雑談で気を紛らわしましょう。
「でも居ましたね~。キッチンのカウンター前から普通に移動していましたよ。
あそこに居るって限定していたら、寝室も怖くないですけれど、あの部屋を自由に行き来できるとは、なんだか安心できませんねぇ」
「あの部屋で少しでも安らげる場所を探そうとしていたことに、私は驚いていますよ」
「俺に紹介したのは誰でしょうね~。って、なんで俺だったんですか?」
「それは、リストラされた。二か月以内に引っ越したい。安い場所が良いな。家具はこれから買わなきゃいけないから、置いて行ってくれた何かあれば貰う。その言葉で十分すぎるターゲットです」
「そうかー。俺ってロックオンされちゃったのね。まあ、ちょっと楽しんで本気で借りようとも思っていたし」
「過去形ですか?やはり、怖いと?」
「俺を焚き付けても無駄よ。勢いじゃ乗らないから。女も確認してから乗るタイプなの」
「なんで、そこに女性が出てくるんです」
「ほら。俺って冷静に見られるから、相談されるのよね。女に。でもそれで寝たりはしないよって意味。凄いでしょ。誘われたい女を帰しちゃうの。彼氏がいたらね」
「まあ、何を誇っているのか分かりませんが、分かる気もします」
「でしょ。だから、物件も俺の男気を焚きつけるだけじゃ駄目だよ。住んでから健康被害に遭ったり、今もだけれど、もっと運が悪くなったりしたら嫌じゃん?」
「少し考えると?」
「まあ少しの間、3日でいいや。もう少し心に優しい部屋がないか、足掻いてみます。そんで、3日後にお店にお伺いします。その時には返答を。断りか契約かの」
「これからどうします?」
「え?これからって?普通に家に戻りますけれど」
「送りましょうか?」
「え?……怖いんですね。でも、俺を送った後の後部座席はもっと怖いと思いますよ」
「なんてことを言うんですか!想像したくなかったのに!意地が悪いですねぇ。大丈夫です何かラジオでも聞きながら帰りますから。本当に親切心だったんですけれど!」
「あはは。すいません。小林さんからかうのが楽しくて。言われません?イジリがいがあるって」
「言われた事なんて、あってたまりますか!全く調子狂いますよ」
「では、お言葉に甘えて送ってもらおうかな。九条駅から15分くらいの場所です」
「ほー。これだけ馬鹿にしておいて、降りないんですね」
「そりゃー。好意は受け取ります。俺も直ぐに一人になるのは少し怖いです」
「まったくもう。それならば変なこと言わなければ良いじゃないですか」
「ああ、ごめんなさいね。小林さんからかうと楽しいからつい」
「また言う。降りてもらいますよ」
「まあまあ。今は利害が一致しているんですから、一緒に帰りましょう」
小林さんは少しブスっとした顔のままエンジンのキーを回した。
「まだ決められないのは、先に御紹介した物件と迷っているんですか?」
前を向いたまま小林さんは尋ねてきた。
「うーん。俺ね」
「はい」
「貯金2千万円あるの」
「そうなんですか⁉」
こっち向いた。
お願い。前向いて。安全運転。
片手でスチャっとメガネを上げる。
お願い。ハンドルは両手で持って。安全運転。
「おや失礼な。思いっきり驚いていますね」
「はい。申し訳ありませんが驚きました。安い部屋、家具も欲しい。そのうえリストラされたとの事でしたので」
「うん。狭い独身寮だったの。普通は新人が1年間入るような場所。他の同期は出て一人暮らししだすけれどさ、俺は部屋に呼びたい彼女とか居なかったしね。それも物欲が無くてさ、最低限で良かったのよ。だからさ、寮って完璧なのよ。俺にとって。メシは夕飯一食作ってくれる。狭い部屋だけれど布団から手を伸ばせば全部届く。ってね」
「あの部屋は広すぎると?」
「そんな感じ。あとあの立派な家電が俺を拒む」
「気の持ちようだと思いますが」
「そうだね。もしかしたら、物を持って身軽じゃなくなるのが怖いのかな」
「この際、何か背負う準備を物から始めるのも良いのではないですか?結婚とかいつかは。とか考えているんでしょう?」
「そういう考え方もあるね。小林さんヘタレだけれど、俺を説得するの旨いね」
「ヘタレでどうも!柏木さんは飄々とされてらっしゃるけれど、本当に縛られるモノが無いのかも知れませんね」
「小林さんはご結婚されてます?」
「はい。娘が居ますよ。5歳になりました」
「うわー。一番かわいい時期ですね。お父さんと結婚する!なんて言われたいなぁ」
「ふふふ。可愛いですよ」
なぜか、えばり腐りやがる。言われているな。いや、言わせているのかもな。
妙にムカつく。
「すぐに彼氏とか連れてくるようになりますよ。今の子は早熟ですからね~」
「なんてことを言うんですか!そんな事は私は許しません!」
「そんな事を言うと嫌われちゃいますよ~「お父さん嫌い!」ってね」
小林さん涙ぐんで俺を睨む。
「ごめんなさい。前を向いて運転してください」
俺は素直に謝った。
これで交通事故を起こしたら霊障として認識されそうだ。「霊障ではなく口の禍です」と訂正ができるか心配だ。
そうこうしているうちに、車は寮の前まで着いていた。
なんだかんだで、ちゃんと送り届けてくれた。
ありがたい。少し神経質で、あの物件を早く誰かに押し付けたいと思っている以外は、いい人なのだろう。
もし契約するとしても、ちょこちょこ不動産担当とは連絡を取り合う関係で、俺の生存確認をしばらくはしてもらいたい。
小林さんなら良い関係を築けるに違いない。
「ありがとうございました。帰りは怖くても慎重に運転してくださいね。歌でも歌いながら帰られると気がまぎれますよ」
「ええ。そうします。親切心で言ってくださっていると信じましょう。それでは、3日後に」
目を細めて笑顔を作る小林さん。いや、本心だって。
「はい。3日後の午後2時に伺います」
俺は、閉め遠ざかるテールランプを少し見送り、部屋へと戻った。