転生王女の我儘。
レオンハルト様は、膝と膝の間で手を組み、ずい、と身を乗り出す。
真剣な瞳に気圧され、私は思わず身を引くが、背凭れに阻まれ大した距離は取れなかった。
「王女殿下」
「はい……っ」
先程よりもワントーン下がった声で呼ばれ、背筋を正す。
嫌な予感が、当たってしまった。これはもう、完全に怒られる流れだ。
この世界に生まれ変わってからは、叱られた記憶は殆ど無いが、元の世界では覚えがある。両親や先生などの年長者が、叱り、諭す時の声と目。
懐かしい感覚だなんて、感傷に浸る余裕もない。私に出来るのは、肩を竦めながら言葉を待つ事のみだ。
ちょ、ちょっと怖いんですけど……。
「無礼は承知で、言わせていただきたい事がございます。よろしいですか」
「……はぃい」
私、さっきから『はい』しか言ってない。
こんなにバリエーション豊かに『はい』が言えるんだなぁ、なんて現実逃避をしてみたい。が、出来る訳がない。
だって、よろしいですか、なんて言っているが、レオンハルト様の言葉は最早、問いの形ではない。断定だ。決定事項だ。
言うけど良いよな。返事は聞いていないけど、って副音声が聞こえるもの。
「先程貴方は、王子殿下には話さないと仰った。つまり、この件に関して直接的に手助けが出来るのは、自分のみと判断致します」
視線で確認され、私は頷く。
赤べこのように何度も首を振る私を見やり、彼は目を鋭く細めた。
「なのに貴方は、言葉を飲み込まれる。唯一事情を知る自分にまで遠慮をして、貴方は一体誰に助けを求めるおつもりか」
「……っ」
鋭い視線に晒され、体がビクリと跳ねた。
息を呑む私に気付きながらも、レオンハルト様は表情を緩めてはくれない。
「難問にぶつかった時に、己の力で越えようと努力するよりも先に人の助力を当てにする行為は、努力家な貴方の目には不誠実と映るでしょう。もしかしたらそれは、貴方の正義に反する行為かもしれません。ですが、正義は必ずしも正解では無いのです」
分かりますか、と確認するようにレオンハルト様は私を覗き込む。
無言で、小さく頷いた。
反感は、不思議と無かった。それは彼の言葉に、人生の経験値がもたらす重みがあったからか。それとも、年相応の潔癖さを、私が持っていないからなのか。
どちらにせよ、レオンハルト様の言葉は私の中にするりと染み込んだ。
正義と言われてもピンとこないけれど、精一杯頑張るのは『良い事』で、任せっぱなしの頼りっぱなしは『悪い事』だっていう線引きはある。
間違えるのが嫌いな私は、なるべく『良い事』の方を選び続けてきた。そうすると、安心出来たから。
でもそれはきっと、一種の逃げだった。私にとって、なるべく歩きやすい道を選んで来たに過ぎない。
正義なんてものはきっと、見る人と角度によっては全く違うものに見えるのだから。
「これから貴方が進まれる道は、酷く険しい。平坦に見える場所にさえ、どんな落とし穴が存在しているか分からないのです。一人で進める場所までは進もうなどと考えず、歩き出す前から、自分の手を掴んでいて下さい」
彼の言葉に、背筋が伸びた。
分かっていたようで、全く分かっていなかった。
そうだ。私は、何が待っているのかも分からない道に、レオンハルト様を誘ってしまったんだ。たった一人、彼だけを。
私は、自分で決めて動き出したのだから、自分の行動の責任は自分でとるつもりでいた。
でも違う。私に何かあったら、レオンハルト様は絶対己を責める。例え法的に罰せられなくとも、自分で自分を裁くだろう。彼は、そういう人だ。
重いものを背負わせてしまったにも関わらず、私を一言も責めずに、ただ助けようとしてくれる。
「気の利かぬ武骨な男相手には、相談出来無い事も沢山ございましょう。ですが、言いたい事は全て、言って頂かなければ困るのです。どんな小さな悩みでも、取るに足りないことだと判断してしまわず、全て吐き出して下さい。遠慮などなさいますな。自分は、貴方の協力者になると決めたのですから」
「はい……っ」
泣きそうな衝動を堪え、私は頷く。
すると彼は、表情を緩める。良く出来ましたと言わんばかりの優しい目に、涙腺が更に刺激された。
じんわり滲んだ涙を拭っていると、彼の手がぴくりと揺れる。膝から浮いた大きな手が伸ばされるが、途中で止まり、握り込まれた。
「…………」
もしかして涙、拭ってくれるつもりだったんだろうか。
フェミニストなレオンハルト様だから、可能性はゼロじゃない。でも私が王女だから、触る事は躊躇われたのかも。
結局何もせずに膝の上に戻ってしまった彼の手を、私は未練がましく見つめてしまう。
「……どうかいたしましたか?」
物言いたげに眺める私を、レオンハルト様は不思議そうに見た。
いいえ、と咄嗟に否定しようとして、口を噤む。こういうところが、駄目だって言われたばかりでしょうが。
でもこれって、危険な未来の回避とは、全く関係ないよね。ただの私の欲望だ。
ぐるぐる、ぐるぐると思考は巡る。完全に空回りで、虚しい音をたてながら。
そんな私をレオンハルト様は、急かそうとはしなかった。漆黒の瞳は、ただじっと見つめてくるのみ。
さっき言ったばかりだろう、と叱られたら、もっと言いやすい。言い訳に出来るから、罪悪感も減る。でも、それじゃ駄目。
「わ、……わが、ままを」
噛んだ。
恰好付かないのは今更としても、話が伝わらなさそうだ。一旦言葉を切って、大きく息を吸う。咳払いを一つ。
「……我儘を、言ってもいいですか?」
「どうぞ」
彼の目が、柔らかく細められる。
小さな子に接するみたいに、微笑ましそうに見ないで欲しい。
でも哀しいけど、これが私の現実。甘える事さえも上手に出来無い、不器用な子供が、今の私の等身大。ならそれを、最大限に生かさなきゃ。
「もっと、粗雑に扱って頂きたいんです」
「…………何と仰いましたか」
あれ。何か違う。言葉にしてみると、上手い表現がみつからない。
私の放った言葉に、レオンハルト様は十秒程度フリーズした。強張った表情のまま、問い返す。
やっぱり言葉選びを、間違ったらしい。
「乱暴に……も少し違いますね。雑……ぞんざい?」
「どれも同じような意味ですが……王女殿下、一体何を考えておられるので?」
私の口から次々と飛び出す、割と物騒な表現にレオンハルト様は額に手をあて目を伏せる。呆れを多分に含んだため息を吐き出した彼は、指の隙間から、うろんな目で私を見た。
「レオン様の、私に対する扱いが、あまりに丁寧過ぎると思うのです」
「……」
呆れるかと思ったが、レオンハルト様は切れ長な目を丸くした。
思いもよらない言葉に、唖然としている。
「近衛騎士団長が、王女を丁寧に扱うのは至極当たり前。それは存じております。……ですが、どうしても距離を感じてしまうんです」
「王女殿下……」
私が俯くと、レオンハルト様の声に戸惑いが混ざる。
「さっき、叱って下さって嬉しかった。怒られたのは初めてだったので少し怖かったですけど……ただ甘やかされるよりも、ずっといい。これからも、私が間違ったら叱って欲しいんです。ご無礼を、なんて前置きはいりません。小突いて貰っても、全く構わないです」
「貴方を小突くなど!」
「……それが、嫌なんです」
「…………」
咄嗟に否定したレオンハルト様を、私は恨みがましい目で見上げる。彼はきまり悪そうに、口を噤んだ。
「私の為す事に、誰も何も言いません。だから時折、自分が正しいのかどうかさえ迷いそうになる。私も普通の女の子のように、叱られたり褒められたりしたい。……そして出来る事なら、それは貴方がいい」
「!」
大きく見開かれた瞳に、必死な顔した私が映る。
困惑する彼を前にしても、引く気は無かった。追撃の手を緩めては、欲しいものは手に入らない。
今が一番の勝負どころだ。頑張れ、私。
「公の場では、今までと同じで構いません。二人きりの時だけでもいいから、ありのままの貴方でいて欲しいんです。もう少しだけ、貴方に近付かせて下さい」
「…………」
レオンハルト様は、私を見つめたまま固まっていた。
そりゃあ、そうだろう。小さな王女から愛の告白紛いな言葉を投げかけられたら、普通混乱する。どうしようって、なるよね。うん。
数秒後、我に返った彼は己の顔を、大きな手で覆い隠す。俯いた彼の表情は見えないから、何を考えているのかは分からない。
「……レオン様?」
「……あー……」
「?」
唸りながら彼は、顔を上げる。不機嫌そうに眉間にシワが寄っているが、頬は僅かに赤いので、あまり怖くなかった。
レオンハルト様は、ぐしゃぐしゃと乱暴に己の髪を掻き混ぜ、深いため息を吐き出した。
え、怒らせた……?
「怒ってませんよ」
蒼白になった私を見て、レオン様は苦笑を浮かべる。
良かった、とホッとしかけて、違う疑問が脳裏を掠めた。
「……あれ?私、口に出しましたか?」
「顔に書いてあります。貴方は結構、表情に出やすいですよ」
マジか。無表情系女子だと思っていたのに。
慌てて己の頬を押さえる私に、レオンハルト様は脱力したように笑った。
「貴方は、変わってる。普通の女性は、丁寧に扱われる方を喜びますよ。まさか、ぞんざいに扱えなんて言われるとは……貴方は本当に、オレを翻弄する天才だ」
「だ、だって……」
「誇っていいですよ。オレを振り回せるのは、おそらく貴方だけだ」
意地悪そうに、彼は甘く瞳を細める。
大きな手が、ぽんぽん、と私の頭を撫でた。
「……」
何が起きたのか、一瞬分からなくて。際限まで目を見開く私に、彼はおかしそうに喉を鳴らした。
「小突くのは、勘弁して下さいよ。姫君」
私は今、間違いなく世界で一番幸せな自信がある。
.