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「ご迷惑をおかけしました」
「ラシェルさん、本当に申し訳ありません」
「いいのよ。それよりも、二人がまた巡り合えて本当に良かったわ」
サミュエルとアンナさんは二人揃って私に向かって頭を下げた。
だが頭を上げた二人はお互いの顔を見合わせて、少し照れ臭そうに頬を赤らめながら微笑み合っている。二人の空気感はとても穏やかで柔らかい雰囲気に包まれており、アンナさんの瞳は常にサミュエルを追い、幸せそうにキラキラと輝いている。
前世では、互いの気持ちが重なってはいなかったと聞いていたが、サミュエルがアンナさんを見つめるその眼差しは、他の人に向けるそれとは全く異なっていることが分かる。
だからこそ、きっと今世では二人の未来が重なるのではないかと。そう期待をせずにはいられない。
「キャロル嬢。今回の経緯については理解した。
だとしても、君の訴えは聞き入れることはとても出来ない」
「そう……ですよね」
私の座るソファーの横で、深い溜息を吐きながら苦笑いを浮かべているのは殿下だ。
なぜここに殿下がいるのかというと、事の発端はアンナさんの発言からである。
あの二人の再会から、今日で二週間が経ったのだ。
あの日、アンナさんはというと、ずっと会いたかったマコトさん……つまりはサミュエルに会えたことで、彼と離れたくないと、教会に帰る事を渋っていた。
だがその辺はサミュエルがうまく落ち着かせて、彼女は大教会へと渋々……そう、本当に渋々帰っていったのだ。
それでも、一度再会したサミュエルにもう一度会おうとも、彼女は聖女。
そして対するサミュエルは男爵子息といえども侯爵家お抱えの料理人。
立場が違う二人はなかなか会うことが出来ないのだ。
その為、アンナさんはアンナさんなりに様々なことを考えたらしい。
だが考え過ぎた結果、とんでもない方向に結論が行きついてしまった。
その結論というのが、『聖女としても一生懸命国に尽くしていくので、将来的に侯爵家で侍女として雇ってくれないか』というものだ。
その手紙を受け取った私は、思わず驚きで倒れそうになってしまったものだ。
それでも、アンナさんとサミュエルを応援したい気持ちが私には十分あったので、殿下に相談することが一番だろうと考えた。
事前に殿下に手紙で相談し、殿下とアンナさんの都合の良い日時に我が家で対面する運びとなったのが、ここまでの経緯である。
「キャロル嬢のサミュエルへの気持ちは理解した。
だが、サミュエルはどうなんだ」
「俺……ですか」
「お前はキャロル嬢と一緒になりたいという気持ちはあるのか?」
その言葉に、サミュエルは驚いたように目を見開き殿下を見た後、アンナさんへと視線を動かした。そのアンナさんは眉を下げ、不安そうに瞳を揺らしながらサミュエルをジッとみている。
「俺は……後悔していました。
杏の気持ちを知っていながら、見ない振りをしていたから。それは、きっと兄という立場でいれば、杏とずっと一緒にいられると思っていたから」
「誠くん……」
「彼女は今も昔も、俺にとって誰よりも特別な女の子なんです。
だから、今度こそ……自分に正直になりたい。
俺は彼女と一緒になりたいです」
サミュエルは殿下の前でも堂々とした態度で、決意に満ちた毅然とした表情でそう言い切った。アンナさんはサミュエルのその言葉に、感極まった様子で涙を浮かべてサミュエルだけをジッと見つめている。
対する殿下は、それを真剣な顔で受け止めると、次にアンナさんへと視線を移した。
「君は? 君の決意は?」
「私は……誠くん……あっ、サミュエルさんのことが無くても、自分のしてしまった過ちを振り返って、自分の出来る全てをこの国の人たちに返していけたらと思っていました。
自分が精霊王から加護を貰ったからには、聖女として出来うることをしたいと思っているのも事実です。……それは今でも変わりません。でも……」
「でも?」
「それでも、サミュエルさんとの未来も諦めたくありません! 王太子殿下、私がこんな願いを口にするのは間違っているかもしれませんが……どうか、お願いです。
何でもします! だから、彼と一緒にいたいのです!」
殿下はふう、と深く溜め息を吐くと顎に手を当てて暫し考え込む素振りをした。
それに緊張を増したのは、殿下と対面する形で並ぶアンナさんとサミュエルだ。
だが、隣に座る私には、殿下のその尊顔が《良い事を考えた》とばかりに綺麗に微笑む様子が見て取れて、思わずギョっとしてしまう。
それに殿下も気づいたのか、私の方へとニッコリと笑みを深めた後、私の耳元へと顔を寄せると内緒話をするように小さな声で私に声を掛けた。
「大丈夫。悪いようにはしないよ。むしろ、これで陛下の条件をひとつクリア出来そうだからね」
「陛下の条件……ですか?」
陛下の条件とは……何だろう。
確か、私がブスケ領へと向かう旅の間に殿下は陛下と話をすると言っていたが、そのことと関係があるということだろうか。
疑問が残ったまま殿下を見つめると、殿下は私を優しい眼差しで見つめた後、アンナさんとサミュエルのほうへと視線を向けた。
二人は、姿勢を伸ばして殿下の発言を待っている。
「キャロル嬢、君はサミュエルと一緒になれるなら何でもやる、とそう言ったね。それに嘘は無いか」
「はい、ありません」
「その決意が本物であることは分かった。ならば、二人のことは私が協力しよう」
「ほ、本当ですか! あ、ありがとうございます」
「もちろん。だが、それには君たちにも協力してもらわなければいけないことがある」
「何でも! 何でもします!」
嬉しそうに互いの顔を見合わせたアンナさんとサミュエルは、殿下の言葉に何度も感謝の言葉を重ねた。アンナさんは頬をピンクに染めて全身から喜びが溢れている。
私も良かった、と胸を撫で下ろして殿下の言葉に安堵した。
「まずは陛下が君に如何なる条件を出そうとも受ける事はしないように。そして、陛下には君とサミュエルの関係を知られるのは厄介だ。だから、会うのはマルセル侯爵家のみにしてほしい」
「……はい」
「落ち込む気持ちは分かるが、長い将来に繋がる一時の我慢と思って耐えてくれ。
いいか、君の聖女という立場を利用しようとする者は多くいるだろう。陛下だって君が王家に嫁ぐことを諦めたわけではない」
殿下は意図的に緩んだ空気をあえてピリッとしたものへと戻した。だが、厳しい発言をした後、二人に向けて穏やかな笑みを向けた。
「それでも、君たちの絆が強い事は私にも見て取れる。だからこそ、約束する。
君たちの願いが叶えられるよう私が最善を尽くす事を」
「殿下……本当に何と申し上げていいのか……」
「良い。その代わり、また私にも美味しい料理を作ってくれ」
「は、はい! ありがとうございます」
サミュエルは大きな体をビシッと姿勢を正した後、殿下に深く頭を下げた。
アンナさんもサミュエル同様「ありがとうございます」と頭を下げた後、私に嬉しそうな笑みを見せた。
二人を見ていると、困難は多いだろうけどきっと幸せな未来が待っているだろうと、そんな確信が持ててしまう。
前世から繋がった赤い糸はきっととても丈夫で、少しのことでは切れることは無い。
そう感じてしまうからだ。
殿下の配慮で、少しでも一緒の時間を過ごせるようにとアンナさんとサミュエルが別室へと向かい、二人が退室した部屋には、私と殿下が残った。
私と殿下は変わらずソファーに横並びに座っており、二人の間には柔らかい沈黙が流れている。
殿下は一度深く深呼吸をした後に、私の頭を殿下の肩に乗せるように引き寄せた。
近くなった殿下との距離に思わずドキッとして、殿下を見上げる形で顔を上げる。
すると、殿下は眉を下げて困ったように笑った。
「あの二人の純粋な気持ちさえ利用する私を軽蔑したか?」
……軽蔑?
そんな筈は無い。
陛下は未だアンナさんと殿下の婚姻を望んでいるのだろう。
そこに、先程の含みを持った殿下の物言いから考えると、陛下と何らかの取引をしたのではないか。
……そう、私との婚姻を望む条件として。
その一つが、もしかすると聖女に関することなのだろう。
だからこそ、殿下はアンナさんが絶対に裏切ることがないという確信を得る必要があったのかもしれない。
そして、サミュエルを心から想うアンナさんを見て、殿下は利害が一致したと感じたのではないだろうか。
だが、今の様子を見るとそれだけではない気もする。
以前までの殿下であれば、彼らの気持ちなど一切考えることは無かっただろう。
それが、純粋な想いであると。
それを遂げさせたいという意思を滲ませる殿下もまた、以前の殿下ではないのだと実感できる。
「いいえ、軽蔑などしません。先程の殿下の答えは、アンナさんとサミュエルに希望を与えました。そして、殿下であればきっと叶えてくれるだろうという信頼も。
だからこそ、殿下の真意は別として、彼らに対してもそれが最善であったと思います」
「……そうか」
「殿下は約束を反故にするおつもりは無いのでしょう?」
「もちろんだ」
「では、軽蔑する理由などありません」
そう告げると、殿下は安心したようにほっと胸を撫で下ろした。
そんな殿下をジッと見て、私は心配が湧いてくる。
今日会った時から気がついてはいたが、やはり……。
殿下はにこやかな微笑みを浮かべてはいるが、相当疲れが滲んでいる。
心配になり殿下の顔を覗き込むように見る私に、殿下は不思議そうにこちらを見た。
「殿下、お疲れなのでしょう?」
「確かに眠る時間は少ないが……でも、ラシェルの顔を見ただけで私はどんなことだってできそうなぐらい元気になれるよ」
「ふふっ、そうは言ってもお顔の色が優れません。今日はもう時間がありませんか?」
「いや、あと二時間は時間を取っているが……うわっ」
殿下の肩を私の方へと倒すと、殿下はそのまま体勢を崩して私の膝に頭を乗せる形で倒れ込んだ。
驚いた様子の殿下は頬を赤らめてソワソワと落ち着かないように視線を揺らせた。
だが、その時の私には恥ずかしさよりも何よりも殿下の体調が心配であった。
何より今回も殿下に負担を掛けてしまった申し訳なさもある。
だからこそ、少しでもいいから休んでほしい。その一心で、後から考えれば恥ずかしくて耐えられない行動が取れたのだと思う。
「寝てください」
「だが、この体勢は……」
「少しでも休んでください」
未だ殿下にしては珍しくオロオロと視線を彷徨わせながら、何かを言おうか悩むように口を開け閉めしている殿下に対して、有無を言わさぬように言葉を被せる。
「シリルが迎えに来る頃には起こしますから」
殿下の金色に輝く柔らかい髪を優しく撫でながらそう告げると、殿下は覚悟を決めたように目を瞑る。
すると、よほど疲れていたのであろう、恥ずかしそうに眉間によっていた皺がゆっくりと和らいでいった。
そして、数分後には寝息を漏らし始める。
初めて見る殿下の寝顔に、自然と頬が緩むのを感じる。
睫毛が長いのね。
なんて普段じっくり見られない殿下を見ることが出来て、嬉しく感じてしまう。
殿下が寝たと分かっているのに、殿下の髪を撫でていた手を止めることが出来ない。
柔らかい顔で寝ている殿下が、良い夢が見られますように。
そう願いながら小さく呟いた私の声だけが、静かな部屋に響いた。
「おやすみなさい。殿下」
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