覗き
八章は最終幕に向けての準備段階のようなものですが、どうぞお付き合いください。
いくらエンヴィという影武者がいても、流石に連日街へ行くのはマズイ。
ということで、その日の夜は大人しく寄宿舎に残り、羽目を外し過ぎていない生徒がいないか寄宿所の周りを巡回していた。
夕食も終わり、今は自由時間なため、いつもならそれほど目くじらを立てることもないのだが、時間帯が時間帯だ。生徒が、特に男子でそこらへんをうろついていたら声を掛けるようにしている。
「お、ルイス君」
「げ、か、カナキ先生……」
「そっちは大浴場だよ? 今の時間帯は女子が使うって話はしてあるし、勿論知ってるよね?」
「……」
「……うん、ちょっと僕と一緒に来ようか」
「ちょ、先生嘘だろ!?」
こうやって、指導の対象になるようなことを目論む生徒が少なからずいるからだ。ルイスも必死なのだろう。信じられないという目で僕を見てきた。
「先生だって男なら俺たちの気持ちが分かるはずだろ!? 同じ人間じゃないか!」
「うん、そんな壮大な話じゃないからね。そして、その口ぶりからすると、他にもこんなことをしでかそうとしている子たちがいるんだね……」
「ま、待ってくれよ先生! 分かった、先生にも特別に、俺たちが事前に見つけておいた覗き穴の場所教えてやるから見逃がしてくれよ!」
「いや、興味ないし、いいよ」
「なんでだよ! こっちなのか!?」
「初めて生徒を本気で殴りたくなったよ」
何故ここまでの熱意を持って覗きなんてするのかが僕には理解できない。僕が学生だったときも、同じように喚いているお調子者の男子はいたが、僕には全く興味が湧かなかった。そもそも覗き自体が犯罪なのだから、それをするくらいならもう強姦でもしてしまった方が早いんじゃないかと思う。流石に強姦はバレれば反省文程度では許されないだろうが、それをいかに捕まらずに実行できるか、ということを生徒達には考えてほしい。おそらく、いつもの授業より何倍も真剣になって考えてくれるだろうし、思考力や判断力も身に付き、生徒達の将来に必ず役に立つだろう。ただ、被害女性がうちの生徒だとメンタルケアのために僕の仕事が増えてしまうので、そこだけは勘弁してほしいけれど。
未だに喚くルイスをギュンターに引き渡し、僕は巡回を続ける。本来ならルイスの担任である僕が説得すべきなのだろうけど、どうしても説教が中心になる生徒指導はカウンセリングと違い、上手くいかない点も多々あり、おまけに生徒から反感を買いやすいというデメリットまで付いて来るまさに貧乏くじだ。引率で最年長であるギュンターがそこらへんを引き受けてくれると言ったのだ。ここは大人しく任せることにしよう。
その後、ルイスの他にも外を出歩く生徒を何人か発見したが、どれも僕を見ると脱兎のごとく逃げて行ってしまった。まあ、あの様子じゃどのみちそんな気概も無かっただろうから、特に追うようなこともしない。全く、ルイス君くらいの意地を少しは見習ってほしいものだ。
「……ん?」
寄宿舎の裏の方も巡回し、そろそろ館内に戻ろうかと思った時、妙な気配を感じた。まるで監視されているような視線を感じる。
一瞬、シズクの顔が浮かんだが、やがて出てきたのは予想外の人物だった。
「流石カナキ先生ですね。こうもあっさりと見つかってしまいましたか」
「フィーナ君か……こんなところで何してるんだい?」
夕食の時と同じ恰好なところを見ると、まだ風呂にも入っていないのだろう。まだしばらくは女子の入浴時間とはいえ、ここにフィーナがいる理由が検討もつかない。
「監視です。カレン様の湯浴みをのぞき見しようなどという不埒者がいないか巡回していたのです。そのときに、ここを歩いている先生を見つけて、もしかしたら……と」
「なるほどね」
だから隠れて監視していたのか。実にフィーナらしい行動だった。ルイスも、もし僕が先に見つけていなかったら、フィーナに八つ裂きにされていたかもしれない。
「ここらへんを出歩いていた生徒は大体部屋に帰したよ。君もお風呂に行ってくるといい」
「……いえ、少し用事が出来たので後にします」
「用事?」
「はい、先生に手合せをお願いしたいのです」
「……えー」
もう、僕に会ったら手合せしかないのかこの娘は。
僕は露骨に嫌そうな顔をするのだが、フィーナも慣れたもので、眉一つ動かさない。
「学騎体の本選までもう時間がないのです。そんな中で、この交流会のせいで自主トレーニングの時間も潰れるので、正直少し焦っているのです。それほどお時間を取らせないのでお願い出来ないでしょうか」
「あー……分かったよ」
確かに、それは昨日僕も思っていたことだ。本選前の大事なこの時期に少しでも運動しない日を設ければ、途端に体力は落ちてしまうだろう。
どのみち、本選へ出る生徒達のケアはしようと思っていた。僕は、不承不承だが、フィーナのお願いを受け入れた。
こんなことなら、ルイス君も呼んでおけばよかったのかもしれないね――。
「ありがとうございます」
それでは、とフィーナは僕から少しだけ距離を取った。
そのまま無手で構えるので、僕は少しだけサービスしてあげることにした。
「出来るだけ実戦形式が良いだろう。身体強化の魔術も掛けていいよ」
「よろしいのですか?」
「うん。まあ僕も使うけどね」
身体強化を施したフィーナ相手に何の準備もなしに挑めば秒殺されるのは目に見えている。
僕とフィーナは、それぞれ身体強化魔術を施すと、万全を期してフィーナが突進してきた――。
いつの間にか、フィーナは縮地を覚えていた。
見事に決まったボディブローで痛めた脇腹を擦りつつ、僕はフィーナに声を掛ける。
「すごいねフィーナ君……縮地なんていつ覚えたんだい?」
「何を言っているんですか、先生が教えてくれたんじゃないですか」
「へ?」
間抜けな声を出した僕に、額に張り付いた前髪を払ったフィーナが言う。
「先生が、手合せの時に三回ほど実演してみせてくれたので、それをヒントにして私も作ってみました。理論さえ分かれば、あとは何とかなると思っていましたが、やはり少しだけズレがありましたね」
こともなげにそんなことを言うが、相変わらずとんでもない天才少女だ。既に、体術だけなら生徒の中で五指には入る実力だろう。教えることはおろか、教えていないことも勝手に吸収し、どんどん成長していく。ここまで教えがいのある生徒もいないだろう。全く、凄まじい逸材だ。
「……学園に戻ったら、細かい所を直してあげるよ。まあ、とはいってもほんとに些細な所だけだけどね」
「……ありがとうございます!」
そう言うと、フィーナは珍しく弾けるような笑顔を見せた。よほどうれしいということが僕にも伝わってきて、どこかくすぐったい気持ちになる。
――この約束が果たされることはないということを、このときの僕は知る由も無かった。
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