075.お兄ちゃん、決着をつける

「す、凄い戦いだ……」

「あ、ああ、これが本当に聖女候補同士の戦いなのか……？」

「まるで、剣戦を見ているようですわ」

　強化された聴覚に、無意識的に観客達の呟きが入って来る。

　どうにもまだ、紅の魔力による身体能力強化を持て余しているな。

　剣を振るうのに必要な能力だけを向上させれば良いだけなのに、聴力なんかまで一緒に強化してしまっている。

　だが今は、身体能力強化の最適化をゆっくりしてられる余裕なんてない。

　周囲の雑音を振り切るように、僕はルーナと剣を打ち合う。

　お互いに紅の魔力を発現したことで、僕らの戦いのスピードは一般人を大きく凌駕していた。

　武舞台を縦横無尽に駆けまわりながら、剣をぶつけ合う。

　人を超えた膂力に、頑丈に作られているはずの特殊な木剣が、一撃ごとに軋んだ。

　おそらく僕の剣もルーナの剣もそう長くは保たない。

　同じく、初めて身体能力強化を行った僕の肉体と魔力にも大きな負荷がかかっていた。

　長期戦をしている余裕なんて、どこにもありはしない。

　斬り抜きざまに、距離を取った僕は、木剣の切っ先をルーナへと向ける。

　向上した今の身体能力があれば、あるいは"アークヴォルト・オンライン"で僕のアバターが使っていた剣技が再現できるかもしれない。

　９連撃剣技、アルヴァスラスト。

　まるでダンスを踊るかのようなその剣閃は、僕の脳裏に焼き付いている。

　アバターの真似をして、リビングで動きを再現してみては、妹に白い目で見られていたものだが、今はとにかくあの頃の記憶を呼び起こす。

　右側面に剣を構え、僕はこちらへ走って来るルーナへと視線を向ける。

　木剣の耐久度的にも、僕の体力的にも、この一撃が最後だ。

　深く呼吸を吸い込むようにして、僕はタイミングを見極め、放った。

　最初の一撃は、牽制の片手突き。

　そこから、身体を捻るようにして片手で掬い上げる。

　おおよそ実用的ではない、ファンタジーの剣技だが、見たことのない太刀筋にルーナは対応が遅れた。

　そこに残る７連撃を一気に叩き込む。

　振り上げた体勢から両手持ちに切り替え、袈裟斬り。さらに左へ、右へ、大きく剣を振るう。

　残る４撃。

　再び振り上げるように、剣を回転させて逆袈裟。

　それを二連続で叩き込み、大きく体勢が崩れたところに、最後の一押しとばかりに、右手の一振りで、相手の剣を弾いた。

　さあ、最後の１撃だ。

　剣を弾かれ、身体の開いたルーナ。

　その肩口に向かって僕は木剣を振り下ろす。

「はぁああああああっ！！！」

　残りの体力を振り絞った、全身全霊の一撃。

　確実に決まる。確信とともに、両の手に力を込めた次の瞬間──

　──ミシッ

「えっ……」

　木剣から致命的な音が響いた。

　折れる、と思ったその瞬間、一瞬の躊躇が僕の中に生まれた。

　必殺の瞬間のわずかな隙。

　ほんの刹那のその隙は、紅の魔力で強化されたルーナに見せるには、あまりの大きな隙だった。

　気づけば、ルーナが体勢を立て直していた。

　僕に向かって振り上げられる木剣。

　まだ、自身の得物が折れていないことを確認した僕は、慌ててそれを迎撃しようと剣を振り下ろす。

　剣と剣が触れ合うかと思ったその刹那、ルーナの姿が目の前から掻き消えた。

「フェイント！？」

　強引に放った一撃を回避された僕は、地面に木剣を叩きつけてしまった。

　その瞬間、今度こそ、木剣が半ばから折れた。

　そして──

「はぁあああああああああっ！！！」

　強化された聴覚に響いた気迫の声。

　その声と共に、僕の胴をルーナの木剣が薙いでいたのだった。

「はぁはぁ……」

　地面に倒れ伏した僕は、片膝立ちのまま、地面を見つめていた。

　武舞台の石畳に転がる折れた木剣。

　あのまま違和感を無視して、剣を振り下ろせていれば、勝っていたのは僕だった。

　なまじ身体能力を強化したことで、鋭敏になった感覚器のせいで、木剣が放つ悲鳴に身体が躊躇してしまったのだ。

　初めて紅の魔力を使ったからか、全身を今まで感じたことがないほどの疲労感が包んでいる。

　無理やりに自身の身体能力を向上させるのだから、このリスクも当然か。

　そのまま座った体勢でいることすら難しく、僕はゴロリと武舞台へと倒れ込んだ。

　仰向けに倒れた目線の先には、真っ青な空だけが見える。

　そして、左手が何か温かいものに触れた。

「あっ……」

　それは、同じく倒れ込んだルーナの手だった。

　僕の手のひらに触れたと同時に、彼女はその手を少しだけ握りしめた。

　その手は少し前とは大きく違っていた。

　小さくて、繊細だけど、指の付け根あたりにコリコリとしたマメの感覚がある。

　僕に勝つためにこのひと月、本気の修練を続けてきたのだろう。

　それを思うと、僕はなぜだか、愛おしいような感覚を覚えていた。

　前世ではスポ根は趣味ではなかったはずなんだけど……。

　小さくて温かな彼女の手を優しく握り返しながら、僕は敗北感よりも、全力で力を振るったその心地よさを確かに感じていたのだった。