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「こんにちは」
「ようこそお越しくださいました」
サラ、ロジェと共に今日は教会に来ている。
「今日はラシェル様が来るからと、子供たちが今か今かと待ち構えていますよ」
「ふふっ、嬉しい。ではすぐに行きますね」
神官様の言葉に、子供たちの顔を思い浮かべると笑みが浮かんでしまう。共に教会の裏手へと行くと、孤児院の入り口の扉から子供たちが雪崩れるように駆け出して来た。
「ラシェルさまだ!」
「ラシェルさまー!いらっしゃい」
「ねぇ、今日クッキー焼いたの!食べて食べてー」
「えぇ、もちろんよ。では、神官様」
「はい、よろしくお願いします。私も後で行きますね」
私の両脇の子供たちは急かすように私の両手を握って引っ張り、他の子は背中に回り込んでぐいぐいと押す。
「ほら、あまり慌てると転んでしまうわ」
子供たちの笑顔にこちらまで微笑ましくなる。
毎回こんなにもとても歓迎してくれることがとても嬉しくなる。
この教会に通うようになって、もう一ヶ月程が経つ。
あの市場で会った日からすぐに母と共に教会へと赴いた。領内の教会ということで、母は何度かここへ来ているようだ。
ちなみに、ここの神官様は三年前に赴任してきたそうだ。
神官様は、私が挨拶の時に名乗ったことで領主の娘だと知り、酷く驚いたようだ。
だが、この神官様は私が領主の娘であろうと態度を変えることがなかった。
実際、名乗ることで態度が変わる人は沢山いる。私自身が身分や立場にこだわっていたことがあるため、そうする人の気持ちも分かる。
だが、今になって思うことがある。
そういう人は人から信用されない。その人自身を見ない人を誰が信用するだろうか。
上辺だけの関係しか築けなかったのも、自分がそんな人間だったからなのだろう。
ただ、神官様のように教会に訪れた人それぞれに、とても丁寧に接する姿を見て《こうありたい》と思えるようになった。
ここでは、いつでも穏やかな時間が過ぎる。
受け入れてくれる温もりがある。
だからこそ、この教会は人が多く足を運ぶのだろう。
また、子供たちもすぐに懐いてくれるようになった。
ここに来た時は子供たちと遊んだり、本の読み聞かせや文字を教えたりもしている。
ロジェは、騎士という男の子たちの憧れである為いつも男の子たちに囲まれている。
サラは年配のシスター二人の手伝いや、女の子たちに縫い物を教えたりもしていた。
「ねぇ、ラシェル様は王子様のお嫁さんなの?」
一冊の絵本を三歳から八歳ぐらいの子供たちに読み聞かせ終わると、ミーナがおっきい目をパチパチと
瞬かせながら私に問いかけた。
その言葉に、思わず目を見開いてしまう。だが、すかさず八歳の女の子がミーナへと言い聞かせる。
「違うわよ!婚約者ってやつなのよ」
「こんやくしゃー?」
「結婚する予定の人よ!ねっ、ラシェル様」
皆の目が興味津々にこちらを向くのに、思わず苦笑いしてしまう。
うーん、どう答えるのがいいのか。
「そうね。結婚しましょう、とお約束しているのが婚約者ね」
「じゃあ、やっぱり王子様のお嫁さんかー」
「わー、じゃあラシェル様はお姫様ね!すごーい」
「お姫様?」
「わたしはずっとラシェルさまのことお姫様って思ってたよ!かわいいもん」
私が説明すると、子供たちは大きな声ではしゃぎ始めた。
だが、ミーナだけは下を向いて落ち込んだように項垂れていた。
どうしたのだろう。
ミーナを抱き上げて、膝の上に乗せ「どうしたの?」と問いかける。
「あのね、お嫁さんになったらもうここに来ないんでしょ?」
「うーん、そうね。そうなったら、あまり来られなくなるかもしれないわね」
その答えにミーナは拳をギュッと握りしめて黙り込んでしまった。どう伝えるべきなのか思案していると、ミーナは突然大きな声を出す。
「⋯⋯王子様なんてきらーい」
「嫌い?どうして?」
「ラシェル様を取っちゃうから」
頬を膨らませてツンっと顔を背けるミーナを優しく抱きしめた。
子供は幼いようで沢山のことを考えている。特にここにいる子たちは死別や経済的理由があって、もしくは理由が分からないまま孤児院にいなければならなくなった子たちだ。
大人の様子が気になったり、噂をこっそりと耳にすることも多いだろう。
私が何かを言おうと口を開こうとすると、ミーナはすぐに「あっ!そうだ!」と明るい声をあげた。
「神官様のお嫁さんになればいいじゃない!」
「えっ?」
「神官様は優しいしかっこいいよ」
「うーん、そうね。でもね⋯⋯」
「だって、そうしたらラシェル様ずっとここにいられるね」
いいこと考えた、とばかりにニコニコとこちらを真っ直ぐ見て言うミーナに、思わず更に苦笑いしてしまう。
どう答えるべきなのか。
「こらこら、ラシェル様を困らせてはいけないよ」
後ろから、いつもの優し気な声が聞こえた。
振り向くと、神官様は困ったような笑みを浮かべて「ミーナ、あっちでオヤツの準備をしていたよ」と私の膝の上のミーナに声をかけた。
すると、ミーナはさっきの話など忘れたように「オヤツ!」と私の膝からピョン、とジャンプして飛び降りた。そして、こちらを見ることなく部屋を飛び出して行った。
神官様は私の側の椅子に座ると、申し訳なさそうに眉を下げた。
「誰に聞いたのか⋯⋯すみません。困らせてしまいましたね」
「いえ⋯⋯」
「ミーナは特にあなたに懐いていますからね。
あなたも何か理由があってここにいるのでしょうからね。王都に帰るとなっても、悲しむとは思いますがそれも大事な経験です。
気になさらなくて大丈夫ですよ」
私がミーナの言葉で何を考えているかなんてお見通し
なのだろうか。神官様は、その紫の瞳を優しく細める。
「なんだか私、都合の良い時に来て、それで帰るなんて⋯⋯ここの子たちを振り回していますね」
ここで読み書きを教えてもそれは一時的なものだ。学習は継続しなければ力にはならない。だが、その内来なくなるような私が少し手を出した所で何も変わらない。むしろ私だけが何かをしている気分になるだけなのではないか。
「だったら、変えていってください。これから」
「変えていく?」
「あなたが孤児院のあり方、教育の仕方を考えていけばこの国も更に変わっていくでしょう。
子供は未来を持っています。それはここの子たちだけじゃない」
「未来⋯⋯。
今の私はただ、ここにいることが居心地が良くて、具体的にどうすればいいかなんて分かっていないんです」
「そんなの大人も皆そうですよ。私もあと数年で二十代も半ばになりますが、未だ何かを成し遂げているわけではないです。
ただ、居心地が良いだけです」
そう恥ずかしげに笑う神官様は、やはり何でもないことのように道を示してくれる。
安心感をくれる。
まだ、今はまだ模索してもいい時間だと。
「でも、少しでも長く⋯⋯この時間が続くと嬉しいですね」
「え?」
「私もミーナと同じです。
あなたがいる場所は居心地が良いのです」
いつものように眉を下げながら言う神官様の顔が寂しげに見えたのは気のせいだろうか。
私が、まだここにいたいからそう思わせるのか。