転生王女の考察。(5)
「本当に申し訳ない」
「どうか、お気になさらないで下さい」
頭を下げるアイゲル家の二人に、私は苦笑を浮かべた。
あの後、『ところで君は誰だ』という今更な言葉から、ゲオルクとミハイルは自己紹介を始めた。私が構って貰えたのは結局、入室から二十分弱が過ぎてからでしたとさ。
入り口付近でぽつーんと佇む私に気付き、皆は慌てて私に謝った。
別に怒ってはいない。男の子同士は、すぐに仲良くなれていいなぁと羨ましくは思ったけどね。
そんな事よりも重要なのは、ユリウス様が言っていた『薬』。
早速切り出した私に、ゲオルクは勿体ぶる事なく話してくれた。
曰く。ユリウス様の下で働く商人が、それを手に入れたのは偶然だったそうだ。
彼がネーベルの港町に滞在していた頃、同じ宿に泊まっていた船乗りが高熱を出した。
だが話を初めて聞いた時、珍しい事ではないと商人は興味を持たなかった。長い航海が続けば体力も落ち、病に罹る者も少なくない。冬である今の時期なら、おそらく風邪。
どうせ数日すれば回復するのだろうと。
そんな商人の予想は、半分当たって半分外れた。
次の日に熱はアッサリと下がり、回復したように見えた船乗りは、その翌々日に再び高熱を出した。
医者が熱冷ましを飲ませても効果は殆どなく、船乗りは目に見えて衰弱していく。
そこで漸くただの風邪ではないと悟るが、医者も初めて見る症状でどうすれば良いのかも分からない。悲観したムードが漂い始めた時、救いの手は思わぬところから差し伸べられた。
嵐を回避して偶然港にやってきた異国の船乗りが、その話を聞き付けて、薬を届けてくれたのだ。症状に覚えがあると。
そして七日間分と予備の薬を医者に預け、注意点を言伝し、彼等は嵐が止むのと同時に出航してしまったそうだ。
異国の船乗りから伝えられた言葉を守り、医者や仲間らは必死に看病した。
結果、見事熱は下がり、病は完治。
これは凄い薬に違いないとユリウス様の部下は、残された予備分の薬を売ってもらったらしい。
しかし、ここで問題が立ち塞がる。
ゲオルクが先程言ったように、原料も製造方法も、製造地も不明。実物は手元にあるものの、現代日本のように成分分析が出来る技術は無い。
手掛かりである異国の船は入港の記録を辿れば、どの国の船かは判明するかもしれないが、個人を探し出すのは至難の業。
仮に分かったとしても、連絡を取るのに更に時間がかかる。その上医者が言うには、その船乗り自身も別の人間から薬を譲り受けたらしいし。
八方塞がりとは、正にこの事。
「確かに興味深い品です……が、あまりにも情報が少なすぎる。商品として成り立つかも分からない物に、膨大な金と手間をかける事は出来ません」
「とまぁ、こんな感じで突っ撥ねられている訳です」
ため息交じりに吐き出したゲオルクの言葉に、ユリウス様は苦笑を浮かべた。
「貴方の目利きを信じていない訳ではありませんが、今、手を出すべき品ではないと僕は考えております。事業を拡大している最中に取り扱うには、不安要素が多過ぎる」
ゲオルクの言い分は、尤もだった。手掛かりが殆どなく、仮に見つかったとしても商品になるかも分からないものに、金を費やすのはリスクが大きい。
そう頭では分かっていても、諦められなかった。
何か、胸のうちがザワザワする。ゲーム脳と言われてしまえば返す言葉もないが、選択肢が今目の前にある気がする。
探すか諦めるかで、未来が変わる。分岐点に立たされた心地がした。
「……手にとっても良いですか?」
「どうぞ」
許可をとってから私は、テーブルの上に置かれた薬包に手を伸ばす。黒っぽい丸薬は、間近で見ても何で出来ているかなんて皆目見当もつかない。
手で扇いで嗅いでみるが、薄い。漢方に比べると、ほぼ無臭のようなものだ。ただ僅かに、土や植物っぽいにおいがした。分かったのは、それだけ。
私自身、薬草を扱う機会も多いので、もしかしたらという期待もあったが、外れた。全く分からない。
己のスペックの低さに、ゲンナリした。色んな事を学んでいるし、割と色々こなせるようになったつもりでも私の場合、器用貧乏の域を出ない。
思わずため息が零れそうになった。
「……?」
視線を感じてそちらを見ると、何故かミハイルが興味津々に薬を覗き込んでいる。
「見てみる?」
思わず尋ねると、彼はコクリと頷く。
薬を手渡した後、私は視線をミハイルから、ゲオルクへと移した。
「ユリウス様、ゲオルク様」
「はい」
「なんでしょう」
お二人を見て、私は一度、言葉を発しかけて躊躇する。
もし、と言葉を始めそうになって、止めた。知人にお願い事をするのではない。ビジネスだ。仮定では意味がない。
瞬きを一つ。深く息を吸ってから、再び口を開いた。
「この薬を売って頂けませんか」
「…………」
ゲオルクは軽く目を瞠ったが、ユリウス様は表情を変えなかった。
「城には魔導師も薬師もおります。彼等ならば私よりも知識が豊富ですので、実物を見て助言を頂こうと思います。勿論、港の入船記録も調べますが」
「貴方がお調べになると?」
「はい」
もしも私が調べてみて、何か手がかりを得られたのなら、その時改めて交渉して頂けますかと問おうとした。だが、そんな不確定要素の多い取引は取引とは呼べない。
ただの我儘になってしまう。
「理由をお聞きしても宜しいですか?」
そう問うたのは、ゲオルクだ。
透明度の高い紫水晶の瞳が、ひたと私を見据える。
「我が国はこれから、多くの国と外交関係を持つ事になります。特に港は遠方の国の船も入って来るでしょう。その船乗りと、同じ病に罹る者が出てからでは遅いのです。それに状況によっては、うつる可能性はゼロではありません」
ゲオルクの話では、船乗りが病に罹ったのは冬場だと言っていた。
感染経路は分からないけれど、ベクター感染であった場合、媒介となる虫や動物が休眠中だった為、他の人にうつらずに済んだのかもしれない。単に運が良かったという可能性も捨てきれないが。
「我が国にある薬では治せない病があり、私の努力次第では治せる可能性がある。理由はそれだけです」
「マリー様……」
「勘違いならさないで下さいね。お二人を責めている訳ではないのです。力とお金があるなら、命を救う為に全てを擲つべきだなんて馬鹿な事は言いません。慈善事業と商売は別です。それぞれに守るべきものがあるのですから、恥じる必要もありません」
私の知識や技術では、パンデミックは防げない。
現代医学をもってしても難しいのに、設備もないこの世界で、ただの小娘の私に打てる手は無いに等しい。
でも王女であるローゼマリーは、違う。医学の知識はなくとも、力がある。
「ですが私は王女です。民と、民の暮らしを守るためには、出来る事は全てしておきたいのです」
「…………」
沈黙は数秒。
長く息を吐き出したゲオルクは、隣のユリウス様を見やる。
「畏まりました」
対するユリウス様は、何故か生き生きとした目で笑みを浮かべ、頷いた。
「薬の予備は、三つございます。一つ、お持ちください」
「!……あ、」
「残り二つはご勘弁を。此方でも調査を開始致しますので、実物はどうしても必要になります」
「…………え?」
ありがとうございます、と口を開きかけた私は途中でフリーズした。
急展開に付いて行けずに、唖然とする。
今、何て言った?
「入港記録はお願いしても宜しいですか?我等が申請を出して受理されるのを待つよりも、貴方が調査して下さる方がおそらく早い。国と船が判明すれば、その後は私の方で受け継ぎますので」
「は……」
「薬師はともかく、流石に魔導師の知り合いはおりませんので、城の魔導師のお話は僕も聞かせて頂けますか?出来れば地の属性が一番望ましいのですが、確か当代にはいらっしゃらなかった筈ですよね」
「え、ええ。地属性の魔導師はおりません」
「では地方にいる魔導師は、僕の方であたりましょう。魔力量は少なくとも植物に関する知識は、他の属性の魔導師よりも上です」
私が戸惑っている間に、話はどんどん進む。
何故かアイゲル家の二人も、薬の調査を始める流れになっているけど、何でだ。私が聞いていなかっただけ?目を開けたまま寝ていた??……いやいや、そんな馬鹿な。
「進展がありましたら、逐一ご報告を……」
「あ、あの!」
「はい?」
ユリウス様の言葉を、思い切って遮る。
「……お二人は、手伝って下さるんですか?」
「はい」
躊躇しながら、問う。勘違いならば、相当恥ずかしいなと覚悟しながら向けた疑問は、即座に肯定された。
私は目を見開き、呆然とする。
「…………どうして」
成すべき事があって、それを支援してくれると言うのだから、素直に喜んでおけばいいと己に言い聞かせようとしても、戸惑いは消えない。
途方に暮れた声が、思わず洩れた。
おそらく情けない顔をしているだろう私を見て、ユリウス様は苦笑を浮かべた。
困っているのか楽しんでいるのか、判断しかねる曖昧な表情で。
ただし悪意は感じない。細められた目は、どこまでも優しかった。
「理由は、簡単ですよ。貴方は私達の……否、アイゲル侯爵家の恩人です」
「恩人?」
「貴方が我が家にいらっしゃらなければ、義姉は今も病床に臥せっていたでしょう」
「それは……私だけの力ではありません。寧ろ、私の力など微々たるもの。皆さんと、おば様の努力の賜物です」
恩人という言葉に、私は怯む。
そんな大それたものじゃない。私一人じゃ、きっと何も出来なかった。そう思うのに、ユリウス様は頭を振る。
次いで、過去を振り返るような遠い目をした。
「いいえ。貴方でなければ……ローゼマリー王女殿下でなければ、なし得なかったのです」
王女殿下、と改めて呼ばれ、私は軽く目を瞠る。
「兄は義姉を深く愛しているが故に、厳しくすることが出来なかったんです。閉じ籠っていては体に良くないと言っても、外は寒いからと突っ撥ね、栄養がある食物や薬を私が持って来ても、義姉が拒否すれば、飲ませるのを諦めてしまう」
まぁ、決して美味い物ではありませんから、嫌がるのも無理はありませんが、とユリウス様は苦笑した。
私は彼の言葉を聞いて、ああ、成る程と納得する。
私が思い付いた健康法は、料理のレシピ以外は、そう珍しいものじゃない。思い付かなかったんじゃなくて、実行出来なかったんだ。
当主が拒否できない地位で、且つ、子供好きなエマさんが厭わない相手。私って、うってつけの人材だったのね。
「誰か現状を変えてくれないかと思いつつも、半ば諦めていました。だから貴方が義姉の体調を改善しようと仰って下さった時には、奇跡が起きたと初めて神に感謝しましたよ」
「流石に、奇跡は大袈裟では……」
「大袈裟ではありません。甥よりも小さな貴方が、かように聡明であらせられる事こそ、奇跡です。それに貴方は提案するだけでなく、尽力して下さった。お忙しい日々の合間を縫って我が家に通い、共に悩み、喜びも分かち合って下さった。それが、どれ程に稀有な事かお分かりになりますか」
ユリウス様は、切々と語る。
珍しくも高揚しているのか、語る声の調子が弾み、頬も少し赤らんでいる。瞳はキラキラと輝き、少年のようだ。
気圧されて少し身を引いた私に気付き、失礼、と咳払いをする。
黙って話を聞いていたゲオルクは、そんな叔父に苦笑を浮かべながら口を開いた。
「貴方が母を健康にしてくれたからこそ、父も叔父も仕事に打ち込めるし、僕もこうして、色んな事を学べる。母を明日失ってしまうかもしれないと恐れ、立ち止まっていた僕らに、未来を示し、前を向かせてくれたのは、間違いなく貴方です」
穏やかな笑顔だった。
ゲーム内のような歪みも狂気も、どこにもない。柔らかで、温かくて、こちらまでつられて笑ってしまうような、優しい笑みに、私は漸く実感する。
未来を変えられた。悲劇を一つ、回避出来たのだと。
「ローゼマリー王女殿下。我等の大切な家族を救って下さった貴方に、改めて感謝と敬意を」
「今度は僕達に、貴方のお手伝いをさせて下さい」
そう言って二人は、私に向かい深く頭を下げた。
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