カウンセリング
「――これはサービスです」
奥に引っ込んだと思っていた店主が戻ってくると、二人分のコーヒーを置いた。
礼をすると、会釈した店主は、今度こそ奥に引っ込んだ。
コーヒーを一口啜り、ほう、とため息を吐くと、僕は早速本題に入った。
「……それで、なんであんなことをしたんだい?」
正面で同じようにコーヒーカップを傾けていたフィーナの綺麗な眉が露骨に歪められる。
「……来る前にも話したでしょう。向こうが絡んできたので、正当防衛を行ったまでです」
「正当防衛、ね。そう言うにしては、君の防衛は過剰過ぎた。君はその歳で三級魔法師になるほどの秀才だ。あんなチンピラ、やろうと思えばもっと穏便に追い払うこともできたはずだよ」
「……何故、自分を襲ってきた相手に気を遣わなければならないのです」
「それが魔法師の責任だからさ」
僕はコーヒーを一口含み、間をおいてから言った。
「魔法師は、魔法を悪用してはならない。魔法師になる者が、最初に誰でも聞く魔法師の絶対原則だ。でも残念ながら、これは現在守られているとは到底言えない状況だ。魔法道徳論の授業は受けているね。去年この街で起こった犯罪で、魔法が絡んでいたケースが、全体の何割に及ぶかという話を聞いたかい?」
フィーナは静かに首を横に振った。
「――八割。つまり、五回犯罪が起これば、そのうち四回は魔法が悪用された犯罪ということさ。魔法師になる際に絶対の掟となる魔法の悪用の禁止、これは、今となっては飾りと言っても過言ではない状態なんだよ」
フィーナの顔色に驚きはない。既知の情報だったのだろう。彼女の瞳を覗いても、そこから彼女の感情は何も読み取れない。
「それで、それが今の話とどう関わってくるんです」
「……つまりだね、君たちのように若い世代の魔法師こそ、これから正しい魔法の使い方をしていかなきゃならないんだ。本来、生活を豊かにするはずだった魔術が、戦争の際に改良され、現代の魔法となった。魔法全てを悪というつもりは毛頭ないけど、使用者が誤った使い方をすれば、何よりも恐ろしい武器になるんだよ」
ここまで話して、流石に説教くさいな、と反省した。今日はフィーナの心象を少しでも良くするのが目的なのである。こんな教師の誰もが言いそうな一般論を滔々と語ったところで、彼女の印象は少しも良くならないだろう。
僕は思い切って、彼女に一歩踏み込んでみることにした。
「……フィーナ君、最近何か悩んでいることはないかい?」
「……いきなりなんですか」
否定はされなかった。自分の推測が確信に変わりつつあるのを自覚しながら続ける。
「君はあの国民想いのオルテシア君の側近だ。君も彼女を尊敬していることから、フィーナ君自身も国民想いだってことは充分に考えられる。でも、そんな君があんなチンピラに絡まれたぐらいであそこまでするとは思えない。あれは、フィーナ君自身に何か悩んでいることがあったからじゃないかい?」
「私が、ストレスの発散に彼等を使ったって言いたいんですか?」
「違うのかい?」
「……別に、そんなんじゃありません」
フィーナは視線を落とし、カップに口を付けた。
そこで僕は、安心感があると定評のある少し困った笑顔を浮かべた。
「……まあ、君が話したくないなら良いんだけどね。ただ、これだけは言っておくけど、魔法の腕を上げることだけが彼女に貢献できる唯一の事ではないと思うよ」
「……ッ!?」
ビンゴ。
ここにきて初めて、フィーナの顔に驚愕が映った。
「やっぱりそうだったようだね。別に不思議な事じゃないさ。君以外にも、“アレ”を見てから自信を喪失した生徒は沢山いる。その大半が、僕のところに訪ねてきた。それまで魔法に自信のあった生徒が大勢相談に来る、それほどの衝撃だったんだよ、カレン・オルテシアとレイン・アルダールの試合は」
ここ一週間、相談室に来た生徒で、一番多い相談は「自分の才能に自信を無くした」という内容で、しかもそれは、成績上位者になるにつれ、多かった。
若い頃は『押し寄せる鉄壁』と恐れられたというリヴァルでさえ目を見張ったという試合だ。例え若干十六歳で三級魔法師になったフィーナにしても、それは例外ではないだろう。
「フィーナ君の家は、代々王族に務める騎士の家系だったね。父上も、大変腕の立つ騎士だって聞くよ。そんな風に、代々王族を守護してきた自分の家が、プレッシャーに感じているのかい? 自分が、父達のように王女様を護れるか、と」
普段は、こんな風に僕から生徒の悩みをペラペラしゃべるような真似は絶対しないが、今回は少し賭け
に出てみることにした。デリケートな部分をあえて掘り下げた僕に対し、彼女はどのような反応を示すのだろうか。
天井をカツンコツンと叩く音が聞こえる。どうやら、外で雨が降り出したようだ。
「……カレン様への懸念は、何年も前からありました」
長い沈黙の後、フィーナが返した反応に、僕は内心ガッツポーズを作った。
「王宮務めの魔法師からも、目を見張るようだ、と言われたカレン様は、私が魔法を教わるようになったころにはもう、あっという間に私の手の届かないレベルまで上がってしまいました。それでも、努力を続ければいつかは追いつき、カレン様をお護りすることが出来る日が来るだろう、と、これまでやってきましたが、あの試合を見て、私は嫌でも思い知らされました。――あのレベルには、一生かかっても追いつけない」
フィーナがカップを持ち上げ、既に空だと気づくと、肩を竦めてから戻した。
僕は、その試合を観れなかったことを、改めて後悔しつつ、フィーナに相槌を打った。
「あの日から、本当に目の前が真っ暗になって、放課後は残って魔法の鍛錬をするようになりました。私は護衛なのですから、本来ならカレン様のお傍を片時だって離れてはいけないのに、気づけば今日みたいに、カレン様には先に帰ってもらうことも増えました。本末転倒も良いところです。こんな私が、カレン様の護衛なんて……」
消えゆくような語尾の後、フィーナは口をつぐんだ。喋り過ぎたと思っているのだろう。さっきのフィーナの口調は、誰にも話せない悩みが、口から勝手に零れ落ちたような感じだった。
「……こんなこと言うと怒るかもしれないけど、僕はちょっと安心したよ」
「ッ……何故ですか?」
「その歳にしては完璧すぎる君が、ちゃんと人並みに悩みを持っていてくれたことにさ。じゃないと、僕の仕事なんてなくなってしまうからね」
僕が悪戯っぽく笑うと、フィーナは意表を突かれたような表情を浮かべ、やがて少し不機嫌そうな表情になった。
「……それでは、折角私が仕事を上げたのです。何か解決策はあるんですか、先生?」
「――勿論。生徒のどんな悩みでも解決に導くのが僕の仕事だからね」
「……は?」
「ていうか、その解決策、僕は最初に言ったはずだよ?」
「はぁ!?」
この娘はこんなに表情が変わるのか。
今まで見たことのなかった、豊かな感情の発露に、頬が自然に緩みそうになる。
「じゃあ忘れているようだし、もう一度言ってあげるよ。――カレン・オルテシアより強くなることが、彼女に貢献できることとは限らない。つまりね、他にも、彼女の力になれる事っていうのは沢山あると思うよ」
「ッ……そんなこと、ありません! 私はカレン様の護衛です。私が強くなるよりほかに、カレン様の力になれることなど……」
「実力主義の君の家系の基準で考えたらそうかもしれないけどね。凡人の僕から言わせてもらえば、君は紛れもない天才なんだよ。オルテシア君を超えるほどにね」
「そ、そんなわけありません!」
フィーナが僅かに前のめりになった。話に興味を示している証拠だ。
「君の入学試験の結果、知ってるかい? 魔法試験では次席、体力試験についても五番目には入る結果だ」
「……そのどちらも、首席はカレン様です。いつもそう、私は全てが二流なんです」
「そんなことないさ。現に、君は一つだけ、オルテシア君より良い成績を取っている」
「え……?」
「――知能指数。IQとも呼ばれている数値だが、君は二位のオルテシア君の百五十を大きく超える二百という数値を叩きだして、見事主席になっている。担任としても鼻が高いよ」
フィーナは信じられないというように両手で口元を覆った。大きく開かれた瞳から、真珠色の星が散る。
「……知りませんでした」
「そりゃそうさ。生徒の元には全科目を総合した結果しか届かないからね。君のことは入学した時から気になっていたよ。カレン・オルテシアの護衛であるフィーナではなく、今年入学した天才、フィーナ・トリニティをね――」
「ッ……!」
フィーナに、自分の知らなかった才能について教授し、同時に彼女が長らくコンプレックスにしていただろう“カレンの付属品として自分”という観念を取り除いてやる。この手の人間は自己承認欲求を焦がれていると相場が決まっている。
「……フィーナ君。君は自分が思っているよりも、よっぽどオルテシア君に近い存在だ。自分に自信を持ちなさい。自分に合った、彼女を手助けできる方法を考えるんだ――」
しばらくこちらを見つめたフィーナは、黙って頭を下げた。
「はい。次会ったときにでも返してくれればいいから」
傘を渡すとフィーナは、少し躊躇った後に受け取った。
「……ありがとうございます」
「いいえ。むしろ、家まで送れなくてごめんね。これから僕も、用事があるもんで」
店から出た僕は、雨の中に手を突っ込んだ。
「うん、まだ小雨だし、大丈夫だ。早く帰るんだよ。途中で寄り道しないように」
「わかっています。今日のようなことも二度としません」
「よろしい。それじゃあ、また明日――」
小さな返事が返ってきたのを確認すると、僕は小雨の中を走りだした。
魔力は使わない。別に、急ぐ必要もないしね。
それから三十分くらい走った後、着いたのは郊外にある雑木林だった。
この辺りは、貴族が管理する私有地があちこちあり、用のない者は滅多に現れない。
悪者が棲むにはうってつけの場所、ということだ。
僕は、周りに人の気配がないのを確認すると、ただの指輪に見立てた、ここの結界を通過出来る魔導具を装着した。
そのまま、雑木林を慣れた足取りで進んでいくと、やがて拓けたところに行きつく。
そこには、最早懐かしさすら覚える、立派な“武家屋敷”が建っている。
家を囲む塀、屋根を覆う瓦。鯱まであるんだから、むしろここに住んでいる人は本当の武家屋敷を見たことがあるのか、と問いたくなってしまう。
僕は、門まで行くと、少し強めに、四回叩く。
返事はない。いつものことなので、勝手に中に入る。
塀の中に入ると、まずただっ広い庭が目に入る。これで植物の一つでも植えれば風情があるのだろうが、生憎、ここで鍛錬ばかりするので、一つでも植えようものなら、次の日には踏み潰されてぐちゃぐちゃになっているだろう。
玄関まで来ると、そこでも一応ノックする。ここでなら、たまに娘の方が顔を出すことがあるが、今日はそっちの方も姿を見せない。
溜息を吐き、そこも勝手に開けて中に入ると、我が物顔で廊下を歩く。
それにしても、こんなに長い廊下、掃除をするのは大変ではないのだろうか。ここは彼と、その娘だけの二人暮らし。優に十人は住めそうなこの家は、どう考えてもアンバランスだと思うのだが……。
そんなことを考えながら、居間の戸を開ける。
すると予想通り。そこには、人の皮を被った、一匹の『鬼』がいた。
読んでいただきありがとうございます。
話が進まなくてすみません。もうそろそろ、話も動きだしますので、もう少しだけお付き合いください。