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秀吉の遺言  作者: 鳥越 暁
徳川家の衰退
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山口城、盗まれる

 山口城は山口屋形と呼ばれており、毛利氏の居館とされていたが、輝元は頒図を広げるため安芸・広島城に本拠を移しており、今は栗屋元貞が守っていた。


 鍋島直茂は僅かな共を連れて、御機嫌うかがいという名目で広島城の毛利輝元を訪れた。

 直茂にとっては同盟の盟主であり、なんら不自然さはない。

 直茂は輝元に豊臣の四国勢に不穏な動きがあり、山口城の普請を進めたのである。

 輝元は眉をひそめ、ならば万が一に備え普請をしようと決め、使者の役目をかってでた直茂に任せた。


 直茂はその帰りに山口城に立ち寄った。

 「元貞殿、ご機嫌いかがかな。盟主殿に挨拶に伺った帰りに寄らせてもろうた。」

 と言って山口城に入ったのである。


 「さて、輝元殿の書状にもある通り普請の命が出た。儂は暇故、お手伝い申そう。なに、輝元殿の同意は得ておる故。」

 そういって直茂は普請の手伝いを申し出た。


 三ヶ月後には、山口城は堅固に造りかえられていた。


 「直茂殿のお陰でございます。この様な堅固な立派な城になるとは思いもせなんだ。人足の半数は鍋島家からの馳走で、感謝の言葉もございませぬわ。」


 城主・栗屋元貞は諸手を上げて喜んでいた。


 直茂は普請の際、元貞が輝元に見せた図面とは大きく違う、より堅固な城に造り替えていた。郭を増やし、鉄砲狭間も十分に備えた物にした。その分、費用がかかるが、怪しまれぬようにその過剰分は鍋島家で負担したのである。

 また城下の整備についても元貞に助言し整えていった。


 同盟を組んでいるとはいえ、この時勢で、城の普請に他国の者に助力を願う事は、考えられない。

 直茂は輝元の同意を得ていると元貞を謀り、輝元には人足を使ってやってくれと申したに過ぎなかった。

 普請中、輝元の使者や目付が怪しまぬように表立って顔を出すことはなかったのである。


 普請が終わった夜、栗屋元貞は毒殺された。

 次の日、城主に納まっていたのは、かの黒田如水であった。

 如水はすぐに筑前から3千兵を呼び寄せたのである。


 こうして周肥同盟は崩壊し、鍋島家は5万石の頒図を広げた。

 1616年7月の事であった。


 当然、輝元は激しく怒ったが、後の祭りで、山口を治めたのが、かの黒田如水としり静観を決めたのである。


 「おのれ鍋島、黒田よ。その内潰してくれるわ!」

 と輝元は吠えたのである。


 その後、如水は土佐に隠れていた嫡男・長政や生き残っていた家臣を呼び寄せた。

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