ベルタ村 5
──聖女の血は特別であり、聖水など比べものにならないほど濃い聖力が込められている。
だからこそ赤の洞窟では魔力の足りない私も自身の血を使い、解呪をしたのだ。
「取り込むと同時に私自身は命を落としたとしても、血の力で少しの間は呪いを抑えられると考えたんです。けれど、私の身体に流れる聖女の血は想像以上に特別な力を持っていたのでしょう。呪いは私の血と身体に混ざり始め、命を落とすことはなかったんです」
「そんな……!」
イザベラの悲鳴に似た声が、霊廟内に響く。
(呪いが聖女の血と混ざって生き永らえる、なんてことがあり得るの……!?)
けれど前例がないだけで、現にアウロラ様は今も生きている。それが何よりの証拠だった。
「無事に呪いはある程度抑えられたものの、それから長い間苦しみ続けました」
困ったように微笑む彼女を見つめながらも、かける言葉が見つからなかった。
私以外の二人も同じ気持ちだっただろう。
赤の洞窟での解呪の際、私は呪いが血と交じったことによる苦しみで、どうにかなりそうだった。想像を絶する痛みにより、一秒が永遠にも感じられるほどに。
それでも私は時間にして、数十分ほどだった。
けれどアウロラ様は数年という時間を苦しんだことを考えると、言葉も出なかった。もし私が彼女の立場だったなら、正気でいられたとは思えない。
「そうして長い時間が経ったある日、身体が呪いで満ちて作り替えられたのか、痛みも苦しみもなくなりました。そして老いることもなく生き永らえているんです」
とはいえ、身体はほぼ自由に動かすことができず、座っていることしかできないと彼女は悲しげに微笑んだ。
「何度も何度も、自ら命を絶つことを考えました。けれどこの身体に流れる魔力がブレスレットを通し、今も減っているのを感じていたんです。外の様子は分からなくとも、彼の張った結界はまだ残っているのだと。私が死んでしまえば、また呪いは広がるかもしれない。そう考えて、呪いが解かれる日をずっと待っていました」
そして、アウロラ様はほんのわずかに口角を上げた。
「それにいつか誰かが来てくださると、ずっと信じていたんです。それが皆様だったのですね」
「…………っ」
つまり彼女はこの十五年間、ずっと一人でこの地を守り続けてきたのだ。
そして村を覆う結界以外のことにも、納得がいった。
ベルタ村が赤の洞窟よりも魔物が少ないこと、この霊廟内に魔物がいないこと。それは聖女である彼女が小箱を取り込み、呪いを抑えてくれていたからなのだと。
(きっと、気が遠くなるほど長い時間だったはず)
家族も友人も恋人も失い、それでもなおたった一人でこの場所で動くこともできないまま、ただ彼女は呪いが解かれる日を待ち続けていたのだ。
これまでの孤独や苦しみ、悲しみは計り知れない。
『ずっと、ずっとお待ちしておりました』
私達がこの場所を訪れた時の彼女の安堵した表情を思い出し、両目からはぽろぽろと涙が溢れ落ちていく。
「……っく……う…」
私だけでなく、イザベラも嗚咽を漏らしながら泣いていて、フェリクスの表情も悲しみに染まっている。
一日でも早くこの場所に来なかったことを、フェリクスも悔やんでいる気がした。もちろんできる限りのことはしてきたし、この場所に生きている人間がいるとは誰も思わないだろう。
それでも、自分を責めずにはいられない。
「……どうして、そんなにも強くあれるのですか」
涙ながらに問いかけたイザベラに、アウロラ様は柔らかく栗色の瞳を細め、微笑んだ。
「いつか彼の元へ行く時、胸を張って会いたいんです」
彼女は「くだらないでしょう?」と薄く笑ったものの、どんな理由よりも人間らしくて愛おしくてまっすぐな理由だと、止めどなく涙が溢れた。
アウロラ様は聖女であることを隠していた自身のことを責め、愚かだと口にしたけれど、彼女ほど立派な人はいないと心の底から思う。
私は涙を拭い彼女の側へ向かうと、目の前で膝を床に突いた。
白い長いワンピースの袖に隠れていて気付かなかったけれど、手は呪いの影響か黒ずんでいて、一切の体温が感じられない。
普通に言葉を交わしていると、アウロラ様は愛らしいただの女性に見える。けれど、やはり彼女の身体は変わり果ててしまっているのだと思い知らされた。
「長い間、帝国を守ってくださりありがとうございます。皇妃として、聖女として心から感謝いたします」
私に続いてフェリクスも側へやってくると丁寧に感謝の言葉を述べ、静かに頭を下げた。
「……勿体ないお言葉、ありがとうございます」
アウロラ様の瞳からも、静かに涙がこぼれ落ちていく。こんなありふれた言葉を伝えることしかできないことにも、無力感を覚えていた。
「何か望むものはあるだろうか」
「……何かを望めるような立場ではございませんが、どうか呪いが解けた後、この村のみんなを弔っていただけないでしょうか」
「ああ、もちろんだ。約束しよう」
「ありがとうございます」
フェリクスの言葉に安堵した顔をする彼女は、どこまでも優しくて心の綺麗な女性だった。
最後まで自分以外の誰かを想える美しい心が眩しくて尊くて、また視界が滲む。
「ティアナ」
「ええ」
私の名前を静かに呼んだフェリクスが、何を言わんとしているのかはすぐに分かった。
本当はもっと彼女と話していたいけれど、ルフィノ達のこともある以上、もう時間がない。私は唇をきつく噛み締めて心の整理をした後、口を開いた。
「解呪をさせていただいても?」
「はい。お願いします」
アウロラ様は迷いなく、受け入れてくれる。
「でも、どうするつもりなんですか? 呪いの元はアウロラ様の中にあるんでしょう?」
「彼女ごと浄化するしかないわ」
イザベラの両目が、大きく見開かれる。
身体に完全に呪いが行き渡っている以上、アウロラ様がどうなるのか、イザベラも分かったのだろう。