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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
51/116

岡崎代官

 岡崎城には、今川の代官として三浦上野介が入っていた。

代官の仕事は、基本的には統治に関する事柄の決裁が仕事である。

配下の者が色々な事を言ってくるが、何も言ってこない時は本当に暇で、今日はその暇な日であった。

「遠乗りに出てくるぞ」

三浦上野介は部下にそう言うと一人で岡崎城を出た。

彼はたまにこういう事をする。

俗に言う三河とは、西三河のことを指す。その西三河の岡崎には今川の与党は彼一人なのである。今川家の力が背後にあるとは言っても、心細さ、統治の責に対する重圧は計り知れないものがあった。

その重圧から解放される僅かな時間が、一人での遠乗りである。山駆けしたり、身分を隠して出向いて行って、土地の美味い物を食べたりするのである。

といって、一人での遠乗りは危険でもある。が、彼は庶流とは云え平安以来連綿と続く三浦一族の末裔であり、兵法をおろそかにした事は無く、むしろ剛の者と言っていいほどに強い。ゆえに彼の周りの者も、上野介の遠乗りを心配する物は誰も居なかった。


 そんな彼が岡崎城を出てしばらく行くと、二人の見慣れぬ馬乗り侍を見かけた。

上野介がなぜ見慣れぬ者と思ったのかというと、土地の者にしては、着けている具足が煌びやかであったからだ。

兜こそ被っていないものの、鉢金を付け、首から下は完全武装の具足姿である。

…あれは尾張侍では無いのか。奴等、格好だけは武者振りつけるからのう。

尾張侍と思しき二人連れは、しきりに辺りをうかがい、帳面に何かを記している。

…間抜けな尾張侍じゃ。こっちが見ている事に気付いて居らぬ。

「そこな二人、何をしておるっ」

と、三浦上野介は大声で誰何した。







 「…おい内蔵助。向こうの侍が、何をしておる、とか言うとるぞ」

と、蜂屋般若介が佐々内蔵助の肩を叩く。

「今川侍かのう」

と、佐々内蔵助は目を凝らす。

「まだ判らん…おい、こっちに来るぞ」

般若介は身構えた。


 「そなたら、どこの者じゃ」

大声の侍が問いかけてきた。内蔵助も般若介もどう答えるか一瞬迷ったが、般若介が答えた。

「…言わぬわいっ」

「何だと。言わぬとただでは済まさぬっ」

「ハハッ、元からただでは済まさぬつもりじゃろ。が、名は名乗ってやる。俺は般若介、こっちは内蔵助じゃ。掛かって来いっ」

般若介が笑いながら太刀を抜いた。

「岡崎代官、三浦上野介と知っての狼藉か。身の程を知れ。二人だから勝てると思うておるのではなかろうな」

三浦上野介と名乗る侍は、背負っていた弓を手にし、矢を番えて弦を引き絞っている。

岡崎代官と聞いて内蔵助と般若介は一瞬ぎょっとしたがすぐに我に返ると、懐から呼子を取り出し強く吹いた。すると般若介と内蔵助の背後の茂みから十騎ほどが飛び出して来て、二人の周りを固め始める。

「二人ではない、十と二人じゃ。岡崎代官という事は今川侍か。三河衆に任せきりで自らは先手もおぼつかなぬ腑抜け侍共に、俺達をやれるかのう、ハハ」

「言うたなっ」

上野介は思わず矢を放った。が、般若介と名乗った侍は、上野介の矢をオッ、と避わした。

「下手糞め、腐れ代官など今ここでやっても構わぬが、やった後に追われるのは面倒ゆえ見逃してやるわい。早よう去ね、腑抜け侍」

般若介は大笑いしている。内蔵助も釣られて笑っていた。


 三浦上野介がいくら剛の者とはいえ、具足も着けず一人である。十二人に一人で立ち向かうほど馬鹿ではない。

「おのれっ。後から悔やんでも知らぬぞ」

立ち向かうことはできずとも、自ら引くことは上野介の面子が許さない。

上野介というよりこの場合は今川家の面子である。多勢に無勢とはいえ、三浦上野介が先に引いたら、今川侍は臆病者、と三河中で言われるようになるだろう。

「わはははっ。悔やむのは腑抜けどのでござろうっ。悔しかったら追ってみなされい」

般若介と内蔵助、そして十騎の馬乗りたちは、三浦上野介に嘲笑を浴びせながらその場を去っていく。

三浦上野介は追う事はしなかった。奴等の逃げた方には何があるか知っていたからだ。

…本証寺。一向宗の寺である。








 「織田の若当主が、我等の後押しをして下さると。…どういう風の吹き回しでござろうか」

桜井松平の当主、松平家次は不思議そうな顔で平井信正、乾作兵衛を見ている。

「家次どのは我等が大殿の叔父、信光さまの甥に当たるお方。家次どのに三河を治めてもろうた方が織田としても都合が良うござりまするゆえ」

と、平井信正が平伏しながら言う。

「ぬけぬけとよう言うわ。…まあご助力は助かるがのう」

松平家次は野心家である。宗家を凌ぐ、という野望が彼の胸の内にある。

しかし、織田の申し出は魅力的だが、彼一人では今川どころか宗家の譜代共にすら勝利するのは難しい。

「全て信光さまの進言によるものにござりまする。織田が家次どのを見捨てる事は有りませぬゆえ、ご心配無きよう」

と、乾作兵衛も平伏した。

平伏した乾作兵衛に顔を上げさせると、松平家次は二人の顔を覗きこんだ。

「ふむ…即答は出来ぬが支度はしておこう。他にも誰か一味に誘うのか」

「はっ。大草松平の昌久どのの所へも参りまする」

平井信正が正直に話す。

乾作兵衛は平井信正を見て、まずいのではないか、という顔していた。

「そうか。大草が同心してくれるなら頼もしいの」

と言って松平家次は笑い、手を叩く。

その手を叩く音を聞き付けて家次の家人がやってきて、家次の側に寄った。家次が二言三言囁くと、家人は部屋を出ていく。

「ではお二方、酒でもどうかの。大草にはワシからも使いを出すゆえ、今日はゆるりとなされよ」

平井信正は乾作兵衛をチラリと見て微笑した。







流石に岡崎まで来ると緊張せざるを得ない。

俺は桔梗屋春庵と共に岡崎の中嶋清延の屋敷に来ていた。オトナ達への連絡は、春庵の手の者がやってくれる事になっている。

ここの主、中嶋清延は今年十一歳。松平竹千代と同年生まれであるという。

…十一歳って、こんなに大人びていたっけか。まあ、父親はずっと京都に居るっていうし、だいたい十四歳で元服っていうから、跡継ぎとして大人びざるを得ないのかもなあ。それにしても十一歳で家を切り盛りするってのは大したもんだ。

「それがしの顔に虫でも止まって居りますか、大和どの」

そう言って中嶋清延は笑う。

「いや、茶屋の跡継ぎなどという大人物には中々会えませぬゆえ、つい見てしまうのでござる」

のちの茶屋四郎次郎。有名人なのだ、歴史好きにはたまらん。

「大人物などではございません。ところで大和どの」

「なんでしょう」

「岡崎の代官が兵を率いて城を出たそうにございます」

中嶋清延はそう言って笑っている。

「…ほほう、どこに向かわれたのでござろうか」

「本証寺にございます。何でも悪党が立てこもったとか」

その悪党が誰の身内か知っているような口ぶりだ。

「代官どのも大変でござるな。これから何が起こる事やら」

…俺も笑い返しておこう。








 「今戻ったぞ。手空きは居らぬか。三十人ほどでよいっ、具足を着けよ。悪党を狩り出す」

三浦上野介は岡崎城に戻って大声を張り上げた。人数を集めるために城に戻って来たのである。

「いったいどうなされましたので」

代官付として岡崎城に入っている地元三河の国人、鳥居忠吉が三浦上野介に問うた。

「おお、鳥居どのか。本証寺に悪党が立て篭もっておるのじゃ。それがしを愚弄した上、逃げてのう。語ろうて悪さをするやも知れぬゆえ、これより狩り出す」

「代官自ら行かずともよいのでは」

「いや鳥居どの、彼奴等はそれがしを代官とは知らぬようだった。という事は余所者じゃ。そしてそれがしを代官と知って尚更愚弄したのじゃ。出向いて事を確かめねばならぬ」

三浦上野介の目には怒りと闘志が渦巻いている。止める無駄を悟ったのか、鳥居忠吉は、

「そうでござりましょうか。…まあ、代官の手に掛かれば小悪党など藁束を斬るようなものでござろうな。されど、ご自重を」

と追従を口にした。

「ハハハ、判っておる。では行ってくる」

三浦上野介は三十騎ほど連れると、晴れやかなほどの笑顔で城の大手を出て行った。

鳥居忠吉は首を傾げざるを得ない。代官の行動にも、その余所者と思われる悪党とやらにも。


 岡崎の譜代たる鳥居忠吉が岡崎城に入っているのには、理由がある。

松平竹千代を主君として崇める松平、岡崎党をなだめるため。

また彼を通じて、三河の在地勢力を今川色に染めるため。


が、そういう今川方の考えは泡と化していた。

鳥居忠吉は今川寄り、と松平や岡崎党から見られている。が、今川方と見られる様になった経緯が今川にとって不都合な出来事であった。

鳥居忠吉は彼の独断で岡崎の本丸を渡したのである。その事を知って、酒井・本多などの古参の岡崎譜代の一族の若党たちは、


本丸を渡して今川家へのご機嫌取りか。


と鳥居忠吉を斬ろうとしたという。

今川方は知らなかったとは云えそういう経緯で本丸に入ったとあっては、岡崎党に印象がいい訳が無かった。が、実行者の鳥居忠吉本人は忠臣面して擦り寄ってくるのである。

ますます印象が悪くなろうとも不都合であろうとも突き放す事はできない。突き放したら、他の者も二度と擦り寄ってこなくなるだろう。今川にとって、統治上それはまずいのだ。

が、彼の今川寄り、という態度は完璧な擬態であった。鳥居忠吉は、今川に向けられかねない岡崎党の憎悪反感をあえて彼本人に向けさせることで、岡崎党の暴発を防ごうとしていた。


 主君を人質に取られているのだ。下手に暴発などしては三河は完全に今川の領土にされてしまう。わしがわざと今川色を前面に出して岡崎党の憎悪反感を買えば、他の岡崎党の人間は今川許すまじ、と結束を固めるであろう。


 と、鳥居忠吉は松平庶家、酒井、本多、石川などの有力譜代の当主たちとは密かに話をつけていたのである。

一族衆や有力譜代が、たとえ擬態であっても鳥居忠吉の行っている事と同じ事をやったら、三河の結束は本当に崩れかねない。譜代の中くらいの家である鳥居忠吉が行うことに意味があった。



 …悪党か。わざわざ煽った上に本証寺に逃げ込むとは…臭い。何かあるやもしれぬ。

と鳥居忠吉は思っていた。

代官の話だと、悪党たちは最初は三浦上野介を代官と知らなかったという。がその後知った上で啖呵を切って人数を出している。

人数が居るなら一人駆けの代官を討つのは容易なはずであるのに、追われるのは嫌だ、と悪党たちは自ら逃げている。

…おかしい。仮に悪党が代官を討ち取っても、代官を討ったと悪党達自身が触れ回りでもしない限り、誰にも分からないのである。追われるはずも無いし、こちらとしても追手の出しようがないのだ。


 何かある。それを何とも思わずただ人数を集めて自ら追うとは。

代官どのは葉武者よ、と鳥居忠吉は思った。

罵られたからと言って代官本人が出向いて行って、逆に討たれたらどうなるか。三河は大混乱になるであろう。

確かに三浦上野介は剛の者だが、血筋と己の武勇に誇りを持ちすぎているのだ。

自分を大きく見せようとしているのであろうが、と忠吉は代官の行動に見当をつけていた。

三浦上野介が妙な自信家なのも無理はない。普段から必要以上に褒めちぎって、追従してゴマをすり、代官の行動を軽率にさせているのは鳥居忠吉なのだから。






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