

 事務的に訪問の目的を告げると、鞄から書類を出して、父の仕事途中の書類の上に全て並べていく。


「以前、お父様がおっしゃっていた通り、公爵様の『甘さ』の証拠がここにあります。公爵領地の土地管理人の不正の証拠――裏帳簿。また管理人が賭け事にのめり込んでいた証拠の貸付帳簿」

「そんなことはわかっている。それで、お前の夫はようやくそのことに気付いたのか?」

「それならば、なぜこれらがここにあるのだと思われるのです? 公爵様は私が管理人の不正を訴えても信じてくださいませんでした。トレヴァーに証人になってもらおうとしましたが、公爵様はどうやら私たち親子が公爵領を乗っ取ろうとしていると思われたようです」

「――なるほど。お前の夫は『甘い』のではなく、『愚か』だったのだな」

「お前の夫と表現するのはやめていただけませんか? お父様がお選びになったのでしょう? 私には関係ありませんから」


 オパールのこの言葉には、さすがに伯爵も驚いていた。

 今までオパールが息子だったらと思ったことは何度もある。

 娘は一見して我が儘娘に見えるが、本来はかなり頭もよく、根性があるのだ。

 大学でふらふらしている長男ではなく、よほどオパールに跡を――爵位以外のものを継がせようと考えたか。

 そのため、淑女としては必要のない教養も身につけさせてきた。


 オパールが社交界デビューをした時も、財産目当ての男たちだけでなく、つまらない男には嫁がせるつもりはなかったのだ。

 それが、あの醜聞によって選べる立場ではなくなった。

 伯爵はオパールの軽率さにかなり腹を立てたが、逆に面白いことを考えた。

 オパールと公爵が初めて踊った時、二人が惹かれ合っていることに気付いていた伯爵は、適当な理由をつけてオパールを公爵に嫁がせることにしたのだ。

 オパールなら公爵家に嫁げば、その問題にすぐに気付くだろう。 


 オパールはきつい性格ではあるが、情にも厚い。

 初めは反発し、仕方なくではあっても、公爵と二人で領地の立て直しを図るはずだ。

 そのうち愛などというものも生まれるかもしれない。

 そう考えていたのだが、伯爵の目論見は外れたらしい。

 ここまでオパールに冷たい言葉を吐かせるなど、公爵は何をしたのだろうと興味を引かれはしたが、口にはしなかった。

 だが、最後にオパールが置いた書類に視線を落とし、伯爵は目を見開いた。


「……お前は、本当にこれでいいのか?」

「私は……夢を見るのをやめたのです。どんなに待っても白馬に乗った王子様は助けにきてくれませんでした。ですから、白馬を奪ってでも自分で動くことにしたのです」

「その白馬の王子様とやらが、足止めをくらっていたとは思わないのか?」

「はい?」

「いや……。それで、お願いとは何だ?」

「まずは、これらの書類をこちらの金庫で保管していてほしいのです」

「ふむ。確かにそれがよいだろうな。引き受けよう。だが、他にもあるようだが?」

「はい。もう一つは……もし、公爵様が教えを乞いにいらした時は、どうか受け入れてほしいのです」

「……いいだろう。あの愚かな若造の目が覚めたとして、私の許に来るかどうかは怪しいが、来た時には受け入れよう」

「ありがとうございます。それでは、よろしくお願いいたします」


 オパールはお礼を口にしながらも苦笑した。

 父も叔父も、ヒューバートのことを愚かな若造と称する。

 残念ながらその通りなのだろうと思いながら、オパールは伯爵邸を後にして、公爵邸へと戻っていった。




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