転生王女の対話。(2)
「そもそも予測出来ない事態を、完璧に対処出来る人間がいるものか。お前が言っている事は、神になりたいというのと同義だ」
「……でも、父様や兄様は、出来るのではありませんか?」
不可能だと告げる父様に、ぼそぼそと反論する。
思い出すのは、魔導師誘拐事件。
ゲームに出てくるキャラクターの背景として、前もって事件を知っていた私とは違い、父様や兄様には、何の情報もなかったはずだ。
それなのに、チート技を使う私と同じ速度で、事件を追っていた。結果、事件を無事解決し、戦争を未然に防いだ。
それは私から見れば、奇跡にも等しい。
続く道の先に待ち受ける罠を事前に感知し、避ける術を父様や兄様が持つならば、私もそれが欲しいと思った。
「だから馬鹿だと言った」
しかし私の反論は、すぐに父様の言葉によって切り捨てられた。
「ぅぐ……っ」
胸を押さえ、小さく呻く。
抉られた。言の刃に抉られた。
呆れを多分に含んだため息を吐き出した父様は、カウチの上に片足をのせ、私の方へと体を向ける。
思わず見上げた私と、父様の視線がかち合う。意外だが、表情も声も言葉ほどに険はなかった。
いいか、と前置きをして父様は口を開く。
「予測出来ないという考えこそ、改めろ」
思いがけない言葉に、私は固まった。
叱られ、不出来だと責められる覚悟はしていた。だが実際向けられたのは、教え、導くような声と言葉。戸惑うなという方が、無理だと思う。
「……それは、どういう」
「お前が見ていないだけで、大抵の物事には前触れというものがある。ようは、その前触れを察知出来るかどうかだ」
前触れ、と小さな声で繰り返すと、父様は頷いた。
少し考える素振りをしてから、私が抱えていた本を指差す。
「お前が大事に抱えている本を、一時間、このテーブルに放置する。もし、その間に本が破損したとしたら、お前は何が原因だと思う?」
突然のたとえ話に、私は瞬きを数度繰り返した。
戸惑いながらも、言われるままにテーブルを見る。
テーブルの上に置かれているのは、空の瓶、ワインが半分ほど注がれたグラス、それから燭台。
顎に手をあて、考えながら口を開く。
「なんらかの理由で燭台が倒れ、火が燃え移って焼失。もしくは、グラスが倒れてワインがかかってしまうかの、どちらかでしょうか」
「面白みのない答えだな」
「……左様ですか」
真剣に考えた答えを伝えるが、鼻で笑われた。内心で拳を握りしめながらも、平坦な声で返す。
父様は、そんな私の努力を一蹴し、まあいい、と続けた。
「では、燭台が倒れて本が焼失したとする。その場合、お前が事前に出来る事は何もなかったか?」
「いいえ。燭台の火を消すか、燭台そのものを持って、部屋を出れば良いと思います」
「そうだな。ワインも同様で、飲み干すか片付けるかすれば、簡単に回避出来る」
父様は有言実行するかのように、グラスに手を伸ばし、残りのワインを飲み干した。
話をしているうちに、何故父がこんな事を言い出したのか、漠然とだが理解出来てきた。
単純な話だが、分かり易い。本は可燃物で且つ、水に濡れれば駄目になる物。その隣に火や液体を置いたまま目を離す事は、危険極まりない。結果論でなく、想定出来る事態だ。
父様や兄様が、戦争を回避出来たのは、奇跡ではない。神の御業にも等しい直感でもない。
「情報があれば、事前に対策はとれる……そういう事でしょうか」
呟いた言葉に返事はない。
でも、水鏡のように私を映す瞳が、面白げに少し細められた気がした。
パーフェクトな正解ではなくとも、的外れでもないのだろう。
そう前向きに捉え、ルッツの誘拐事件について思い返してみる。
ルッツは、魔法が失われかけているこの世界において、稀少な力を持つ魔導師。他国から狙われる可能性は、充分に考えられる。
そして誘拐を指示したスケルツは、好戦的な国王が治める敵対国。
両方とも、警戒する対象である事は間違いない。
そこまで考えて、首を傾げる。
ならば何故、ゲーム内で、ルッツは誘拐されてしまったのだろうか。
父様も兄様も、ゲーム内と同じく優秀な存在だ。ルッツとテオが城へ来た経緯も時期も、おそらくズレはない。
本と燭台の両方を警戒していたのに、何故、本は燃えた?
「……父様」
「なんだ」
「私が、本と燭台の両方に気を配っていたとします。それでも本が燃えてしまった時は、何が悪いのでしょうか」
「お前の目が悪かったのだろうな」
このやろう、と心の中で毒づく。
「真面目な話をしているのですが」
「私も真面目に言っているが」
無表情の父様は、淡々とした声で返す。
湧きあがった苛立ちを逃がすために、息を吐き出した。追いやられた二酸化炭素の代わりに、冷えた空気が肺を満たす。
少しばかり冷静になった頭で、ふと思う。『目が悪かった』とは、どういう意味かと。
周辺諸国の情勢や自国の動向を正しく把握するには、私の二つの眼球では事足りない。
千里眼を持つ人間なんていないから、当たり前だ。人間離れした父様も、そこは同じ。一応、たぶん、おそらくは。
なら父様の目の代わりに、情報を得てくるのは人。世界各地で情報を集める部下達だ。
目が悪いってのは、つまり。
「それは、人選が悪かったという事ですか」
そういえばルッツの誘拐事件を調べていた時にも、考えた事があったじゃないか。
レオンハルト様が近衛騎士団長に就任する時期が早まったからこそ、先回り出来ているんじゃないかって。
ゲーム内で、事件を防げなかった理由の一つはおそらく、近衛騎士団長の人選。実行犯の一人、近衛騎士ニクラス・フォン・ビューローの異変に気付けなかった事が敗因。
「ギリギリ及第点といったところか」
空になったグラスをテーブルへ置いた父様は、低い声で呟く。
「褒美に、鳥を一羽、お前にやろう」
「は?」
何言ってんだ、コイツ。
突然の話題転換についていけず、真顔で父様を凝視してしまった。おそらく、心の声は、そのまま顔に書いてあったことだろう。
しかし父様は、気にした風もなく続ける。
「いらんのか」
「……意味が分かりません」
「役に立つと思うぞ。我が身が可愛いなら、貰っておけ」
「……」
意味不明すぎる。会話をする気があるのだろうか。
零れ落ちそうになる嘆息を、むりやり呑み込み、目を伏せた。
相手は、天然で傲慢な、生まれながらの王様だ。中途半端に噛み付いても、振り回されて疲労が増すだけ。そう自分に言い聞かせる私の耳に、独白めいた呟きが届いた。
「もう少し不出来だったら、放って置いてやっても良かったんだがな」
「……え?」
小さな声だが、聞き逃せなかった。
不穏な空気を察知し、反射的に目を開ける。ガラス玉のような双眸が、真っ直ぐに私を映していた。
「それは、どういう意味ですか」
声が震えた。
「周辺諸国の中で、一番警戒すべき国はどこだと思う」
父様は、私の問いには答えず、違う問いを投げて寄越す。
唇を噛み締めて睨むが、怯むどころか、欠けらも揺るがない。動揺する自分に落ち着けと繰り返し、口を開く。
「……ラプターです」
ネーベルに隣接する国は、ヴィント、シュネー、グルント、ラプターの四つ。
ヴィント王国は同盟関係にある友好国なので、除外。
北西に位置するシュネー王国は、スケルツ王国との戦争時に同盟を結び、以降の外交関係は良好である。例え敵対関係となり同盟が撤廃されても、険しい山脈に阻まれているので侵攻は難しい。
グルント王国とは同盟こそ結んでいないが、商業的な結びつきは強く、貿易は盛んである。それに、国土面積がネーベルの半分以下の小国であるグルントが、ネーベルに喧嘩を売る可能性は低い。
ゲームの知識として、ラプターが油断ならない敵国であると認識しているが、その情報がなかったとしても消去法で残るのはラプターだ。
ラプターは北東に位置する隣国で、国土の三分の一は凍土に覆われている。
肥沃な大地を持つネーベル王国を欲しがったとしても、不思議ではない。
「ではそのラプターが、ヴィントに近付こうとしているとしたら、どうだ」
「え?」
ラプターが、ヴィントに?
初めて聞く話に驚き、私は目を丸くした。
「そんな話は、……」
聞いたことがない、と言おうとしたが、途中で止めて口を噤む。
聞いた事があるかないかなど、大した問題ではない。父様が知っていて私が知らない情報など、山の様にあるのだから。
大事なのは、それが事実であった場合、予想される未来だ。
「望ましくない事態だと、思います」
ネーベルを敵対視するラプターが、万が一、ヴィントと手を組んでしまえば、挟み撃ちとなる。北東と西側、両方から侵攻されれば戦力を分割せざるを得ない。
「ですが、ヴィント王国は我が国と同盟関係にあります。簡単に裏切るとは思えません」
「同盟は恒久のものではない。長き歴史の中で、期限を待たずに一方的に破棄された同盟の例もある。まあ、周辺諸国からの信用も失墜するだろうから、最終手段とも言えるがな」
淡々と返され、小さく唸る。
悔しいが、その通りだ。前世の世界でも戦乱の世では、戦況によって軍事同盟が破棄された例はある。
可能性は低くとも、警戒しておくべきだ。
「万が一を考え、ヴィントとの繋がりを強くしたいと願う。その場合、一番簡単なのは婚姻だ」
「…………」
引き攣った顔で固まる私の背を、冷たい汗が伝う。
誰と誰のですか、と呆ける事は出来なかった。
ヴィント王国には王子が二人で王女はいない。つまり、兄様とヨハンは除外される。残るのは、私だけ。
政略結婚の文字が頭の中を占め、ぐわん、と視界が揺れるような衝撃を受けた。
王族に生まれたからには、覚悟しなければならないもの。
でも、私はずっと目を逸らし続けていた。
だってそれじゃ私は……レオンハルト様を好きだと思う私の気持ちは、どうなるの。
「お前が顔が綺麗なだけの人形なら、毒にも薬にもならないような男を適当に見繕って、嫁がせようと思っていた。意思のない人形を他国に嫁がせても、役立つどころか害にしかならん。……だがお前は、馬鹿だが人形ではない」
父様の言葉に、更なる衝撃が襲う。
もしかして私は、何もせずに大人しく過ごしていたら、望み通りの結婚も出来たかもしれないって事?
毒にも薬にもならない男という括りに、レオンハルト様が該当するとは思えないが、父様が私の結婚に意味を見出していなかったのだから、可能性としてはゼロじゃない。
私は知らず、自分の首を絞めていたらしい。
「不服そうだな?」
「……はい」
「なら、私が手放し難いと思うような存在になれ」
目を見開いた私を見て、父様は目を細める。
笑顔ではないが、面白がっているのは何となく分かった。小動物を弄ぶ獣のような、嗜虐心が透けて見える。被害妄想かもしれないけど。
「ヴィントの王太子は、今年で十三。あと二年で成人となる。それまでに、お前の価値を私に示してみろ」
このクソ親父。
至極楽しそうに言い放った男を、私は心の中で罵倒した。
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