15 おめざ
シャッ! と勢い良くカーテンが引かれる音が遠くで聞こえた。
「ユーリ、起きろ。朝だぞ」
ディルナンさんの声に、うつらうつらと心地よい微睡みから目覚める。目を開くと、ディルナンさんが笑ってベッドのすぐ側にいた。
「おはよう。良く眠れたか?」
「…あい。おはよーございましゅ」
胼胝のある硬い、大きな手でぐしゃぐしゃに髪をかき混ぜられ、ディルナンさんが近くにいる事を実感する。それだけの事が嬉しくて堪らない。思わずディルナンさんの手に擦り寄ってしまった。
「まず、コック服に着替えろ。手洗いと洗面台はお前サイズのが調理部隊のスペースに出来てるからそっちに行くぞ」
…嬉しくて堪らなかったんだけど、続いたディルナンさんの言葉に恐る恐るディルナンさんを見上げる。ディルナンさんがニヤニヤ笑ってるー!
「昨日、トイレに落ちかけたんだってな」
「うえ?!」
「ヴィンセントがお前が寝てからエリエスの許可を取って、設備部隊が工事に来たぞ」
ヴィンセントさんー!!
ちょっと待って。今の話から行くと、少なくとも他にもエリエスさんと設備部隊の人は知ってるって事じゃないかっっ(泣)
思わず固まっていたら、話題提供者のヴィンセントさんが笑いながら出現した。
「ははっ、真っ赤になってポムルみたいだな。おはよう、ユーリ」
「…はよーごじゃます」
穴があったら入りたい、切実に。穴が無いから毛布に潜ったら、ディルナンさんにアッサリ剥がされたし。
「遅刻する気か」
「着替えは横の棚に入っているよ」
ヴィンセントさんの言葉に、ディルナンさんが棚から着替えを出してくれる。コック服と、ウエストポーチと、靴下。それと一緒に可愛らしい花柄の袋も置いてあった。カラフさんの趣味か。
隠れられず、かといってこの二人に何も言える筈も無く黙々と着替えていくと、脱いだ寝巻きをディルナンさんが畳んで袋に入れてくれた。それはありがたいんだけどね。
ディルナンさんとヴィンセントさんが物凄くニヤニヤ笑ってこっち見てるんだよぅ(泣)
着替え終わった所でポーチを装着すると寝巻きの入った袋を持ち、ヴィンセントさんにお礼と挨拶をして、ディルナンさんに手を引かれて医務室を後にした。
十分程歩いただろうか、結構な距離があった。見慣れてきた食堂を通過し、少し先にあった木の引き戸の前でディルナンさんが足を止める。
「ここが調理部隊のトイレスペースだ。入ってみろ」
ディルナンさんの言葉に引き戸を開くと、見慣れた女性用のトイレ設備に近い光景がそこにはあった。そして、右奥に広い個室スペースがある。
「それがお前の専用トイレだ。中に洗面スペースも出来てるだろ」
ディルナンさんの言う通り、その広い個室スペース中には私のサイズに合わせた小さなトイレと洗面台、鏡と小さな棚とタオル掛けが取り付けられていた。棚には櫛と歯ブラシ、コップも置いてある。床にはゴミ箱。しかも、さり気無く着替え用の台もある…?
「右にある魔石に手を当てれば魔力に反応して水が流れる仕組みになっている。用を済ませたら食堂に来い」
「あい」
トイレの使い方の説明をしてディルナンさんは出て行っちゃった。…紳士だな。
とにかくさっさと用を済ませて、身支度して食堂に行こう。
身支度を終えて食堂に入ると、ディルナンさんがすぐに気付いて近くにやって来た。
「食堂では前掛けを着用する事。それから、オレの事は隊長と呼ぶんだ」
「あい、たいちょー」
ディルナンさんの指示に従い、ポーチからサロンエプロンを出して身に付ける。
「よし。調理部隊のメンバーを紹介するから中に入るぞ」
私がエプロンを身に付けたのを見て、ディルナンさんが私の手を取って厨房に連れて行く。何だかドキドキするな。おっと、いけない、挨拶しなきゃ。
「おはよーございましゅ!」
厨房に入る前に、元気良く。
少し声を張り上げると、ディルナンさんが少し驚いた表情で見下ろしていた。次いで、楽しそうに口角を持ち上げる。…その顔、似合うな。悪役にいそう。
私の挨拶に釣られて、中で働いていた人達も振り返って挨拶を返してくれた。一、二、三…ディルナンさんを入れて十人いる。
「全員、そのまま聞いてくれ。今日から調理部隊で仕込み専門で働くユーリだ。いきなりは覚えられんだろうから、各自声を掛けてやってくれ。
シュナス、ジジイ、二人だけは先に来てくれ」
ディルナンさんが厨房に声を掛けると、各々が返事をする。続いて奥から二人が近付いてきた。
「ユーリ、この二人だけは必ず覚えておけ。若い方が調理部隊の副隊長のシュナス、ジジイが一番ベテランのオッジだ」
「ふくたいちょと、オッジおじーちゃん?」
ディルナンさんの紹介に復唱すると、副隊長のシュナスさんがガシガシと結構乱暴に頭を撫でてくれた。見た目はディルナンさんと似た体格で、赤茶色の髪とは赤銅色の切れ長の瞳のお兄さん。どこかチャラ男っぽくもあるが、やっぱりと言うか美形。
「よく来たな、ちっこいの」
「あい」
「…”あい”って可愛いな、オイ」
頭撫でて貰えるのは嬉しいけど、折角髪をちゃんと梳かして来たのに。
「お前は何をしとるか。ユーリが首を痛めたらどうする」
あ、シュナスさんの手がオッジさんに払われた。昨日の夕飯の時に見つめ合っちゃった強面で恰幅の良い、いかにも職人さん! って感じのおじいちゃん。ぐしゃぐしゃになった髪もオッジさんが見た目からは想像できない程に優しい手つきで直してくれる。
「ありがと、オッジおじーちゃん」
「…言い難いだろう。”じいちゃん”でいいぞ」
「あい、じーちゃ」
やっぱり優しいおじいちゃんじゃないか。外見とのギャップが素敵です。
「おかしな事をするバカがいたらすぐにじいちゃんに言うんだぞ」
「あい」
何て心強いお言葉。やっぱりこの”じいちゃん”大好きです。
「おいおい、ジジイ、骨抜きじゃねぇかよ」
「可愛げの無いクソガキ共と同じ筈があるか」
「うわ、堂々と開き直りやがった」
皆様仲が良さそうで。良かった良かった。
ぐー
…そして、今日も私のお腹の虫は絶好調の様です。何もしていないのに自己主張が激しいよ。
厨房中の視線が再び集まるのを感じ、本日二度目の赤面をしていると思われる。
「えへへ…」
取り敢えず、笑って誤魔化せないかな。
【補足説明】
ポムル:大人の男性の手の平サイズの巨大りんご。皮が赤いのが特徴。地球サイズ のリンゴはポム。皮が黄色。