31番目の妃①
「喜べ、フェリア。お前は王様のお妃様に選ばれたぞ」
熊男はバターンと家の玄関扉を開いたと同時に声を響かせた。奥まった台所で芋の皮剥きをしていたフェリアにまで聞こえるほどの大声で。フェリアは一旦手を止め、桶にたっぷりの水を入れると玄関まで急いだ。
「兄さん、また飲んでいるのね」
バッシャーン
勢いよく桶の水はフェリアの兄であろう熊のような男に向かった。ポタポタポタと水も滴る熊男は、ぶるんと体を振るわせて水滴を撒き散らす。
「やめてよ、兄さん!」
水滴の被害にあったフェリアは、着けていたエプロンを取り水滴を拭いた。
「飲んでねえぞ。お前は王様のお妃様になれるんだ!」
「うんうん、わかったから。まず、熱いお茶でも飲んで頭を覚まそうね。ほんと、手間のかかる大兄さんだわ」
フェリアはお茶を淹れようと、台所に戻っていく。それを追うように大兄ことリカッロは着いていった。
「でな、フェリア、お前は王様のお妃様になれるんだ!」
フェリアは眉を寄せた。確かに酒くさくはないが、言っていることがまともではない。
「リカッロ兄さん、王様のお妃様は普通爵位をもったお貴族様の令嬢や、別国からのお姫様がなるものよ。こんな辺鄙な薬草領主の田舎娘がなれるものでもないし、お声だってかかんないわ」
フェリアは芋の皮剥きを再開した。今夜は月に一度の芋煮会である。たくさんの芋を煮て、領民にふるまう日なのだ。
ここ薬草畑を主とするカロディア領は、ダナン王国の僻地中の僻地である。険しい絶壁の上に小さな領地があり、背後は海それ以外は大河にと挟まれており、この領地を孤島の天空領と揶揄する者もいる。
フェリアの兄リカッロは、この領主である。三年前に事故で亡くなった両親にかわり領主になったばかりの新米だ。
「ふふぁあ、リカッロ兄さん……声が大きいって」
台所に現れたのは背が高い男だ。ボサボサの頭を水が入った桶に突っこみ、そのまま勢いよく起き上がる。これまた、辺りはボサボサ頭から振りだされた水滴で水浸しだ。
「やめてよ、ガロン兄さん!」
フェリアはまたも叫ぶしかない。二枚目のエプロンも被害にあった。ガロンは深夜の薬草畑守りで、昼間に寝ている。大きなリカッロの声で起こされたのである。
「リカッロ兄さん、会合で何かあったんだろ?」
フェリアのことなどおかまいなしにガロンはリカッロに問うた。
「ああ、フェリアを31番目のお妃様にと隣の領主に頼まれたんだ」
とたん、フェリアとガロンは飲みかけだったお茶を、リカッロの顔めがけて吹き出すことになった。
「なんだよ! 二人とも汚いぞ」
「マジの話だったのかよ」
ガロンは椅子からズルズルと体を滑らし、天井を見上げている。フェリアは見開いた目がかたまり、一種のホラー顔である。
「ああ、ほら……31番目のお妃様ってなかなか決まらねえだろ。31番目は最下位のお妃だからっつって、お貴族様らは娘を出さねえ。一番下っぱ男爵の娘ですらな。全国にお触れを出しても手を上げねえらしいんだよ。んで、単なる領主やら地方守やら、大富豪やらに声をかけたがだーれも頷かん。それで、最後の砦とばかりに家に話が回ってきた」
シーンと静まる台所。確かに二十二を過ぎたフェリアは嫁ぎ遅れてはいるが、誰が王様との縁談を持ってくると思おうか。フェリアはゴツンとテーブルに頭をぶつけ突っ伏した。
「まあ、一年のお勤めだ。楽しんできたらいい」
リカッロは能天気に発した。
「ああ、まあそうだよなあ。どうせ王様は上位の妃しか相手にしねえだろうし、夜のお渡りのお役目一年無しで帰ってこれんだろ。それに、確かにお召し三ヶ月めで妃自身の意向が通るんだっけ?」
ガロンはちゃんと椅子に座り直し、隣のフェリアの頭を撫でた。ふふぁあとまたあくびをしている。
「お前、昔王子様が迎えにきてお姫様になるのおって言ってただろ?」
と、リカッロがニコニコしながら言った。
「いつの話をしてるのよ!」
フェリアはがばりと起き上がり、能天気なリカッロを指さした。幼女の頃のたわ言を持ち出すリカッロのバカさ加減に、フェリアは呆れ怒るしかない。
「ここの男どもには、ぜーんぶ断られたんだ。王都に行けばお前を見初める男が居るかもしれんだろ?」
リカッロのその言葉は、フェリアの烈火した頭に油を注ぐ。
「王様のお妃様になるのに、男漁りなんかできるわけないでしょぉぉぉぉ」
リカッロの耳をむんずと掴んだフェリアは、大声で発狂したのだった。
31番目のお妃フェリアは、こうして召しあげられることとなったのだ。
次話5/25(木)更新予定です。