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ついに精霊召喚の儀、当日が来た。
殿下と一緒に観覧する為、私も殿下と共に貴賓席に座っている。他にも魔術師団や教会関係者もこの席に案内されているようだ。
学生服姿なのは私と殿下、そして私とは反対側の殿下の隣に座っているシリルだけで、他は大体が神官服か黒ローブを纏っている。
席に座ると中央で最終準備をしているテオドール様がよく見える。
いつも通りの黒ローブに長い銀髪を黒い紐で結んでいる姿であり、周囲の魔術師と同じ装いだと言うのに、一人目を引く。
そんなテオドール様は杖で地面に巨大な魔法陣を描く。その真剣な表情は、普段のテオドール様と全く異なり、観覧席にいる学生は皆一様にその姿に釘付けになっているようだ。
「別人のようだろう?」
隣に座っている殿下が、私の耳に顔を寄せるとテオドール様を見ながら可笑しそうに言う。
「えぇ、やはり凄い人なのだと実感します」
「そうだな、あいつは凄いよ。
あの精霊召喚の魔法陣だって、普通は数人掛かりで作り上げるものなんだ」
「そうなのですか?」
「あぁ。それをああも易々と。本当に規格外だよ」
殿下は肩を竦めながら呟くが、その表情はどこか憧れを含んでいるかのように感じる。殿下は軽口を叩きながらも、心の底からテオドール様を尊敬しているのだろう。
「ラシェルは精霊召喚の儀は初めてだったね」
「⋯⋯はい」
「そうか。それなら驚くことも多いだろうね」
殿下の言葉に思わずドキッとする。
参加したことがあることも、前回の一年生の時は観覧したこともある⋯⋯とは言えない。
「とは言え、私も参加自体はしていないからね。シリルは去年やったか」
「はい。特にこちらはやる事ないですからね。あっという間に終わった印象しかないですね」
殿下は顎に手を当てて少し考えるように言うと、隣に座るシリルに話をふった。
そういえば、前回一年生の時にはシリルとエルネストは参加していたが、殿下は参加していなかった。
というのも、王族は十歳の時に精霊召喚を極秘に行っているそうだ。聖女の血を引く王族は、その魔力量の多さと血筋の影響なのか、光の精霊と契約することも多々あると聞く。
そして、王族以外で光の精霊と契約することはとても稀であるとか。
ただ、先祖返りの力を持つと言っていたテオドール様はどうなのだろう。
契約精霊もまた光の精霊なのかしら。
「テオドールがどうした?」
「えっ、声に出ていましたか?」
「いや、何かを考えながら見ていたから⋯⋯テオドールに何かあるのかと思ったが、違ったか?」
考え込みながらテオドール様をジッと見ていたのであろう。殿下から不思議そうな声で尋ねられる。
「いえ、殿下が規格外と称されるテオドール様の契約精霊は何かと⋯⋯少し考えてまして」
「あぁ、今度本人に尋ねてみると良い。
きっと驚く事を教えてくれるよ」
「⋯⋯驚くようなこと?」
ポカン、とした顔をしているであろう私に、殿下は目を細めて「あぁ、どこまでも普通じゃないからな」と楽しそうに笑った。
普通じゃないって、どんなことなのかしら。
益々テオドール様が分からないわ。
そんなことを考えていると、儀式開始の合図があった。
それに観覧席の生徒たちも皆雑談を止め、一気にシンと静寂が流れる。
まずアボットさんが一人で出てくると、魔法陣の中央に立つ。
そしてテオドール様が何やら呪文を唱えた瞬間、会場内に一陣の風が通り抜ける。
あっ!
成功だわ。
私の視線の先にアボットさんが嬉しそうに微笑み、そして、彼女の差し出した腕の中に薄茶色のリスが現れた。
まぁ!
アボットさんに顔を寄せて、何て可愛らしいのかしら。
「土の低位精霊だな」
「えぇ、本当に良かったです」
前回の時もアボットさんは精霊召喚に成功している為、心配はしてはいなかった。
だが実際に安堵の表情を浮かべるアボットさんに、私もほっとした気持ちでいっぱいになる。
そして、アボットさんに続くように男子生徒が二人、それぞれ土と火の低位精霊の召喚を成功させていた。
「アンナ・キャロル」
魔術師の一人が呼ぶ名に「はい」と鈴を転がすような可愛らしい声が響く。
現れたアンナさんは緊張した様子もなく、いつものようにニコニコと微笑んでいた。
遠目から見ても、この状況を楽しんでいることが分かる。キョロキョロと辺りを見渡しながら、魔法陣の中央まで進んでいく。
そして、中央で立ち止まると観覧席をぐるっと一周見渡した。
あ。
今⋯⋯目が合った?
私を見ているのか殿下を見ているのか、ここからでは遠くて判断がつかない。
だがアンナさんは確実にこちらへ視線を向けると、神妙な顔付きでペコリと小さく頭を下げた。
何、どういうこと?
アンナさんの視線の意味も、何故頭を下げたのかも分からない。
それでも、彼女が何らかの意図を持ってこちらに投げかけた視線。
それに言いようのない不安だけが私の中で広がっていく。
ついに始まった。
テオドール様の呪文の声が会場に響き渡る。
そして魔法陣から一気に光が溢れる。
そのあまりの眩しさに思わずギュッと目を閉じる。
だが閉じたままでも、顔に直接ライトを当てられたかのような光を感じる。
この光は何⋯⋯。
だが考える隙も与えぬような強風が吹き抜ける。
もはや竜巻かのような勢いに、そこら彼処で「うわっ」「きゃっ」と言った叫び声が聞こえる。
「大丈夫か」
「はい」
目を瞑り、髪の毛を手で抑えていると、隣に座る殿下に守るかのようにギュッと抱き寄せられた。
だが、その光と風は一瞬の事だったようで、すぐに周囲は音もなく静けさだけが残る。
そっと目蓋を開けると、そこには。
「何だ⋯⋯」
「えっ⋯⋯」
魔法陣の上にただしゃがみ込んだアンナさんの姿。
その側には精霊の姿はない。
どういうことなの。
何も起こっていない?
今のは何。
私が戸惑うように、周りの生徒達も同じように何が起こったのか分からなかったようだ。
いや、学生だけではない。同じ貴賓席の魔術師や神官も互いに顔を見合わせて難しい顔をしている。
この異様な事態に、周囲はザワザワとし始める。
「失敗?」「さっきのは一体」と戸惑うような声だけがヒソヒソと聞こえる。
魔法陣の中央にいたアンナさんは光と風を一番に感じたはずだ。その場に蹲み込んで、困惑した顔をしている。
だが、魔法陣のすぐ側。
中央にいる人物でただ一人、座り込むことなく背筋を伸ばし、真っ直ぐに立つテオドール様が視界に入る。
彼はジッと魔法陣を見つめている。
そして更に呪文を追加するように口を動かすと、楽しそうにニヤリと口角を上げた。
『我に呼びかけた者は誰だ』
その時。
魔法陣から神々しい光と共に凛とした声が響く。
白い光によりその姿ははっきりとは見えないが、美しく長い金髪が靡く様だけが、私の瞳に焼き付いた。
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