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転生王女の客人。(2)

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致しますm(_ _)m

 


 呆けている私を放置し、話は進んでいく。

 ヴォルフさんも医者も、魔法というものを信じてはいないようだった。ネーベルの民ですら疑っている人間がいるというのに、他国の人間に信じろというのは無理な話だろう。だがミハイルは、ナイフで自分の掌に傷を付け、目の前でそれを治してみせるという力技で強引に納得させていた。


「オレの魔法は万能ではありません」


 ミハイルは、そう切り出した。


 曰く。癒やしの力といっても、なんでも治せる訳ではない。

 ミハイルが出来るのは、その人間の持つ治癒力を引き出す事だけらしい。


「投薬や手術が必要な病気は治せません。今回の毒のように、特殊な治療が必要な怪我も同じです」


 自分に出来るのは、傷を塞ぐことくらいだとミハイルは言った。


「血を止められるなら、充分だわ」


 驚きに声を失っていたヴォルフさんだが、我に返るのも早かった。使えるものは何でも使うと言わんばかりの顔で、彼は頷いた。


「ただ、それにも問題があります。強引に治癒力を引き出す訳ですから、体力を奪います。傷が塞がるより先に体力が尽きてしまえば、……」


 ミハイルは、語尾を濁す。しかし、彼が言いたい事は分かった。分かってしまった。

 私は、視線を落としてクラウスを見る。紙のように白い顔をした彼に、そんな大きな傷を治せるだけの体力が残っているのだろうか。

 頭の中が真っ白になる。足に力を込めていないと、その場にへたり込んでしまいそうだった。


「なら、尚更ね」


「ああ。とっととやるか」


 ヴォルフさんと医者の声には、覚悟を決めた潔さがあった。

 持ち場に戻った彼等に倣い、ミハイルも腕捲りをして用意を始める。狼狽えているのは、私一人だった。


「マリー」


「は、はいっ」


 ヴォルフさんに呼ばれた私は、顔をあげる。また叱られると、身を固くした。

 しかし予想を裏切って、ヴォルフさんは優しい眼差しを私へと向ける。


「無理しないで、座ってなさい」


「い、いいえ! 私もここで……」


「出て行けとは言わないから。そこで、声をかけてあげて」


「えっ」


 邪魔だから退いていろと、いつかのように言われるかと思っていた。役に立たないなら、ここにいる資格はないと、そう思っていたのに。

 涙が滲んで視界がぼやける。苦笑と共に、泣くんじゃないわよ、という声が降ってきた。


「アンタの声が一番届くと思うわ。ちゃんと、引き止めなさい」


「……はいっ」


 滲んだ涙を拭い、私はクラウスの枕元に跪く。

 顔を覗き込んで、頬にかかる髪を指で退ける。パリ、と乾いた音がして、赤黒い粉が落ちた。返り血なのか、クラウス自身の血なのか。分からない程に、彼は全身血塗れだ。

 血と泥で汚れた体が、肌に走る無数の傷が、教えてくれる。クラウスが、どれほど私を守ろうとしてくれたのか。どれだけ必死に、戦ってくれたのかを。


「クラウス」


 頬に触れる。もう片方の手は、クラウスの手の甲を包むように重ねた。大きさが違い過ぎて、包みこむというより、縋るみたいになってしまったけど。


「クラウス、お願い」


 頑張って、と。

 何度繰り返したか分からない言葉を呟く。するとクラウスの体が、大きく跳ねた。

 目は閉じたままだが、眉間にシワが深く刻まれた。苦悶の表情を浮かべたクラウスは、くぐもった呻きを洩らす。

 痛々しい声に混ざって、刃が肉を切り裂く生々しい音がする。麻酔なしの切開は、痛いなんてもんじゃないだろう。きっと拷問に近い。


「っぐぅ……っ!!」


「クラウスっ!」


 ベッドに爪をたてる大きな手を、しっかりと上から握る。邪魔かもしれないけれど、何もせずにはいられなかった。

 馬鹿みたいに、何度も何度も名前を呼ぶ。


「そっち押さえて!」


「分かりましたっ!!」


 ヴォルフさんの指示に、ミハイルが返事をする。痛みから逃れようと動くクラウスの体を、二人がかりで押さえていた。


「ぐあぁああああっ!!」


 口に噛ませていた布が外れて、クラウスの悲鳴が響く。獣の咆哮のような、壮絶な声だった。

 このままじゃ、舌を傷付けてしまう。慌てて私は、布を再び噛ませようとした。でも動かれて上手く入れられない。

 どうする事も出来ないまま、口は硬く閉ざされてしまった。噛み締めた口の端から、一筋の血が流れる。

 舌を噛んでるのかと、私は青褪めた。


「クラウス! クラウス!!」


 両手で彼の頬を挟み込んで、大きな声で名を呼ぶ。


「終わったぞ!! あとは頼んでいいんだな、兄ちゃん!?」


 ガチャン、と金属の器具を放る音がした。

 医者は詰めていた息を大きく吐き出してから、ミハイルへと声をかける。


「はい!」


 返事をするなりミハイルは、掌を患部へと翳した。

 手元を凝視する目は強い意志を宿し、鋭く輝いた。彼の額に玉の汗が浮かぶ。おそらく、相当の集中力を要求されているのだろう。見守る私の前で、ミハイルの瞳が、黒から青緑へと変わる。ルッツやテオのような劇的な変化ではないが、まるで深い湖のような複雑で美しい色だった。

 やがてミハイルの手が淡く発光する。柔らかな光は周囲をほの明るく照らし、ミハイルの端正な顔に陰影を作った。


 クラウスに変化が起こったのは、それから暫く経過した頃だ。

 強張っていた体から、ゆっくりと力が抜ける。シーツを掻き毟っていた指も弛緩し、手の甲に浮かんでいた血管も消えた。

 痛みから解放された安堵ならいい。

 でも、そうだと判断するには顔色が悪すぎた。

 眉間のシワも消えたクラウスの顔は、酷く整っていて、逆に不安を煽る。まるで蝋人形みたいで、生気の欠片も感じられないのだ。

 胸騒ぎが止まらない。背筋がざわつく。

 重ねた手の冷たさに、私は叫び出しそうな恐怖を覚える。


 ひたり、と。死神の足音を聞いた気がした。


「っ……クラウスっ!!」


 怯えを振り払うが如く、私は声を張り上げた。


「許さないわよ! 勝手に死ぬなんて、絶対に許さないんだから!!」


 小刻みに揺れる体と同様に、声も無様に震えている。しかし構わずに叫んだ。


「貴方は、私の護衛でしょう!? こんな場所で、放り出すの!? そんなの無責任じゃない!!」


 何を言っているんだと、自分を殴りたくなった。

 もう充分護ってもらった。職務以上に頑張ってくれた。

 無責任なのは寧ろ私の方だ。己の身一つ守れないくせに、危険な場所に飛び込んで、周りの人を振り回している。


 ねぇ、クラウス。私は貴方に同行を頼むべきじゃなかったのかな。

 もしくは、旅に出るべきではなかった? 

 何の力も持たない小娘が、世界の未来を変えられるかもなんて思い上がって。私の無知と傲慢が、今、貴方を殺そうとしている。


 両手で握ったクラウスの手の甲に、大粒の涙が降り注ぐ。落ちて弾けた雫は、乾きかけの血と混ざり合って伝い落ち、薄く赤い筋を残した。


「クラウス、ねぇ、クラウス……!!」


 こんな風に置いて行かれてしまったら、私はいったい、どう貴方に報いたらいい?


 距離を詰めようとする貴方を、何度も拒絶した。

 押し付けられる敬愛も忠誠も、頑なに受け取ろうとはしなかった。


 いつまで経っても、私にとっての貴方は、面倒くさくて厄介な護衛のまま。

 出会った頃から、なにも変わっていない。否、変わっていないと、思っていた。


 こんなに、頼りにしていたのに。

 苦手だと、面倒くさいと思いながらも、頼っていたのに。


 もう一人の兄みたいに、思い始めていたのに。


「し、死んだら、私、一人で行くからっ!! クラウスなんて……っ、ここに置いて行っちゃうんだからね!?」


 我ながら、呆れる程に滅茶苦茶な言葉だった。

 子供の我が儘より始末が悪い。五歳児だってもう少し、マシな語彙力を持っているだろう。


 情けないと思ってはいても、黙る事は出来ない。静寂が何よりも恐ろしかった。


「ネーベルに、帰れないしっ……、貴方のこと知らない人ばっかりだから、お墓だって荒れ放題になるわ! わたしの護衛だって、べつの、ひとになるんだから……!! いいの!?」


 絞り出した声は掠れている。

 嗚咽が混じって酷く聞き取り難いだろう。おまけに支離滅裂で意味不明。ただのヒステリーとしか思えない。


 それでも、――届いたのだ。

 届けと願った、ただ一人に。 


「それは、こまります……ね」


「!?」


 一瞬、何が起こったのかを理解出来なかった。

 まず疑ったのは聴覚。次いで視覚。

 握りしめていた手が、僅かに動いたのだ。温度を失い、力をなくしていた手が、私の手を握り返した。それがどれ程私を驚かせたのか、言葉で表すのは難しい。


 動きを止めた私が見守る中、硬く閉じられていた瞼が震え、ゆっくりと開く。

 現れた翠の瞳は焦点が合っていなかったが、やがて意志を持って動き出す。

 右へ、左へ。緩やかなスピードで移動した瞳が、私の姿を捉える。柔らかに細めた目で見つめられ、私は動揺した。


「ローゼ、マリーさま」


「……っ」


 ヒクリと、喉が震えた。話したいのに、喉の奥に声が貼り付いて上手く出せない。夢じゃないと確認したいのに。ならば目で、と思うが視界も酷い。滲んで歪んで、まともに機能していないじゃないか。なんて役立たずな。

 雫が伝い落ちて、頬がひりつく。なんだか喉も痛い。耳鳴りもする。


「あぁ、泣かないで……体が、動かないんです」


 クラウスは、困ったみたいに呟いて、唇を歪めた。


「これじゃあ貴方の涙を、拭えません」


 何を言っているんだか。 

 そんな気障な事をする貴方じゃないし、それを許す私でもないでしょう。


 元よりお断りよ、と突っぱねる。

 するとクラウスは、酷いな、と目を伏せて笑った。



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