転生王女の道中。
「この辺りは岩が多くて歩き難いから、足元気をつけなさいね」
親愛なるレオンハルト様。
暑い日が続いておりますが、如何お過ごしでしょうか。
「おーい。生まれたての仔馬みてぇに足震えてますけど大丈夫ですかい?」
まだフランメに着いたばかりだというのに、もう何年もレオンハルト様の顔を見ていないような感じがします。
ホームシックには早すぎるって、笑われちゃいますね。
「ちょっとマリー。アンタ、人語をしゃべれなくなってない?」
目を瞑れば、遠い祖国の景色が思い浮かびます。
川の向こう岸には綺麗な花畑が広がっていて、誰かが手を振っているんです。見覚えはない筈なのに、何処か懐かしい。ああ、あれは……。
「こりゃ駄目だ。おい兄さん、休憩挟まないと姫さんが昇天するぞ」
「マリーしっかり! 私が分かる?」
「……さんねんまえに、亡くなったおばあちゃん……ごふ」
「マリー!!」
慌てたヴォルフさんの顔を最後に、意識がブラックアウトし、私は他界した祖母のいる彼岸へと渡ったのであった。完。
「はい、水」
水筒を震える手で受け取る。甲斐甲斐しく介助してくれるヴォルフさんの手を借りながら、なんとか口に運んだ。水が食道を伝い落ちる感覚が、気持ち良い。何度か噎せながらも飲んでいると、ようやく頭がまともに働くようになってきた。
「いきかえった……」
そもそも死んでねーよ、と脳内でセルフツッコミを入れる。
ていうか、三年前に亡くなったお婆ちゃんって誰だ。祖父母は私が生まれる前に他界してるし、前世のお婆ちゃんは私よりも元気だったよ。むしろ私の方が先に死んだよ。
「やっと人間に戻れたようで、なによりですよ。さっきまでコフーコフーっておかしな呼吸してたから、どうしようかと思いました」
うん、我ながらダー○・ベイダーみたいだなって思ったよ。
息切れ起こして喋れないし、足はガクガクだしで、さっきまでの私はだいぶ人類から遠ざかっていた。
でも、しょうがないじゃないか。
「城育ちのひ弱な小娘に、山登りは無茶だよ……」
項垂れる私の視界に映るのは、裾野に広がる森や、赤い大地。遠くの方には、水平線も見える。
私の現在地は、フランメ南西にある山の中腹。
つまり、絶賛登山中です。どうしてこうなった。
「アンタの選択の結果だ。諦めて受け入れて下さいよ」
「ぐぅ……」
正論を突き付けられた私は、小さく唸る。反論は思い浮かばなかった。
「こっから先は背負いましょうか? アンタ、もう限界でしょ?」
「それ、父様に報告するつもりだよね」
「そりゃ当然っすわ。お姫様は、自分が大事に大事に抱えて登りましたよーって」
「這ってでも自力で登るわ」
間髪入れずに返すと、カラスはニヤリと笑った。そう言うと思った、と言いたげな顔付きに悔しくなる。どうせ私は、なんでも顔にでますよ。そのくせ、無表情キャラだと自分では思ってた痛い奴ですよーだ。
「私が抱えるわよ。マリーは私の、大事な主なんだから」
ぽん、と頭の上に手を置かれる。見上げると、ヴォルフさんが私を覗き込んでいた。慈愛の篭った眼差しを向けられ、恥ずかしいような、居心地が悪いような気持ちになる。
「まだ主になるって、決めた訳じゃないです」
複雑な思いを抱えたまま、憮然と呟く。するとヴォルフさんは柔らかな笑みを崩す事なく、分かっているわと告げた。
あっさりと肯定されてしまい、私は反応に困った。ヴォルフさんが何を考えているのか、分からない。今も、あの時も。
『どうか、私達の主人になって頂けませんか?』
廃屋でヴォルフさんからそう言われた時、私は固まった。あまりの事に、脳が理解を拒んだんだと思う。なんの反応も出来ずに硬直する私の後ろで、カラスが呆れと同情が入り混じったような声で、『えげつない』と呟いていた。
銅貨握り締めておつかいに来たガキに、店ごと売りつけようとするとか鬼畜、とも言っていた。本当にね。
ヴォルフさんが、本当に私に主になって欲しいのか。それとも別の意図があるのか。私は彼の発言の真意を、未だ測れずにいる。
仮に、本気で私を主にしたいと思ってくれているとしても、簡単に答えは返せない。
私は確かにクーア族の技術と薬を必要としているけれど、一族丸ごと雇うなんて、分不相応な事を考えてはいなかった。
ならば断るかと聞かれると、それも返答に困る。前述した通り、私は薬が欲しい。それも、出来るだけ多く。
病の蔓延を防ぎたいと願うなら、ヴォルフさんの申し出は受けるべきだと思う。でも、私にはその覚悟がない。受け止めるだけの器もない。
卑怯で中途半端な事は理解しながらも私は、答えを先延ばしにする事を選んだ。返事を保留したまま、クーア族の村を目指している。なんて狡い。
「そんな顔しなくてもいいわよ」
どんな顔をしていたのか、自分では分からない。でも、おそらく酷い顔をしていたんだと思う。微笑みを苦笑に変えたヴォルフさんは、慰めるみたいに、私の頭を撫でた。
「返事を保留したのは正解だわ。私はまだ、マリーに話してない事が山ほどあるし」
「そうだな。そもそも姫さんを主にしたいってのが、一族の次期長としての言葉なのか、個人としての希望なのか、それすら聞いてない」
「鋭いわね」
カラスが口を挟むと、ヴォルフさんは軽く目を瞠った。
そういえば、発言が衝撃的過ぎて考えてなかったけど、クーア族の意向はどうなんだろう。頑なに主を持たなかった一族が、今更誰かに仕えたいなどと考えるだろうか。それに、主が私のような小娘で納得出来るのかな。
私とカラスの視線が、ヴォルフさんに集中する。
彼は困り顔で頬を掻いた。
「まぁ、聞きたい事も色々あるだろうけど、取り敢えず出発しましょうか。夜になる前に、もう少し進みたいわ。こんな場所で夜を明かすのは御免よ」
ヴォルフさんは、足元の岩を蹴りながら言った。
ここは、大小様々な岩が転がっていて横になれないし、且つ吹きさらしだ。小休憩ならともかく、一晩越すには向かない。
頷いた私は立ち上がる。
足はまだ少しふらついていたけれど、呼吸は大分整った。
よし、いける。たぶん。
「背負いましょうか、お姫様」
からかう口調のカラスを、私は軽く睨み付けた。
「這ってでも登るって、言ったでしょう?」
「アンタ、結構図太いよね。あと頑固」
「今頃分かったの?」
おかしそうに喉を鳴らして笑うカラスを放置して、私は歩き出した。
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