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「今日は見つからなくて残念だったな」
「テオドール様……。いえ、すぐに見つからなくても必ず見つけてみせます」
「そうだな。今日は疲れただろな。お疲れ様」
「はい。テオドール様もありがとうございます」
結局、今日は入り口を見つけることはできなかった。
だが、明日と明後日も森に行く予定にはなっている。だから、今日見つけられなかったとはいえ、まだまだこれからだと自分を鼓舞する。
今回の旅でもまたしばらくはミリシエ領主館にお世話になるのだが、前回と同様にミリシエ家の方々には本当に良くしていただいている。
なにより、この領主館の一角には窓や天井がガラス張りとなった星見ができる場所がある。
そこにはゆったりと出来るソファーが置いており、寝る前に眺めると心が安らぐのだ。
客間が並ぶ部屋の端に位置することから、来客用に準備してあるのだろう。
その場所に今日もまたお茶を飲みながらゆっくりとしていると、テオドール様がワインの瓶とグラスを手に持ち、やってきた。
「もし宜しければ、ご一緒しませんか? テオドール様も星を眺めにいらしたのでしょう?」
「バレていたか」
「ワインとグラスを見れば、誰でも見当がつきます」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
私の言葉にテオドール様は向かいのソファーに座り、グラスにワインを注ぐと香りを楽しむように鼻をグラスに近づけ、一口飲む。
グラスから口を離し、テーブルへと置くと、テオドール様はニヤリといつもの飄々とした様子で笑い私をジッと見た。
「いいよ。何でも答えてあげるよ」
「え? 私、何か口にしていましたか?」
「いや、今日会った時からずっと何か聞きたそうにしていたから」
テオドール様の言葉に、思わず自分の唇に手を添えてしまう。
貴族令嬢として、普段から考えていることはあまり顔に出ないようにしているつもりでいるが、テオドール様にはあっさりと見抜かれていたようだ。
だが、何でも答えてくれると言ったテオドール様の言葉はきっと本当なのだろう。
であれば、最近ずっと気になっていたことを聞く良いチャンスなのかもしれない。
何と聞くべきなのかと、視線を彷徨わせたあと、ゆっくりと口を開く。
「テオドール様と初めてお会いしたのは、殿下から紹介された時ですよね」
「なんで?」
「いえ……。何か私が忘れていることでもあるのかと思いまして」
私の言葉はテオドール様には意外だったのだろう。
ワイングラスを持つ手がピクッと僅かにだが揺れた。
テオドール様はグラスをそのままテーブルへと戻すと、顎に手を当てて少し考える素振りをしている。
――質問を間違えてしまったかしら。
沈黙の気まずさに、慌てて弁明しようと「あっ、でも大丈夫です。変なことをお聞きして申し訳ありません」と口にすると、テオドール様は口角を上げてこちらを見た。
「いいよ」
「え?」
「何でも答えるって約束したからな」
テオドール様はソファーに深く座り直して、「そうだな」と前置きをする。
「さっきの質問の答え……初めて俺とラシェル嬢が会ったのは、君とルイが婚約した後じゃない。その前に会っているよ」
殿下と婚約したのは14歳の時だ。
そのすぐ後に、殿下の親しい友人として紹介されたのが初めてであったと思っていたが……違う?
では、どこで会ったのだろうか。
全く記憶になく、戸惑いの色を浮かべていたのだろう。
私の様子にテオドール様は微笑みながら首を横に振る。
「ラシェル嬢が忘れてしまっているのも仕方ない。君はまだ幼かったからね」
「……あの、どこでお会いしたのでしょうか」
「俺の家だね。君の亡くなったおばあ様と俺の祖母は仲が良くてね。幼い時の君は、時々カミュ家に一緒に来ていたんだ」
そういえば……。
8歳の時に亡くなった祖母とどこかの屋敷によく訪問していた記憶がある。
それがカミュ侯爵邸だったとは……。
確か、祖母たちの話が長くて、退屈そうな顔をしていたのであろう。
庭園を自由に散歩していいと許されて、よく庭園で遊んでいた覚えがある。
そうだ。
そういえば、今まで忘れていたことだが、そこで誰かと遊んでいた。
あまりにも朧気で、誰と遊んでいたのか、どんな話をしたかなどは全く覚えてはいないが。
「微かに覚えているような……」
「君は随分と可愛らしい女の子だったよ。……そうそう、俺に魔術を教えてやるって自信満々に言っていたこともあったな」
「そんな! テオドール様にそのようなことを!?」
考えるだけで顔から火が出そうだ。
天才魔術師であるテオドール様に魔術を教えるだなんて大それたことを。穴があったら入りたいとは、まさに今のような状態のことなのだろう。
だがテオドール様は、なにかを懐かしむように夜空を優しい顔で見つめた。
「他にも色々教えてくれたけど、聞きたい?」
「……いえ、止めておきます」
過去の自分がテオドール様とどんな関わりをもったのかは気になるが、これ以上は自分の心が耐えられそうにない。
そんな私の様子を、ワイングラス片手に横目で見たテオドール様はクスッと静かに笑った。
「その頃の俺は随分と荒れていた時期だったけど、君の言葉に毒気を抜かれたし」
「反抗期……とかですか?」
「そうそう、そんな時期。それからはずっと会うこともなくて、ルイの婚約者として紹介された時には君は覚えてないようだったから、あえて言わなくてもいいかと思った……というところかな」
テオドール様の話を聞いて、過去を思い起こしてみると、確かに殿下からテオドール様を紹介された時に、とても親し気にしてくれていたと感じる。
だが、それはテオドール様の人柄だと思っていたが、過去の出来事があったからかもしれない。
そして、私が覚えていないと知ると、あえて距離を置いたのかもしれない。
それでもテオドール様の雰囲気、言動からも過去に親しくしていた時期があったことは、あの森での出来事を夢見なければ信じられなかったかもしれない。
そう、あの森でのこと。
テオドール様が真っ先に駆けつけたこと。
そして、その時の発言も。
「その時に、私とテオドール様は何か約束をしたのですか?」
頭の中にあった疑問がポツリとそのまま口に出た。
「なんで?」
テオドール様は若干目を見開いて驚いた顔をした後、私をジッと見て問うた。
その顔には、微笑みを浮かべながらも私の言葉から真意をくみ取ろうとしているようであった。
「誰かと、何か約束をした……そんな夢を見たことがあったので……」
正確には、先程の森で実際にこの目で見たことではあるが、そこは言えない。
だから咄嗟に夢ということにしておく。
「そうだね。俺と幼い時のラシェル嬢はひとつ約束をした」
「それは何の約束でしょう」
やはり、過去の私はテオドール様と何か約束をしていた……。
ということは……あの出来事は……本当に起こっていたこと?
私が死んだあと、テオドール様が駆け付けたことも、その後に賊を皆倒してしまったことも。
実際に起こった事実の可能性が高い。
とはいえ、あの時のテオドール様の必死な様子を思い出すと、幼い頃の私はテオドール様と随分仲が良かったのかもしれない。
でなければ、いつも飄々としつつも冷静に物事を対処するテオドール様が、あのように取り乱すだろうか。
「それは……」
「それは……?」
覚えていない記憶を知りたいと尋ねた質問に、神妙に口を開くテオドール様。
思わず身を前へと乗り出し、ただただジッとテオドール様の言葉を待つ。
「秘密だ」
「え?」
人差し指を唇に当ててニヤッと笑うテオドール様に、肩透かしを食らう。
だが、テオドール様はそんな私にはお構いなしで、テーブルに置かれたグラスを持つと、残りをグッと飲み干した。
「いくらラシェル嬢といえども、大事な約束を口外するわけにはいかないな」
「えぇ!」
「さっ、明日も早いから。部屋に戻ってゆっくり休みな」
「テオドール様は?」
「俺は、ほら。この酒を飲み終わったら寝るよ」
尚も詰め寄ろうとした私を追い払うかのごとく、テオドール様は話を強制的に終わらせると、残り三分の一になったワイン瓶を掲げた。
だが、この様子をみるとこれ以上テオドール様は話す気がないということだろう。
それに明日もまた早くから出発し、一日歩くことを考えると、テオドール様の忠告は正しいのだろう。
そう考えなおし、素直に「はい」と頷きソファーから立ち上がる。
退出前にもう一度振り返り、テオドール様へと声をかける。
「では、おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ。良い夢を」
テオドール様は振り返ることはなかった。
だが、手を上へと掲げてヒラヒラとさせながら、優しく穏やかな声でおやすみの言葉を私に伝えた。
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次回はテオドール視点予定です。