83 王太子視点
「時間を作っていただきありがとうございます」
「あぁ。私もお前とはそろそろ話を進めなければと思っていたからな」
夕方になり、約束の時間が来た為、私はシリルと共に陛下の執務室へとやってきた。
相変わらず愛想笑いの一つも浮かべず、目の前の陛下は冷めた視線をこちらへと向ける。
「お前が何を考えてマルセル侯爵令嬢を婚約者としているかは知っている」
「……そうですか」
口元は辛うじて口角を上げて微笑みを浮かべるが、瞳の奥は徐々に冷えていくのを自分でも感じる。
きっとこの部屋の温度は段々と下降しているのでは無いか。そう思えるほど、私と陛下の周囲を纏う空気は冷たいものだ。
「お前がマルセル嬢と婚約したいと言った事に賛成したのは、侯爵令嬢であり魔力が高かったからだ。……だが、今は状況が違う。彼女は魔力を失った」
「ですが、陛下はラシェルが魔力を失ってからも、婚約者に据えておく事に否とは言わなかったかと」
「お前が何やら調べているようであったからな。それに、闇の精霊と契約した令嬢というのもなかなかに面白いではないか」
「では、このまま婚約者という事で問題ありませんね」
私の言葉に、陛下はまるで話の分からない者を見るかのように、こちらを一瞥するのみであった。だが私はそれでも、真っ直ぐに陛下を見据えた。
暫し重い沈黙が続いた後に、口を開いたのは陛下だ。
「聖女が誕生したのなら話は違う。聖女がいるのにも関わらず、魔力なしが王妃とは。王家にふさわしくないな」
ふさわしくない。
確かに以前の私も、ラシェルが魔力枯渇で病弱になった時に、王妃としての適性は無いだろう。そう感じたのは事実だ。
だが実際に、ラシェルはどんな状況でもただ前に進み、強い心を持ち続けていた。
自分の状況に悲観することなく。
誰かを恨むことなく。
そして今も尚、この瞬間、彼女は前だけを見ている。
陛下がそれを知ろうとする事も、理解する事も無いだろうが。
それでも、魔力という点以外の面を見ると、彼女は次期王妃となり得る資質を持とうとしている。
何よりも、自分がこの国の王となった時に隣に彼女が立つ事は、私にとって心強いことでもあるし、私自身の何よりの望みなのだから。
だからこそ、陛下の言葉には知らず知らずに苛立ちが沸々と自分の中から湧いてくる。
それを無理やりに微笑みと言う形で受け流しているが、上手くいっている自信は無い。
そんな私の心を知ってか知らずか、陛下は腰かけているソファーに深く座り直すと、鋭い視線をこちらへと向ける。
「最近のお前は本当に目に余る。お前が何故そうもあの令嬢に拘るのかが、私には理解出来ないな」
「まぁ、私と陛下は違う人間なので。理解出来ないのも仕方が無いかと」
他の者であれば、陛下のこの視線と溜息だけで硬直し、蒼褪めるのだろう。
だが、今の私は陛下に背中を向ける訳にはいかない。
だからこそ、私はあえて笑みを深める事で、陛下の言いたい事には同意しかねる事を表す。
「お前は私の息子の中で一番王に相応しいと考えている。王とは孤高の存在。
弟たちに比べて、お前は一際出来がいいし、何より無慈悲になれるだろう。
だからこそ、私はお前を王太子にしたのだ」
陛下から他の兄妹に比べて目を掛けられていることは理解している。
だからこそ、幼少期から私だけ他の兄妹や王妃とはあまり接触することなく、大人ばかりに囲まれて育ったのだろう。
確かに幼い頃から施された帝王学は私にとって、今後の役に立つだろうし、自分の基礎を作る上でも役に立っただろう。
だが、孤独であれば、優秀であれば、良き王になるというのはいささか偏った考えであると私は思う。
陛下は、陛下自身の意志を継ぐ後継ぎが欲しかったのだろう。
自分がされた方法で子供を育て、自分のような王となるように、と。
それがこの国にとって一番良い方法である。そう本気で考えているのであろう。
「王太子という座を退くのは嫌だろう。であれば、お前が婚姻を結ぶのは聖女だ。あの令嬢ではない」
「何故そこまで聖女に拘るのですか?私には陛下がそこまで聖女を王家に取り込みたい理由が分かりませんね」
陛下は、腕を組み無表情のまま、切れ長の目を大きく開けて真っ直ぐこちらを見る。
「全ては国の為だ」
「国の為?」
「この国の始まりは聖女だ。つまり王家の始まりは初代の聖女だ。
故に、その後も王家と聖女が結ばれた時には必ず、精霊王が国への祝福を与えたと言われている。それこそが、この国の安定であり、民の望みであろう」
「はっ、陛下はそんな迷信を信じている、と。
実際あなたが危惧しているのは、聖女の力を隣国に取られる事でしょう?」
「それが迷信かは確かに不明だ。だが、大事なのは聖女がこの国に生まれた事実。そして聖女を我が国に確実に取り込むこと。それは必要な事だ。……もちろん、聖女の力も含めて」
やはり考えていた通り、陛下は何より聖女を。いや、聖女の力を他国に取られることを危険視しているのだろう。
そして、聖女信仰を利用して民からの信頼を得ることで、国内の安定を図る。
また、聖女が表舞台に立つ事は隣国への牽制とも成り得るという事なのだろう。
「ですが、アンナ・キャロルは聖女の力を使う事は未だ出来ておりません」
「使えないなら使えないでも良い。確かにあの力は欲しいが、その力の存在は我らと隣国の王家のみが知る事だ」
「であれば、キャロル嬢はマルセル嬢に恩義があるようですからね。彼女を裏切ることは無い、と。そう私に言いましたよ」
「あの娘の言葉を信じろと? それこそおかしな話だな」
陛下は、鼻で笑う様に「ふっ」と声を漏らす。だがそれは、面白いと言うよりも、馬鹿馬鹿しいと考えているのだろう。
「ルイ、お前は一体どうしたのだ。信じる信じないなどと不確かなものは王には必要が無い。そうお前に教えてきただろう」
「えぇ。教えられていましたし、私もそう思っていました。以前までは」
信じるべきは己のみ。
そう幼い頃から教えられてきたし、人間として欠落していた自分はその考えを間違っているとは思っていなかった。
陛下は、私の言った《以前まで》、という言葉に引っかかったのだろう。
眉を若干顰めると、私の真意を測るかのように、目を細めた。
「お前は私に似ていると感じていたのだがな」
「確かに似ているのでしょうね」
陛下は私の発言に、何を考えているのか分からないガラス玉のような瞳でジッとこちらを見る。陛下の考えは分からないが、きっと期待外れとでも言いたいのだろう。
だが、それでも幼少期からずっと消える事の無かった、陛下に薄っすらと感じていた恐怖心の欠片。
それを今日は一度も感じる事がない。
きっと、陛下を越えるべき壁と考えてからというもの、陛下へ無意識に感じていた絶対的な存在という認識が揺らいだのだろう。
そして、それは全てラシェルが私にもたらした感情だ。
彼女への想いから、陛下へと向ける視線に僅かに鋭さを滲ませてしまう。
それを陛下も感じたのか、先程から寄っていた眉間の皺が更に強くなる。
先程、陛下へと伝えた言葉。
陛下と似ていると言った言葉。それは、私の過去のもの。
今は違う。
「ですが、一つ大きな違いがあります。陛下が持っていないものを私は持っていますから」
私の言葉に「何?」と呟く。陛下は一瞬で、この部屋全体を支配するかの圧倒的オーラを放ち、私を威嚇したようだ。だからといって、私もその視線を逸らす真似などしない。
そんな私の様子に、陛下は威圧感を一瞬緩めると、口の端を微かに上げる。
「まぁ、今は良い。お前がどう足掻こうと私はどうする気も無い。マルセル嬢との婚約解消をしない限り、そなたに王の席は用意されないと思え。
良いか。聖女と婚姻を結ぶか、お前が王太子を辞するかどちらかだ」
ここまで言えば、私が焦るとでも思ったのか。
本当にこの人は自分の息子の事を理解していないようだな。
仕方ない。その挑発に乗ってやることにするか。
「では、その椅子を賭けましょうか?」
自分でも冷え冷えとした声が出たと思う。
陛下も、「ほう」と声を漏らし、切れ長の目を僅かに見開く。
「ラシェルがもし、元の魔力を取り戻し、聖女もこの国を離れない保証が出来た時。
その時は、陛下がその座を退くのはどうでしょう?」
その発言に、陛下は動じることなく組んでいた腕のうち、片手で顎を摩りながら暫し思案するような様子を見せる。
さて、どうでるか。
ジッと陛下の動向を探ると、陛下は私よりも幾分も低い声で「良いだろう」と呟いた。
「期限は一年だ。それ以上は待てない」
「では、その間は婚約もそのまま継続しますから。宜しいですね?」
「……あぁ、良いだろう。だが、一つ言っておこう。私は未だかつて勝負事で負けたことなど無い」
「そうですか。ですが、私も負ける気は一切ありませんから」
一年。
想像よりも甘い返答に、一瞬緊張感が緩みそうになる。だが、すぐに顔を引き締め直す。
一年でラシェルの魔力が戻る可能性は、今のところ低いだろう。
だが、勝算が無いままこの提案を出した訳ではない。
もちろん彼女は何かの手掛かりがあって、今旅に出ているし、それにより魔力が元に戻るきっかけを見つける可能性もある。
だが、私は様々な可能性を考え、彼女を守っていく必要がある。
その為に必要な言質は取った。
あとは、行動に移していくのみ。
「恋に溺れるとは、何とも愚かな。私がお前に対して、期待し過ぎただけなのかもしれないな」
「それは、一年後に判断してください」
私は全てを諦めない。
彼女に、ラシェルにそう誓ったのだから。
その為には、陛下に初めての敗北とやらを与えてやろうではないか。