転生王女の努力。(3)
「……それは、本気ですか?」
ティーカップを片手に固まったテオは、数秒の間をあけて、私に問う。
カシャン、と音をたててカップがソーサーの上に着地するのを見届けてから、私は軽く首を傾げた。
「……そんなに驚く事かしら」
「その反応は、本気なんですね」
苦笑を浮かべたテオは、呆れを隠しもせず、息を吐き出すように呟いた。
だんだんと素を晒す事が多くなったテオは、結構皮肉屋と言うか。ぶっちゃけこれ、結構ストレートに馬鹿にされてませんこと?
容赦が無いわ。姫様傷付いたわー。超傷心ですわー。
私はただ、ルッツと侍女のヒルデについて、ちょっと探りを入れてみただけなのに。
ヒルデ・クレマーは、亜麻色の長い髪に、柔らかな翠緑の瞳の大人しげな美少女だ。頬を染め俯く様は、庇護欲をそそるし、控え目に微笑む姿は、清純派が好きな男子はハートを射抜かれる事間違いなし。
そんな可愛い子が、一生懸命自分に話しかけてくれるんだよ?疑惑の目で見ている私ならともかく、普通の感覚の男子なら、嫌な気持ちになる方がおかしいだろう。
ゲーム内でのルッツがそうだったように、健康的な男子ならば絆されて当然だと思う。なのに何故、頑なに拒むんだろうか。
理解者が欲しいとは思わないのかしら、とテオに尋ねたら、さっきの反応が返ってきた訳だ。何で?
「あ、ルッツ。良い所に来た」
「は?……なに」
用事を済ませ、少しだけ遅れてテーブルに着いたルッツに、テオが話を振る。
私は彼の為の紅茶を淹れながら、少し遠い目をした。……また馬鹿にされんのかな。私一応、王女様なんだけど。
紅茶淹れながらだと説得力ないかもだけど、侍女は下がらせているし、クラウスはこーゆーの壊滅的に下手だし。私がやるしかないのよ。
「お前最近、侍女の女の子によく話しかけられているだろ?」
「あぁ……」
うわぁ。めっちゃテンション下がった。一目で分かる程にダダ下がった。
ルッツの目付きが鋭くなり、眉間にシワが寄る。相槌の声もワントーン下がるという、徹底ぶり。これ、私がやられたら確実に心折れるわ。
「お前があの子をあからさまに拒絶するのが、姫様は不思議らしい。理解者が、欲しくないのかってさ」
どう?と問うテオの目は、何故か楽しそうだ。
「……はぁ?」
一拍間を空けて、ルッツは鋭い眼光で私を睨み付けた。怖っ!!
なんでそんな、迫力満点で睨むかな!?
「馬鹿じゃないの」
ため息と共に吐き出された言葉は、テオ同様、多分の呆れを含んでいる。
とうとう正面切って、馬鹿にされたが、理由が分からないから反論も出来無い。
おかしい……もし何らかの理由があってヒルデを避けているならと、探りを入れてみただけだったのに。何で私は二人掛かりで馬鹿にされているんだろうか。
理不尽だと思いながらも、紅茶をルッツの前に置く。彼は不機嫌な表情のまま礼を言った。続いてどら焼きを置くと、眉間のシワが無くなり態度が和らぐ。
ルッツの機嫌を直すのに甘味ほど有効な手段は無いな。
「あのねぇ、君。オレにだって選ぶ権利くらいあるんだよ」
分かる?とルッツは怒ったような声で言い放つ。
「そうだよなぁ。ずっと餌を貰えずに飢えたままだったら、目の前の餌がどんなものであれ、齧り付いたかもしれないが」
「?」
何の話だろう。
餌って、ヒルデの事か?
訳知り顔のテオの言葉にルッツは頷き、私に視線を向ける。
淀み濁っていた目は、いつの頃からか生気が宿り始めた。明星が輝く宵闇の空のような藍色の瞳に、私の顔が映り込む。
暫し私の顔を見つめてからルッツは、目を逸らし、茶請に手を伸ばす。
「上質の餌で腹が満たされているのに、わざわざ毒入りの腐肉を喰らう程、馬鹿じゃない」
そう言ってルッツは、私お手製のどら焼きに齧り付いた。
あれ?比喩ではなく直接的な表現だったのかな。上質の餌って、どら焼きの事?もしかしてヒルデも、差し入れで懐柔しようとしていたとか。
でも毒入りの腐肉って……流石にそんなモン食わせようとする筈無いし。
……もしかしてルッツは、ヒルデの優しさの裏に勘付いていたのかな。
「……なにこれ。うまっ」
「…………」
ヒルデに不信感を抱く根拠について聞こうと、私が口を開く前に、ルッツは呆然と呟いた。珍しくも目を丸くし、どら焼きを凝視している。
美味しいと言ってもらえるのは嬉しいけど、取り敢えず今は、どら焼きの話は置いて置こうよ。
「ふわふわでしっとりしてて……ちょっとこれ、本当に何なの。中身も凄い不思議。ジャムでもクリームでもないよね。結構甘いのにくどくないし、美味すぎるんだけど……!」
ねぇ、ルッツ。王女様は今、真剣な話をしているんだよ。
お気に召してなによりだけどさ。空気読もうよ、空気。
「ルッツ。姫様は侍女の子の話が聞きたいみたいだぞ?」
「そんなもん、どうだっていいよ。こっちの方がよっぽど重要でしょ」
そんな訳ねえよ!
アンタ、自分の未来とどら焼きを天秤にかけて、どら焼き選ぶ気か!?
私は額を押さえ、頭痛をやり過ごす。
どら焼きに夢中なルッツの隣で、テオは楽しそうに私を見ている。この隠れサディストめ……。
「そんなに気にいったの?」
私が呆れを全面に押し出しながら聞くと、ルッツは珍しくも、キラキラと目を輝かせながら頷いた。いつもは半目でローテンションのくせに。どんだけ甘い物好きなの。
毒気が抜かれるなぁ。
「また今度、作ってくるわ。少し中身変えて」
「中身は変えなくていい。ジャムやクリームより、これが美味い」
餡子、随分お気に召したのね。
じゃあ餡子のままで、栗でも入れるかな。でもせっかくの白餡だし、柚子風味に……駄目だ、柚子が無い。
時期的に冷たいどら焼きも美味しいんだけど……氷室、どうにか使えないかなぁ。
「…………あ!」
私はポン、と手を打つ。
不思議そうな顔のルッツを見て、思い付いた。氷室が使え無くとも、冷蔵庫が目の前にいるじゃないか!
「ねぇルッツ。貴方の魔力で、氷菓子を作ってみない?」
「…………は?」
「…………え」
私が提案すると、ルッツとテオは揃って目を真ん丸にした。ぽかんと口が半開きになっている。
「氷菓子……?」
「そうよ。材料は、生クリームと卵と砂糖だけでいいし。心配しなくても、イリーネ様にはちゃんと許可をとるわ」
イリーネ様は、クールだが融通が利かない訳じゃない。面白い事は好きそうだし、訓練の一環だと言えば、許可してくれる気がする。
実際菓子を作るとなると、魔力の繊細な調整が必要になると思う。継続して同じ温度を保つとか、結構大変だよね。
そう考えると素晴らしい計画じゃないか。
ルッツは魔法のトレーニングが出来て、私はアイスが食べれるなんて!
「……君、オレを氷室代わりにするつもりなの……?」
アイスに思いを馳せていると、ルッツが押し殺したような声で呟く。俯いているので表情は見えないが、肩が震えている。
やばい。怒らせてしまったか……?
「ルッツが氷室……ならオレは、竈か……」
テオは右手で顔を覆い隠し、項垂れる。
その肩は、ルッツと同じく震えていた。
そうか……そういえば、オーブンもすぐ傍にいたのか。
神妙な顔で口を閉ざしながら、私は思った。もし心の声が洩れていたなら、反省していないと即座に怒鳴られた事だろう。
デリカシーの無い発言だったかな。流石に謝った方がいいだろうか。
馬鹿にしたつもりは全く無くて、逆に素晴らしい能力だと思っているんだけど。
「ルッツ……テオ……」
「……っぶは!!」
ごめんなさい、と呟いた声は、二人が盛大に噴き出した音に掻き消された。
「……え?」
呆気にとられて固まる私の前で、二人は体をくの字に曲げて爆笑している。快活な笑い声と、時折咳き込む音が、響き渡った。
「よう、氷室っ!!」
「お前こそ竈だろうが……!!」
互いを指差し、氷室、竈と名前のように呼び合って、更に呼吸困難を重症化させている。
何なんだコイツら。
「……二人共」
「ひ、姫様最高!!奇跡レベルの魔導師つかまえて、氷室扱いとか……!!」
「予想外過ぎる……!数週間前には、オレ達が怖いとか言っていたくせに、危機感無さ過ぎでしょ、君!」
「…………」
……そりゃあさ。天才魔導師二人をつかまえて、冷蔵庫&オーブン扱いした私が、一番悪いよ。キリッとした顔で、未知の力は怖いとか言ってたくせに、鳥頭過ぎだと言われても反論出来無い。
どら焼きの話題を終わりにして、侍女の話に移行する筈だったのに、お菓子談義に本気になっていた事実も、情けなすぎるかもしれませんよ。
でもさ、そこまで笑う事、無くないか?
「酷い……」
「ご、ごめんな。姫様」
笑いながら謝られても、許したくないんだけど!!
ムスッと黙り込むと、流石に笑いをおさめようとしてくれた。でも思い出してしまうのか、吹き出して咳払いで誤魔化している。本気で謝る気あんのかコノヤロウ。
完全にヘソを曲げた私は、ふい、と横を向いた。ガキみたいだと言いたければ言えばいい。私ガキだもん。10歳の美少女だもん。……すいません、図に乗りました。
「機嫌直してよ」
髪を優しく撫でられた驚きに顔を上げれば、身を乗り出したルッツが、柔らかな微笑を浮かべ私を覗き込んでいた。
ツンデレな彼にしては、非常に珍しい笑顔に、私は目を見開く。
「君がそういう子だから、オレ達はもう、お腹いっぱいなんだよ。……分かる?」
「そうそう。満たされているから、他はいらないんだよ」
優しい目で諭すように言われ、私は落ち着かない気持ちになった。
お腹いっぱいとか、満たされているとか、どういう意味なんだろうとも思う。思うが、今はそんな事を深く考えている余裕は無い。
それよりも先ず、片付けるべきは目の前の危機。
「取り敢えず、ルッツ。頭を撫でるのは止めてもらえるかしら」
目を丸くするルッツに、私は真顔で言う。
照れ隠しとか、子供扱いが嫌とか、そんなんでは無く。
「……クラウスの殺気が、半端無いから」
.