建国祭 3
お祭りの当日、マリエルに身支度をしてもらって全身鏡の前に立つと、平民の町娘の姿をした自分と目が合った。
「すごいわ! どこからどう見ても皇妃には見えないもの」
「ティアナ様、とても可愛らしいです。どんなものでもお似合いになりますね」
マリエルは両手を組み、きらきらと瞳を輝かせている。
明るいミントグリーンの可愛らしいワンピースの上に、白地に小花の刺繍がされたエプロンが巻かれ、二つに結ばれた髪の上には服装に合わせた帽子が乗っていた。
(本当にかわいい、それにこんなにも軽いのね)
貴族のドレスも華やかで素敵だけれど、平民が着るワンピースも可愛くて、実は昔から一度着てみたかったのだ。
その上、これからフェリクスと二人で遊びに出かけるのだと思うと、楽しみで仕方ない。ついつい浮かれてしまう気持ちを抑えようと息を吐くと、ノック音が響いた。
「ティアナ、準備はできた?」
「…………」
そうして部屋に入ってきたフェリクスの姿を見て、私だけでなく少し離れた場所にいるマリエルも言葉を失っていた。
とはいえ、当然の反応だと思う。
「ティアナ?」
「じ、準備はできたけれど……」
「その服装もとてもかわいいね。よく似合ってる」
フェリクスは結んだ私の髪にそっと触れて褒めてくれているけれど、それどころではなかった。
(ほ、本当にこれまで一度もバレなかったの……?)
フェリクスは私の服装と少し色を合わせた平民服を身に纏い、変装用の眼鏡までかけているけれど、そのずば抜けた美貌と高貴なオーラは全く隠せていない。
誰がどう見ても平民だとは思わないし、上位貴族のお忍び辺りだと察するはず。
これまでの視察も問題なかったとフェリクスは言っていたけれど、誰もが見て見ぬふりをしていたに違いない。
とはいえ、まさか皇帝ということまでは気付かないだろうと信じて、差し出された手を取る。
「行こうか」
「ええ、楽しみだわ」
フェリクスも私も大抵のことからは自分を守れるため、基本的には二人きりにしてもらい、少し離れた場所に護衛は待機してもらうことになっている。
そして私達は王城の裏口から抜け出して、王都の街中へと向かったのだった。
◇◇◇
「わあ……人と物でいっぱいね!」
初めて間近で見るお祭りはとても賑やかで華やかで、感嘆の声が漏れた。
大勢の人々が行き交い、様々な出店が所狭しと並んでいる。見たことのない食べ物や雑貨、珍しい生き物までも並んでいて、ただ見て歩くだけでも楽しい。
慣れた様子で歩いていくフェリクスに手を引かれ、人混みの中を歩いていく。
「何か食べたいものや気になるものはある?」
「……強いていうなら、全部?」
「ははっ、それは忙しくなりそうだ」
フェリクスは楽しげに笑い、案内してくれる。
屋台で買ったものを二人で分けて食べたり、お揃いのストールを買ったり、広場の中心にある舞台で披露されている踊りを見たり。
何もかもが新鮮で楽しくて、私はずっと笑っていた。
「楽しめてる?」
「とっても! 年甲斐もなくはしゃいでしまっているもの」
「良かった」
満面の笑みで隣に立つフェリクスを見上げると、ひどく優しい笑みを浮かべ、こちらを見ていることに気が付いた。
愛しさや優しさに満ちた表情に、胸が高鳴る。
「行きたい場所があればどこだって一緒に行くし、欲しいものがあるのなら手に入れる」
だからどんな些細なことでも言ってほしいと、フェリクスは微笑んだ。
きっとフェリクスは前世も今世も自由がなかった私を、気遣ってくれているのだろう。
「──俺はティアナに一人の女性としてもっと自由に、幸せに過ごしてほしいんだ」
その笑顔や言葉に胸がいっぱいになって、視界が揺れる。
私自身ですら聖女として生まれてきた以上、仕方のないことだと諦めていたというのに。こんな風に言ってくれる人なんて、これまでの私の人生にはいなかった。
「……どうして、そんなに良くしてくれるの」
俯いた私の声ははっきりと分かるくらい、震えていた。フェリクスは歩みを止め、こちらに向き直る。
「あなたから、数えきれないほどのものをもらったから」
繋がれていた手を宝物に触れるみたいに、両手で包まれる。ゆっくりと顔を上げると、私をまっすぐに見つめるフェリクスと視線が絡んだ。
「これからは俺がどんな願いも叶えてみせるよ。世界で一番幸せにする」
「…………っ」
──フェリクスは、いつだって何よりも私のことを考え、大切に思ってくれている。
「ありがとう、フェリクス」
それだけでもう私は十分幸せだと思いながら、大きくて温かな手を握り返した。
その後も二人で手を繋ぎながら楽しく見て回り、あっという間に日は暮れていった。
みんな心配するだろうし明日もお互いに仕事があるため、後ろ髪を引かれながらも王城へと戻ることにした。
まるで普通の町娘になった気分で立場も忘れ、フェリクスも私も気兼ねなく心から楽しめたように思う。
民達と同じ目線で関わり話をして、改めて帝国の民達を幸せにしたいと強く感じた一日でもあった。
「今日は本当にありがとう。とても楽しかったわ」
「良かった。俺も楽しかったよ」
なんだか離れがたくて、もう少しだけ一緒に過ごそうという話になり、そのままフェリクスの部屋へやってきた。
少し開いた窓からは外の賑わいが聞こえてきて、手を繋いだままバルコニーへ出る。
「……すごく綺麗ね」
「ああ」
夜空の下、多くの灯りに照らされた街は本当に美しくて、感嘆の溜め息が漏れた。
改めてこの国が大切で大好きで、このままずっと平和な日々が続いてほしいと心から思う。
(でも、まだ終わりじゃない)
諸悪の根源であるシルヴィアは、まだ倒していない。全ての呪いが解けたことで、彼女も黙ってはいないはず。
この先、最も厳しい戦いが待っているだろう。けれど今日だけは、楽しかったこの余韻に浸っていたい。
「ねえ、フェリクス。来年も一緒に行きましょうね」
繋いでいた手をきゅっと握りしめると、フェリクスもまた優しく握り返してくれる。
「もちろん。この先、いくらでも」
柔らかく目を細めたフェリクスにつられて微笑みながら、穏やかな幸せを噛み締めた。