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転生王女と天才令嬢の魔法革命【Web版】  作者: 鴉ぴえろ
第3章 転生王女と王位継承権
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第37話:仮面は剥がれ、恋に落ちる

「……ともあれ、話は色々と脱線したが余の決定を伝える。アニスフィア、ユフィリアよ。お前達には王命を下す」

「王命、ですか?」

「うむ。どの道、どちらを立てるにしても精霊契約は切っても切り離せぬ。お前達には精霊契約の調査・解明を魔学の研究者の観点から詳らかにする事を命ずる」


 つまり王から、国から正式に認可された精霊契約の調査研究となる。これを父上から言って頂けると言うのはとても大変な事だ。

 今まで魔学は言ってしまえば私の道楽に過ぎなかった。成果は出せても国として正式に認められた物ではない。それが今回、初めて父上から国王として要請されたという歴史的な快挙と言っても過言じゃない。

 ……自然と心が高揚する。なんだかんだ言っても父上が魔学を評価してくれている事は私にとっては嬉しい事なんだから。


「……アニスよ」

「はい」

「頼んだぞ」


 それだけで、本当に十分です。

 私は深く父上に礼をする。結果がどうなるにせよ、これでもう何も怖くない。王になったら心は殺さなきゃいけないものだと思ってた。自由にするのだって独裁しかないって。

 少し視点を変えれば気付けた事だったんだ。私は……その、割と皆に大事にされてるらしい。今後は少しだけ大人にならないといけないかな、とは思う。安心させるという意味でも。


「近々、我が国にいる精霊契約者と面会出来るように取り計らおう」

「ありがとうございます!」

「うむ。……だが、お前とは別の意味で世俗離れしておるからの。少しばかり骨が折れるやもしれん。すぐに、とはならん。それまでにお前達も出来る事をするのだぞ?」

「はい! 勿論でございます!」


 やる事はいっぱいある。まずは魔法省に正式に要請して資料を開示して貰おう。ふふっ、こっちには王命があるんですよ! 王命が! 王様のお言葉は絶対なり!

 ……まぁ、魔法省との関係もどうにかしないといけないけど。今までトップだったシャルトルーズ家が没落した事で再編に忙しいんだっけ。あまり私が突いても良くないと思って静観を決め込んでたけど、うーん。資料を出して貰うためにちょっと一枚噛むかなぁ。


「ユフィリア、ちょっと良いかしら?」

「はい、王妃様」


 私が父上と話しているとユフィが母上に連れられて退室していってしまった。……さ、さっきの話もあるからちょっと気になる。は、母上、変な事を吹き込んでませんよね!?

 ちょっと心配になって扉の先の気配を探っていると、グランツ公が近くまで寄ってきたのに気付いて姿勢を固くした。う、流石にちょっと気まずい……!


「グ、グランツ公……」

「アニスフィア王女。少しお話をよろしいですか?」

「……はい」

「そう身を固くしないで頂きたい。……ユフィの事です」

「はい……」


 こ、怖い……! 威圧感が凄い……! いや、気配はそんな険しくないんだけど、やっぱりただ普通にしてるだけで目に圧がある。目力が強すぎる。


「あの子は、貴方様を王にしたくないと言った時、その思いを忠義だと答えたのです。……思わず、笑ってしまいましてね」

「……はい?」

「あれは忠義ではありますが、忠義と言うには……些か、情の色が深い。我が娘ながら思い込めば一直線と言いますか、少しばかり懐かしくなりましてな」

「はぁ……そ、それが何か?」

「我がマゼンタ家の血筋は、一度燃えれば後は燃え尽きるまで。……どうか、改めて娘をよろしくお願いします」

「えっ!? えっ!? ちょっ、どういう事ですかグランツ公!?」


 どうしてそんな楽しげに笑って不穏な言葉を残して行かれるのですか!? マゼンタ家ってそういう血筋なの!?

 というか、本当に去らないで。なんで笑って去っていくの! グランツ公、グランツ公ーーーっ!?


「父上っ!? 今のは一体どういう意味で!?」

「……マゼンタ公爵家の歴史は古い。お前も知っていよう」

「そ、それはもう」

「王家の血が薄くなっても王家の一員であった事を忘れず、歴史ある公爵家の生まれである事を誇りに思う。そして遺伝なのか忠義に厚い者が多く生まれる。しかし、それ故に思いが燃え上がれば頑なでのぅ」

「……そ、それが何か?」

「グランツに頭が上がらん、と言うのは……私にとって親友であり、兄のような相手でもあるからだ。昔から面倒をかけっぱなしだ」

「当時、荒れてたパレッティア王国を治めんとしてオルファンス陛下を中心には纏まりましたが、順風満帆とは行きませんでしたからなぁ」

「スプラウト騎士団長!」


 いつの間にか会話に混ざってきたスプラウト騎士団長が苦笑を浮かべている。

 そういえば母上からも名前を呼ばれてたけど、実はその頃からの付き合いとか?


「オルファンス陛下は些か苦労性で、性根が優しい。おまけに一度沈み込めば泥沼。はっはっはっ、グランツ公に怒鳴られて幾度尻を叩かれていた事か!」

「マシュー! 貴様!」

「おまけには隣にシルフィーヌ様と来た。気弱なままではいられなかった頃も懐かしいですな、陛下」

「そういう貴様はグランツとシルフィーヌに顎で使われておったではないか!」

「事ある事に尻を叩かれ気炎を煽られていた陛下よりは平和でございましたよ」


 あぁ、目に浮かぶなぁ。父上がいじけたらグランツ公と母上が引っ張り出して矢面に立たせてるの。そこにスプラウト騎士団長もいたんだ、ふーん……。


「グランツ公が言いたかったのは、マゼンタ公爵家は一度決めた忠誠の相手を裏切る事はない。どんなに立場が低かろうと、信に値すると決めたのであれば。ユフィリア嬢もしっかりとマゼンタ公爵家の血を引いていたと言う訳です」

「は、はぁ……」

「これが同性相手ならば、陛下とグランツ公のように親友やご兄弟のような間柄に落ち着くのですが……」

「……ん?」

「……ユフィリアの忠義は、己の忠義とは違い情の色が強い。つまりはただの忠義ではないと言いたかったのであろうよ。グランツは」


 はぁ、と溜息を吐いて父上が眉間を揉みほぐす。……やっぱり、そういう意味で見られてるの?! というか親から見てもそうなの、ユフィが!?


「アニスフィア王女としては願ったり叶ったりでは?」

「いやいやいや! ……確かに昔から女の子が良いとは言ってましたけど!」

「何なのだ、はっきりせんか」

「…………だっておかしいじゃないですか。普通は。同じ風に思ってくれる相手なんて、絶対に出てこないって思ってましたよ」


 妾とかで囲うならあるかな、とは思ったけど! それは違うでしょ! どっちかというとペットみたいなものだし、恋愛って意味ではないと思う! だから正直、現実味がない。

 うー、うー、と唸ってから、私は恥を忍んで私の頼りになる一人に視線を向けた。


「レイニ!」

「ひゃっ。な、何ですか?」

「……ユフィって、あれってただの忠義って感じじゃないのかな……?」

「……アニス様」


 なんでそんな可哀想な生き物を見るような目で見るの、レイニ。やめて、その生温かい視線を止めて!


「私から申し上げる事ではございません。ユフィリア様とよく話し合う事をオススメ致します」

「ど、どんな顔すればいいのかわかんない……」


 レイニ、お父様からは気の毒そうな視線を送られた。解せない。

 苦笑しながら肩を叩かないでください、スプラウト騎士団長。心がへし折れそうです。



 * * *



「えぇい、女は度胸よ!」


 離宮に戻ってからも悩んでみたけれど、答えは出ない。そもそも私はユフィに告白された訳ではないし、私から告白した訳でもない。

 確かにプロポーズのような事は言われたし、一生尽くしても構わないとも言われたけれど! まだそうだと言われなければ事実は確定していないのよ!

 それで悶々と悩むぐらいなら本人に直接尋ねれば良いのよ! それでそういう意味じゃなかったらそれで良いのよ! ……多分。

 いやいや、でもまだユフィだって中途半端な感じでどっちに転ぶかわからない状態だったら? それは気まずくならない? 私が。いや、でも今のままの方が正直気まずいというか……。

 ハッ!? くっ、また思考がうじうじと……こんなの私には似合わない! 復唱! 女は度胸! 当たって砕ければ良いのよ!


「……ユ、ユフィ? まだ起きてる?」


 悶々と悩んでいる内にいつの間にか夜になっていた。夜にユフィが私の部屋に訪ねて来た事はあったけど、私から訪ねるというのは初めてかもしれない。

 ね、寝ちゃったかな? ユフィは寝付きが良いから夜はさっさと寝ちゃうかも知れない。だって優等生っぽいし、私みたいに徹夜でイリアに怒られたりとかはしてなさそう……。


「……アニス様?」


 扉の向こうから帰ってきた声に心臓が大きく跳ねて回れ右したくなる。ここで逃げてどうするの私! というか逃げる理由はないじゃん! あーっ、もう、わかんないっ!

 わからない事は後回しにしない! 答えはユフィに聞けばわかる! 考えるのはその後! 復唱2回目! 女は! 度胸!


「は、入るわよ!」

「えっ」


 ユフィの返事を待つ前に部屋に入ると、立ち上がった所で呆気取られているユフィと目が合った。あっ、これ思いっきり気恥ずかしい。

 誤魔化すように後ろ手で扉を閉めてユフィを睨むように見る。ど、度胸!


「……ふっ、ふふっ……!」

「わ……笑われた……!」


 そんな私が滑稽にでも見えたのか、ユフィが口元を隠して背を曲げるようにして笑いを堪え始めた。う、うるさいな! 私だって滑稽だと思ったよ!


「言って下されば開けましたのに……いらっしゃいませ、アニス様」

「う、うん」

「どうぞ隣へどうぞ」


 と、隣って。今ベッドから出ようとしてた所で、あれ、もしかして寝てた?

 思いっきり気まずい。度胸とは言ってたけど、迷惑をかけたい訳じゃないんだよぉ……!


「お、起こしちゃった?」

「いえ。まだ目が冴えていましたので。ここはアニス様の部屋のようにお茶がある訳でもないですし……」

「い、いいよ。……隣、座るね」


 息を整えて、意を決してユフィの隣に座る。私の部屋のベッドと比べても遜色のない快適さだ。寝る前だと言うのは本当のようで、ユフィの髪は普段はハーフアップで結んでいるのも下ろされている。

 ユフィの表情に動揺はない。むしろ私が浮いてるぐらいにいつも通りで、私の度胸が萎んでいくような気さえしてくる。ま、負けない! 何に負けるのか知らないけど、負けない!


「……そんなに気にしてるのですか? 王妃様から言われた事」

「うっぐっ」


 開幕でへし折られそう。むしろ折れた。出鼻が挫かれて私の度胸は萎みきってしまった。


「……な、情けないと思う?」

「いえ。アニス様にも人並みに弱い所があるのだと思うと……可愛らしいと思いますよ?」

「……可愛いなんて言う人、ユフィが初めてだよ」


 今まで変人奇人奇天烈の三拍子だったからね。いや、本当に褒められてない。私ってずっと王族失格とか言われ続けて来た訳だし……。


「……ユフィは迷惑じゃない? その、私と、そう見られるって事に」

「それを今更問うのですか?」

「いや、そうなんだけど……」


 た、確かに今更なのかもしれない。だって私って昔からずっと女の子が好きって言い回ってた訳だし、それでユフィを囲ったりしてるのはそういう意図で囲ったんじゃないかって言われると否定出来ないし、確かにユフィの事は好ましく思ってたけど!


「……流石に自覚があったんだよ。自分が変わってる事ぐらい。だから、私みたいな人なんて流石にいないだろうって」

「同性に恋愛感情を持たれる事はない、と?」

「……うん。特に貴族の間でならさ。跡継ぎを産まなきゃいけないんだから」

「アニス様は、普段は突拍子もない癖にそういった所で常識に囚われる所がありますよね」


 そうかな。自分でも変わってるとは自覚があるし、常識にそこまで囚われてる気はしないんだけど、そこはよくわからない。意識した事がなかった。意識する必要がなかったとも言えるんだけど……。


「私はアニス様の事をお慕いしていますが……それが恋愛感情かと言われると正直、わかりません」

「……そ、そうなんだ」

「そもそも恋をした事がないので、比較がありません。確かに恋物語などは耳にしますが、そこに私の気持ちが重なるという訳でもないので」


 そ、そっか。安心したような、肩透かしを食らったような。ともあれ張り詰めた気が抜けて胸を撫で下ろして溜息を吐いて。

 ぐん、と身体が後ろに引っ張られて天井を仰いでいた。あれ、と思って現実を認識する前にユフィが私の上に覆うように被さる。


「……え?」

「ですが、アニス様がそのように見て欲しいのであれば……構いませんよ?」


 何が、構わないんでしょうか、ユフィリア様。

 つい敬語になってしまいそうで、起き上がろうとした所で手首を押さえられてベッドに押し付けられる。ちょ、ちょっとちょっと待って! 抑え込まれてる!?


「ちょ、ちょっと待って! 待ってユフィ!」

「はい」

「自分で恋愛感情ではない、って言ったよね!?」

「はぁ。確かにわからないとは言いましたが。そもそも他人に倣って恋とはするものなのでしょうか?」

「いや、参考にはするものじゃない!?」

「ですが女性同士の恋愛物語など聞いた事もございませんので」

「へ、屁理屈って言うんだよ、そう言うの!」

「嫌なのですか?」


 その問いに、私は一瞬、返答に迷ってしまった。嫌なのか、嫌じゃないのか。

 言葉が出ずに喘ぐように空気を求めた唇にユフィが顔を寄せる。ユフィに遮られて視界が薄暗くなる。逆光を受けて見えるユフィの表情はなんだか無駄に色気があって心臓がうるさいぐらいに跳ねる。


「……それとも、怖いのですか?」


 今にも触れてしまいそうな程に近づいたユフィの顔には心配の色が浮かんでいる。

 怖い? 何が怖い? わからない。けれど、心臓がうるさく跳ねていたのが冷めるかのように静かになっていく。私は目を閉じて、息を整える。


「……王妃様に言われました。よく貴方を見てあげて欲しいと。きっとあの子は嘘が達者だと。偽らなくて良い事まで偽ると。言われるまで本人も隠している自覚がないのかもしれない、と」

「……母上が?」

「今日のアニス様は、何かに怯えているようだったと。親として明確に愛されなくて良いと言う口で、両親の愛情を求めているかのようだったと。それは子供がそう思うようにではなくて、もっと切実なものに見えたと。まるで、親子という形に拘ってると」

「……」


 その指摘に強張っていた身体から力が抜けた。形に拘っている、と。それを切実に求めていると。それを言われたら……一つだけ、心当たりがある。

 でも、それを口にして良いものなのか。わからない。わからないけど、指摘されて初めて自覚した。ぼんやりと心に浮かんだものが心を軋ませる。あぁ、そっか。私はずっと気付かれないから耐えられて、気付いたから耐えられなくなった。


「…………ユフィ」

「はい」

「私に一生、尽くしてくれる?」

「はい」

「嘘じゃない?」

「誓います」

「なら……私の秘密を、墓まで持って行ってくれる?」

「……はい」


 誰にも言わなかった事。意識していなかった事。夢を追える幸福感で忘れていた、私の。



「私、本当は……なんて言えば良いんだろう。そう、そうだね。きっと“偽物”なんだ」



 偽物だった。だから、私は本物にならなきゃいけなかった。その言葉が、私の心にぴったりと嵌まるようだった。



 * * *



「……“偽物”ですか?」


 アニス様から告げられた言葉に私は眉を寄せました。

 寝るにも眠れずにベッドで横になっている時に部屋に訪れたアニス様は緊張した様子で、どこか挙動不審でした。

 不安定だと、見てそう感じました。そこで昼間、面会の最後に王妃様から伝えられた事を私は思いだしていたのです。


『あの子を良く見てあげて欲しいの。あの子は、私達に何かを偽っている。本人もそう思わない内に。嘘が達者で、嘘を嘘だと思わせない。いえ、あの子自身も本当だと思い込んでる程に。……ごめんなさい、私も上手くは言えないのだけど、そんな気がしたわ。だからあの子を見てあげて。あの子が素の表情を見せるのは、多分貴方だけよ。ユフィリア』


 正直な所、王妃様の言葉には首を傾げてしまいました。アニス様が気持ちを偽る程に嘘をついていると? 自分すら騙す程に? そんな嘘は、暗示のようではないかと。アニス様が自分に暗示をかける程の嘘とは、存在したとして一体何なのか。

 そういえば、と。そこで思い至ったのです。それは“レイニの暗示”の事。レイニはアニス様がすぐに抵抗するから弾かれるのだと。その原因は竜の魔石の刻印による呪いの影響ではないかと本人は言っていましたが。

 でも、もしそれだけが理由ではないのだとしたら? もう既に“暗示”を自分でかけてしまっているのであれば? そんな想像が過った時、嫌な悪寒が背筋を走ったものです。

 しかし。例えば、辛い現実から逃れる為、と言うにはアニス様は冷静に受け止めている気がします。家族へ向ける想いも全部本心だと思いたいですし、嘘、偽りという言葉がどうしてもアニス様と結びつかなかったのです。


 けれど、部屋に訪ねたアニス様を見て思ったのです。それは嘘や偽りというよりは、仮面と言うべきでしょうか。本人も気付いているのか、気付いていないのか。それはまるで仮面が罅割れて、何かが見え隠れてしているような気がしたのです。

 だから試してみました。アニス様は私と恋仲に見られる事を気にしているようでした。しかし、それにしては私を保護してくれた時や、婚約をしないと宣言した時の言動とは一致していません。

 女の子が好きで、私にも好意を寄せてくれているのであれば。そこは喜ぶ所なのではないかと。それが喜びからの戸惑いなのか、それとも別の理由なのか。

 そしてアニス様を押し倒してみれば、私が感じたのは……恐怖の色でした。ただ本人も自覚していないような、やはり奇妙な違和感。表情と反応が一致していないような違和感に王妃様の言葉が嫌でも蘇ります。


 そして問いを重ねてみれば、その仮面が剥がれ落ちるような反応をアニス様は見せました。そして今まで見た事のないようなアニス様がそこにいました。

 彼女は言うのです。自分は“偽物”だと。秘密にしている事があると。けれど、それが何なのか私にはわかりません。


「ユフィリアは……自分じゃない記憶ってある?」

「……自分じゃない記憶、ですか?」

「うん。ここじゃないどこかで、自分じゃない自分が生きていた記憶」

「……いえ」

「私には、物心ついた時には頭の中にあったんだ。そんな記憶が」


 ……それは。

 それは、一体どういう事なのでしょうか。


「私は前世の記憶がある。前世って言うのは……私はここじゃないどこかで人生を全うして、アニスフィア・ウィン・パレッティアという女の子の人生を送る事になった別人なんだ」

「そのような事が、有り得るのですか?」

「あはは、それがあるんだなぁ。……私の魔学がその証明だよ」

「魔学が?」

「“魔法で空を飛ぼう”って考えたんじゃない。“魔法で空を飛べる術を知っていた”から私は魔学が生み出せたんだよ」


 ……成る程。それなら確かに順番が逆です。アニス様は“導き出した”のではなく、“知っていた”からこそ魔学を生み出す事が出来たというのは大きな違いです。

 閃きを得たのではなく、最初からその道筋を知っていた。その当時、誰も思い付かなかった魔法で空を飛ぶという術を。


「私は平民だったんだ」

「……平民?」

「正確に言うと身分がなかったんだよね。私が魔学で発明した魔道具が当たり前のように溢れている世界だった。お金さえあれば誰でも買える。そんな世界で私は生きてた」

「……そんな世界が」

「頭の中にしかないけどね。そして、これがこの世界の事じゃない決定的な証拠だ」


 前置きを置いてから、アニス様はどこか重苦しい何かを吐き出すように呟くのです。


「魔法がね、無いんだよ」

「……魔法が、無い?」

「正確に言うと精霊がいない世界だった。御伽話の存在だった。実在している存在じゃなかった。魔法なんて、子供に聞かせるだけの夢物語だった。少なくともそれが私にとっての現実だった」


 アニス様は目を閉じて、息をゆっくりと吐きながら言葉を続けた。


「目覚めた瞬間を、今でも覚えてる。本当にふとした瞬間だった。頭の中でバラバラになってたものが嵌まってたように私は目覚めた。その時から、私は“アニスフィア・ウィン・パレッティア”だった」

「……それは」

「私は私じゃない。でも私は“アニスフィア・ウィン・パレッティア”だった。それ以上にもなれないし、戻れないし、そう生きていくしかなかった。……それが嫌って訳じゃなかったんだけどね」


 アニス様の息が震えた。私の縛めが緩んでいた手が、顔を覆うように隠す。

 まるで仮面に爪を立てるように。砕けて壊れてしまいそうなそれを抱えて、素顔を隠してしまうかのように。


「でも、私のせいでアルくんの将来を滅茶苦茶にした。この国の未来を危うくさせた」

「――――」

「私が、ただの“アニスフィア・ウィン・パレッティア”だったなら、前世の記憶もない私だったなら! ……あぁ、そうだ! ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっと! それが怖かった!!」


 発狂したようにアニス様が叫ぶ。仮面が崩れる、素顔が露わになる。そこにいたのは……ただの子供のようだった。


「魔法に憧れたのに、王族なのに魔法が使えなかった! 目の前にあるのに届かなかった! だから代わりのものが欲しかった! 褒めて欲しかった! 私は、私は、私は変じゃない、私を変に思わないで欲しかった! ただ凄い事が出来る子供なだけで! じゃないとバレちゃう! 私が“アニスフィア・ウィン・パレッティア”じゃない誰かだってわかっちゃう! そんなの残酷でしょ!? ユフィには想像出来る? 明日から違う誰かとして生きてって言われたら、記憶も全部あるのに、自分だって思うのに、でも別の自分がいるの! 父上が、母上が知ったらどう思う? そんな子供、気味が悪いでしょ!?」


 アニス様が絶叫している。血を吐くような思いを込めた叫びを。


「私は愛されてた。わかってた。王族としてでも、それでも愛されてたんだ。裏切りたくなかった! どうしても変にしか思われないなら、突き抜けるしかなかった! 私には頭の中の知識しか武器がなかった! ……だから魔学を生み出した。私の、私だけの魔法を」

「……それが貴方の秘密だったのですね」

「意識しなかった。したくなかった。しようとしなかった。……だって、そこに目を向けたら私はあの人達の子供じゃいられなくなっちゃう。あの人達の子供を奪っちゃう。国の未来まで奪ってしまうかもしれなかったのに、そんな残酷な事が出来る……? だからね、ヘンテコな王女様になるのは……楽だった。それが“私”だったんだ。変だって言われれば言われる程、変な自分で固められた。……母上、凄いな。私が気付かない事まで気付いたんだ。本当、良い母親に恵まれたよ、私は……」


 喜んでいるのに、心の底から嘆いているように。彼女は呟くのです。

 想像する事も難しい、彼女だけの苦痛がそこにあった。あまりにも痛ましい程に、彼女の底を見てしまった。誰にも理解が出来ない片鱗を見てしまった。

 あぁ、この人はこんなにも“異質”で、こんなにも“普通”だったのです。


「……うん。スッキリした。心の、どっか行ってた一部が戻ってきた感じだ。これが私の秘密だよ、ユフィ。私は本当はね、アニスフィア・ウィン・パレッティアじゃない誰かだった。でも、同時に私がアニスフィア・ウィン・パレッティアなんだ」

「……はい」

「王になりたくなかったのは、うん。根底にこの意識があったんだ。私が偽物だって。異質だって。だから……これ以上、滅茶苦茶にしたくなかったんだ。私を愛してくれた人達の世界を。それに、ね」

「……それに?」

「魔法は、本当に素敵だった。憧れた通りだった。この世界が好きだった。愛していけると思った。……これだけは私の本物なの。魔学が模倣でも、私が偽物でも、魔法を思う気持ちだけは本物なの」


 ……だから彼女は魔法に執着する。魔法が使えない事を諦めずに魔学という産物を生み出した。

 けれど、私にはあまりにも。あまりにも――腹が立つのです!


「馬鹿です」

「え?」

「貴方は! 馬鹿です! 全部、全部本物に決まってるじゃないですか! 貴方がアニスフィア・ウィン・パレッティアです! 貴き血を受け継いだ我が国の姫! 魔法を持たずとも魔法に代わる偉業をこの世に送り出した! 王族として変わり者であっても、それでも誰かを思う事を、そのお心を貫いた! そのどれもが本物でなくて何だと言うのですか!?」


 それを心のどこかで自分を偽物だと思っている彼女が、本物なのは一つだけだと決めつけている彼女があまりにも可哀想で、馬鹿らしくて、惨たらしくて見てられなかった。


「どこかの誰かでも良かったじゃないですか」

「……ユフィ……?」

「私に手を伸ばしたのは、ここにいない“貴方じゃないアニスフィア王女”じゃないでしょう?」


 偽物だなんて、そんな事思わなくて良いのに!

 それを偽物だと思って、実在もしない“本物”と比べて嘆くこの人が!


「貴方が! 私を助けたのです! 貴方が! ここにいる貴方が! 私の声を聞いてる貴方が! 貴方様こそが私の忠誠を誓った人なのです!! そこに偽物も、本物もないのです! 貴方様だけが唯一なんです!!」

「――、――」

「全部本物でいいじゃないですか。貴方以外に、貴方がいないのに! じゃあ、どこにいるって言うんですか……? ここでしょう!? 全部! 貴方が感じたものが、私が感じたものがここにあるでしょう!?」


 彼女の胸を叩いて、荒く息を吐く。いつしか私の頬には涙が伝っていて、それを乱暴に拭い去る。


「……ずっと、苦しかったでしょうね。私にはその痛みはわかりません。わかるなどと言えません。だから、言わせてくださいアニス様」


 ようやく見つけたのです、彼女の手を取る方法、その隣に並ぶ答えを。

 この人がなりたかったのは、王様じゃない。“誰かを笑顔に出来る魔法使い”が、彼女の夢。

 だから私も魔法をかけましょう。私にしてくれたように、彼女にも救いの魔法を。



「貴方が、私にとって世界で一番最高の“魔法使い”です」



 だって、この人はこんなにも魔法に憧れ続けているのですから。



 * * *



 ――心が砕けそうだった。

 いや。砕けたのは心じゃなくて、心を縛る鎖のような戒めだった。

 ユフィの言葉が全部溶かしてくれた。私の心に蟠っていた、私自身ですら目を背けていた戒めを。締め付けすぎて、いつしか心と一緒になっていたその枷を。癒着にも等しい戒めを解けば、そりゃ痛いに決まってる。泣き出してしまうに決まってる。


「ッ、ぁ……ぅ……!」


 喉が引き攣る。息が苦しい。視界が涙で一杯になって何も見えない。

 今、全部が許された気がした。いつか許せなくなってた全部がもうどうでも良くなった。

 ただ自由だ。私は、もうきっと何にも負けない。欲しかったものが今、この手の中に収まってる。確かに掴む事が出来てる。

 しがみつくようにユフィの身体を抱き締める。どうしようもなくて、叫びたくて、でも息が出来ない程に苦しくて、藻掻くように彼女を求めた。

 藁をも掴むような心境だった。絶対に離したくないと思えた。この人が私にとって唯一で良かった。ただ、ただ息を繋ぎたくて、苦しくて、なのに幸せで、何も考えられなくて。



「あり、がとう……!」



 救われてくれて、ありがとう。

 私を“魔法使い”にしてくれてありがとう。

 私が忘れそうだった私を見つけてくれてありがとう。

 “王様”になんてなりたくなかった。私はだって、ずっと“魔法使い”になりたかった。

 灰被りのお姫様に、カボチャの馬車を贈るように。誰かに幸せを、笑顔を届けたい。

 夢だった。手に入ると思ったのに届かなかった夢だった。だって私は悪い魔法使いだったから。

 国を混乱させて、誰かの笑顔を壊してしまうから。でも、そんな私でも、この手の中にいる貴方がいてくれるなら。まだ、まだ“本物”だって言えるから。

 あぁ、ダメだ。お礼が言いたいのに呼吸もままならない。苦しくて、ただ苦しくて。


 だから、私の呼吸を塞いだのが何だったのかわからなかった。

 柔らかくて、温かくて。息をするのを思い出させるような感触に心臓が正常な鼓動を思い出す。

 視界にユフィの顔がいっぱいに広がった。閉じた目の端に涙を浮かべていて、額がくっついてしまいそうな程に近くて……!



「――ッ、むーっ!? むぅ……!! むーっ!」



 わーーーーーーーーーーーーーっ!?

 わ、わぁ、わぁーーーーーーーっ!?

 ち、近い、いや、そうじゃなくて、塞がれ、離れ、力強っ!? 剥がせない……!

 ただでさえ覚束ない呼吸なのに残った息を漏らしてしまった。くらり、と頭が揺れたかと思えば身体の力が抜けてベッドに沈む。

 ……私が大人しくなったのを確認してユフィが身を起こして離れる。その濡れた唇を指で拭って、彼女はにっこりと笑ってみせた。



 ――……あぁ、これ、ダメだ。完全にやられた……。



 恥ずかしくて、彼女の顔もまともに見られなくて。両腕で顔を隠しながら私は呻く事しか出来なかった。

 本当にされてしまった。無意識に作ってきた私が、本当の私になっていく。まるで魔法にかけられてしまったように。

 私はこの人に、ユフィリア・マゼンタにどうしようもなく恋をしてしまっている。

 

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