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転生王女の道中。(2)

 


 洞窟の壁に寄りかかって目を閉じる。頬にあたる岩肌の感触は、硬くて湿り気を帯びていて、決して心地いいものではないが、起き上がる気力もない。ぐったりとした私の耳に、獣の遠吠えが聞こえた。

 もう一歩も歩けない。情けないが、偽らざる本音だった。


 山の中腹で休憩を挟んだ後、頂上を目指すのかと思ったけれど違ったらしい。やがて道は下り坂になり、森の中へと入り込んだ。そして再び緩やかな上り坂になった頃には、日は傾き始め、洞窟に辿り着いた時には、辺りは真っ暗になっていた。


「マリー、足に触れてもいいかしら?」


「……?」


 薄く目を開けると、私の前にヴォルフさんが跪いていた。

 ぼんやりしている私にヴォルフさんは、靴を脱がせてもいいかと言葉を続ける。よく理解もしないまま頷くと、恭しい動作で靴を脱がされた。濡らした布で丁寧に足を拭われ、何かを塗布される。ひやりとした感触が気持ちよくて、目を閉じた。


「そのまま眠ってもいいわよ」


 幼子を寝かしつける母のような優しい声が、眠気を増幅させる。それでも私は、無言で首を振った。駄々をこねる子供みたいな仕草をしたからか、密かな笑い声が聞こえた。強情ねぇ、と甘い声が囁いた。


「背負わせろって言っても聞かないし、ヘロヘロなのにまだ歩けるって言うし」


 その点については、反省している。カラスに背負われるのは嫌だったけれど、ヴォルフさんの申し出まで断る必要はなかったよね。

 でもなんか、意地になっちゃったんだよなぁ……。

 それに、ヴォルフさんへの答えを保留しておきながら、甘える事に抵抗もあった。私はそういうとこ、融通が利かない。


「アンタって、本当頑固。……でも根性があるわ」


 足を引っ張った自覚があっただけに、まさか褒められるとは思っていなかった。驚きに目を開けると、優しい目とかち合う。

 なんだか落ち着かない気分になって、カラスの所在を訊ねる。彼は、薪になりそうな木を拾いに行っているらしい。


「はい、終わり。これで明日の朝には、大分腫れも引いていると思うわ」


 ぽん、と包帯の上から足を軽く叩かれた。

 塗ってもらった薬の種類は分からないけれど、既に少し、痛みが緩和されている気がした。消炎だけでなく、鎮痛の効果もあるんだろうか。


「凄いですね……」


 ぽつりと独り言のように零すと、広げた荷物を手際よく片付けていたヴォルフさんは顔を上げた。


「雇う気になったかしら?」


 バチンとウインクを寄越したヴォルフさんの言葉に、私は引き攣った笑みを浮かべる事しか出来ない。私の不格好な笑顔をじっくりと眺めた後、ヴォルフさんは目を伏せて笑った。


「こっちが情報を開示していないのに、選択を迫るのは公平とはいえないわね」


「情報って、さっきカラスが言った事ですか?」


 私を主に据えたいというのが、ヴォルフさん個人の希望か。それとも次期族長としての意志なのか。それがカラスの問いだった。

 ヴォルフさんは頷き、少し考える素振りを見せた。


「答えは、『どちらも』かしらね。主を持つべきだという考えは、一族の次期長としてのものだけど、マリーを選んだのは私個人の希望よ」


「私は適任とは言い難いですしね」


 スポンサーに向いているのは、貴族か領主辺り。ヴォルフさんも前に言っていたように、良識のあるお金持ちというレベルが望ましい。王女なんて、想定外も良いところだ。

 私が王女だと知って尚、主にと望むのは、ヴォルフさんの独断だろう。そこまで評価してくれるのは嬉しいけれど、その価値が私にあるとは思えないんだけどな……。


「……そしてここからが、一番重要なのだけれど」


 ヴォルフさんは言葉を区切った。真剣な双眸に見据えられ、私の背筋が伸びる。ごくり、と喉が鳴った。


「これは一族の総意ではないわ」


「えぇー……」


 思わず、情けない声が出る。最悪じゃないですかと呟くと、まぁねとヴォルフさんは飄々と返してきた。

 シレッとした言い方が憎らしい。私も図太いけど、ヴォルフさんも大概だよね。


 クーア族の人達に、私が主に相応しいと認めてもらえるか。それから、私自身が、クーア族の主になる覚悟が出来るか。その二点しか心配していなかった訳だが、ここにきて大前提が崩れるとは。そもそも主がいらないんだったら、私の葛藤は必要なかったんじゃないか?


「そんな大事な事、勝手に決めたらまずいですよ」


「何度も話し合いの場を設けたわ。でも頑固な爺共は一蹴して、ろくに話を聞こうともしない」


「だからって強行策は如何なものかと……余所者の私が言うのもなんですが、もっと時間をかけるべき案件だと思いますよ」


「いつかじゃ駄目なのよ。それじゃ遅いの」


 ヴォルフさんの表情は、どこか切羽詰まっているように感じた。諌めるべきだと分かっていても、その顔を見ていると何も言えなくなってしまう。


「私達には技術と知識がある。それなのに、なにもせずに山奥に引き篭もって、ゆるやかに滅びていくのを待つなんて絶対に嫌だわ」


「滅びって……」


「クーア族は山奥に隠れ住み、外界との関わりは薬を売りに行く時だけ。訪問する村や町にも規則性はないから、探し出すのは困難と言われている。でもね、根気強く待ち伏せすれば、会える可能性はゼロではないわ」


 確かにそうかも。

 ゲオルク達が教えてくれた情報でも、フランメ南東の山脈の何処かに住んでいるという事は分かっていたし。その麓の村や町で情報を集めれば、会える可能性はある。


「そして、思いついて実行に移すのが善人だけとは限らない。ううん。大抵ロクでもない奴の方が、悪知恵が働くものよ」


 そういってヴォルフさんは、襟元を寛げた。体に残る、いくつもの傷跡。

 考えてみれば、薬師であるヴォルフさんが傷だらけというのは不自然だ。私は話の流れから推測して、やがて嫌な結論に至り、青褪めた。


「私達の持つ薬は、人によっては黄金以上の価値を持つ。安直に殺して薬を奪おうと考える馬鹿や、捕まえて売り払おうとする悪党が、結構いるのよ」


 まぁ、返り討ちにしてやったけど。そう言って笑うヴォルフさんの顔に、陰りはない。けれどそれが逆に、心の傷の深さを思い知らせた。


「一族の中には、山を下りるのを止めようとまで言い出す人もいるわ。外界との関わりを完全に断つべきだ、収入がなくとも、作物を育ててひっそりと暮らしていければ、それでいいだろうってね。でも、それじゃ私達は、何のために存在するのか分からないわ。祖先が守り受け継いできた知識と技術に、意味がなくなってしまう」


 ヴォルフさんの目には、強い光が宿っていた。どうしようもない壁を前にしても、立ち止まらずに抗う、そんな苛烈な光だ。


「救える命があるのに、保身のために見捨てるなんて……もう御免だ」


 初めて聞いたヴォルフさんの本音は、とても重かった。

 何も言えずに唇を噛み締める私を見て、少しバツが悪そうに眉を下げて、彼は襟元を正した。


 気まずい沈黙が流れた頃、見計らったかのようにカラスが戻ってきた。

 軽く食事をした後、私はいつの間にか眠ってしまったらしい。二人に見張りを押し付けたのは申し訳ないが、お陰で大分回復したように思う。

 ヴォルフさんの薬は効果てきめんで、足の痛みは、朝にはかなりマシになっていた。


 早朝に出発し、細い道を進む。朝もやのせいで、視界はかなり悪い。

 前を歩くヴォルフさんの背を見失わないように、私は必死について行った。


「もうすぐ見えるわ」


 ヴォルフさんがそう言ってから、そろそろ一時間くらい経つ。

 もうすぐってどれ位だろう。私が胸中で弱音を零したのとほぼ同時に、ヴォルフさんは足を止めた。

 視線で促され、彼の隣に並んだ。


 白くけぶる景色の中、小さな集落が姿を現す。


「うわぁ……」


 険しい山に挟まれるようにして、ひっそりとその村はあった。

 斜面に沿って並び立つ家々の間を縫うように、細い道が通る。柵に囲われた場所には、山羊や牛と思わしき生き物の姿があった。その奥には、広大な畑が広がっている。


「ここが、クーア族の村ですか」


「そうよ。私が生まれた場所」


 なんにもないけどね、とヴォルフさんは茶化して言った。


「取り敢えず、私は先に行くから、アンタはここで待っていて頂戴」


「えっ。置いていくんですか!?」


 こんな見知らぬ場所で放り出される事が心細くて、私は縋るようにヴォルフさんを見る。彼は、宥めるように私の肩を軽く叩いた。


「すぐに仲間をよこすわ。私が父親を説得するから、それまでソイツの家に隠れていて欲しいの」


「すっごい突貫工事といいますか、行き当たりばったりな作戦ですね……」


「アンタに出会えた事自体、想定外の出来事だったからねー」


 私は呆れて嘆息するが、ヴォルフさんは全く堪えた様子もなく飄々と笑った。


「大丈夫。ちゃんと迎えに来るから、待っていて」


「その必要はない」


「!?」


 ヴォルフさんの声に、別の声が被さる。

 咄嗟に振り返ると、目の前に槍先が突き付けられた。[となり]を歩いていたはずのカラスの姿はなく、代わりにいたのは見ず知らずの男の人。よく見れば、彼だけではない。いつの間にか、囲まれている。


「お出迎え、ご苦労様ね」


 ヴォルフさんは低い声で言い放ち、私を背に庇うように立った。

 私達を取り囲む人達は、おそらくクーア族の人間。でも、ヴォルフさんの味方ではないのだろう。


 もしかしなくとも、ピンチってやつですか。


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