転生王女の動揺。(3)
「さぁ、どう料理しようかしら?」
マウントを取ったヴォルフさんは、ニヤリと口の端を吊り上げる。強面な彼がそういう顔をすると、中々に悪人顔だ。正直、どっちが悪役なのか分からない。
対する侵入者は、抵抗もせずに大人しくしている。気怠げな表情に変わりはないが、少しだけ寄った眉に悔しさが滲んでいるような気がした。但し、ヴォルフさんへの感情というよりは、気を抜いた己に対する自嘲に見える。『なにしてんだ、オレ』。ゲーム内で聞いたセリフが脳内で再生された。
そう、ゲーム内で聞いたのだ。
改めて侵入者の顔を、じっくりと観察する。
ウェーブのかかった柔らかそうな黒髪は、襟足が短いのに対し、前髪は長めだ。その間から覗く目尻の下がった瞳は、赤に一滴の墨を落としたような色をしている。伏せた長い睫毛が印象的な瞳に影を落とし、ゾクリとする程の色気を纏う。
「あー……最悪だ」
力なく呟く声は、甘めのテノール。
不明瞭だった記憶が、少しずつハッキリとしてくる。断片的な映像をつなぎ合わせ、目の前の人をもう一度見て、私は確信した。
人違いではない。やっぱり、カラスだ。
乙女ゲーム『裏側の世界へようこそ』に登場する主要キャラクターの一人にして、最後の攻略対象。暗殺者、カラス。
年齢は不明とされていたけれど、ゲーム開始の時点での推定年齢は二十代半ばだった筈。退廃的な雰囲気を纏う、長身痩躯の美青年。ゲームの発売前は、お色気担当と呼ばれて人気も高かった。
容姿が好みという、ごく単純な理由で。
しかし、いざゲームが発売となり、情報が明らかになっていくにつれて、皆の反応は微妙なものとなっていった。
理由は他の攻略対象と同じく、地雷ともいうべき裏の顔を知ってしまったからである。彼、カラスの場合はゲイ。所謂、同性愛者だ。
他人の性的指向について、とやかく言う資格はないけれど、乙女ゲームの攻略対象としては、ちょっとブッコミ過ぎだと思う。
性別という越えられない壁が存在するのに、どうやって恋愛しろって言うんだ。無茶振りにも程がある。いい加減にしろ。
「で、アンタは一体何者なの? 誰の差し金で私達を狙ったのかしら」
胸ぐらを掴んで顔を近づけ、ナイフの切っ先を突きつけたヴォルフさんは、カラスを尋問した。私自身も知りたかった為、過去の記憶を掘り起こすのを一旦止めて、耳をそばだてる。
「一緒の船に乗っていたわよね。我侭お嬢様の侍女が倒れた時、部屋を明け渡してくれたのはアンタだったわ」
ヴォルフさんの言葉を聞いて、私は漸く思い出した。
そうだ。ミアさんのために部屋を移ってくれた人だ。外套のフードをずっと被っていたから、クーア族じゃないかと思った事もあった。
暗殺者が、ごく身近にいたんだ……。怖っ。
かなり気を抜いて生活していたけど、よく生きていられたなぁ、私。
「海賊に襲撃された時に共闘してくれたのは、単純に利害の一致だったの?」
ヴォルフさんは、質問を投げかける。
しかしカラスは口を開かない。不機嫌な顔付きで、むっつりとしている。
自分の命よりも依頼を優先させるプロ根性……という格好良さげな感じではない。てゆうか、気のせいでなければ、なんか怒ってないか?
年上の男性には似つかわしくない表現だとは理解しているが、端正な横顔が不貞腐れた子供のソレに見えた。
「だんまり?」
ヴォルフさんは、呆れ混じりの溜息を吐き出す。
彼が顔を上げるのと同時に、カラスは足を僅かに動かした。離れていた私だから気付けたのであって、ヴォルフさんの位置からは見えない。
カラスはブーツの踵を床に押し付ける。すると爪先の方から、刃が出た。私は思わず息を呑む。
映画で見たようなカラクリだとか、そんな感想を抱いている場合じゃない!
「避けて!!」
「……っ!?」
カラスが足を振り上げる前に、私は叫んだ。
ヴォルフさんは即座に反応して、カラスの上から飛び退く。カラスは俊敏な身のこなしで跳ね起き、ヴォルフさんから距離を取る。
再び接近戦が始まるかと思いきや、カラスは私へと駆け寄って来た。
ターゲットは私ですかい!!
掻っ攫うように腹に腕を回され、抱え上げられる。
この体勢、何度目かな!? 腹部にかかる負荷に慣れ始めてきた自分が嫌だ。
扉を蹴破るように開けたカラスは、外へと飛び出す。雨粒が、容赦なく私の体を濡らした。
「マリーッ!!」
「ヴォルフさんっ!」
焦った顔で私を呼ぶヴォルフさんに、手を伸ばす。
もう誰が敵で、誰が味方なんだか。分からないけれど、カラスよりはヴォルフさんの方が信用出来る。
「離してっ!!」
カラスの背を拳で殴るが、堪えた様子はない。細身に見えて、しっかりと筋肉のついた体は私如きの力では、痣一つつかないだろう。
しかしカラスは私の行動に苛立ち、舌打ちをした。
「あーもー、本当アンタ面倒臭いな」
「……へ?」
「つうかアンタを攫ったのは、あの男だろ。何で、そっちに助けを求めるんだ? オレは助けに来ない方が良かったですかね、お姫様」
「……助け?」
「そう、助けに来たんですよ。お分かり?」
飄々と言ってのけるカラスに、私は唖然とした。理解が追いつかない。
確かに、初めに私を攫ったのはヴォルフさんだ。その彼に助けを求めるのは、おかしな話かもしれない。
でも、だからといって、カラスが私の味方?
「それはない!」
「……あん?」
思わず否定すると、カラスの声が一段階低くなった。このクソガキ、と罵られそうな凄み方だ。
「だ、だだだだって! 貴方が私を助ける理由がないでしょう!?」
「?」
私が吃りながらも叫ぶと、カラスは黙り込んだ。
「……アンタ、オレの事を陛下から聞いていたんじゃないのか?」
「え? それは、どういう……」
思いがけない質問をされ、咄嗟には反応出来なかった。
陛下? 陛下って、どこの陛下?
まさか、うちの父親のことじゃないよね……?
私が答えられずにいると、後ろからヴォルフさんの声が聞こえてきた。マリー、と必死に呼ぶ声に顔を上げると、カラスは数秒の沈黙の後、口を開く。
「姫さん、オレの質問に簡潔に答えてくれ」
「は?」
「後ろから追ってくる男は、アンタにとって排除すべき敵か?」
「いいえ!」
私は即座に、ノーと答えた。
味方かと問われたら、即答は出来なかったと思う。ヴォルフさんが私を傷付けるとは思えないが、攫った目的は未だ不明なんだから。
でも、排除すべき敵ではない。絶対に。私は彼に死んで欲しくなんかない。
「このまま国に逃げ帰るのと、薬師の男と話をするのと、どっちがいい?」
「こ、後者で!」
「分かった」
カラスは頷いて、足を止めた。
追いかけて来たヴォルフさんも、その事に気付いて戸惑っている。罠かと疑っているのか、距離をあけて立ち止まる。
「ヴォルフ・K・リュッカー」
「……なに?」
フルネームを呼ばれ、ヴォルフさんは怪訝な面持ちで返事をする。
「アンタは、この姫さんの敵か?」
ヴォルフさんは、虚を突かれたように目を見開く。
しかし、すぐに表情を引き締めると頭を振った。
「いいえ。……マリーを攫った私が言っても説得力はないかもしれないけれど、この子を傷付ける事だけは絶対にしないわ」
ふぅん、とカラスは、やる気なさげな相槌を打つ。
「で、姫さん。どうする? 信じる?」
カラスは、私の目を見て問う。選択権を委ねられたのだろうが、どうにも、試されている心地がする。
私は困惑しつつも、頷いた。するとカラスは、私を地面に下ろす。意外と重いな、とボソリと呟かれ、私は密かにショックを受けた。
この鳥、失礼過ぎるんですけど!?
「……ん?」
頭の中で叫んでから、ふと何かが引っかかった。
鳥? そうだ、鳥って単語を思わせぶりに使っていた人がいたよね。
『鳥』、『陛下』、『助けに来た』。
この三つの言葉を繋ぎ合わせて、私の中に浮かび上がった答えがあった。
「もしかして……父様の『鳥』?」
呆然としている私の呟きを聞いて、カラスは呆れ顔になった。
「今更分かったのか?」
頭の回転が遅いと、言外に貶された気がする。するが、今はそれどころではない。
カラスが、父様の『鳥』? ゲームと設定が違うんですけど、どうなってるの?
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