転生王女の危機。(2)
バタバタと大勢の足音が響く。
レオンハルト様から遅れる事、十数秒。現れた近衛兵達は、ニクラスとヒルデを取り囲んだ。
「医師を呼べ!まずは怪我の手当てが優先だ!」
レオンハルト様は、厳しい声で指示を飛ばす。
女性の近衛兵は、ヒルデが武器を隠し持っていないか素早く確認しながら、止血を行う。ヒルデの顔色は青白かったが、大事には至らなそうだ。
ニクラスの方は、長剣以外の武器も取り上げられている。抵抗する意思は無いらしく、両手を挙げた彼の表情は、然程追い詰められたものでは無い。
それを訝しみ見つめる私の方へ、ニクラスは顔を向ける。彼と私の目が、かち合った。
「王女殿下……申し訳ありません」
「……」
この期に及んで、一体何を言う気なのか。警戒する私に向かい彼は、身を乗り出す。即座に傍の近衛兵達に止められて、それ以上近づく事はかなわなかったが。
「貴方様を守りたいと思うが余り、先走ってしまいました」
一瞬、何を言っているのか理解出来無かった。
思考が追い付かず固まる私を放置し、ニクラスは更に言い募る。
「あの女が貴方様を狙っているのだと勘付き、焦った私が追い詰めてしまった結果です。私の未熟さ故、大切な御身を危険に晒してしまい……何とお詫びしたらよいのか」
「…………」
熱に浮かされたような声が、切々と訴える。表情もまるで私を請うているようで、彼を取り囲む近衛騎士が戸惑ったように私と彼を見た。
「女は私を恨んでいます。恐らく、貶めるような証言もする事でしょう。ですがこれだけは信じて下さい。……私は、貴方様を裏切るような真似は、絶対に致しません」
……ああ、そういう事か。
私に心酔する騎士が、その忠誠心ゆえに賊徒を許せず、暴走してしまったと。
追い詰めた自分を逆恨みし、裏切り者の仲間だと証言するかもしれないが、それは嘘だ、自分は潔白なのだと。
そうやって、ちゃちな三文芝居で言い逃れをするつもりなのだ。この男は。
「……っ」
馬鹿に、すんな……!!
眩暈がする程の怒りが、腹の底から湧き上がる。
私の大切な友達を金で売り払おうとしておきながら、私に擦り寄り利用するつもりか!!自分に恋心を抱く相手を唆し使い捨てたくせに、自分は何一つ対価を払わない気なのか!!
このクズは……!!
「そ……っ、」
そんな言い訳が罷り通ると思うのか。そう叫ぼうとした私は途中で言葉を途切れさせる。
ニクラスの背後にいるレオンハルト様と目が合った瞬間、飲み込まざるを得なかった。彼の強い眼差しが私を射抜く。音も無く動いた唇が『堪えて』と綴ったように見えたのは、気のせいだろうか。
……否、気のせいじゃない。
目を伏せ、私は息を吐き出す。
落ち着け、冷静になれと心の中で繰り返した。
そもそも何故、ヒルデは私の前に現れたのだろうか。
ニクラスの言うように私を暗殺する為なのだとしたら、余りにもお粗末過ぎるし、それ以前に動機が無い。とすれば、ニクラスに差し向けられたと考えられないだろうか。
ただニクラスも私を殺すメリットが無いので、さっき目の前で繰り広げられた下手くそな芝居を打つ為だと思われる。もしくは、ルッツの人質と成り得る私に、近付く為か。
そうなると、ニクラスは何処かで私達を見張っていた筈。
そして同様に、タイミング良く現れたレオンハルト様も、監視していた。但し、私ではなくニクラスを。
つまりコイツは、泳がされている。
より深い場所にいる、大物を釣り上げる為。……戦争狂の治める国『スケルツ』を引き摺り出す為に。
「…………」
父様の命令か、それとも兄様の命令か。
それ以前に私の予測があっているのかも、定かでは無い。私には何も分からない。
分からないが、一つ。ハッキリしている事がある。
それは私が今ここで、感情的に喚き散らしても、事態は何一つ好転しないという事だ。
「……そうでしたか」
私は、内心の怒りを抑え込み、穏やかな声で告げる。強張る表情筋を叱咤し、笑みを浮かべた。
笑え。引き攣るなんて無様な真似、許さない。
足を引っ張るだけの役立たずなら、せめて恰好良く笑ってみせろ、わたし。
「私を助けてくれたのですね」
「王女殿下……!」
安堵の表情を浮かべるニクラス。
私は上手く、演じられている?助けてくれた騎士に感謝する少女の顔が、出来ているかな?
「ニクラス」
組んだ手の下、己の掌に爪をたてる。
こみ上げる怒りと吐き気を堪え、名を呼ぶ。嫌悪が混ざってしまわないよう、細心の注意を払った。
「ありがとう」
こんなにも本心と真逆な言葉を吐き出したのは、初めてかもしれない。
『ありがとう』と告げながら、心の中で『くたばれクソ野郎』と吐き捨てる。
「勿体無いお言葉です」
飄々と言ってのける男の顔に、拳を叩き込んでやりたい衝動を堪えながら、私は踵を返した。
早くコイツから離れたくて。ともすれば駆け出してしまいそうになるのを抑え、私はゆっくりと廊下を進んだ。
「王女殿下」
「……っ」
角を曲がり、喧騒が遠ざかって聞こえなくなった頃に背後から呼び止められる。
息を呑んだ私は、反射的に足を止めた。心境的には逃げ出したかったけれど、私がレオンハルト様の声を振り切れる訳が無かった。
いつの間にクラウスがレオンハルト様になっていたんだろう。
自分の事に必死な私は、全く気付かなかった。
「……はい」
努めて平静に返したつもりだった。
少し掠れてしまったのは、スルーして欲しい。振り返らないのも、勘弁して頂きたい。振り返らないんじゃなくて、振り返れないんだ。
声だけでも必死なのに、表情まで取り繕えない。眉間のシワはとれないし、少しでも気を緩めれば色んな液体が漏れてしまいそうだ。こんな情けない顔、彼には見られたくなかった。
カツン、カツンと硬質な足音が近づく。
「…………」
来ないで。どうか止まって。
そんな私の願いが届いたのか、彼は足を止める。潜めた声が、ギリギリ届く位の距離で。
暫しの沈黙。
躊躇うような間の後、ふ、と息を吐き出す音がした。
「王女殿下」
もう一度彼は、私を呼ぶ。
「申し訳ありませんでした」
「……え?」
予想外の言葉に、私は一瞬固まった。意味が理解出来無かった。
何故レオンハルト様が謝るの。謝るべきなのは私の方だ。
「後はどうか我等にお任せください」
戸惑う私を置き去りに、彼はそう締めくくった。
思わず自分の顔の惨状も忘れ振り返るが、既に彼は此方に背を向けて立ち去っていたのだった。