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何故テオドール様が?
私の意識は、先程まで感じていた恐怖よりも疑問の方が勝り、視線の先のテオドール様に釘付けとなる。
テオドール様は、いつもの余裕さや冷静さが嘘のように焦った表情で、周囲を確認するように辺りを見渡している。すると、直ぐに私を見つけたようで、横たわった私に駆け寄り抱き起こすと、『ラシェル嬢! しっかりしろ!』と必死に何度も何度も声をかけて体を揺すった。
だが既に事切れている私は、テオドール様の懇願するような悲痛な呼び掛けに応えることも目を開ける事もない。
『お前たち、か?』
「あ?」
『お前たちがやったのか、と聞いている』
テオドール様は赤い瞳を怒りの炎で燃やすと、視線は抱きかかえた私へと向けたまま、茫然と立ち尽くしたままの賊たちに声を掛けている。
賊たちは先程までの威勢はどこへ行ったのやら、テオドール様の他を圧倒する怒りのオーラに、顔色を悪くしたまま動くことさえ出来ないようだ。
テオドール様は私をその場に優しく再び横たわらせると、賊の方へと振り返った。ここからだと、テオドール様の背中しか見えない為、今テオドール様が一体どのような表情をしているかは分からない。
だが、あの屈強そうな賊たちはテオドール様に対峙しただけで圧倒的な力の格差を感じているのであろう。自分の意思で動くことも出来ないのか、蒼褪めた顔で立ち竦んでいる。彼らの中には、立っている事さえもままならずに、その場にへたり込んでしまっている者さえいる。
私があんなにも恐怖を感じ悪夢に見た賊たちが、テオドール様を前にすると、まるで蛇に睨まれた蛙のようになっている。その事実に、私は驚愕を禁じ得ず、ただその成り行きを見守るだけであった。
「こ、殺さないでくれ……」
「俺たちは依頼されたんだ! 恨むならそっちにしろよ!」
「金、金はあんたに全部やる! だから命までは……」
青く染まった顔面で必死に命乞いをする賊たちは、テオドール様が今どのような表情をしたのか、一瞬で絶望したような顔に変わる。
『金? そんなものを俺が欲しいと? ……そうだな、命は取る事はしない』
その返答に、賊たちは緊張感はそのままではあるが僅かに安堵の表情を浮かべ、お互いの顔を見合わせた。そして、テオドール様がゆっくりと近づくと彼らは媚びるような下品な笑みを浮かべた。
だが、テオドール様の次の言葉により、また絶望の淵に立たされることとなる。
『まだ聞きたい事も沢山あるし、命は取らない。だが、そうだな……お前たちには、今後長い生涯を延々と、あの時死んだ方がマシであったと思うような地獄を与えるまでだ』
「や、やめ……」
「来るな! 来るな化け物!」
『……化け物、か。聞き飽きた言葉だ』
その言葉と共に、テオドール様が振り上げた手から出た蔓が彼らを締め付けるように巻き付き、彼らを取り囲むように氷の檻が出現する。
それに対して恐怖の叫びをあげる賊たちの声など聞こえてなどいないかのように、テオドール様は極めつけと言わんばかりに彼ら目掛けて雷を落とした。
すると、賊たちは今までで一番の叫び声をあげた後、先程までの喚き声が嘘のように、一切の声を上げる事はなくなった。
え?
彼らは、どうなったの?
目の前の異常な光景に、私はただ息を押し殺して見入るばかりであった。
そして彼らに殺されたとはいえ、賊たちがどのような状況にあるのか。それが気がかりで、目を凝らして見るが、氷の檻で囲まれたせいかその姿を捉える事は出来ない。耳を澄ませても、賊たちの声はひとつも聞こえてはこない。
死んだ……わけではないのよね?
さっきテオドール様は《命は取らない》と言っていたもの。
ということは気絶させたということ……かしら。
テオドール様が現れた事だけでも驚いたが、それにしても今この状況。
それに私の心臓はドクドクと速く音を立て、この場の緊迫感だけで今にも倒れてしまいそうになる。
だが一番の疑問は、なぜテオドール様がここに現れたのか、という事だ。
何せ、これが過去の私。
つまり十八歳で殺された私の光景であるのなら、前回の生において、私とテオドール様はほとんど関わりを持たなかった筈なのだ。
それどころか、会うとフレンドリーに接してはくれていたが、一定以上に近づかなかったのはテオドール様の方であった筈。
それなのに、何故?
視線の先のテオドール様は、私と同じく既に亡くなったサラと御者を道の脇にある大木の下へと移動させて、それぞれの胸に花を置くと、手を合わせた。
その姿に、胸が苦しくなる。
私と一緒にいたばかりに殺された彼らへの申し訳なさ、そしてテオドール様の優しさを垣間見た気がしたからだ。
続いてテオドール様は私の元へと近づき、膝をつくと、優しい手つきで私の頬を撫でた。その瞳は悲痛に染まっていて、見ている私でさえ胸が締め付けられて息が出来ない程だった。
『遅くなって……ごめん。約束を守れなくてごめん』
テオドール様は小さく私に呟き、自分が着ていた魔術師団の黒ローブを脱ぐと、ゆっくりと丁寧に私の全身を覆うようにかける。
『すぐにご両親の所に帰してあげるから、少し待っていてくれ』
優しい声で私にそう囁いたテオドール様の言葉に、両親の顔が思い浮かぶ。
そうだ。
私が死んだと知った後、両親はどんな気持ちだったのだろうか。
あんな間違いを犯した私にさえ、涙を流し悲しんだかもしれない。
そう思い至ると、自然と目元から涙が溢れて頬を伝う。腕に抱きかかえたクロに私の涙が零れたのか、クロは私の顔を覗き込み『ニャア』と小さく呟く。
「大丈夫よ。ありがとう、クロ」
まるで心配してくれているようなクロの表情に、ニッコリと微笑むと、クロはまた顔をテオドール様の方へと向ける。手で涙を拭い、一呼吸着いた後に、私もまた視線をそちらへと向ける。
視線の先のテオドール様は一瞬空を睨むように厳しい視線で見上げた後、スッと立ち上がる。
そして険しい表情のまま、一言も発する事も無く、こちらを背に向けるように後ろを振り返り、そのままここに現れた時と同様に何も無い空間から姿を消した。
テオドール様が消えたこの空間は、サァーと流れるように風が通り過ぎるのみで、静寂に包まれた。それでも、私の肩に入った力は抜けることなく、茫然と先程までの光景を思い起こしていた。
今のは、一体?
一体……何だったのかしら。
それに約束?
約束とは何なのだろう?
切ない気持ちを抱えながらも、先程のテオドール様の言葉が何度も頭に浮かぶ。だが、その疑問は一切解消されないままに私の中にモヤモヤと残る。
腕に抱いていたクロがモゾモゾと動くのを感じて、視線をクロへと移す。
「これは、何? クロが私をここに連れてきたのよね?」
『ニャー』
「え?」
クロに疑問を問いかけていると、私のすぐ側を強風が吹くように木々がゴォっと音を立てて揺れ動いた。その風は私を通り抜けると、そのままテオドール様のローブを掛けられた過去の私の方向へと進んでいったように思い、その風を視線で追った。
「な、なに……あれ……」
ポツリと呟いた声は、自分の想像よりも遥かにしっかりと耳まで聞こえてきた。
だが、大きな声を出し過ぎたと気にする余裕など、今の自分には無かった。
なぜなら、私の目の前では、過去の私の全身を覆うかのように真っ黒な霧にも見えるモヤが広がっていたからだ。
あれは何だろうか、と身を乗り出そうとした所で、私の頭がまた割れるようにガンガンと響き出す。「いたっ」と呟いた声と共に、右手でこめかみを抑えるが、頭痛は徐々に強さを増していき、眉間に皺を寄せて苦痛に表情を歪める。
痛い、痛い……何この痛みは。
頭を鈍器で殴られているような痛みが襲う中、私の頭の中に何者かの声が聞こえてくる。
――思い出せ――
――お……もい……来い……ところ……へ――
その声は途切れ途切れに、私に訴えかける言葉を投げかけてきたが、不明瞭で何を言っているのかがはっきり聞き取ることが出来ない。
何? 何の声?
よく聞こえない。
でも、確かに聞いたことがある声。
何? 私は何を忘れているの?
また意識が保っていられない。
駄目、もう少しこのまま、あと少しで思い出せる気がするのに。
そう思いながらも重くなる瞼を開けようと力を入れるが、それは叶わず、痛みが徐々に遠ざかっていくと同時に私の意識はまた暗闇の中に沈んでいく。
だが、意識が闇へと落ちそうになったその時。
私の手を握り込む、優しい温もりを感じた。
――ェル、ラシェル――
誰かが呼んでいる?
私の名を呼ぶ声に、答えなければいけないと強く感じた私は、沈み込む意識から浮上して重かったはずの瞼をゆっくりと開ける。
すると、そこには。
誰よりも会いたかった人。
一番に顔を見たかった人。
そう、心配そうに私の顔を覗き込んだ殿下の顔があった。
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