31番目の妃⑪
夜も迫る夕刻に、マクロンは31番目の妃邸に向かっている。夕食前のこの刻しか体が空かなかったのだ。夕食後も、城下町の手薄になった警護をビンズと協議する仕事が残っていた。二ヶ月も妃らの相手をしていたつけがここにきて表面化していた。後二週間の妃選びも佳境だ。マクロンはふと足を止め、目頭を押さえた。近衛が心配気にマクロンをうかがっている。
「すまぬ、問題ない。行くぞ」
再度歩き出したマクロンの足は重い。疲労は限界で、さらに邸はかなり遠いのだ。
邸の入り口が近づく。その入り口からビンズが飛び出してきたが、マクロンの姿を確認すると足を止めた。
「どうした、ビンズ?」
「いえ、何でもありません」
断られたが、ビンズはドレスを調達しようとしていたのだ。マクロンがすでに邸に到着したことで、諦めざるをえない。
「どうぞ、王様」
ビンズはマクロンを邸に促した。マクロンははじめてこの邸に足を踏み入れる。すでに夜のような暗さの夕刻は、畑の様相をぼやかしていた。ただ、なんとも落ち着いた、ホッとする香りに体が馴染んだ。
「(妃は)いるか?」
三人の担当騎士と侍女にマクロンは問う。四人とも小首を傾げたが、侍女が一歩前に出てマクロンを促した。
「こちらにございます。どうぞ、お入りください」
マクロンは侍女の先導で、こじんまりした邸に入った。部屋にはすでに夕食が配膳されている。どうやら妃は湯殿のようだ、と判断したマクロンは、ハァとため息をついた。マクロンにそのつもりはない。しかし、来た時刻が悪かったのだろう。この刻に来れば、そう考えても不思議ではない。つまり、夜のお渡りであると。
「すまぬが、一時の時間しかない」
「はい。ご遠慮なさらず、お召し上がりください」
侍女は、マクロンに夕食をすすめる。確かに腹が減っていたマクロンは、目の前の素朴な夕食を摂った。侍女は、茶を淹れている。マクロンは、何とも心地のよい香りと居心地のよい邸に体がほぐれていく。
「お好きなだけ、おくつろぎを」
侍女はそう言って下がった。きっと妃の湯殿にいくのだろう。マクロンはふぅと息を吐き出した。ゆっくり目を閉じる。
『参ったな。会えずに出ることになるか。それとも、顔だけでも見ていくか。女の準備は時間がかかるはずだ。……眠い』
マクロンは椅子からずり落ちそうになり、重い体を必死に持ち上げ、暖炉の前の揺り椅子に腰を落とした。そんなところに体をおさめてしまえば、どうなるかはわかっているのに、体はマクロンの意に反するようにそこに向かってしまっていた。まぶたはもうくっつく寸前だ。
『まずいな。まずい、眠い……』
とうとう、意識がとんだ。
その頃、邸を出たフェリアは、ビンズ、近衛、担当騎士に囲まれていた。
「フェリア様、どうされたのです? なぜ、お一人で出てこられたのです?」
ビンズは矢継ぎ早に訊いてくる。フェリアは、クスクスと笑い出した。
「あー、おっかしいの。もう、お腹いたいわ。笑うの必死でこらえたのよ」
近衛はここでやっと、この侍女らしき女が、31番目のお妃様だと気づく。ビンズの呼んだ名で。
「私をたぶん侍女だと思っているの。私、夕食をすすめて、お茶も出したわ。あの疲労は酷いわね。騎士に出している疲労回復薬草茶を飲んだから、きっと今ごろ寝てるわ」
フェリア以外の者が、クワッと目を見開き固まった。これでは、事実がどうであろうが夜のお渡りになってしまうのだ。明朝までこのフェリア邸にマクロンが滞在したなら。しかし、ビンズはここで英断する。
「近衛は王様を寝室に運びなさい。その後は邸の入り口で待機だ。担当騎士は門扉で警護を。フェリア様は王様のお側でお世話ください」
その英断に、近衛も担当騎士も異議はないようで、サッと行動に移る。しかし、フェリアは違った。
「寝てる人のお世話なんてしないわよ。私は、枯れ草ベッドで寝るわ。明日も早いしね」
フェリアはあくびをかみ殺しながら、農機具小屋に向かっていく。慌てたのは、ビンズと担当騎士である。邸に戻ってほしいと何度も懇願したが、フェリアは頷かない。
「王様は私を侍女だと思っているわ。妃だと認識していないの。その程度だってこと。私はその程度よ」
フェリアは少しだけ瞳を伏せた。ビンズは最初の間違いに今さら気づき後悔した。ちゃんと、フェリアをマクロンに紹介していなかった失敗を。邸に入ってすぐに紹介すべきだったのだ。
「フェリア様」
「いいのです、ビンズ。私は、私の素のままでいいのです。着飾ることは私ではないし、僻地の田舎娘、二十二の嫁ぎ遅れが、生涯に一度王様にお会いして、その給仕ができたのですもの、誉れよ。だから、もう寝かせて。明日もできたら、王様に朝食をお出ししたいわ。あんなに、酷く疲れるまで公務をなさっていると知ったら、私の精一杯のことをしたいわ。最後になるものね……」
ビンズの呼びかけを遮ったのは、慰めなど聞きたくないフェリアの誇りであろう。フェリアからこぼれ落ちた言葉が、ビンズと担当騎士らの胸を掴んで締めつけた。
***
フェリアと担当騎士らは、いつものように朝陽にむかって祈る。それから、いつものようにパンを焼き、根菜スープを作る。至って素朴な朝食は王の体の疲れを考えてのこと。
バタンと邸の扉が開く。王の顔がいく分スッキリしているのを見て、フェリアは笑んだ。
「こちらへどうぞ」
いつも騎士らと食べるティーテーブルの上に、手作りクルクルスティックパンと根菜スープを並べた。王は無言でそこに座る。
「……(この邸の)主は?」
「……お気になさらず、どうぞお召し上がりください」
フェリアは、給仕に徹した。王の瞳が緑豊かな畑を眺めている。少し小首を傾げる姿にフェリアは笑みを浮かべる。きっと、庭園のおかしさに気づいているのだ。しかし、何も言わずただ緑を瞳が追う。疲れた目にはよい景色だ。
「頭がスッキリと冴える薬草茶でございます」
フェリアは、コポコポと王の目前でカップに注いだ。湯気が王の疲れた皮膚に潤いを与える。
「良い香りだ」
「ありがとうございます」
フェリアと王マクロンの瞳がはじめて重なった。微笑みあった。
その光景にビンズらは、動揺した。マクロンがあのように穏やかに笑んだ姿など見たことがないからだ。次の言葉でさらに驚く。
「我が名はマクロン。フェリア嬢、そなたの心遣いに感謝する」
マクロンは気づいた。あの一瞬の微笑みで全てわかったのだ。
フェリアの目が見開かれる。それから、徐々に頬が桃色に変わっていった。
こうして、フェリアとマクロンははじめての出会いを果たしたのだった。
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