第53話:真実
リュミの告げた言葉に私は一瞬、呆然としてしまった。
精霊契約者と大精霊は同じもの? それは、つまりどういう事なのか。目まぐるしく思考を巡らすけれど、答えを出す事はない。……いや、それを認めたくないのが正しいのかもしれない。
それでも確かめないといけない。でなければ進む事も退く事も出来ない。もうパンドラの箱は開いてしまったんだ。なら底まで覗き込むしかない。
「……精霊契約者が大精霊と同じものだと言う事は、精霊契約者は人間じゃない?」
「そうよ? もっと正確に言いましょうか? 精霊契約者とは“人間の器を持つ精霊”よ。また、寄り集まって実体を持った“意志ある精霊”を大精霊と呼ぶのも正しい。でもその出自を辿ればだいたい“元々が精霊契約者の成れの果て”と言う事よ」
「……例外はないの?」
「少なくとも私はお目にかかった事はないわね」
「じゃあ、神は? 神も人間だって言うの?」
「さぁ? それは私もわからない。でも精霊契約者になった大精霊が神の如き存在になる事もある。逆説、大精霊の活躍が後世に伝えられ、神と呼ばれるようになった可能性もないとは言えないわね。それこそ私よりもっと古い大精霊ならわかるんじゃないかしらね? まだ世界に留まってれば、だけど」
口の端を釣り上げるような歪な微笑を浮かべたリュミが嘲るように告げる。
「精霊契約が全てを失わせるのは、精霊契約の代償が……自分の魂だから?」
「正解」
思わず歯ぎしりがする程に歯を噛んでしまった。
これが、精霊契約が後世にまで記録として残らなかった理由? あぁ、そうかもしれない。代償が自分の魂なんて、そんなの邪法の類に近いとさえ思える。
「ただ、その解釈は正確ではないわね。昔でならともかく、今この時代においては全てを失うという解釈が違うわ。だって、精霊契約者が契約を交わす精霊は“自分自身”だもの」
「……どういう事?」
「言ったでしょう? 貴方は“稀人”。その魂に精霊を持たぬ稀有な子。でもこの世界の人間は大なり小なり精霊をその魂に宿しているのよ。そして、その精霊は自我を形成するのに大きく影響するのよ。つまり半身みたいなもの」
「……精霊契約とは、その自分の内なる精霊と契約を交わすという事?」
「代価として人間としての魂を差し出す事にはなるけれど、差し出す精霊もまた自分自身である事には変わらないのよ」
「……それだけ聞くなら良いことだけな気がするけど、そうではないのでしょう?」
私はリュミを睨み付けるように見ながら問いかける。するとリュミは裂けんばかりの笑みを浮かべて小首を傾げる。
「当たり前でしょう? けれど程度の差は人によって違うわ。精霊に近い魂であるなら影響は少ないでしょうね。例えば、そこのお嬢さんのようにね?」
目線を向けられたユフィは竦むように肩を跳ねさせる。けれど、動揺を見せたのも一瞬ですぐにリュミへと問い返す。
「……私は、精霊に近いのですか?」
「そうねぇ。私の見立てだと“ギリギリ人間”じゃない? 随分と人としての自我が薄いのね、貴方」
リュミの指摘にユフィが息を呑む。そのまま蹈鞴を踏んで一歩、後ろに下がる。そんなユフィの手を引いて、背に庇うようにして引き寄せる。
握ったユフィの手が少し震えている事に気付いて強く握りしめる。
「……ユフィは人間だよ」
「えぇ、薄氷の如き自我だけどね。むしろ奇跡的にも思えるわ。……あぁ、先祖返りなのかもしれないわね」
「先祖返り?」
「マゼンタ公爵家も王家の血を引いてるのでしょう? なら精霊の器となる肉体としては申し分ないもの。不思議な子達ね。持たざる者なのに王族な子と、王族でもないのに持つ子なんて。なんてちぐはぐ」
「……随分と詳しいのね」
「そうよ? だってこれでも建国期からの生き証人だもの」
「……は?」
「これはオルファンスも知らない事実よ。面白いものを見せてくれたお礼に教えて上げる、“遠い子孫達”?」
子孫、と言われて思わずリュミの容姿を凝視してしまった。その髪の色は白金色。その色は私によく似ている色で、そしてこの色は王家の証だと言われている色彩だ。
私の様子の変化に気付いたのか、にんまりと笑みを浮かべてリュミは胸に手を添えて告げる。
「私の名前は、リュミエル・レネ・パレッティア。パレッティア王国、その初代国王が娘、そして歴史に消された“初代女王”よ」
「……初代国王の娘……!?」
「更に初代女王ですって……!? パレッティア王国に女王なんて例にない筈よ!?」
信じがたい名乗りをされて私とユフィは驚きの声をあげる。それに愉快だと言わんばかりに笑みを浮かべたリュミ……リュミエルは言葉を続ける。
「あぁ。それは私が歴史に残すのを禁じたのよ。それがそのまま風化して忘れ去られたのでしょう」
「どうしてそんな事を?」
「それは長い話になるわ。歓迎してあげる、ついていらっしゃい。貴方達だってただでは帰れないのでしょう?」
くるりと背を向けてリュミエルが森の奥へと向かっていく。その姿を見失う前に私とユフィもその背中を追いかけるように森の奥へと入って行く。
そのまま奧に向かえば、木造の小屋に行き着く。かなり年季の入った気配がするけど、不思議と朽ちるようには見えない。
リュミエルが先に入り、指を鳴らすと部屋の中に灯りが灯る。ランプのように見えたけれど、よくよく見れば中には先程見せられた精霊が入っていて、目が合えばケタケタと笑われる。
「……まるで魔女の家ね」
「魔女! そう呼ばれた時代もあったわねぇ。懐かしいわ」
「……リュミエル様は、本当に初代国王の息女であらせられるのですか?」
「敬語なんていらないわよ。とっくの昔に王族である事を辞めたんだもの。ただ私は貴方達の遠い遠いお婆ちゃんってだけよ」
家の中は椅子どころか机もない。そのまま敷物の上を指し示され、リュミエルが床に腰を下ろす。私とユフィもリュミエルに倣って腰を下ろす。
「さて、何から話した方が良いかしら?」
「聞きたい事は山ほどあるけど……貴方は初代国王の娘で、初代女王だったって本当?」
「証拠として出せるものはないけど。根こそぎ私という痕跡は消したしねぇ」
「……どうしてそのような事を?」
ユフィの問いかけにリュミエルは1度、口を閉ざした。リュミエルが指を振れば、精霊がふわふわと浮きながら器を運んできてくれた。それを私達に手渡し、リュミエルは再び指を振る。
すると空中に生まれた水が器に注がれる。リュミエルも同じように器を手に取り、中に水を入れて飲み乾す。
「見ての通り、大精霊をやって長いんでね。これぐらいは片手間に出来る」
「……凄いわね」
「凄いと思う? そうね。だからよ」
「だから……?」
「私は初代国王の娘。さて、そんな私が生きているのは私が大精霊へと変じたから。じゃあ、初代国王は?」
「……初代国王も精霊契約者だった」
私も器に入った水を飲んで、緊張に渇いていた喉を潤す。脳裏に嫌な想像しか過らない。
「リュミエル、貴方……王位を簒奪したとかじゃないわよね?」
「え?」
私の問いかけにユフィが虚を突かれたような顔を浮かべ、対してリュミエルは笑みを浮かべたままだ。
別にリュミエルは答えていない。ただ、それこそが答えなのだと言うように笑う。ユフィが絶句したように問いかける。
「どうして簒奪なんて……」
「考えてみてよ、ユフィ。リュミエルの話が本当なら精霊契約者は人間の寿命なんてあっさり越えられる。……じゃあ、なんで初代国王が代替わりしないといけないの?」
「!? そ、それは……ですが、世代交代は必要では……?」
「どうかしらね? それはリュミエルが答えを語ってくれるんじゃないかしら?」
「そうね。概ね当たってるわよ。ついでに言えば初代国王を殺したのも私よ」
胸に手を当てて誇らしそうに見せながらリュミエルは笑う。ユフィが理解出来ないと言うようにリュミエルを見る。
「……建国の歴史を調べても抽象的な内容しかなかった。残しておきなさいよ、と不満に思ったけど、“残すのを許さなかった”のは貴方?」
「そうね。そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるわ。確かに最初にやったのは私、その後にやったのは私の子供達じゃないかしらねぇ」
「……貴方は自分の父親を殺したのですか? それも国王を……?」
信じられない、とユフィは首を振る。……パレッティア王国の貴族にとって初代国王とは偉大な存在だと教え込まれる。でも、その人となりや人生はわからない。ただその偉大な軌跡が語られるだけだ。
その栄誉に名高い初代国王が、実の娘によって殺められたなんて。そして、その娘が歴史から消された初代女王で、今こうして私達の目の前にいるというのは実に信じがたい話だ。
「信じる、信じないは貴方達の勝手よ」
「……それが本当なんだと仮定して、貴方が初代国王を殺したのは“不老不死”、それに限りなく近かったから?」
「貴方は随分と冷静ね? ……そうよ。初代国王、父上は完璧だったわ。人の為に自分を投げ捨てられる精神性を持ち、そして精霊を従え神が如き力を備えた。正に絵に描いたような理想の王だったわ。だけど王は王でしかなかった」
リュミエルは嘲笑じみた表情を変え、どこか遠くを見つめるように告げる。それはもういない誰かを見つめるような目線にも似て、そこに蔑みの感情はない。
むしろ親愛とさえ言える温かな感情を読み取る事が出来た。本当に大切で、それでも手放してしまったような切なさを感じさせる。
それが自分の手で殺めたという相手に向けるものだとしたら……それは、きっと悲劇という名で語られる物語だ。
「父上は精霊契約で己の魂を全て明け渡したわ。そして精霊を従え、苦境に苦しむ人々の為の道標となり、王として崇められた。ただ人を救う為に、国を守る為に。自らを慕い、信仰する者達に手を差し伸べ続けた。そして、そういう“モノ”になってしまった」
……もうそこまで行ってしまったら人間とは呼べない。それは“王”だ。“王”という仕組みと言うしかない。
人を救う為に人を捨てた“王”。絶大な力をもって君臨した無私の救世主。それが物語の存在なら良い。けれど、その無私なる救世の王は確かに歴史に名を刻んだ人で実在してしまっている。
「父はちゃんと世継ぎも作ったわよ? そうするのが“王”だから。けれど父上は老いない、衰えない、変わらない。ただ不変の、望まれた最高の王として君臨し続けた。……やがて民すらも狂信する程に。やがてそれは世界の支配を望むように変わっていったわ」
「……だから、貴方は初代国王を殺した」
「えぇ。もうその時に父上は“民の苦境を救う王”ではなく、“民の欲望を叶える王”でしかなかった。民の為にあれと望まれた良き王は、他ならぬ民の欲望によって暴君へと変わり果てたのよ。……こんなの、歴史に残したらどう思う? 魔王とでも呼べば良いのかしらね!?」
お腹を抱え、ケタケタと笑いながらリュミエルは言う。それは狂人のようにも見えるけれど、そう振る舞う事でしか自分を保てないように私には見えた。
精霊契約によって民が望んだ良き王となって、それが転じて民の欲望によって悪しき王へとなった。人としての魂を差し出してまで、ただ民の為に尽くして。そして最後は民の欲望の受け皿となって討たれる存在と成り果てた。
それを討ったのは娘。あぁ、本当にろくでもない悲劇だ。
「結果だけで言えば私は父を殺し、国を簒奪して女王となった。そして父や私、精霊契約に関しての事柄を歴史に残さぬ事を約束させて姿を消した。私が女王だったのは1年も満たないわよ。それは歴史にも残らないわよねぇ」
「……そして、貴方の子供が私達のご先祖様なのね」
「そうなるね。精霊契約を子供にはさせてなかったのが幸いだったわ。その方法も私が失伝させた。魂に影響は残るけれど、やがてそれは人と交わり続ける事で薄くなる。精霊と契約を交わさなくても国として纏まるだけの力は残ってたしね。そしてパレッティア王国は本当の意味で歩み始めた」
「子供がいたって事は、伴侶はいたのよね。その人は……?」
私の問いにリュミエルは静かに首を横に振った。皮肉めいた表情ではなく、淡い微笑を浮かべて。
とても愛おしそうで、けれど切なそうで。無念のように見えて、だけど誇らしい。そんな複雑な印象を覚える表情で彼女は言う。
「その人こそが初代国王の“息子”として国を継いだわ。……そういう事よ。ちなみに私の子供もどう育ったのかは知らないわ。赤子の頃に抱いて最後だもの」
「そんな……」
ユフィが何とも言いがたい表情で唇を噛んでる。これが本当だとしたら、パレッティア王国建国の輝かしい歴史の裏側を知った事になる。何とも頭が痛くなる話だ。
「父上にも明かしてないのよね? どうして私達に正体を明かしたの?」
「その子が精霊契約に辿り着いてしまいそうだったからよ。後は貴方への興味かしら。だからまだ間に合うわよ? 精霊契約なんてよっぽど切羽詰まった人間か、私達の子孫でうっかり先祖返りをして、精霊寄りに生まれて人を辞めてしまうか。それしかないもの」
「……もしかして昔は私みたいな、“稀人”の方が多かった?」
「いえ、稀人は稀人よ。この世界から庇護されずに生きて行ける稀有な者。パレッティア王国では目立たないけど、他国では何かと偉人として名を連ねる子も多かったわねぇ」
「……平民が皆、稀人って訳じゃないの?」
「そういう訳じゃないけど……?」
あ、違った。じゃあ私に精霊の魂が宿ってないのはなんでなのよ……!
まさか前世の記憶が原因とか? ……あり得ないとは言い切れないわね!?
「稀有は稀有でも魔法を使えないのは生まれからして不利とか、劣ってるんじゃ……?」
「確かに“持たざる者”である事は確かよ。でも、私が見てきた“稀人”は大凡、不可能と呼ばれた事を成し遂げてきたわ。別に魔法なんてなくても、ね」
「私はその魔法が使いたかったの!」
「本来、精霊の業である魔法を精霊石を用いてるとはいえ、道具という形で作り出す方がよっぽど凄いと思うのだけどねぇ……? あと空を飛ぶって何? どこからそんな発想が出てきたの? まるで珍獣ね」
「珍獣って言うな!」
なんて失礼なご先祖様なんだ! ……ともあれリュミエルがどういう存在なのか、よくわかった。これが本当だとしたら迂闊に正体を話せないぐらいに不味い。
こんな事実が明るみになろうものならパレッティア王国の信仰の基盤が揺らぎかねない。信仰が偏執的な人は好きではないけど、だからといって滅茶苦茶になれば良いなんて思っていない。
「……精霊契約は自分の内なる精霊と契約して、自分の魂を交換するって事だよね?」
「えぇ、そうよ」
「でも、それが自分自身であるのも事実なのよね? 具体的にどういう後遺症があるの?」
「程度の差はあるけれど、人間の体が“器”以上のものではなくなっていくわね。人間としての感覚を失っていくと言えばいいかしら。酷ければ感情も、思考も、欲求も精霊のソレに置き換えられるわ」
「……だから全てを失う。それは人としての喜び、人生という意味ね?」
「そうよ。だって精霊になるのよ。力を得る代わりに人としての未来は失われる。老いる事も出来ず、共に時を重ねる事も出来ず、ただ変わらないまま。いずれ器の維持にも気を回さなくなる。ほらね? いずれ全てを失うでしょう?」
「……まさか、例の禁書を残したのはリュミエル?」
「さぁ? どうかしらね」
何を考えているのかよくわからない笑みを浮かべられて誤魔化された。
でも精霊契約についてはわかってきた。その実態も、契約の代償も、何故知識として残される事がなかったのかも。
今、私は難しい顔を浮かべてしまっていると思う。するとユフィも真剣な表情でリュミエルを見つめた。
「……リュミエル、その代償は精霊に近しい魂を持つ者ならどれだけになりますか?」
「お嬢ちゃん自身の事を聞いてるなら“今の自分”とそう大きくは変わらないんじゃないかな。元々人としての自我が薄いみたいだし、精霊がよく人の感覚に馴染んでるんでしょうね。それでいて精霊としても淀んでいない。まるで芸術品みたいよ、それを精霊側に傾けるのなら大きな代償は感じないでしょうね」
「……感じないだけで失ってるんでしょう?」
「人と精霊は根本から別の存在よ。“紛れられる”だけでも十分でしょう?」
……リュミエルの言葉に押し黙ってしまった。頭には様々な考えが浮かんでは消えてを繰り返して思考が纏まらない。
ユフィもそれは同じなのか、深刻な表情で黙り込んでしまった。そんな私達を見てリュミエルは肩を竦めてみせる。
「とにかく今日はここで休んでいきなさい。色々と考える事はあるでしょうしね」
* * *
思考を纏める為に高い木の枝に腰をかけて私は空を見上げていた。
枝葉に覆われた森は暗く、手元には灯りが欠かせない。それでもリュミエルの住処に居続ける気にもならなくて、ここでぼんやりとしてしまっている。
ユフィの事も心配だけど。私自身、ユフィと話すまでに考えを纏めないといけないと思った。それだけ精霊契約に纏わる真実は衝撃的すぎた。
「……そんな旨い話なんてないと思ったけどさ」
あんまりでしょ、いくら何でも。
何が初代国王の名誉よ。その初代国王は精霊契約で人を辞めて、その上で世界征服なんて目論むような化物へと変わり果てた。挙げ句、実の娘に殺されるだなんて笑い話にもならない。そんなの創作の中だけにして欲しい。
そして私が魔法を使えるようになる可能性の芽も潰えた。リュミエル曰く“稀人”。その魂に精霊を持たぬ魂。精霊を持たぬからこそ、精霊に共鳴する事が出来ない私は魔法を使う事が出来ない。
共鳴が魔法となるなら心当たりがある。私にとって背中に刻み込んだ“刻印”。これは言うなら魂ではなく、肉体に刻み込んだものだ。結局は精霊契約も刻印と変わらない。それが肉体という器に刻むか、魂という器に刻むかの違いなだけで。
「何よ、だったら魔法だって邪法の類じゃない」
ただ輝かしい功績を残してるから、それが正しいものと信じられているだけだ。
けれど魔法の本質は私の魔学で生み出した発明と何ら変わりない。特に、その中でも刻印と類似性があるという極めつけだ。ろくなものじゃない。
「……流石にへこむ」
「あら、何がへこむって?」
「ひゃっ!?」
突然感じた気配に身を竦めてバランスを崩しそうになる。その体を支えたのはリュミエルだった。
いつの間にか私の背後に“浮いて”いた彼女はおかしそうに笑いながら私の隣に腰をかけた。
「……声をかけるなら気配ぐらい出して」
「ふふ、ごめんなさいね」
「何しに来たのよ?」
どうしてもリュミエルには強く当たってしまう。どうにも苦手意識を感じる。
「もっと貴方と話をしておきたいと思ったのよ、えーと、アリス?」
「違う! アニス! アニスフィア!」
「じゃあアニスで。私もリュミのままでいいわよ?」
「勝手にして、リュミエル」
「可愛くないの」
つんつん頬を突くな、気安いな! 思わず睨み付けて見るけど、まったく堪えた様子はない。
「大精霊だって言うなら、もうちょっと威厳とか出してよ」
「そんなの人の都合でしょう? 知った事ではないわ」
「元人間でしょうが!」
「人間として育てられた覚えはないもの。私は“王族”だもの。貴方ならその意味がわかると思うけど?」
忌々しい返答だった。思わず噛みつきたくなる程に憎たらしい、そんな笑みを浮かべるリュミエルを睨む。
「ふふっ、随分鬱屈して育ったのね。まぁ、この国だったら仕方ないのかしらね? よく国を捨てなかったわね。或いは国を滅ぼしたりとか」
「……私は貴方と違う」
「そうよ? 貴方は人間で、私は精霊だもの。ただ人の器を持ってしまっただけ」
「それにしては人間くさいよ」
「人間になりたかったのは、事実だもの」
「……人として生まれたのに? ろくでもない父親だったのね、初代国王は」
「ろくでもないのはどちらかと言えば母親や、その周囲じゃないかしらねぇ。父は私の事は子だとは認識してても、それだけだもの。国の“運営”に大きく差し障る事はないし。自分に何かあった時の為の予備、外交の為の駒の1つぐらいじゃないかしら?」
「十分ろくでもない」
あぁ、本当に。王族なんてろくでもない。心の底からそう思った。
「……ねぇ、精霊って何なの?」
「あら、唐突ね」
「答えなさいよ、大精霊」
「精霊は世界から零れた欠片そのもの。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「じゃあ精霊を生み出した“神”って何?」
「私達を生み出した大いなる意志、と言いたいけど。どうなのかしらね。まだ本当の意味での“神”は残ってるのかしら? “神”と呼ばれた大精霊なら幾人か顔を合わせた事があるけど」
「……リュミエルはどう考えてるの? 神って本当にいると思う?」
「“いた”と思う。けれど“もういない”。或いは何もする気がないかしら」
「……何もする気がない?」
「神がいるなら、精霊が神の意思のままに世界を変えるとは思わない? 神が生み出した始原の光と闇、そして世界から象られた四大精霊を始めとした亜種精霊。どれも“自分から何かを為そう”としないでしょう? それが神の意志じゃないの?」
リュミエルはまたと遠くを見つめるようにして、ぽつぽつと語る。
「世界を巡っていた時期もあったわ、神という存在を探して。ただ、本当の意味で“創世の神”と出会う事はなかったわ。神という存在が、真に世界という法則を描き出した超常なる者がいるなら、人は何の為に生まれて、何の為に生きるのか。そんな問いを投げかけたかった」
「……もう探してないの? 答えは見つかったの?」
「さっき言ったでしょ。もういない、或いは何もする気がない。神なんていてもいなくてもこの世界は変わらない。神が変わらないように精霊も変わらない。いつだって神や精霊を変えるのは人の祈り、願い、望みそのもの。それが“魔法”よ」
……魔法省の信仰も、ある意味間違ってはいないか。けれど、その行き着く先は“人”としての幸せじゃない。“精霊”としての幸せだ。
だから、その考えで国を束ねちゃいけない。だって私達は人間だ。魔法が使えなくても人間でいる事に何の不自由もない。その人間である事を捨ててまで精霊に、うぅん、自分達の祈りや願いに溺れなきゃいけない程、人間は弱くない。
「人は、魔法の為に生きてるんじゃない。本当に頑張って、どうしようもならなくなったら祈りを捧げるのも良い。それで救われる事が間違いだなんて言う気もない。でも、その前から諦めて祈りに溺れるのは……認められない」
「……流石、稀人ね。かつて見て来た稀人も、皆そんな顔をしていたわ」
「……リュミエルは稀人について詳しいのかしら?」
「見分けがつく、という程度だけど。精霊を感じないからわかりやすいのよ」
「……特徴とかないの? 例えば、なんか前世の記憶があるとか……」
「妙な事を聞くのね?」
訝しげな表情でリュミエルが私を見る。心当たりは無さそうだ。
「貴方は稀人の中でも更に変わり種みたいね。前世の記憶を持っていたという話は聞いた事はないわ。けれど、誰もが革新的な活躍をしてきたわ。そういう意味では貴方もその例に漏れない。まるで、それこそ神の使者のようにね」
「神の使者?」
「えぇ。まるで使命を帯びているかのように自然と彼等は辿り着くのよ、己の為すべき事に。そして時には命をかけてもそれを成し遂げる。そこに魔法という奇跡はない。あくまで介添えとして寄りそう事はあっても、祈りなくば魔法も形にはならない。人の先導として立ち、道を切り拓く者。……貴方は、それが尚のこと顕著ね?」
「……なんで魔法を持つ人が率先してやらないのかしらね。力があるのに」
「精霊を内に含む魂は、祈りなくば成り立たぬ魂とも言えるわ。つまり、人としての魂に“輝き”が足らないのよ。貴方達、稀人のような“意志”がない」
とん、と指で胸を押されるように触られる。そうしてリュミエルが浮かべるのは慈愛の笑みだ。
そこには羨望の色の他に懐かしむような色が見えた。
「……もしかして、貴方の伴侶も稀人だった?」
「ご想像にお任せするわ」
笑みに全てを覆い隠して、リュミエルは語らない。それこそが答えだと言うように。
「稀人である事が幸せとは言わないわ。また、精霊に満ち溢れた魂が不幸とも言わない。全ては生きた結果、その果てに自分が何を感じるのか。それが全てよ。だからあのお嬢さんの事を貶めるつもりはないのよ?」
「……ユフィは優しい良い子だよ」
「そうみたいね。本当に奇跡的な子よ。あの子には魂の力が足りない筈なのに、精霊寄りの精神であるのにも拘わらず人としての体裁を保てる。生半可な精神力じゃないわね」
「さっきと言ってる事が違う」
「それは一般論だもの。つまり、あの子もまた規格外よ。……羨ましいわ」
「……羨ましい?」
「あの子の強さがほんの一欠片でも父にあれば。私はどうなっていたのかしら、って」
リュミエルの手が私の頭に伸びる。髪を梳くような優しい手付きは、まるで我が子に向ける母のようで。自然と触らせてしまうし、それが嫌でもないと思ってしまう。
確証はないのに、この人が遠い私の祖先なのだと確信してしまう。理屈じゃない。まるでこの体が、この魂が覚えているかのように。
「さ、体が冷える前に戻りましょう」
「……わかった」
だから、その提案には自然と頷く事が出来た。柔らかく微笑むリュミエルの顔は、人じゃないとは思えない程に人間くさかった。