お誘い
「――か、カナキ先生! 遂に彼女出来ちゃったの!?」
「え、えええええっ!?」
アルティが見当違いのことを言い出し、エトがオーバーなくらい驚いた。
「いやいやいや、全然そういうのじゃないから。いいから君たちは早く帰りなさい」
「えー、二人でどこに行くのさー。ますますこれは怪しいよ」
「いや、本当にただの仕事上の知り合いだから……」
探るような視線を向けるアルティに、僕は内心かなり慌てていた。フェルトは僕の正体を知っているし、逆にフェルトの事を知っている人に見られたら、更に事態はややこしくなる。
「安心して、私と彼はそういう関係じゃないし、本当に仕事上の知り合いなだけなの」
そこで意外にもフェルトからフォローが入る。
柔和な笑顔を作るフェルトに、アルティは疑り深い視線を向ける。
「えー、ほんとですかぁ」
「……こら、アルティ君。失礼だよ」
「ふふ、カナキ先生はどうやら人気者みたいね。大丈夫、本当にカナキ先生とはお仕事の話をするだけだから」
「そういうことだよ、じゃあエト君、アルティ君のことは任せたよ」
「あ、はい!」
なおも抗議の声を上げるアルティを半ば引きずるように、エトは去っていった。
アルティは誤魔化せただろうが、エトは若干胡乱気な視線を僕に送ってきていた。フェルトにセニアと通ずるような雰囲気を感じたのだろう。その視線を僕があえて受け流すと、彼女は意図を汲んでくれたようで、だから大人しくアルティを連れ帰ってくれたらしい。全く、彼女には本当に頭が上がらない。
僕は一つ息を吐くと、後ろでアルティたちに手を振っていたフェルトに、養護教諭の声音で話しかけた。
「……それでは、僕達も場所を移して話しましょうか。近くに、オススメの喫茶店があるんですよ」
「まぁ素敵。案内して下さるの?」
「特別ですよ」
やってきたのは、以前フィーナとやってきたことのある、小さな喫茶店だった。
店に入った時、顔馴染みのマスターが、何か言いたそうな目でこっちを見たが、僕の表情を見ると奥に引っ込んだ。僕の周りの人間は空気を読める人と読めない人で極端だ。
「ここにはよく来るんですか?」
「まぁ、ぼちぼちです。”フェルト”さんはこの街に来てからどれくらい経つんですか?」
刹那、フェルトの口角が上がった。
「……一週間くらいかしら。よくご存知ね」
「そちらこそ。まさかここまで早く学校まで辿り着くとは思いませんでしたよ」
お互い何がとは聞かなかった。
店の中にコーヒーの匂いが充満し、奥から足音が聞こえてきたところで、どちらともなく会話が途切れる。
「お待たせいたしました」
そういってマスターはコーヒーを置くと、一礼してそのまま奥へと引っ込んだ。
視線だけでそれを追っていた目の前の美女は、面白そうに口の端を歪めた。
「ここ、良い店ね」
「せめてコーヒー飲んであげてから言ってあげてくださいよ」
引き際の良さだけで評価されるんじゃ、マスターが可哀想すぎる。
お互いコーヒーに口を付けたところで、僕は早速本題に入ることにした。
「――それで、学校まで来て僕に何の用ですか? 脅しとかですか?」
「んー、サーシャからはそう言われてきたんだけどねぇ。私としては、ちょっと違うの」
「どういうことですか?」
すると、フェルトが突然テーブルから身を乗り出して、こちらの瞳を覗き込んだ。
「ねぇカナキさん! 私たちと一緒に来ない?」
「…………」
そうきたか。
脳内に浮かんでいたいくつかの選択肢の中から、このパターンの時の対応について、事前に決めた通りに喋る。
「と、いいますと?」
「あのね、昨日の戦いで私、カナキ君を見てビビーッてきたの。閃いたって感じかな。あなたと一緒なら、絶対面白いことになる!」
「昨日は僕のことを壊れないエコな玩具呼ばわりしてたけど」
「まぁカナキさんに断られたらそうなるかもしれないわ。本意ではないけど」
嘘つけ。それならそれで、絶対この女は喜ぶはずだ。
「けど、勝手にそんなことしたら、雇い主の『共喰い商人』には怒られるんじゃないですか?」
「大丈夫よ、サーシャとは長い付き合いだし。それに、あなたを味方に出来るってなれば頷くはずよ。彼女、人一倍保身には長けてるから」
「僕、そんなに強くないですよ?」
「なに言ってるの。あれだけの再生能力があれば、肉壁として重宝するわよ」
「なるほど」
秒で納得した。確かに、ボディーガードとしては、これほど適した人材もいないだろう。
僕が黙ると、フェルトは不思議そうにこちらを眺めた。
「何を迷う必要があるの? 勿論、仲間になってくれるならお給料だって相応に払うし。むしろ、サーシャは多すぎなくらい出してくれるわよ? カナキさんだって、普段から周りの目を欺いてコソコソ小悪党まがいの事を続ける生活なんて飽き飽きでしょ? あなたの徹底した証拠隠滅の手腕は、サーシャだって評価してたわ」
「……本当に良く調べてますね」
「『イレイサー』についてはこの街じゃ有名よ。だって、今となってはそのレートA+が、シールの手配者では最も高レートだもの」
フェルトの言葉の端には、僅かな嘲りの色が浮かんでいた。
「……なるほど、そういうことだったんですね」
僕は、それでやっと今回の事件について合点がいった。
一人で勝手に納得した僕に、当然フェルトは首をかしげた。
「ん? どういうこと?」
「いえ、これまでずっと、何故あなたたちが遠いバリアハールの街からここに来たのかが不思議だったんですよ。この街に来る目的と言ったら、セルベス学園に通う王女様くらいなものですが、あなたたちに彼女をどうこうしようとする気がないのは、あなたたちの行動を調べていたら分かりましたから。でも、あなたの言葉でやっと疑問が氷解しました」
フェルトが黙って先を促すので、僕は話を続けた。
「つまり、一言で言ってしまえば――空いた領土の奪い合いですよね? これまでは強力な手配者がいたせいで、周りもなかなか手出しできなかったこの街が、ここ最近で急にバタバタといなくなったから、浮いた領土を他の街の奴らが奪いあう。まぁ、国同士の戦争とかではよくある話ですからね」
シヴァ、狩人、アリス、そしてマティアス。
彼らの存在によって、この街は知らず知らずのうちに護られていたのだ。
特に、マティアスの存在は大きかっただろう。なにせ、世界でも指を数えるほどしかいないSSレートの、更に最高峰に君臨する男だ。最近は仕事をこなす数も減っていたとはいえ、好き好んで彼の領土を侵そうとする輩はいなかっただろう。
だが、先月の事件で少なくとも、シヴァ、狩人、アリスの脱落が確定したのだ。肝心のマティアスも死亡説が流れ、駐屯兵団も立て直しが追い付いていない今、この街を狙う者たちにとっては格好のタイミングだったのだろう。
「A+の僕だって、最近レートが上がった、いわばなんちゃってAレートみたいなものです。遠いバリアハールからわざわざ足を運ぶ気持ちもわかりますよ」
「……ふふふ。カナキさん、想像以上だよ!」
パン、と手を叩いたフェルトの瞳は輝きに満ちていた。
「その頭脳もあれば、もうサーシャも文句なんて言わない、いや、言わせない! 玩具にするって話もなし! だからカナキさん、私たちと――」
「お断りします」
「え?」
ピシャリと告げた言葉に、フェルトの動きが止まった。
「……えーと、もう一度言ってもらってもいいかな」
「良いですが、僕の答えは変わりませんよ?」
フェルトの周りの温度が急激に下がる。瞳には、剣呑な光が灯り始めた。
「……一応言わせてもらうけど、その答えの意味はカナキさんも分かってるよね? サーシャは自分にとっての僅かな懸念材料でも放っておいたりしない。今だって――」
「外に仲間が四人控えているんでしょ?」
フェルトの瞳が揺れる。その反応だけで答えとしては十分だ。人数まで答えられたのは意外だったのかもしれない。
「『ハイルディン』、『炎色鮫』、『白疾風』、『鋭利執行』。全てここに来るまでに見た手配者です。“小物”はキリがないので忘れましたが、『炎色鮫』は確かAレートでしたっけ。それでも、同じAレートなら『狩人』の方が上だろうってのが僕の見解ですけど」
「……以前、会ったことが……?」
「あるわけないでしょう。全員バリアハールの手配者ですし、昨日あれからバリアハールの手配書を読み漁って顔を覚えただけですよ」
手配書は街にもよるが、大体月に二度くらいの頻度で発行される。
商業都市ということもあり、バリアハールの手配書の発行頻度は高く、週に一度のペースで発行されていた。
「……でも、『ハイルディン』なんて、最近目立った活動なんて……」
「四年前くらいの手配書に載ってましたよ。一応五年前までの手配書は目を通しましたから。まぁ、それ以前の手配書は流石にどこにも置いてませんでしたけど」
フェルトは呆気にとられたように固まっていた。だが、すぐに我に返ったようにテーブルを叩く。
「そ、そこまで分かってるなら、何故私たちの提案を拒むの!? 利益だって一致してるし、断ればあなたは死ぬのよ!?」
まるで立場が入れ替わったみたいだな。
そんなことを考えながら、僕は冷静に彼女の間違いを指摘した。
「フェルトさん、あなたは二つ間違っている。一つは、利益が一致しているとあなたは言いましたが、それは違います。あなた、というかあなたの雇い主は、明確な利益のある者しか殺さない。僕は純粋に楽しんで犯罪をしているんです。更に言えば、僕の場合、殺すのは結果として殺すであって、殺しが好きなわけではありません。その過程にこそ、僕の目的があるんです。それに、そもそもあなた達はハンサさんに危害を加えたんですよ? そんな相手の仲間に簡単になるわけないでしょう」
そこで僕は、一つ溜息を吐いた。
「そして、もう一つ、あなたはこの提案を断れば僕が死ぬ、と言いましたけど」
僕は頬杖を突いて、フェルトの瞳を見つめた。
「――あんたら程度で、俺を殺せるわけないだろ」
「…………ふふ」
しばらくの沈黙の後、フェルトは小さく肩を震わせると、
「あはははははははははっ! カナキさんって、そういうこと言わないタイプだって思ってたけど、そんな人だったんだ!」
「そりゃ僕だって、自分の領土を勝手に荒らされたら怒りますよ。今の生活はそれなりに気に入ってますしね」
言葉に出して頷く。そうだ、僕は今、久しぶりに怒っているのだ。
それが本当に街を壊されることに怒っているのか、他に理由があるのかは分からないが。
フェルトはその後もしばらく笑い続けたあと、ようやく落ち着いたときには、昨晩会ったときの顔に戻っていた。
相手を獲物と見る、捕食者の顔だ。
「――分かりました。サーシャにはフラれたって話しておきます。彼女、あなたを排除するためならどんな手段でも使うと思うけど、それでも答えは変わらない?」
「ええ。それで誰かが死んだらそのときはそのときです。ベストは尽くしたってことで溜飲を下げましょう」
「……本当に面白いわね、あなた」
もしかしたら、サーシャより――。
風に乗って聞こえてきた語尾は、彼女が席を立つと同時に掻き消えた。
「それじゃあ、今日はここまでにしておくわ。代金は」
「僕が払っておきますよ。美人とお茶が出来たんです。それくらい払わせてください」
「……ふふ、それじゃ、お言葉に甘えて」
ご馳走様でした、と店奥のマスターに声を掛けると、フェルトはそのまま店を後にした。
僕は、カップに残っていた僅かなコーヒーを飲み干した。冷たくなり、苦みの増した液体を喉に押し込むと、財布を持って僕も席を立つ。
これからやるべきことは、沢山あった。
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