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そしてデビュタントの王宮舞踏会が幕を開けた。
本来であれば、既に会場内に入って談笑をしている頃だろう。
だが殿下と共に入場する流れになった為、陛下や王妃様といった王族の方々の直前に私たちの入場。
その後王族が入られて、陛下からのお言葉の後に殿下と共にファーストダンスをする流れとなった。
今は殿下と共に煌びやかで大きな扉の前で、開かれるのを待つ。
先程から殿下のことを好きだと自覚した時から、些細なことでも殿下へ意識が向いてしまう。
殿下の腕に回した手が震えないよう極力平常心を意識する。そして、一つ小さく深呼吸をすると、殿下が心配そうに私の顔を覗き込む。
「緊張している?」
「いえ、大丈夫です。心配していただいてありがとうございます」
「ラシェルは抱え過ぎる所があるからね。困ったことがあればいつでも頼ってほしい」
「殿下⋯⋯。ありがとうございます」
殿下はそう言うと優しく微笑み、一つ頷く。
そして殿下の腕に添えている私の手を、反対の手で軽く触れるように握るとまっすぐに前を見据える。
「さぁ、行こうか」
「はい」
扉が開かれると、顔を少し上げ足を踏み出す。
大勢の視線を感じながらも、不安な思いは何もない。チラッと隣の殿下の顔を見上げると、その視線に気付いたのか殿下も私の方へ顔を向ける。
そして微笑みを更に甘く優しげな瞳に変えた。
その様子に側で見ていた女性たちは皆、顔を染めて熱の篭った目で殿下を見つめている。
「やはりレースにして正解だ」
「え?」
「いや、予想通りに君を熱心に見つめる視線を感じるからね」
殿下の小さく呟く声に問いかけると、殿下は左右に首を振るとニッコリと笑顔を見せる。そして殿下が周囲に感じる視線を追うように見回すと、途端に同年代の男性たちの顔色が一瞬引きつったものに変わったように思うが⋯⋯気のせいだろうか。
思わずどうしたのだろう、と首を傾げそうになる。だがちょうどその時、王族の入場の合図が出た。
皆、頭を垂れ王族の入場を待つ。
陛下、王妃様、そして殿下のご兄弟である第二王子が順に入場する。
ちなみにご兄弟は他に第一王女と第三王子もいるが、まだ幼い為舞踏会には参加されない。
その陛下が入場した瞬間、空気がピリッとした引き締まったものへと変化する。
金髪と蒼い瞳という殿下と同じ色彩であるにも関わらず、陛下と殿下は人へ与える印象は全く違う。
陛下は戦後の混乱が未だ続く頃、若くして王位を継いだと聞くが、彼がこの国をここまで安定させたと言っても過言ではない。
殿下がどちらかというと穏やかな中性的なタイプだとしたら、陛下はとても男性的なガッチリとした体格をしている。そして鋭い視線とその場に立つだけで感じる威圧感は、まさに王という名を表すかのようだ。
その陛下が舞踏会の挨拶の最後に「今宵は、我が息子である王太子の婚約者、マルセル侯爵令嬢のデビュタントでもある。よって、本日のファーストダンスは王太子とマルセル侯爵令嬢によるものとする」と述べられた。
その言葉と共に、殿下が差し出した手にゆっくりと自分の手を添えるように乗せる。
そしてダンスフロアの中央へと歩みを進めると、その場にいる全ての人の目線が集中しているようだ。
だが微笑みを絶やさず、緊張も感じさせない殿下に相応しくあるよう、私も優雅に見えるよう歩き方、表情など全てに細心の注意を図る。
中央までやって来ると、殿下と向き合うように体勢を変え、殿下の手が私の腰へと回される。
ゆっくりと流れ始めた音楽と共に、私たちのダンスもゆっくりと始まった。
あぁ、懐かしい。
こうやって殿下と向き合いながら踊るのは久々な気がする。
殿下はダンスにもその優美さが表れていて、手先足先まで美しく、更に人に合わせることも上手くとても踊りやすい。
そしていつもより近くに感じる殿下の顔を見つめると、とても涼やかな笑みを浮かべている。
だがその視線が私に向くと、とても甘い瞳へと変化させ、顔を綻ばせた。
「大丈夫かい?」
「えぇ、殿下がお上手ですので助けていただいてます」
「いや、私はこれでも必死だよ」
「そんな、まさか」
殿下の言葉に思わずふふっ、と笑みが溢れる。
こんなにも優雅な足の運びをしているのに必死なんて、全く考えられない。
「本当だよ。もちろん、ダンスが苦手と言う訳ではないが。⋯⋯こんなにダンスが楽しいのも、ずっと踊っていたいと思うのも初めてだ」
「殿下⋯⋯」
「誰にも見せたくないのに、皆にラシェルは私の婚約者だと見せびらかしたくもなる。自分でも矛盾していると感じるよ。
⋯⋯それに、今もう一つダンスが楽しいと思うことが見つかった」
「何ですか?」
「こうして踊っている間はラシェルの視線を奪えるだろう?」
その言葉に思わず頬が紅潮するのを感じる。
いつだって殿下は私の心を揺らす。
今だって、こんなにも恥ずかしく思うのは自分だけなのではないだろうか。
そう思うと、思わず拗ねたような声が漏れてしまう。
「いつだって、殿下は私の視線を奪っているではないですか」
「⋯⋯それは、反則だ。
そんな可愛らしい顔を他の者には見せたくない」
殿下は若干目を見開くと、視線を上へとあげ、一つ小さく息を吐く。
そして私の腰に添えた手に力が入ると、グッと殿下との距離が近くなる。
「殿下、ちっ、近いかと」
「ははっ、これでラシェルの顔が見えるのは私だけだね」
近くなった距離から殿下を見上げると、殿下は本当に嬉しそうに目を細めて声を出して笑っていた。
笑ったその表情に思わず目を奪われる。
その顔はいつもの大人びたものと違い、年相応の青年が純粋に笑う姿であった。
あぁ、私もこの姿を独り占め出来ればいいのに⋯⋯。
そんな思いが一瞬脳裏によぎり、ハッとする。
駄目駄目、またそんなことを思っては。
前だって、私の嫉妬で殿下を失望させたのだもの。
⋯⋯こんな独占欲を殿下に持っているなんて、とても言えないわ。
もう間違えないと決めたもの。
急に黙り込んだ私に殿下は何かを言おうかと口を開くが、そこで音楽が止む。
そして、私たちが礼をすると招待客たちから盛大な拍手を贈られる。
「間違えなくて良かったです」
「あぁ、とても綺麗なダンスだった。では侯爵の所へ行こうか」
「はい」
私たちのダンスに続いて、今度は他のデビュタントの者たちがエスコートする男性と共に踊る。
そして、その後殿下は数人の方と踊ることになるだろう。
もちろん、私も必要とあれば踊ることになる。
だがまずは、お父様たちと合流しなければいけない。
どこにいるのだろう、と視線を彷徨わせると殿下は
既にお父様たちを見つけているのだろう。
視線でお父様たちのいる位置を指し示した。
そこには、やはり難しい顔をしたお父様とハンカチを握りしめて微笑んでいるお母様の姿があった。
「あそこにいるよ。さっきのファーストダンスの時から侯爵の視線は感じていたからね」
「そうなのですか?」
「あぁ、ラシェルのエスコートを取ってしまったからね。恨まれているのかもしれないな」
殿下はこれ見よがしに肩を竦めてみせる。
それに私も思わず口から笑い声が漏れそうになり、肩を揺らす。
あと少しで両親の所、と言うところで殿下が立ち止まる。
その行動に、どうかしたのかと私も足を止めて殿下を見つめる。
すると殿下は眉を下げて、私の手をギュッと両手で握りしめた。
「このまま侯爵の所へ君を送り届けなければいけないとは、名残惜しいな」
「殿下⋯⋯」
「また戻ってくるから、待っていてくれるだろうか」
「えぇ、もちろんです」
殿下の少し沈んだ声に、努めて明るい声で頷く。すると殿下もホッとした顔で微笑んでくれた。
その時。
「殿下、わざわざ娘をありがとうございます。
さっ、他の方々がお待ちですよ」
「侯爵、もう少し待っていてくれてもいいだろう」
「十分待ちましたとも。さぁ、もう次の音楽に変わりますよ」
「⋯⋯あぁ。では、ラシェルまた後で」
「はい」
私が来ないことに焦れたかのように、お父様がやってきて、サッと私と殿下の間に立つ。
殿下はその不敬とも取れるようなお父様の態度に苛立つこともなく、肩を竦めた。
そして惜しむような視線を私へと向けた後、お父様へ「侯爵、くれぐれも変な虫を寄せないようにしてくれ」と一言かけて、背を向け去っていく。
殿下の進む先には、音楽と共に舞う白いドレス達。
もちろんその中にはアンナさんもいる。
殿下は、彼女と踊るのだろうか。
モヤモヤとした想いを抱えたまま、私はじっと殿下の後ろ姿を見つめた。
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