転生王女の懇願。(2)
レオンハルト様の目を見つめ、私は想いを吐き出した。
真っ直ぐに見つめる先、レオンハルト様の鋭い目が、大きく見開かれる。
純粋な驚愕のみを浮かべる黒曜石の瞳に、私の姿が映り込んだ。肩で息をする私は、まるで熱に浮かされたような顔をしている。
「……!」
冷や水を浴びせられたように、急速に頭が冷えた。
一拍遅れで、達成感と同時に大きな後悔がやってくる。
こんな顔で私は、レオンハルト様に向けて今の言葉を言ったのか。
そんなの……好きだと叫んだも同然じゃないか!
「……ぅ、あ」
呻きのような声が洩れた。
零れ落ちた言葉は、もう取り返せない。いっそ気付かないでくれたらと悪足掻きのように願うが、愕然としたレオンハルト様の表情を見れば、その可能性も潰える。
真っ直ぐに見つめてくる瞳から、視線を逸らせない。
無意識に掌を押し当てた胸から、壊れそうに早鐘を打つ鼓動が伝わる。緊張に口の中がカラカラに乾く。喉を湿らせるために嚥下した音が、やけに大きく響いた気がした。
レオンハルト様の瞳が、ゆっくりと眇められる様を、絶望を抱きながら見守る。
全身の血が引くような恐怖が、じわりじわりと迫って来る。怖い、逃げ出したいと、心から思った。
昔から私は、彼に向ける好意を隠した事はなかった。
おそらくバレバレだった思う。でもそれは、憧れだと判断されていた。幼い少女が大人の男性に向ける憧憬。時期が来れば思い出に変わる、恋とも呼べぬような淡い感情だと。
だからこそレオンハルト様は、私の好意を今まで跳ね除けなかった。
拒絶するまでもなく、いつか消えるものだと思っていたから。
でも私は今、示してしまった。
これは一時だけの熱病ではないと。自分の未来を賭けてもいいと、決断してしまえる位に、重くて厄介な感情だと、自ら暴露してしまった。
結果、レオンハルト様がどういう行動に出るかなんて、火を見るより明らかだ。
望みの薄い初恋のために、幼い王女が自分の未来を無謀な賭けに投じようとしていると、彼が知ったら。
そしてその相手が自分自身なのだと、知ってしまったら。
彼はきっと、私の恋を終わりにしてしまう。
残酷なまでの優しさで、切り捨ててしまう。
私には不要なものだと、勝手に判断して。
「……ローゼマリー様」
「っ……!」
静かな声が、私を呼ぶ。
初めて彼が私の名を呼んでくれた。でも、それを単純に喜べるほど、私はお気楽じゃないし察しも悪くない。
いやだ。
いやだ、止めて。お願い。
駄々をこねる子供みたいに、いやいやと、何度も頭を振る。
困ったように眉を下げるレオンハルト様に、申し訳ない気持ちが込み上げるが、引き下がる訳にはいかなかった。
往生際が悪いと言われても、譲れないものがある。
「オレは、」
形の良い唇が、ゆっくりと言葉を紡ぎ、私へ引導を渡そうとする。
ひたひたと迫り来る絶望の足音を聞きながら、私は大きな声で叫んだ。
「だめっ!!」
座席から転がり落ちるように立って、レオンハルト様にしがみ付く。咄嗟に支えようと屈んでくれた彼の唇を、両手で押さえた。
私を抱き留めたレオンハルト様は、物理的に口を塞がれて、唖然としている。
掌に感じる唇の感触に、照れる余裕さえない。
ぐいぐいと指を押し付ける私を見て、彼はどうしたものかと途方に暮れていた。
無理矢理引き剥がす事も出来ず、されるがままのレオンハルト様を見上げ、私はもう一度、声を絞り出す。
「言っては、だめ。いやです……っ!!」
涙声で縋るなんて、我ながらなんて狡い。幼い少女である自分を、最大限生かした汚い手だ。
優しいレオンハルト様が、泣き出しそうな子供の手を振り払えるはずもないのに。
分かっていても、引き下がれない。
「まだ、振らないで」
震える声で、呟く。
物言いたげな漆黒の瞳を見つめて、懇願する。
「今の私に、答えを出してしまわないで下さい」
「…………」
レオンハルト様は、無言で私をじっと見下ろしていた。
彼の大きな手が、私の両手に触れる。緊張と恐怖に固まっていた指の強張りを解くように、ゆっくりと外される。
唇から私の手が外されても、彼は何も言わない。
無言で私の体を抱え上げ、そっと座席に下ろされた。
馬車の床に躊躇いなく跪いたレオンハルト様の手が、俯く私の頬に伸ばされた。
目の下を撫でる指が、雫を掬い上げる。表面張力で辛うじて止まっていた涙は、いつの間にか零れ落ちていたらしい。
「泣かないで下さい」
弱り切った声に、少しだけ顔を上げる。
レオンハルト様の雄々しい美貌は、声と同じく困ったように顰められていた。
「貴方に泣かれると、どうしたら良いか分からなくなる」
優しい仕草に、余計に涙が出た。
涙腺は決壊し、ボロボロと大きな雫が頬を滑る。
「もう少し、待って……」
肩を震わせ、しゃくり上げながら言葉を続ける。
「振るなら、成人してからにして下さい。年齢なんて、努力ではどうにもならない事を理由に振られたくないです」
子供だからなんて理由で拒絶されても、私はたぶん、レオンハルト様を諦められない。
「もしくは、貴方に……」
「……姫君?」
不自然に言葉を途切れさせた私を、レオンハルト様は気遣う表情で覗き込む。
これから先を言う事には、勇気が必要だった。可能性に目を瞑り、我儘で一方的な約束に縛り付けてしまいたいと思った。
でも、出来ない。
逃げ道一つ残さずに、好きな人を縛り付けるなんて、出来っこない。
正義とか倫理とか、そんなんじゃなくて。
レオンハルト様に、軽蔑だけはされたくなかった。
「貴方に、…………好きな人が、出来るまで」
言った瞬間、新たな涙が溢れ出した。
想像しただけで、心臓を握り潰されたような痛みが襲う。洩れそうになる嗚咽を、唇を噛み締めて耐えた。
「……姫君」
そっと目尻を撫でる指の感触。
鋭い目が宿す、意外なほどに優しい光。
顰められた眉の間、くっきりと刻まれたシワ。
全部、好き。
全部、誰にもあげたくない。
私に向けてくれる表情も言葉も、全部私だけの宝物にしておきたい。
でも、駄目なんだ。それじゃあ、駄目なんだよ、私。
憐れみで傍に居て貰って、何になる。
同情で縛り付けても、互いに苦しいだけ。
同じ想いを返してもらえないなら、離してあげなきゃ。
先延ばしにして貰った期間、足掻いて、足掻きまくって。それでも駄目なら、後は幸せを祈る位しか、出来ないでしょう?
「……その時は、ちゃんと、振られてあげますから」
傲慢な口ぶりで言って、へにゃり、と顔を歪める。
ちゃんと笑えていますように、と願いながら。
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