前夜
「何故、本当のことを言わなかったの?」
「え?」
王宮からの帰り道、隣を歩くカレンにポツリと言われた一言に、フィーナは本気で動揺した。
「さっきの話。流石に嘘ではないと思うけど、彼には私達、騙されていたわけでしょ? 何故、彼がヴァスティ先輩を助けにくるだなんて言えるの?」
「それは……あの人が実は欲張りだからです」
「欲張り?」
カレンは首をかしげる。だが、フィーナはその先を説明することは出来ない。
何故なら、『イレイサー』と直接相対したことがあるのはフィーナだけということもあるし、そのうえでカナキと『イレイサー』が同一人物であると仮定している前提のうえでしか成立しないことだからだ。おそらく、ここで全て説明しても、カナキと接した時間がフィーナより圧倒的に短いカレンでは、理解することは出来ても納得は出来ないだろう。
「申し訳ありません、詳しいことは、今の段階では言えません……ただ、私達と接している間のカナキ先生が全く嘘ではなく、多少本質を見せていた、ということは確かです」
「……そう。それ以上は、私にも言えないのね?」
「……………」
言い淀むフィーナ。カレンの騎士として、本来なら、その沈黙でさえ背信行為と誹られても仕方ないことだったが、彼女の口からその言葉は出てこなかった。
「……珍しいわね、あなたがそうやって大人に隠し事をすること。……ねえ、憶えてる? あなた、昔も一度だけそうやって大人たちに隠し事をしたことがあったのよ」
言われて、フィーナはその出来事をすぐ思い出した。後にも先にも、あれだけ大人に怒られたことはフィーナの人生で存在しないからだ。
「私が一度王宮を出て街を見たいって言った時、あなたは頭を捻って作戦を立てて、私を内緒で外に連れ出してくれたわよね? あのときもあなた、メイドや護衛の騎士たちに上手く嘘を突いて彼らを誘導してたわね。あのときあなたが言った言葉、憶えてる?」
「……嘘には多くの偽りと少しの真実を混ぜれば、それは自分をも騙す薬になる、ですか? あれは、その頃読んだ本の受け売りだったのですが……」
「ふふ、でも、今回もそういうことでしょう?」
「……」
流石にここで嘘を吐くことは出来なかった。
沈黙が肯定であることをカレンは察し、何故か嬉しそうに笑う。
「私には正直、彼のどこが良いのか分からないのだけれど……フィーナは違ったようね? 彼を愛してるの?」
「ッ!」
何気なく言われたその言葉に、フィーナの心臓が一際大きく脈打った。
「……そ、尊敬はしています。も、勿論、一人の人間としてですがっ!」
「ふーん。それじゃあ、今回の件は、彼がそんなことするなんて信じられないってとこかしら?」
「……私はただ、真実を知りたいんです。カナキ先生と会って、直接」
それが今の偽らざる本音だ。
そう伝えると、カレンは柔らかく微笑んだ。
「……そう。それじゃあ、会って確かめないとね」
その言葉に驚き、フィーナは足を止めて隣のカレンを見た。
こちらを向いたカレンが不思議そうに足を止める。
「? どうしたの?」
「よ、宜しいのですか?」
「あなたが会いたいんでしょう? まあ、今の私に出来ることなんて、あなたと口裏合わせるくらいしか出来ないけど」
「~~~ッッ!! か、カレン様ぁ!」
「ちょっ、フィーナ!?」
感極まったフィーナがカレンに抱き着くと、カレンとは思えない狼狽した声が耳元で聞こえた。
普段ならばこんなこと決してしないし有りえない行為なのだが、自分の中だけでグルグルと渦巻いていた様々な感情をカレンに吐露し、受け入れられた結果、自然と目尻には涙が滲んでいた。
「……もう、あなたはもう少し素直になっていいのよ」
それに気づいたカレンは、途中からフィーナをあやすように背中をトントンと叩く。
他人の胸で泣くというのはいつ以来だろうか。
フィーナは、しばらくはそのままカレンの胸で泣き続けた――
Side カナキ
――綺麗な満月だ。
バルコニーから月を眺めていると、後ろから足音。そちらを見ずに、僕は問う。
「どうしました、アリスさん」
「ありゃ、私ってバレてたか」
「今いる手配者の中で、そこまで足音を殺さずに歩く人なんてあなたくらいですよ」
「あは、それは褒めてると捉えていいのかな?」
アリスさんはそのまま僕の隣まで来ると、手すりに体重を乗せる。
「月なんて見て。そんなにロマンチストだったかしら?」
「まさか。何となく見上げてただけですよ」
それで?
僕が用件を聞くと、アリスは嬉しそうに言った。
「頼まれてたあの件、今朝成功したわ」
「そうですか」
全身が歓喜で震えそうになる。なるべく平静に答えたつもりだが、本当なら今すぐ会いに行きたいくらいだった。
「何か異常は?」
「多少記憶の混濁が見られるけど、逆に言えばそれくらいよ。最初、襲われそうになって死ぬかと思ったけど」
「ああー」
それは無理もないと思ったが、あの人に襲われるとか僕だって生きた心地がしないだろうし、少しだけアリスに同情出来た。自業自得なので絶対に言わないが。
「会いに行かないの?」
「どうせ明日会えるでしょ。僕はその前に、もう少し石を調合しておきますよ」
「ふふ、この半月でどれくらい殺したの?」
嬉しそうに訊いてくるアリスに、僕はちょっと機嫌を損ねた顔を作る。
「あの、昔から何度も言ってますけど、僕はそれほど人殺しは好きじゃないですからね? あくまで」
「あくまでその過程を愉しむって言うんでしょ? それ、私とそんなに変わらないからね? 何度も言ってるけど」
見事に反撃されて言葉に詰まる僕。してやったりという顔で、アリスが「ししし」と悪戯っぽく笑った。
そのとき、階段を登ってくる僅かな足音が一つ。この独特の歩き方は、フェルトか。
「ちょっと、カナキ君。明日の施設への入場券の話、ちゃんと考えてあるんでしょうね!」
苛立ちを隠す気もないのだろうフェルトは、僕の方をぎぬろ、と睨んだ。
「あ、ぬすっと蛇」
「ッ! だから、そんなんじゃないですから!」
アリスの言葉に、フェルトはもう何回目かも分からない否定の声を上げる。
「この男は、私とサーシャを脅して無理やり働かせてるんです! じゃなきゃなんでこんなクレイジーな仕事――」
「ふっ、この祭りを愉しめないようじゃ、カナキ君の愛人枠は譲れないわね。出直しなさい!」
「いや、何言ってんの」
「わぷっ」
アリスの顔を手の甲でぺちんと叩くと、可愛らしい悲鳴が聞こえた。
「フェルトさん、その話については前も言いましたが大丈夫です。既に、明日の大会のチケットは三十席ほど確保してますから」
そう言うと、フェルトは訝しそうにこちらを見た。
「ふうん……よくそんな数取れたわね」
「まあ、教師をやっていたときに出来た信頼できる伝手がありまして」
「ああー……」
意味を察したフェルトはジト目でこちらを見る。多分、僕が自分の生徒を脅したか何かして強引にチケットを取らせたと考えているのだろう。まあその通りなんだけどね。
「まあ、それならいいわ。それじゃあ私達、自分の巣に戻るから」
そう言ってフェルトは階段を下って行った。サーシャを連れて自分たちの宿に戻るのだろう。
再び二人になったところで、アリスがしなだれかかってきた。
「それにしても、私がいない間に、よくここまで強者を集められたわね」
その声から、アリスが純粋に僕を評価しての言葉だと分かった。
「ねえ、エトちゃんの事は私が悪かったわ。だから……ね、これが終わったあともまた私と組みましょうよ。今のカナキ君になら絶対裏切らないから」
「考えておきます」
「あは、相変わらずつれないわね~」
アリスは僕から体を離すと、
「ねえ、明日の本選、愉しみ?」
そう訊いてきた。
「そうですね……まあ愉しみ、では絶対にないですね。死ぬかもしれませんし」
そう言うと、アリスから露骨にがっかりした雰囲気が伝わってきた。
たまには本音を言いなさいよ。
アリスから、そう無言の圧が飛んできた。
確かに、こんなことで自分の本音を誤魔化して意味はないか。
「……ただ、」
しばらく間を置いて、僕がそう切り出すと、アリスの視線が僕の横顔に刺さった。
「ただ?」
そのまま一呼吸置いた後、僕は言う。
「ただ――――彼女たちと会う時のことを考えると、愉しみたい、とは思います」
「……あはっ」
アリスは僕の顔を見て笑みを浮かべた。
僕はそのとき、自分が笑っていることに終始気づかなかった――
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