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「ねぇ、聞いた?」
「あれでしょ、マルセル侯爵令嬢が闇の精霊と契約した⋯⋯」
「王太子様は本当はマルセル嬢との婚約を破棄したいらしい」
「⋯⋯まぁ、そうだよな。婚約者が闇のってなると」
「マルセル様に近づいたら良くないことが起こるって本当!?」
「しっ!⋯⋯ほら、本人来たわよ」
私が教室のドアを開けると、騒めいていた教室内が一瞬でシン、と静まり返る。
毎日毎日⋯⋯どういう顔をすれば良いのか分からないわね。
ここ数日こんな反応ばかりだ。
どこから噂が広まったのか、私が闇の精霊と契約した事実と共に悪意のあるものが多々囁かれている。
その事実に気がついた殿下も噂の収束を図ろうと、様々な人から話を聞いているらしい。
だが私に関しては、元々遠巻きに見られていた部分があったのだが、更に輪を掛けてその状態にある。
しかも最近は目が合うだけで、相手の顔が恐怖に引きつる様は本当に落ち込む。
アボットさんはこの状況に心配してくれ、出来るだけ側にいてくれている。
だが、正直どう対応するべきなのか考えあぐねいている部分はある。
そんな鬱々とした気分のまま今日も一日が終わる。風紀委員の集まりがあるからと心配しながら教室を後にするアボットさんに、微笑みながら手を振る。
早めにどうにかしないと。
いつまでもこんな状態だと、殿下やアボットさんにも迷惑をかけっぱなしだわ。
思わず出そうになる溜め息を呑み込みながら帰り支度をしていると、横から声をかけられる。
その声に驚きにドキッと肩が上がるのを感じる。
「ラシェル様、ちょっと宜しいですか?」
「カトリーナ様⋯⋯」
「実はあの噂の件で、お耳に入れたいことが」
カトリーナ様は優雅な微笑みを顔に乗せ、私の耳元に囁くような声を出す。
噂⋯⋯。
思わず警戒心からカトリーナ様に向ける視線が厳しくなってしまったようだ。
カトリーナ様は可笑しそうにクスクス笑いながら「まぁ、怖い顔」と口元を手で隠してわざとらしく驚いた。
ここでカトリーナ様の話を聞く必要があるのかどうか。瞬時に頭の中で様々な問題が駆け巡る。
だがこの様子だと今の私の噂について、言いたいことがあるのだろう。
一度彼女とも話す必要があるとは考えていたし、今は丁度いい機会なのかもしれない。
そう考えて、カトリーナ様に了承を伝える。
するとカトリーナ様が私を連れてきたのは、いつものカフェテリアの窓際の席だった。
既に双子たちも来ていたようで、私たちを見つけるとにっこりと微笑んで、席に座るように促された。
カフェテリアには殆ど人が居らず、離れた距離に数人まばらに人がいる程度だ。
この分だと会話を聞かれる可能性はなさそうだ。
そして、丸テーブルを囲むように座るとカトリーナ様は何を考えているのか分からない微笑みを浮かべ、たっぷりの沈黙を破るべく真っ赤な唇を開いた。
「私、あの噂に憤っておりますの。
皆さん勝手なことばかり言っているでしょう?
でも、私も信じられないのよ。ラシェル様がまさか⋯⋯闇の精霊なんて、ね」
カトリーナ様は優しげに、にっこりと笑うと両隣に座っているウィレミナとユーフェミアに同意を求めるように、ゆっくりと二人へ視線を移す。
それに二人は答えるように「えぇ、本当に」と何処か馬鹿にしたような歪んだ笑みを浮かべている。
「ラシェル様もさぞお辛いことでしょうね」
「私は辛いだなんて感じたことはありません。それどころか闇の精霊と契約出来るなど、光栄だと思っています」
「あら、私たち友達じゃない。本音で話して頂いて結構ですのに」
どこか含みをもった言葉を次々にかけてくる。
何が言いたいのだろう。
私も口元は微笑みを作っているが、つい探るような目線を投げかけてしまう。
すると、カトリーナ様はほう、と困ったように頬に手を当てるとひとつため息をつく。
「殿下とも昔からあまり仲は良さそうではなかったのに、最近は睦まじい様子ですけど、どうされたのかしら」
「殿下はいつでもお優しい方ですので」
「えぇ、存じてますよ。婚約者がこんな状況で嘆かわしいでしょうにね」
「⋯⋯どういう意味です?」
「優しい殿下は婚約者の問題も自分のものと考えて、心労が募っているかもしれませんわ。それが私、心苦しくて⋯⋯。どうにかして差し上げたいと思っているのですわ」
「それは私が殿下の婚約者として役立たずだと?」
思わず強張りそうになる顔を無理やり微笑みに変える。
彼女が言いたいことは分かる。
私が殿下に迷惑をかけているのだから、早くその座を降りろ、と遠回しに言っているのだろう。
その空いた座には、いつでも収まる用意がある。そう言いたいのだと易々と考えがつく。
「あら、心外ですわ!私はただ、母に言われているのですよ。もし貴方に何かあれば、私は殿下の婚約者にならなければいけない、と。
魔力では貴方に劣りましたけど、家格だって容姿だって気品だって何一つ劣る要素はありませんもの」
やはり。
ヒギンズ侯爵夫人は娘を殿下の妃とする夢を諦めていなかったのだ。
前回、私が悪かったにしろ、カトリーナ様は私を婚約者の座から降ろす為に聖女に対する悪意を煽りに煽っていた。
きっと今回もどうにかして殿下から離そうと考えるだろうとは思っていた。
「それにしても、黒猫とは。闇の精霊も可愛らしいのね」
「⋯⋯もしかして、噂は貴方が?」
確か、ウィレミナは精霊が見えた筈だ。
もしかしたら先日、クロが馬車から出てきた時にウィレミナに見られていたのかもしれない。
彼女が見たとしたら、まずカトリーナ様に報告するだろう。
そして、いつだって殿下の婚約者の座を狙っていたカトリーナ様がこれを利用しない筈がない。
やっぱり。
彼女が裏で糸を引いていたのか。
カトリーナ様の人脈は広いからこそ、学園内に噂を誇張して広げるなど楽なことだったのだろう。
私を孤立させ、殿下との不仲を広め、婚約者の座から引き摺り下ろそうという考えだったのだろう。
「そうそう!もう一つ面白いことがあるのよ。
お父様が言っていたのだけど」
「ヒギンズ侯爵が?」
「えぇ、父が言うには⋯⋯殿下が王宮図書館に暫く篭りきりであったそうなの。
それで、どうやら魔力についての本を何十冊も読み込んで、何かを調べているらしい、とね」
「なっ⋯⋯」
殿下の様子も探っていただなんて。
確かにヒギンズ侯爵は先代と違って出世欲が強く、王家とも繋がりを欲していると噂を聞いたことがある。
もしかしたら、それが本当だとしたら。
娘を妃に望んでいるのは侯爵夫人だけでないのかもしれない。
「そういえば、ラシェル様。
魔力枯渇ってご存知?原因不明で魔力が無くなってしまうのですって」
この言葉に時が止まったかのようにピシリ、と頭の中で音が弾けた。
今、なんと言った?
魔力枯渇⋯⋯と言わなかったか。
⋯⋯気づいている。
どこから話が漏れたのかは分からない。
でも彼女は私の現在の状況の大まかなことを知っているのかもしれない。
更なる警戒心に、微笑みを浮かべるのさえ忘れてキツくカトリーナ様を見つめる。
当のカトリーナ様は、私の様子に更に笑みを深めた。
「ねぇ、ラシェル様。今、あのご自慢の水魔法、使えるかしら?」
カトリーナ様はその美しい顔にまるで少女のような幼い笑みを浮かべて、今すぐにでも笑い出しそうな声で更に続ける。
「これが本当だったら、魔力の高さで選ばれた貴方の立場など無いわよね」
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