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秀吉の遺言  作者: 鳥越 暁
徳川家の衰退
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松本城の戦い、再び1

 「で、正信よ。余が攻めるとすれば、ここか。」

 徳川秀忠は本多正信に地図の1点を指し示した。

 「さようでございますな。そこが一番よろしいかと。」

 「ふむ、で駿府の兵根こそぎでどうじゃ。」

 「4万…。」

 問われた正信は何やら思案している。

 「信濃豊臣勢は3万強と言う所でしょうか。兵力では勝てますな。

  ………。」

 「なんだ、はっきり申せ。勝てるのに何を思案しておる?」

 「はあ、上様はここで時間をかけるわけには参りませぬ。ご葬儀の事もありますれば。」

 「なるほど。ということはじゃ、4万では足りぬと申すのじゃな?」

 秀忠はしばし考えた。

 「江戸より1万を出す。江戸から出せるのはこれが限度じゃ。」 




 秀忠と正信は譜代、外様の大名達が将軍家に従わせるには、秀忠自身の武功が必要であると感じた。

 父・家康には遠く及ばないものの、武威を示さねばならないと。


 秀忠はすぐさま駿府城に入った。駿府で動員できる兵は4万兵である。江戸の兵6万を合わせると10万兵を動員できるのであるが、里見の抑えが必要であり、実際は5万だ。

 駿府より攻めるに良い所は、後顧の憂いのない松本を選んだ。

 相手は後藤基次、武勇の知れた漢であり、また真田信幸も出張ってくるであろう。

 その事も松本を選んだ理由の一つでもあった。


 「名のある者と相まみえ勝たねばなりませぬ。」

 と正信が言っていたからである。後藤基次、真田信幸で申し分ない。


 兵力で我が方が相手の約2倍と言った所である。


 戦が長引けば、豊臣に与した兄・結城秀康や前田家などが出張ってくるやもしれぬ。

 短期だ。短期で勝たねばならぬ。


 秀忠と本多正信は談合を重ね、松本城を攻めることにしたのであった。

 その際、駿府付きの重臣の内、大御所の命がなくば兵は出せないと言上した者達は、監禁されたか、切られたかである。


 ともあれ、秀忠と正信は家康の死後13日目の7月20日には駿府を出陣した。

 8月には家康の死を公表するつもりであった。

 秀忠軍の主な武将は植村泰勝、牧野忠成、大友義親、酒井家次(上野国高崎5万石)、酒井忠利(武蔵国3万7千石)、酒井忠世、土井利勝、日根野吉明、柳生宗矩、蒲生秀行(宇都宮10万石)で武勇の知れているのは僅かである。

 それに高島城代・石川康長、高遠城主・保科正光が合流して松本城を目指す。

 近江・美濃の大名達は、先の加藤清正を大将とする豊臣軍が近江に攻め入った戦で、なんとか守りきったものの、現状で兵を出すことは難しい。

 秀忠軍勢・5万6千であった。


 

 対する豊臣方・松本城

 松本城には臨時雇いの足軽を含め3千兵。そこに真田忍びに事を知らされ、真田信幸勢2万が駆け付ける。

 信幸は前田利政や、結城秀康に使者を送ったが、間に合うかどうか分からない。


 「隼人よ。明日には秀忠の軍勢が来るであろう。さて籠城か?表に出ての野戦か?」

 後藤基次は、松本城の天守から秀忠軍がやってくるであろう方を眺めつつ、隣りにいる森川隼人に問うた。

 「はい。それがしは信幸様がお見えになるまで籠城。お見えになれば合流し野戦。と思いまする。」

 「なるほどの。それも手じゃな。」

 「と申されますと、殿はどうなさるおつもりで?」

 「ふむ、そうさな。籠城…。」

 「……。」


 森川隼人は考えた、基次の言う籠城の意味を。

 【殿は野戦や攻城戦がお好きじゃ。したが籠城と仰る。なぜじゃ?

  確かにこの城は数万の敵勢に囲まれたとて容易く落ちるものではないが…。

  籠城の利点とは…。兵の消耗が少ない。援軍が来れば前後を挟める。というところか。

  されど、我が兵は3千と5百。ちと無理があるやもしれん。】

 そう考えていると、基次が笑って軍議を開くぞと言った。


 松本城・大広間

  近々、攻めてくる秀忠軍に対抗すべく軍議が開かれた。

  とはいっても後藤基次の直臣は僅かに5名。

  その5名と、直臣扱いである森川隼人の唯一の旗本である坂井直義。そして基次の7

  名で開かれる。


この時の後藤家の組織は以下の通りである。

    筆頭家老・森川隼人

    家老・渡辺勘兵衛(元藤堂家家臣、藤堂家を出奔後、横浜秀勝に見出され後藤家

       に推挙される。)

    直臣・福原勘三郎(元蒲生家臣)、後藤平助、後藤治助(松本城下の商家の子・兄

       弟、後藤性を基次が与えた。)

    ※森川家旗本・坂井直義(元藤堂家家臣、藤堂家を出奔後森川家に仕える。)



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