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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み(承前)⑨


          *   *   *


 はっと気が付いた時、周囲の様子が変化していた。

 僕、俊輔、弥四郎、お胡尹の四人は身を寄せ合うように、漆喰(しっくい)の塗られた壁際に立っている。最初に目に入ったものが無数の樽や木箱、壺や甕だったので、僕が咄嗟に思ったのは、夢惣備が始まった時の船倉に戻されてしまったのではないか、という事だった。

 しかし、そうではなかった。海上を航行している時のあの不規則な揺れはなく、壁も床も木材ではなく土だ。船倉ではなく、(おか)に建てられた物置──土蔵のようだと僕は思った。

「何だ、ここは?」弥四郎が呟いた。「どうしてこうなった?」

 言ってから、うっと呻いて胸の辺りに手をやる。僕たちは驚いて彼を見、その胸元に横一文字の切創が開いているのを捉えた。

「弥四郎、その傷……」俊輔の言葉。弥四郎は首肯する。

「ああ、さっき──なのかどうかは知らんが、兵部殿に斬りつけられた傷だ。大きいが、そこまで深くはない。もう出血は止まっている」

「痛むか?」

「それはそうだ。だが、心配には及ばないさ」

「と、いう事は」

 俊輔は、顎に手を当てて睫毛を伏せた。

「俺たちはさっきまで、確かに伊勢ノ湾の(えき)に加わり、兵部殿らと行動を共にしていた。その俺の記憶に、お前たちとの間で齟齬はないな?」

 僕も、弥四郎とお胡尹も肯く。俊輔は息を()いてから、「ちょっといいか」とお胡尹の両肩を掴んだ。きょとんとした顔で「ほえ?」と首を傾げる彼女の瞳を、俊輔は真っ直ぐに見る。

 しばしの後、「やっぱりか」と独りごちた。

「何、今の?」

「俺の心渡りが出来るかどうかを試したが、無理だった。という事は、ここはまだ兵部殿の『夢遥か』の中だ。……まあ、考えてみれば弥四郎の傷口がはっきりと可視化されている時点でそうだと分かったはずだけど」

 彼は頭を押さえ、すまない、と口にした。「混乱して頭が回らん」

「それは僕たちも同じだよ。どうして──」

 言いかけた僕は、そこで今まで目に入っていなかった事に気付き、あっと声を出してしまった。

「どうした?」怪訝そうに尋ねてきた弥四郎も、すぐに息を呑む。

 土蔵の一角で、一人の少年が膝を抱えて座り込んでいた。白地に海棠(かいどう)色の流水紋をあしらった、縁起の良さそうな紅白の着物。髪は(すみ)前髪に結われており、これは元服直前か、もしくは武家の嫡流の男子のものだった。

「彼は──」

 俊輔が開口した、まさにその時だった。

「何で、俺じゃないんだろう」

 子供の声が聞こえた。咄嗟にそれを、僕たちの視線の先で蹲る少年が発したものだと察する事が出来なかったのは、あまりに彼が()()()()為だった。

 少年は、ぴくりとも身じろぎしないまま一尺程先の地面を見つめ続けていた。その目線のまま、瞳も眉もぴくりとも動かない。(まばた)き一つしない。立てられた膝に隠れて口元は見えなかったが、今独りごちていた間も果たしてそれが動かされたのだろうか、と疑問を覚える程、彼は全身で不動を表していた。

 あたかも、自らを背景に落とし込んで目立たぬように、それに溶けてしまおうとしているかのようだった。それが自分で思っている以上に上手く行きすぎて、恐ろしくなって呟いてみた言葉がそのまま音になった、という(ふう)だった。

「何で、俺じゃなくて彼女が……」

 その時、土蔵の入口から光が差し込んだ。

 扉が引き開けられ、そこに山吹色の(かみしも)を着けた少女が姿を現した。上衣はおはしょりにし、下衣は膝小僧のかなり上の方まで丈を詰めている。

辰彦(タツヒコ)!」

 彼女は声を上げ、やや大きな袖をひらひらさせながら少年に駆け寄る。

「またこんな所に閉じ籠って! お天気がいいんだから遊びましょう!」

「お琴……」

 少年が、やっと顔を上げた。とはいえ、浮かない表情はそのままだ。

「嫌だ、行かない」

「どうして? お外はこんなに気持ちがいいのに」

 ──どういう事だ?

 僕は、またもや混乱する。今、少年は少女を「お琴」と呼んだ。それはつまり、この少女が琴姫様という事なのだろうか。幼い頃──彼女は(よわい)八つで榛名家当主の座に就いたと言っていたが、その言葉通りであればそれ以前──の彼女。この「夢遥かの世界」の主観は兵部さんであるはずだが、何故急に僕たちは志摩の戦場から場所を移され、そこに琴姫様が最初に現れるのだろう。

 と、そこまで考えた僕は「いや」と自ら否定した。

 違う。少し頭を働かせれば分かるはずだった。俊輔たちも僕と同じように考えたらしく、再び皆の視線が蹲る少年に集中する。

(彼が……兵部さん?)

「鶴来!」

 俊輔が声を上げた。その声にぎょっとしたように、少年と少女が僕たちの方を見つめる。

「彼に心渡りを! 今しか機会がない!」

「わ、分かった!」

 僕は、それ以上を思考するより先に法の使用を試みた。

 丁度こちらと視線を合わせる形となった少年の瞳に向き合い、自らの瞳から精神の抜け出る様を強く想像する。

(来い、心象)

 念を送る。脳内の想像と(たが)わぬ現象が、確かに僕の身に発生する。

 最初に試した時のように、彼からどす黒い感情の奔流を浴びせられて拒絶されるような事はなかった。僕は自らの肉体を滑り出し、急速な降下感と共に彼の心の中へと潜行して行った。

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