ドアマット令嬢は創作に忙しい
「ロレッタお姉様ったら、休みだというのにまた部屋に籠もっているの?一緒にお茶をするお友達もいないのかしらぁ」
「あの子は本ばかり読んでるから友人もいないのよ。人付き合いの上手なレイチェルを少しは見習って欲しいものだわ」
扉の外から聞こえる母と妹の声。侍女がちらりと心配そうな目を向けるが、ロレッタは動ぜず机に向かって書き物をしている。彼女たちの聞えよがしな大声も、集中したロレッタの耳には全く届いていないのだった。
ロレッタ・カルヴァート子爵令嬢は、幼い頃から空想好きの子供だった。
変わった形の雲を見れば「あれは子犬だわ!後ろの大きい雲が牛さんで、駆けっこをしているのよ」と言うし、風に飛ばされる綿毛を見ては「妖精さんたちがお引っ越しをしているわ」なんて言う。
そんな彼女は、人生を変えるものに出会った。
小説である。
最初に読んだのは子供向けの絵本で、孤児の男の子が勇者となって世界を救うストーリーだった。なんてことのない、たわいないお伽話。
だけどそれを読んだ彼女は衝撃を受けた。本の中には空想の世界が詰まっている。その中なら何だって出来る。どんな人生も歩める。そして本を開けば、いつだってその世界に飛び込めるのだ。
それからロレッタは沢山の本を読んだ。もともと聡い子であった彼女は、すぐに絵本でなく大人向けの小説も読むようになった。冒険物、恋愛物、推理物、歴史物……。
そのうちに読むだけでは物足りなくなり、自ら筆を執るようになった。
誰かに読ませるためではない。ただ書きたいから書くだけ。
父はあまり良い顔をしなかった。令嬢らしくない趣味だと思っていたらしい。だが母は「ロレッタは勉強も行儀作法もしっかりやっているし、優しくていい子よ。何の問題があるの?余暇くらい、好きなことをすればいいのよ」と応援してくれた。
しかし、ロレッタが14歳の頃に母は病で早世。妻をこよなく愛していた父は後妻を迎えたがらなかったが、家の中を取りまとめる女主人がいないのは不便だ。親類から説得されたこともあり、父は新しい妻エメラインを娶った。元はとある男爵家の令嬢で、夫と死別したため一人娘を連れて実家へ戻っていたらしい。
「はじめまして、ロレッタお姉さま」
義妹のレイチェルは、ロレッタと何もかも正反対の娘だった。明るくてお洒落で、よく喋る。友人も多いらしい。可愛くて愛嬌のある彼女はすぐに家族の中心的存在となった。
父が再婚してしばらく経った頃、ロレッタの兄ウォーレスが成人した。次期当主として、今後は領地の内政を担うことになる。父は兄を伴って領地へ赴き、執務を教えながら数年滞在する予定だ。そのため、必然的に王都の屋敷はエメラインが仕切ることになった。
義母は夫が領地へと旅立った途端、豹変した。
彼女は自分の娘しか愛するつもりはないらしい。
観劇へ連れて行かれるのも、新しい服を買ってもらえるのも、豪勢な食事を与えられるのも妹だけ。そして二人は、事あるごとにロレッタを貶めた。
父はたまにしか帰宅しない。変わりはないかと聞かれたエメラインはいつも「ロレッタはお淑やかで助かるわ。レイチェルにも見習わせなきゃ」などとニコニコしながら報告する。その巧妙な仮面に、父はすっかり騙されていた。
「お姉様、いいでしょうこのワンピース!」
「レイチェルはロレッタと違って華奢だから、こういう可愛らしいタイプの服が似合うのよ。ロレッタには着こなせないわね」
「ふふっ。だからお姉さまはいつも地味な服なのね。可哀そう~」
ロレッタは「ええ、とってもいいワンピースね。お姫様みたいだわ」と答え、急ぐように部屋へ戻っていった。「あんなに急いで……お姉様ったら、よほど悔しいのね!部屋で泣いてるのかもしれないわ」とレイチェルは上機嫌だ。
実のところ、ロレッタは全然悲しんでいなかった。むしろちょっと興奮していた。
(フリルたっぷりで、なんて煌煌しいドレスかしら。そうだわ!新しい小説に、あんな感じのドレスを着たお姫様を出しましょう。着道楽でちょっと我が儘で……うん、アイデアが湧いてきたわ!)
そう。彼女にとって、現実で起きることはすべて創作の種だったのである。いそいそと部屋に戻ったのも、このネタを忘れないうちにメモっておきたかっただけ。
だからエメラインやレイチェルがどれだけ厭味を言おうが嫌がらせをしようが、全くロレッタの心には響いていなかった。二人の思惑とは裏腹に。
「お姉様ったら、お誕生日なのに何も貰えなかったの~?私の時はたっくさん貰えたのに。うふふ、悔しい?」
ロレッタの誕生日に何も届かなかったことを知って、あざ笑うレイチェル。
父と兄が領地から送ってきたプレゼントは、義母が横取りしてレイチェルのものになっていたことを、ロレッタは知る由もない。
几帳面な父はいつもきちんと誕生日プレゼントを用意していた筈だ。ロレッタはちょっとだけ不思議に思ったが、そんなことより創作の方に意識が向いていた。いつものように。
(『悔しい?』なんて台詞を現実に聞けるとは思わなかったわ。さすがレイチェルね!そうだ。次は継母と妹に虐げられる王女様の話にしようかしら。それで、王子様が助けに……ううん、ちょっとワンパターンね。助けに来るのは魔法使いにしましょう)
いそいそと机に向かったロレッタ。だが、そこに置いてある手紙を見てはたと思い出した。
「そうだった。クリス様に返事を書かかなきゃいけないんだったわ」
クリス・ロクスリー伯爵令息はロレッタの幼馴染で婚約者だ。彼は騎士団に所属していて、今は辺境の駐屯地にいる。この国は元々、隣国とあまり仲が良くない。最近では一触即発の状態である。国境防衛を強化するため、多くの騎士が辺境に派遣されているのだ。
だから会えない間は、こうやって手紙をやりとりしている。
「でも、早くこのネタを書いてしまいたいわ……。手紙を書く前に、小説の出だしだけでも書いてしまおうっと」
『小説を興味深く拝見した。続きがあれば送ってほしい』
クリスからの返事を読んだロレッタは驚いた。書いたはずの小説の下書きが見当たらなかったのだが、まさかクリスへの手紙に同封していたなんて。
彼は小説をあまり嗜まない筈だ。だからロレッタも、彼に創作の話をしたことはほとんどない。
「実はクリス様も小説がお好きだったのかしら。それとも私の作品がよほどお気に召して……?いえ、それはいくら何でも自信過剰よね」
とはいえ読者から求められれば、それに答えるのが作家魂というもの。ロレッタは寝る間も惜しんで続きを書き、クリスへ送った。
「申し訳ございません、アシュリー様。レイチェルは買い物が長引いているようで。もう少しすれば帰ってくると思うのですが」
不在の義母と義妹に代わりロレッタが応対しているのは、レイチェルの婚約者、アシュリー・ブラックウェル子爵令息だ。現在は王宮へ勤めている。かなり優秀で、出世も間近だと聞く。
「またか……まあいい。このまま待たせて貰えるかな」
「はい、勿論です。今お茶を用意させますね」
レイチェルは父の決めたこの縁談が気に食わないらしい。「アシュリー様は難しいお話ばかりするんだもの。つまらないわ」と、いつも不満たらたらだ。
月に一度の交流も、こうやって何かと理由を付けてキャンセルしたり遅れてきたりする。アシュリーの方も、そんな態度を取られれば好意を持たれていないことぐらいは伝わるわけで。それでも月に一度必ず訪問するのは、婚約者として礼儀を通しているだけなのである。
お客様を一人で待たせるわけにも行かず、ロレッタはレイチェルが戻るまで同席することにした。しかし何を話せば良いのか分からない。
(そういえば、アシュリー様はよく本を読んでおられるとレイチェルが言っていたわ)
「アシュリー様は、最近どのようなご本を読まれましたの?」
「本?そうだね、キャボットの経済論と、あとはヒルスターンの新作を」
「まあ、ヒルスターンの新作なら私も読みましたわ」
ヒルスターンは歴史を題材にした小説で大ヒットを続ける作家だ。細かい歴史解釈と巧みな人物描写が特徴の骨太な作品で、男性のファンが多い。
「へえ?ご令嬢がヒルスターンの本を読むなんて珍しいな」
「小説が好きなもので……恥ずかしながら、手当たり次第に読んでおりますの」
「ロレッタ嬢はどういう本が好みなのかな?」
アシュリーもかなりの読書家で、小説も含めて色々な本を読んでいるらしい。おかげで時間を忘れるくらい、彼との会話は盛り上がった。そんな二人の様子を、帰ってきたレイチェルが覗き見していたとも知らず。
「ねえ、お母様。ロレッタお姉様とアシュリー様はお話が合うみたいだし、私の代わりにお姉様がアシュリー様と婚約すればいいんじゃない?」
「アシュリー様と貴方の婚約は、お父様が決めたことよ。そんな簡単に変えられるものじゃないわ」
「だってアシュリー様と私は話が合わないし、おっきいメガネを掛けてて見た目もイマイチだし。彼の妻になるなんてゾッとするわ。代わりに、私がクリス様と婚約するわ!クリス様は逞しくてカッコいいもの」
「そうねえ。婚約者のすげ替えなら、家同士の関係に変わりはないし婚約破棄の違約金も払わなくて済むわね」
レイチェルのとんでもない発言。そんな簡単にいくわけないでしょうと、流石のロレッタも内心呆れた。
義母はニヤニヤとした顔でこちらを見ている。彼女もそれが無茶な事だと分かっている癖に、ロレッタが嫌がるだろうと敢えてレイチェルに同意しているのだ。
例えレイチェルが婚約者の変更を強硬に言い張っても、父の耳に入れば却下されるに違いない。だからあまり心配する必要はないだろう。それよりも――。
(こんな面白いネタ、使わないわけにはいかないわ!部屋に戻ったら、早速小説の続きを書かなくちゃ)
◇ ◇
「クリス、どうしたんだ?難しい顔をして」
ロレッタから届けられた手紙を読んでいるクリスに、同僚のチェスターが話しかけた。いつの間にかしかめっ面になっていたらしい。
「婚約者から手紙が届いたんだが、ちょっと不可解な内容なんだ」
「麗しのロレッタ嬢から?なんだ、浮気がバレてお怒りか?」
「浮気なんてしてない。縁起でも無いことを言うな」
「冗談だよ。こんな辺境の地じゃあ、女っ気なんて望むべくもないからな」
からかってくる同僚をクリスはひと睨みする。女っ気があったとしても、自分は浮気をするような男ではない。
「いつもの手紙にもう一枚、小説みたいなものが付いているんだ」
「へえ、それは興味あるな。読ませて貰ってもいいか?」
手紙を他人に読ませることに、ほんの少し逡巡したが。まあ、小説の方だけならいいか。
クリスは小説の書かれた紙だけをチェスターへ見せることにした。
「ふんふん。継母と妹に虐められる王女の話か。これはロレッタ嬢が書いたのか?」
「多分。以前、小説を書くのが趣味だと言っていた」
「アラはあるが、素人にしてはなかなか上手いじゃないか」
「そうなのか?」
クリスは作り物の話にはあまり興味が無いため、送られた小説の出来が良いのかどうかまでは分からない。一方チェスターは小説が大好きで、特に推理小説を好んで読んでいるらしい。彼が言うのならそうなんだろう。
「今までこんなものを送ってきたことはなかったんだ」
「いい作品が書けたから、読んで欲しかったとか?」
「それなら書き上げてから送ってきそうなものだが」
物語は中途半端なところで終わっていた。ロレッタの意図が分からず、クリスは首を傾げる。
「……そうか、分かったぞ!きっとこれは、隠されたメッセージなんだよ!」
「メッセージ?」
「きっとロレッタ嬢はお前に伝えたいことがあるんだよ。この物語を読んで、気になることはないか?」
主人公は王女で、継母と妹、それと上に王子もいると書かれている。
これは……ロレッタの家庭と同じではないか?
「やはりな。ロレッタ嬢は、義母や義妹から虐げられているんだ。そしてお前に何とか状況を伝えたくて、小説という形を取ったに違いない」
チェスターはうんうんと頷きながら勝手に納得している。
「そんなまどろっこしいことをしなくても、手紙に書けばいいじゃないか」
「きっと、手紙の中身は義母に検閲されているんだよ。だからこっそりと小説を紛れこませたんだ。彼女はお前に助けを求めている!」
「ええ……」
それなら小説だって検閲されていそうなものであるが、クリスはチェスターの勢いに押されて何となく同意してしまった。
とはいえ、これだけで判断するのは早計だろう。もう少し情報が欲しい。だから手紙の返事には『続きが読みたい』と書いた。
「続きが届いたって?」
翌月の手紙に同封された小説を読んで、クリスは暗澹たる気持ちになった。
そこに書かれていたのは残飯のような食事を与えられ、使用人のような扱いを受ける主人公。
これについては嫌がらせのネタが尽きてしまい、ロレッタが考え出したものであったが。クリスとチェスターは、すっかりこの主人公はロレッタそのものであると思い込んでいた。
「これが本当だとしたら酷過ぎるぞ。子爵令嬢に対する扱いじゃない」
「実は俺の実家にも手紙を出して、調べて貰ったんだよ。この内容はロレッタの状況と考えて間違いないようだ」
クリスの姉に仕える侍女は、カルヴァート家の侍女と仲の良い友人らしい。そこでクリスは侍女に内偵を頼んだ。
カルヴァート家の侍女は当初、なかなか口を割ろうとはしなかった。当然だ。主家の実情を漏らさないよう、使用人たちはみな教育されているのだから。だが「ここだけの話にするから」と根気よく聞きだしているうちに、ポツポツと話し始めた。
カルヴァート家に昔から仕えている使用人たちは、義母や義妹にいびられるロレッタを見て心を痛めている。エメラインに抗議した者もいたが「余計なことを言うなら解雇する。紹介状も書かない」と脅されて沈黙するしかなかった、と。
「秘密裡に助けを求めてくるくらいだ。ロレッタ嬢の心は限界に近いのかもしれないぞ」
「ああ。今すぐにでも助けに行きたい。だが現状、休暇は当分取れそうもない」
先月、隣国とは小競り合いがあったばかりである。いつでも出撃できるよう、騎士達は交代で睡眠をとっている状態だ。とても王都に帰りたいと言い出せる状況ではない。
かといって勝手に軍を離れれば、軍規違反として処刑される。
クリスはロレッタの姿を思い浮かべた。
菫色の瞳に、さらさらとした淡い蜂蜜色の髪。その容姿も、物静かな落ち着いた雰囲気も、クリスはとても好ましいと思っている。
幼い頃のクリスは活発で、ロレッタを振り回すことの方が多かった。いつだったか、彼女の目の前で転んでしまった事がある。泣きそうになるクリスを見てロレッタは冷静に大人を呼び、痛がるクリスを励ました。
いつも後ろを付いてくるだけだった女の子のしっかりとしたその姿に、ときめいたのを覚えている。
父であるロクスリー伯爵を通してカルヴァート子爵家へ婚約を打診し、認められたときは本当に嬉しかった。今は騎士となり、一人前の男になったと自負している。彼女が何かに躓くことがあったら、今度は自分が助ける番だと思っていた。
それなのに。助けを求める彼女の元へ、駆けつけることさえできない。クリスは不甲斐ない自分に歯噛みした。
「チェスター、これを見てくれ!」
「また続きが届いたのか。ふむふむ……何だって?婚約者のすげ替え!?」
「そうなんだ!このままでは、俺の婚約者がロレッタからレイチェルにされてしまう」
クリスはレイチェルのことをよく知らない。カルヴァート子爵邸へ訪れた際に挨拶をした程度。
いつも媚びるような瞳で馴れ馴れしく話しかけられるので、あまり良い印象はない。
「落ち着け、クリス。実家からは何も言われてないんだろう?婚約者の変更なんて、お前の父親が認めなければ成立しないさ」
貴族の婚約は、双方の当主の合意があって初めて成り立つもの。カルヴァート子爵夫人やレイチェルが勝手にそれを撤回することなど出来ない。
「そ、そうか……。いや、でも!レイチェルの婚約者のアシュリーとかいう令息とは面識がないんだ。どんな奴かも知らない。もし良くない野郎だったら、レイチェルと共謀して無理矢理婚約を進める可能性もある。ロレッタを傷物にしようとするかもっ」
「それは飛躍し過ぎじゃないか?ちょっと落ち着け」
最初はむしろチェスターの方が盛り上がっていた筈だが。今ではすっかりクリスを諫める側に回っている。
興奮したせいか、声が大きくなってしまっていたらしい。「うるさいな。何を騒いでいるんだ?」と同僚達が集まってきた。
「クリスの婚約者の身に、危険が迫っているらしいんだ」
「何があったんだ。病気か怪我でもしたのか?」
「腹黒い義妹の策略にかかって、貞操の危機らしい」
どんどん話が大きくなっている。レイチェルに至っては腹黒令嬢扱いだ。あながち間違いではないが。
「そりゃ大変だ。早く王都へ帰らないと!」
「俺だって戻りたいよ。でも勝手に戦線を離れるわけにはいかないし……」
「よし、バーナード隊長に休暇の取得を掛け合おう!俺たちに任せろ!」
同じ釜の飯を食べてきた騎士たちは団結力が高い。しかも婚約者や妻を置いてきている者が多いのだ。彼らは自分の愛する女性が同じ目にあったらと想像し、口々にクリスへ協力を申し出た。
「何だお前たち。何事だ!?」
「隊長!クリスに休暇を取らせてください!!」
「今の戦況を分かっているだろう。家族の逝去など、よほどの事でなければ休暇は与えられない」
クリスを先頭に、バーナード・マクニール隊長の元へ押しかける騎士たち。彼らの剣幕に目を白黒させながらも、部隊を預かる者としてバーナードは冷静に答えた。
「クリスの婚約者が危機なんです!婚約者が心配で、夜も眠れないらしくて」
「その割には元気そうじゃないか?」
「隊長だって、奥様が危機に瀕していたら駆けつけるでしょう?」
「こいつ、隊長夫婦に憧れているんですよ。いつも結婚したら隊長みたいに、奥さんを大事にするんだって言ってるんです。婚約者のロレッタ嬢も、奥様みたいに綺麗なご令嬢で。なあ?クリス」
「えっ、あ、そうです!」
バーナード隊長が愛妻家なのは皆の知るところだ。別に隊長夫婦に対する憧れはないが、クリスは話を合わせる。
「よく分からんが。婚約者の身が心配なのであれば、信用できる者に守らせればいいだろう」
至極真っ当な答えが返ってきた。職務に忠実なバーナードは、愛する妻のためとはいえ仕事を放棄するような人間ではないのだ。
「では、奥様がこれから出産だとしたら?」
「それはまあ……隊長代理に引き継いだ上で、一時帰宅する。婚約者が妊娠しているわけではないのだろう?それともクリスお前、まさか未婚のご令嬢に手を付けて」
「そ、そんなことはしていません!!」
それだけは声を大にして否定する。
「それくらい、大ごとだということですよ」と必死に食らいつく同僚たちに、隊長はしぶしぶ首を縦に振った。
「何か重大なトラブルが起きているということだな?特例で休暇をやる。ただし、5日間だけだ」
「ありがとうございます!」
その日のうちに荷物をまとめ、出立することにしたクリス。
同僚たちは「頑張ってこい、クリス!」「ロレッタ嬢を守るんだぞ!」と暖かい声援を掛ける。拳を振り上げて「応!」と答え、クリスは王都へと全速力で馬を走らせた。
◇ ◇
「すまなかった、ロレッタ……!」
涙を流す父と兄に抱きしめられたロレッタは、訳が分からずきょとんとしていた。その様子をクリスとアシュリーが眺め、うんうんと嬉しそうに頷いている。
(久しぶりに会えたのが、そんなに嬉しいのかしら……。それに、どうしてクリス様とアシュリー様もいらっしゃるの?)
「アシュリー君が俺たちに連絡をしてくれたんだ」
レイチェルは、愚かにもアシュリーにまでロレッタと婚約するよう持ち掛けていたらしい。勿論アシュリーは本気にしていなかったが、念のため父親のブラックウェル子爵に報告。そして父親がカルヴァート子爵へ事情を知らせる手紙を送ったのである。その中にはロレッタの扱いについても、疑問が述べられていたという。
半信半疑で屋敷へと戻ったカルヴァート子爵とウォーレスだったが、そこへ駆け込んできたクリスと鉢合わせた。彼から手紙を見せられ、アシュリーの報告が正しかったと知る。
エメラインは当初、「何のことだが……」としらばっくれていた。だが使用人たちからも裏が取れたと問い詰めたところ、白状したそうだ。さらに夫がいないのをいいことに、かなり散財していたことも発覚した。
「エメラインとレイチェルは実家の男爵家へ返した。あの女とは離縁する。勿論、レイチェルとの養子縁組も解消だ。ロレッタ、辛い思いをさせたね」
「いえ、私は大丈夫で」
「ロレッタは強い子だね。無理しなくていいんだよ」
「手紙も検閲されていたんだろう?だから俺や父に助けを求められず、クリスを頼ろうとしたんだな。冷静な対応だったぞ」
ロレッタの頭を撫でる父と兄。
義母は手紙の中身までは見ていなかったので、完全に濡れ衣なのだが。
彼女を擁護しても「ロレッタは優しいね。あんな奴、庇わなくていいんだよ」と聞いてくれないので諦めた。
「クリス君とアシュリー君、本当にありがとう。家中の問題にも気づけなかったとは、当主として情けない」
「いえいえ。お役に立てて良かった」
「俺はロレッタが無事であればそれで」
アシュリーはカルヴァート子爵が戻ってくるとの連絡を受け、屋敷を訪れたところで騒動に出くわしたそうだ。彼がロレッタを狙っていると勘違いしたクリスが殴り掛かりそうになった。誤解が解けた後、クリスは彼へ平謝りしたらしい。
「アシュリー君にはレイチェルと婚約の件で、多大な迷惑を掛けてしまった。後日ブラックウェル子爵へもお詫びに伺うつもりだ。婚約解消の違約金についても、きちんと支払う」
「その件ですが。俺は、ロレッタ嬢と婚約しても良いと考えております」
その場にいた全員の目が、アシュリーに向けられる。
「そもそもこの婚約は、カルヴァート子爵家と我が家の事業提携の証として決められたもの。婚約がなくなれば、事業にも影響があるでしょう。それに、ロレッタ嬢は知識が豊富で俺と話が合います。彼女となら良い夫婦になれると思うのです。そうなれば違約金も不要になりますので、カルヴァート子爵にとっても悪い話ではないかと」
「確かに、それはこちらとしても有り難いが……」
「だめだ!」
外まで響き渡る大声でクリスが怒鳴った。
「ロレッタの婚約者は俺だ!俺とロレッタは幼馴染だ。俺だって、いや俺の方が彼女のことを良く理解しているし良い夫婦になれる!」
「過ごした時間が長ければいいというものでもないだろう。それに君とロレッタの婚約は、父親同士が旧知であったから結ばれたと聞いている。それならば実家にとって利のある婚約相手を選んだ方が、後々のためではないか?」
「ぐっ……。貴様、やはりロレッタへ横恋慕していたんだな!恥を知れ!」
「人聞きの悪いことを言わないで貰えるか」
「その件は私が預かるから、二人とも落ち着いてくれ」とカルヴァート子爵が仲裁に入るが、クリスとアシュリーの口争いはヒートアップするばかりだ。
「こうなったら、ロレッタに選んで貰おう!」
「そうだな。俺だって、ロレッタ嬢の意に反してまで婚約を押し進めるつもりはない」
突然そんな判断を求められても、ロレッタはどう答えれば良いか分からない。そんな彼女へ、クリスとアシュリーが手を差し伸べる。
「ロレッタ、君の婚約者は俺だろう?」
「ロレッタ嬢。どうか俺を選んで欲しい」
当のロレッタはといえば――
(決めたわ!次の小説は恋愛物よ。二人の男性の間で揺れ動く女性を主人公にしましょう!)
ちっとも困っていなかった。彼女の頭の中は、いつだって創作でいっぱいなのだ。