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海は戦闘中に落ちた修羅を拾った。
辺りが先ほどまでの戦闘など無いかのように静寂が漂っていたのにも理由があった。
先ほどのつるは外からの魔物を全てくびり殺していたのだ。まるでリュウを守るように。
リュウに危害を加えるものすべてにそれは働き、逆に危害を加えない者には一切見向きもしなかった。一行は素通りされたのである。
海は修羅を持ったまま固く閉じられた扉を叩く。
「兄さん…」
黒く輝きを発している扉はびくともしなかった。
「海、それ以上はケガをする」
覚が海の扉を叩くのをやめさせた。
「この扉はなんなんだよ…。兄さんを返せよ!」
悔しさで震える海を覚はなだめていた。
「キバ殿…この扉の向こうはひょっとして…?」
エルナがキバに聞いてきた。
「……。はい、聖域エデンへの扉だと思われます」
「やはり……か」
「このままではリュウ様のお身体が心配です。先ほどの襲撃でひどい傷を負われた後ですので…」
タテがキバにそう進言した。
キバは頷く。
「扉を開けましょう」
その言葉に一同は驚く。
「どうやって?」
クリスはさすがに聞いた。
「聖域の扉なんてそうそう開くものではないはず」
「大丈夫です」
「この地は元々魔人族が管理していた地。エジャルナのように責任者の血筋が存在します」
タテが言った。
「この扉は魔人王と神官長の血統のみ開くことができる特殊な扉です」
キバはそう言って扉に近寄る。
「代々フェニックスの名を継ぐ当主にのみ開くのです」
扉に魔力を込めた手のひらを当てる。
「私、キバルグ=フェニックスの名において命じる。開けエデンへの扉よ。我が祈りを聞き届けたまえ」
すると大きなその扉はゆっくりと開いて行った。
「この先は限られた者のみが立ち入ることができる場所。入れない者には見えない壁が存在するといいます」
「入れない者は扉前で待っていてください」
タテがそう言った。
そうして掌を翳した結果、側室メンツと使い魔のメンツのみが入れることが判明した。
一同は不思議がった。判別の種類がわからなかった為である。
エルナとフレア、海たちは扉の前で周囲を警戒しつつ待つことになった。
ゆっくり聖域を進むにつれて上部から金の光が降り注いでいた。
「あのおびただしいほどのつるはどこに行ったのかしら…」
クリスは不思議だった。
というのも辺りは聖域という名にふさわしいほど自然が美しく輝いていたからだ。
周囲にはここが幻魔の樹海と名つくほどの恐ろしさが微塵もなかったためだった。
「綺麗…」
開けた場所に出た。奥には清水がたたえられた湖があった。
ステラはその水を見ると明らかに聖水だった。
「聖水だわ…」
収納から小瓶を取り出しその水をすくい取った。
「すごいわ。七色に輝く水なんて見たことがないわ」
キバやタテは周囲の様子に感心するように見ていた。
「伝承では聖域は魔に冒され穢れに満ちた地になったと聞いていたのに…」
「どう見ても穢れは消えていますね。エデンの中だけが正常に戻っているというのは…」
ステラが泉の水をすくい取った物を見て呟いた。
「その泉が七色に輝いているのはエデンが聖域としての力を取り戻していることの証明にもなります」
「そうなの?」
「はい、伝承ではその七色の水は神の御力を体現していると言われ、人にもよるのですが摂取すれば不老をもたらし、無限の力を授かると言われています」
「不老ですって?」
「この地エデンに満ちる男神アルフの御力は輪廻を意味する滅びと再生と言われています。故にこの地の水は滅びに打ちかち再生を克服することから絶えることのない命と力を授かるのだそうです」
「それにしても連れ去られた御主人はどこでしょうか…」
エリーゼが不安な顔で呟いた。
「ここはイヴァースと同じであらゆる魔力が通じませんから地味に探すしか方法がありません」
その時、湖を見つめていたステラが異変に気がついた。
湖の中央に黒い水が少し広がっていたからだ。
「あの黒い水は何かしら…?」
「黒い水…ですか?」
キバが湖に寄ってきた。
ステラが指し示す湖の中央には黒い水が広がりつつあったのだ。
その黒い水は湖の水に徐々に浸透するように七色に変化していた。
黒い水を見つめていると一滴黒い水滴が上から落ちてきた。
その水滴が落ちてくる先を見つめると金色の光がそこにあった。
かなりの上に位置していたその光を守るように先程のつるがおびただしいほど周囲を覆っていた。
つるの隙間から金色の光が漏れていたのである。
キバはその光を見つめた。
「まさか…」
収納からキバは黒色のガラスレンズを取り出して光をさらに見つめた。
その時、キバの想いを肯定するように隙間からかろうじで覗く指から黒い水滴が落ちる。湖に波紋が広がる。その黒い水はたちどころに七色に染まった。
「リュウ様!」
「え!」
「うそ、あの光の先にリュウがいるの?」
「あれ程の高台ではどうすればリュウ様を確認できるのか…」
「ここは聖域ですから我らでも飛ぶことはできませんから、どうしたものか…」
「でもどうしてリュウがこの聖域につれこまれるの?」
「………。おそらく邪神の器のせいでしょうね」
「御主人の称号にあった名ですわね?」
「ヒューマの言う邪神とは男神アルフの堕ちた別名です。ここは男神アルフの聖地ですから、器としての宿る神力に聖地が反応したのだと思います。主が失われてかなりの年月が経つといいますから聖域が主と誤解したのやもしれませんね」
「じゃああの金色の光は?」
「邪神としての力を聖域が浄化しようとしているのだとおもいます」
「聖域がこれほどの力を取り戻しているとなればあり得ることですか…」
タテが納得していた。
キバはおもむろに跪いた。
祈るように両手を組んで目を瞑る。
その姿は黒い神官のようにも見えた。
タテも従うように跪き祈る。
その姿を見たクリス達も同じように祈った。
祈るしかできなかったのである。
魔力も通じない場所ではできることは限られていた。
しばらく一同は無心に祈った。リュウを返して欲しい一心だった。
その祈りが通じるように高台にあった蔓は下がり始めた。
ゆっくりと下がるにつれて光は弱まり消えていく。
蔓は湖の中央にスレスレの位置で下降が止まると丸まっていたその蔓の上部がほどけていった。
ほどけた中央にリュウが意識なく横たわり、真っ赤な血に染まっていた服はきれいになっていた。唯一右手首が黒い雫で汚れていた。
リュウの顔色も血色がよく大量出血の後は微塵もなかった。
タテは蔓の上を渡るようにリュウに近寄る。
そっと触れると問題はなさそうだった。
姫抱きに抱えタテは蔓の揺り籠ともいうべき場所からリュウを取り戻した。
タテは広場でリュウを下ろして頬を軽く叩く。
「リュウ様…」
ゆっくりと瞼が震えリュウは目を開けた。
目を開けたリュウは様子が少しおかしいようだった。目の焦点があっておらずどこも見てはいないようだった。
目の色もいつもの深い青い色ではなく碧の色をしていた。
様子のおかしいリュウをタテは揺さぶる。
「リュウ様!」
その揺さぶりが功を奏したのかリュウの目は蒼い色に戻り焦点が戻る。
「あ……。タテ…?」
「よかった…」
一同は安堵の空気が出た。
リュウは無意識に左手で額を摩る。
「おれ……?」
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ大丈夫だ…」
おれは不思議な感覚が抜け切れていないようで気味が悪かった。
「夢を見たような気がする…。俺が俺じゃないのに幸福だったような……?」
頭を振って気を取り直した。
そして右手首に感覚がない事に気がついた。
視線を右手首に落とすと腕は真っ黒に染まっていた。
慎重に左手で右手首にはめていたアクセを外すと紋章が真っ黒に染まり気味の悪い雫が落ち床を染めた。
痛みはなかった。というよりも肘から先の感覚がなかったせいである。
恐ろしいほどの穢れで満たされていた。
周囲を見渡して湖に視線が行く。
何とか立ち上がり泉の淵まで近寄ると少し泉の水を紋章の上にかける。
「くっ……!」
激痛が走った。
水と共に黒い雫と混じり床を濡らした。
「リュウ様…」
キバは俺のしようとしていることに気がつき懐から布を取り出した。
湖の水に浸した布を軽く絞るとそっと丁寧に紋章の上に置いた。
それだけでも痛みが走る。
無意識に腕を引きそうになるのを左手で抑える。
「まだだ……」
何回かそれを繰り返し痛みが和らぐと紋章の雫をふき取るように布で拭いた。
そこまでしたところで右手首の感覚が戻ってくる。
指が動くようになったのを確認してキバにふき取りをやめさせた。
おれは紋章のある手首を湖に浸した。
手首から黒い煙のようなものが立ち上る。
さすがに激痛が走るがこらえきれないほどではなかった。
「リュウ…」
さすがにクリス達が心配な目で見ていた。
「どうやら樹海の邪気を取り込んでしまったらしいんでな。もう少し待ってくれ…」
「うん…」
【その泉に身を浸しなさい、リュウ】
「え…イヴ……?」
その時、どこからともなく不意に背を強く押された。
前かがみになっていたこともあり体勢を崩した俺は頭から湖に落ちた。
派手に音をたてて湖に落ちた俺は気がついたときには全身が湖に落ち、底なしのような湖の中でもがいた。
そして全身が痛みを伴う。
だがその痛みは長くは続かなかった。痛みが消えると水の中をもがき水面に顔を出す。
先程まで俺がいた場所に金髪碧眼の女性が立っていた。
見たことのあるその姿を見た俺は驚いた。
「イヴ…」
イヴは驚くことなくただ、嬉しそうな顔を浮かべていた。周囲に居た一同もまた、絶句していた。
おれは何とか湖の淵にたどり着いて体を湖から引き上げる。
その時自分の体に異変が起きていることを知った。
湖の淵に座るように足を泉にさらして体を下ろすと湖の水面には見知らぬ男が映っていた。
自分の姿が金髪碧眼の男に変わっていた。金髪は長く伸びて肩まである。
体格はそのままだったので気がつくのが遅れた。
「なんだ、これ?」
「アルフの力がリュウに満ちています。その姿はそのせいですが一時的なものです」
「水に落としたのはイヴか?」
「はい。それが一番確実な聖別ですので」
にこやかに言われた。軽く呆れたが気になることがあった。
「どうしてここに?」
「ここは降臨の場。世界に二つあるうちの一つです。この地の浄化がリュウの存在のおかげで完了したのです。故に降りてくることができました。感謝しています」
イヴはそういうと背後から頭を抱えるように俺を抱きしめた。背中から柔らかな感触が伝わる。それで幻影ではなく実体なのだと気がついた。
不思議と、男としては何も感じなかった。妹に甘えられているような感覚だった。
そして、抱きしめられた場所から何かが体から抜けるような感覚が襲った。
「……イヴ?」
「久しぶりのアルフの力は心地よいものですね。この地にはアルフの力が輪廻を回るように循環しています。貴方という器にそれは注がれているのです」
「……これのためか。おれがイヴに選ばれたのは…?」
「それもまた事実ですがそれだけではありませんよ」
「そうか…」
イヴはゆっくりとおれを解放した。おれは立ち上がったイヴを見た。
「また逢いましょう。この地を去る時にはイグニアに浄化をしてくださいね、リュウ」
「浄化……ね。効くのか?」
「今のあなただからこそです。イグニアを浄化し終えたとき、エデンの封印と共にした神官たちの呪いも解けるでしょう。この地が再び命の活気に満ちることを願います」
「神官?」
「はい、この地の魔の物。かの者たちこそ呪われてしまったアルフの神官たちなのです」
「それは…」
「封印は時と共に縛りを受けています。アルフの力を宿した今のあなたにならそれを解放することもできるでしょう」
おれは頷いた。
イヴはそう言って空に消えていった。
それを見届けてから俺は変化していた姿を元に戻し、水と風魔法で衣服を乾かした。
「まったく、どうしてこう、そろいもそろって振り回すのが得意な奴ばっかりなのか…」
汚れていたアクセを泉で注ぎ落してきれいにしてから右手首にはめた。その時に紋章が金に染まっているのを知った。ついでなので湖の水を数本瓶詰して収納する。神の水なので聖水よりも高い効果があるので重宝するのだ。
「すまなかったな。出ようか」
クリス達が俺に抱き着いてきた。
「大丈夫だから」
ひとりひとり頭を撫でた。
安心させるように、愛しむように。
そしてやはりイヴとは違うのだと実感した。
「イヴ神様はリュウにとってやっぱり特別なの?」
クリスが聞いてきた。
「どうしてだ?」
「どうしてって…」
俺は苦笑した。
クリスに軽くデコピンをした。
「イヴに女性としてなんて見てない。どちらかといえば家族…かな。妹のような感じかもしれないな」
「姉じゃなくて妹なの?」
俺は少し考える。
「そうだな、妹だな。分類するならだけど。妹ともとれるし大事な存在であることは確かだが、どういったらいいのかわからん。守るべき大事な存在。似たような存在で使い魔のキバたちもそこに入るわけだが…海と似たような感覚だな」
おれは自分の感情に情愛はイヴにはない事だけは確かだと思った。
「クリスが思うような情はないな。さっきのあれは必要な共有のようなもの…かな。どうしたってイヴとは切れないらしいから気にすることじゃない。それにイヴがいなければおれはここには存在していないわけだから…な」
「…そうね」
クリスは納得したようだった。
扉の前にと移動して少し立ち止まった。
「ステラ、扉の外に出た後に優美と協力してこれを発動させてくれ」
おれはそう言って収納から魔石を取り出し一つの結界魔法を込めた。
一度きりの即席魔道具だ。
その魔石をステラに手渡す。
ステラはその魔石の魔法を見て納得した。
「最上級の範囲型聖結界魔法ね。私たちではまだ魔力が足りない魔法だものね」
「ああ、おれは浄化に魔力が持っていかれる可能性が高いからな」
「術者を別にしたいのね」
「ああ、二人がかりで樹海全体を覆えるだけの結界が作れるはずだ。二人で難しいようなら麗奈も加えればいい。条件はそろっているからな」
「条件というと?」
「聖属性に適応している術師…だ」
「わたしも混ざれる?」
クリスが聞いてきた。
「そうだな。結界が完成次第おれは浄化に入る。今回ばかりはどこまでクルか予想できないからそのつもりでいてくれ。どこに戻るかは任せる」
「了解しました」
「これを渡しておく。イグニアに置くゲートになる。目立たない場所に頼む」
「わかりました。……ありがとうございます」
俺は首を振った。
「お前らの主として当然のことだ」
おれは扉に手をかける。
「邪気を取り込まないようにしないとな…」
そう呟くとステラが上級の結界を張ってくれた。
「悪い、ありがとう」
聖域を出た。
出たすぐにエルナとフレアと海たちがいた。
「兄さん!」
海がホッとした表情で近寄ってくる。
頭に手を置いた。
「大丈夫だ」
「修羅を拾っておいたんだ」
「ああ、助かった」
抜き身の修羅を受け取る。
「始めるわね…」
「ああ、頼む」
「?」
「この地に浄化をかける。その準備だ」
術師の女性4人が魔石を中心に魔力を込めだした。
「魔法か?」
「ああ、最上級の範囲聖結界魔法だ。俺のように最適化があるわけではないから消費が桁違いなんだ。かなり強い結界が欲しいからな。彼女らに発動させてもらうことにしたんだ」
桁違いの魔力を感じたのか樹海の魔物たちが寄ってきていた。
エルナたちが警戒しだすが俺はそれを制止した。
「よせ。樹海の魔物は無害なやつらだ」
「そうなのか?」
「ああ、おそらく何をしようとしているのか気がついて寄ってきたんだ」
魔力が臨界点に達したようだ。
白い光が魔石からあふれ出して上空から樹海全体を覆うように結界が張られた。
「少し離れていてくれ」
修羅を両手で持ち前に構えた。正道の構えだ。
俺は目を瞑り浄化のための集中に入る。浄化に込める魔力を注ぎこらえつつ浄化の力が活性化しだした。
俺の体が輝きだす。浄化の活性から宙に浮く。そこまでは全力で行ういつもと同じ浄化だった。
「兄さん…」
海たちは俺の浄化スキルを初めて目の当たりにして驚いていた。
おれは浄化スキルがいつもと違うことを感覚で知った。
いつもならばもう堪えなければ勝手に体から浄化の力が漏れてしまうのだが今回は違った。
無限の広がりが自身を覆っていた。
それは周囲にも目に見えてわかるのだった。
リュウを覆う輝きは金色が混じっていた。その金色は七色に変化を始める。
光の中にリュウは消えそうになっていた。
おれは力が満ちたことを知ると目を開ける。修羅も共鳴するように光に包まれていた。
光は目を開けたことですべて体の中に消える。
俺の姿は先のアルフ神の姿になっていた。
即ち金髪碧眼の男だ。
構えていた修羅を持ち上げ頭上に掲げる。
ゆっくりと振り下ろした。
同時に浄化の力が周囲へと広がっていった。浄化の力は樹海全体を覆いつくした。覆いつくしたのには聖結界が大いに活躍したからだ。
結界内で浄化の力はふみとどまった為、桁違いの浄化の力が樹海を埋め尽くし光に包まれる。
一同はさすがに目を開けてはいられなかった。
光が沈静化すると樹海と魔物は激変していた。
そして俺も立ってはいられなかった。力を消耗しつくして姿は元に戻っていた。
光が沈静化すると同時に体が傾いていく。
それを抱き留めたのはタテだった。
だが持っていた修羅までは行き届かない。金属音を響かせて床に落ちた。
それを拾ったのはやはり海だった。