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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』壱ノ章 夢遥か⑩

 やがて、奥まった六畳間に通された。家具の一つもないその座敷は、中央に布団が敷き伸べられ、そこに北枕に寝かされた人物の姿があった。掛け布団から覗く肩は真っ白な死装束に包まれ、顔にも白布が被せられている。

 僕は、指先が震えるのを懸命に抑え込んだ。

 寝かせられたその人の姿に、同じように横たわる沙夜の姿が脳裏に蘇ってしまいそうになる。

「千与殿でございます」

 炳五郎殿は合掌すると、その顔の白布を取り除いた。

 少女だった。恐らく沙夜よりも歳若い──十六、或いはもっと下かもしれない。その(すべ)らかな頰膚や薄い唇を見、僕は鳩尾(みぞおち)の辺りに焼け石を呑まされたかの如き尾を引く痛みを覚える。

 先程までの俊輔と炳五郎殿の会話から、最初の霊能者が若い女性である事は何となく察しがついていた。が、これ程若い、むしろ幼いと言っても差し支えない程であるとは思わなかった。このような少女までが「夢遥かの世界」の被害者となっているのか、と思い、やりきれなさが込み上げる。

 無意識のうちに、目が潤んでしまったらしい。横に居た弥四郎が気付き、耳元で囁いてきた。

「偽神のしている事は、惨くて許されざるものだ。それは誰でもそう思う事だ。けれど、この娘は幻月に襲われて死んだ訳ではない。今この瞬間にも、日出国のあちこちでは多くの人間が死んでいる。当然その中には戦や殺害(せつがい)だけではなく、寿命や病気もある。むしろ、そちらの方が多いだろう」

「………」

 僕は、声が漏れないよう口を結んだまま肯く。

「夢見の刻に、幻月の介入なくたまたま条件を満たして『夢遥かの世界』に入り込んでしまった霊能者も居るだろう。俺たちの把握している中でも、そちらの方が多いんだ。被害者を憐れむ気持ちは皆同じだが、経緯(いきさつ)を語られる前に『死を迎えた事』それ自体に対して心を痛めているのなら、それは控えろ。短くても一つの生涯だ、それを辱める事になる」

「……分かっているよ。大丈夫」

 僕はもう一度肯きながら、今まで黙り込みがちであった弥四郎が思いがけなく熱を込めて長く喋った事をやや意外に思ってもいた。

「結界を張ります。一応この部屋の周囲には、家人の方々を近づけないよう宜しくお願い致します」

 俊輔は手軽く少女の所見を調べると、炳五郎殿に言った。

 炳五郎殿の眉が、ぴくりと上がる。「斥邪結界ではないのですか?」

「いえ、『虎喰(こばみ)(よそおい)』です。万が一呪術的なものに対して耐性のない者が触れれば深刻な傷を受ける事になるでしょう」

 俊輔の口にしたのは、天照道から認可を受けた呪者にしか支給されない呪符を用いた、高度な攻性の結界術だった。

「……失礼ながら、理由(わけ)をお聞かせ願いたい」

 炳五郎殿は言った。

「現在この屋敷に居る者の中で、信用の置けない者は居りません。矢文にあった、幻月などという堕ち武者が紛れ込む事を懸念しておいでならば、我々の警備体制へのご不安か、或いは──」

「申し訳ない、他意はないのです」

 ──或いは由比家の中に、「夢遥かの世界」に囚われた少女を餌にあなた方を嵌めようとしている者が居るとお考えか。

 炳五郎殿がそう続けようとした事は、僕にも想像がついた。俊輔は言葉では詫びながらも、有無を言わせぬ口調で彼の続く台詞を遮った。

「用心というべきか、願掛けというべきか……我々も夢惣備に際しては、大きな危険を負う事になります故。心渡りにて対象の『夢遥かの世界』に潜行している間、こちらに残された肉体は完全に無防備になりますのでね」

「あっ、それは……!」

 炳五郎殿は気付いたらしく、低頭した。

「考えが及ばず、失礼致しました」

「いえ、こちらの説明不足でした。不快な思いをさせてしまったのならば、謝るのはこちらの方です」

「ですが……あなた方は、何故そのような危険を──(うつつ)の人間を全面的に信用するという、確かめる(すべ)なき口約を(よすが)にするという危険を冒してまで、夢惣備を行われるのですか? 謝礼も一切受け取らぬと仰せになっていた……武界の仁義としても片付ける事は(あた)いません」

「畏れながら──」

 俊輔は、そこで微かに苦笑した。

「我々の動機(いわれ)を話せば、日の入りまで掛かってしまうでしょう。今は千与殿を、早くお救いする事を考えねば」

 お願い出来ますね、と、彼は念を押した。炳五郎殿は顎を引き、既に何度目か分からぬ礼をして座敷を後にする。

 彼が去ると、俊輔は座敷の四方の壁や柱に呪符を貼り始めた。法唱(のりと)を唱えているのが、途切れ途切れに僕の耳に届く。

 その間に、弥四郎が今回の相手について説明してくれた。

「由比容昭公のご息女、千与。(ただ)し私生児であり、家督の相続権はない。一般的な女子と同じく刀術は学ばず、霊能者としての素質から将来は家を出、呪者となる事を志していた。今年最初の夢見の刻、一族の男と瀬利家の御曹司との私闘に巻き込まれて落命し、『夢遥かの世界』に接触」

「瀬利家と? 何があったんだろう?」

「詳しくは分からない。ただその瀬利家の御曹司が彼女の許婚(いいなずけ)で、如月(きさらぎ)の頭には嫁いで式を挙げるという事になっていたらしい」

「お嫁に行く予定だったの?」

 お胡尹が首を捻る。

「それじゃあ、家を出て呪者になるっていう目標は?」

「まあ、達成出来なくなっただろうな。婚約自体、彼女が命を落とす直前の時期にまとまったらしい」

「なんか、色々といきなり……」

「俺たちは部外者だ、夢惣備を行う前の予備知識として、そこまで詳細な報せは与えられていない。俺もあんまり、他所(よそ)様の家の事情に立ち入ったりする事は憚りたいと思っているしな」

 弥四郎が言った時、

「準備が整ったぞ」

 俊輔が、僕たちの所に戻って来た。

 壁や柱に貼られた呪符の文字──俊輔のしたためた法唱──が、目を盲さんばかりに銀朱の輝きを放っている。虎喰の装は有効化に相当量の気を消費するはずだが、俊輔に疲れたような様子はない。

「鶴来、『夢遥かの世界』で霊能者の魂を救うには、当然ながら彼らの”夢”への逃避願望を解消せねばならない。弥四郎やお胡尹のように、自ら俺に協力するべく覚醒(めざめ)を受け入れてくれる者の方が少ないんだ。今更と思われるかもしれないが、正直な事を言えば俺は鶴来が居なければ、残りの者たちを助け出す事は出来なかったかもしれない」

「どういう事?」僕は首を捻る。

「彼らは多くの場合、強い未練や心の傷を残している為覚醒を拒否する。それらに終止符を打つのは彼ら自身で、俺たちの夢惣備はその手助けをするに過ぎない。(ただ)しそれをする為にも、夢の世界に反映されている彼らの願望の裏を読み取り、何故未練が残ったのかを突き止める必要がある。そこで重要になるのが、俺ではないもう一つの心渡りの法だ」

「僕の持っている心渡り……か」

「そうだ。俺はここにある千与殿の肉体を通じ、彼女の願望が反映された『夢遥かの世界』に潜行する。その時点で既に、俺は心渡りで彼女の心に入り込んだ状態になるらしい。その中で、同じ千与殿の魂が持つ心には渡る事が出来ない。それは、無意識界を一つの法で更に潜行する行為だから。

 鶴来、その時に重要になってくるのがお前の法だ。俺に共連れされる形で入り込んだお前は、そこから心渡りで千与殿の魂の記憶──偽る事の出来ない本当の心を知る事が出来る」

「そうか……分かった」

 僕は、まだ僅かに(まなじり)に残っている涙を払いつつ肯いた。

 ──僕が俊輔たちと出会ったのは、きっとこの為だったのだ。

 俊輔は仄かに表情を和らげ、刹那の後、またそれを引き締めて千与さんの額に(てのひら)を載せた。その上から弥四郎とお胡尹も同じように手を重ねたので、僕も彼らに倣って掌を差し出す。

「これより『夢遥か』攻略──夢惣備を開始する」

 俊輔は宣誓し、口の中で転がすように何かの詠唱を始めた。

 法唱──恐らく彼が神子だった頃、神呼ばいの儀で『夢遥かの世界』と邂逅する為に唱えていたのであろうもの。

 それは催馬楽(さいばら)を歌うような声で、不思議な揺らぎを帯びていた。滔々と流れるような旋律は彼の脈と同調し、重なり合った弥四郎、お胡尹、そして僕の生体律もそれに合わさっていく。

 徐々に、睡魔が兆すように頭に靄が掛かり始めた。

 掌の下の、お胡尹の手の甲と触れ合う感触がなくなった。否、皮膚同士の境目が溶け合い、何処までが自分の手なのか分からなくなった。それは弥四郎、俊輔へと続いていき、やがてするりと体が滑ったような感覚が生じた。

 ごく自然に──蝋が流れるように、僕はするりと三人の体へと滑り込んだ。唐突な落下感──(ただ)し恐怖はない──そのまま、千与さんの中へ。

 体ではない自分の何かが、ぞくりと動いた。

「意識はしっかり保て!」

 法唱を切り、俊輔が短く叫んだ。

 それが再開された時──。


 僕は消えた。

『夢遥か』をお読み下さりありがとうございます。壱ノ章「夢遥か」は今回で終了し、明日からは弐ノ章の連載を行います。大学生活との並行の為、毎日投稿する時間帯にばらつきが生じてしまい申し訳ありません!引き続き宜しくお願いします。

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