【コミカライズ決定】貴方が私に死ねと言うのなら
「あんな女なんか、早く死ねばいいのにな」
夫の執務室を訪れた私は、聞こえた声にノックしかけた手が止まる。
中からは、夫の言葉に相槌を打つかのように女性のクスクスとした声が聞こえた。
「そんな酷いことをおっしゃらず、離婚すればいいのに」
「妻とは政略結婚だからな。互いの家の関係がある以上、無理な話だ」
「うふふ。貴方ってほんと……ズルイ方」
その言葉を最後として、扉の向こうからは女の「んっ」という甘ったるい声が流れた。
(……昼間から堂々とした浮気っぷり。お見事ですこと)
私の名前はミラ。夫であるウィルム様とは、政略結婚だった。
互いに伯爵家同士。だが、ウィルム・トルジェ様の家は多くの負債を抱えていた。そこで十年間、トルジェ家が持つ貴族議会投票権を我が家に委任することを引き換えに、結婚持参金を目的とした政略結婚が組まれた。
私の実家は王権派閥。トルジェは反王権派閥。私の実家としても、反王権派閥の投票権を取り上げたい。利害の一致の矛先は、私へと向いた。
子宝には恵まれなかった。事務的で愛のない行為は、私の心を石に変えていく。
夫から何度も「ガラクタ」「石女」と呼ばれ続ければ、いつの日にか何も思わなくなった。
縁談を進めた父のことはなんら恨んではいない。
そもそも恋愛結婚のほうが珍しい時代。夫のために家事に従事する。それが女の生きる定めで生きる価値……
「馬鹿らしいわね」
廊下を引き返し、いつもより大股でツカツカと歩く私の姿に、使用人らがギョッとした顔をする。
自室に着くと同時に、私は手を叩いて大きな声を上げた。
「執事長! 執事長はどこかしら!」
「は、はい、奥様! ここにおりますとも!」
普段は全くと言っていいほど寡黙な私の声に、半分滑るようにして驚いた顔をした執事長が現れる。
「仕立て屋と理髪師を呼んで頂戴。宝石商もよ!」
「は、はい! 今すぐに!」
愛のない結婚だったけれど、別に結婚生活までつまらなかったわけじゃなかった。
潰れかけた伯爵家を立て直すための膨大な量の業務は楽しかったし、当主こそあんな男ではあるが、使用人とは上手い関係性が築けていた。
女として生きる以外のやるべきことが多いこの家で、退屈さとは無縁であったと思う。
でももう、それもどうでもいい。
死ねと言われてまでやることじゃないでしょう。
死ねというのなら、望み通り死んでやろう。
自室に入った私は、壁に立てかけてある大きな一枚絵に視線を向けた。
「……私、貴女のように生きてみたかったの」
そこに描かれているのは、一人の赤髪の女性騎士の絵。
馬にまたがり、剣を掲げるその表情は、未来を見据えた力強さを感じた。
幼い頃、兄の剣術稽古に憧れ、勉強をしていたときに出会った女性だ。
百年前に実在したとされている、革命軍の統領。女性でありながら数多の軍人を率い、潰れかけた国を立て直したと言われている。
憧れた。
だから、私も潰れかけたこの家を全力で立て直してみたかった。
「……貴女の最期は、魔女として殺されてしまったのよね」
似てもいないくせに、「まるで私みたいだ」と思い、笑う。
次の日。昼過ぎになってようやく自室から出てきた私を見て、執事長が悲鳴をあげた。
「お、お、お、奥様!? 一体なにが!!」
短く切りそろえた髪は真っ赤に染めてある。年齢に見合わない赤いドレスを纏い、高いヒールで絨毯を歩く。宝石が散りばめられたネックレスや大きな石が並ぶいくつもの指輪は、質素な暮らしを望み続けてきた私とは正反対の姿だ。
気が動転したのか、執事長は目を回しながら意味の分からない言葉を口にする。
「ちょ、朝食を召し上がられなかったので……ははっ、お、お腹が空かれているのかもしれませぬな、い、いま料理長をお呼び致しますので……!」
「嫌よ」
「はい?」
「料理長が気にくわないわ。解雇して頂戴」
「し、しかし奥様……」
「今すぐによ!」
執事長は「はいいいっ……!」と涙目を浮かべて走り去っていく。
淑女らしくつつましく。贅沢は控えて家のために。夫の気を害する我儘は心に留めて。
伯爵家令嬢として習ったことが昨日の有様ならば、すべて逆を行ってやろうじゃないか。
(そう。昨日までの私は死んだのよ)
それから私は、夫が浮気相手の元に通って不在なことをいいことに、好き勝手に執事長へと不満をぶつけた。
「馬小屋なんて臭くて嫌だわ。取り壊して頂戴」
「なんて地味な天井。すべて金箔で張り替えて頂戴」
「使用人に女なんて要らないわ。一人を残して、あとはすべて若くて丈夫で美しい男に代えて頂戴」
「お茶会の招待状? 破り捨てて、相手への贈り物に黄色のカサブランカでも贈っておいて頂戴」
この家は、私が回してきた。誰も私には逆らえない。
だから、次々に私の要望が叶えられていく。
私がお茶会や舞踏会に赴くたび、その変貌っぷりに周囲は驚き、距離を取る。
「見た目一つで変わる人間関係なんて、こっちから願い下げよ」
次第に、周囲が私の外面だけを見て付き合っていたのだと気づき、逆におかしく思えてきた。
(全く逆のことをする人生ってのも、面白いわね)
私って、悪女の才能でもあったのかもしれない。
逆のことをして気づくことが、こんなにも楽しいと思えるなんて。
「ミラ! これは一体何事だ!!」
ようやく家に戻ってきた夫は、すっかり様変わりした家をみて烈火のごとく怒り狂う。
「なにって。気に入らなかったから変えただけですわ」
「品の欠片もない……! お前は石女であるだけでなく、気まで狂ったのか!」
「かもしれませんね」
「離婚されないと分かっていて良くも……仕事も一つも片付いていないじゃないか!」
「貴方がご自分でおやりください。私は知りません」
わなわなと震える夫を無視する。
「ミラ! お前まさか、不貞を働いているんじゃないだろうな!」
去り際に叫んだ夫に、「フッ」と笑みだけを返して立ち去る。肯定と取るも良し、否定と取るも良し。勝手に怒っていればいいのよ。
◆
しかし半月後。私の周囲で、奇妙なことが起こり始めた。
「ミラ様。聞きましたわ。あそこの家の奥様、離婚されたんでしょう?」
気分転換で赴いたお茶会で、一人の令嬢が噂話を口にする。
「そうなの?」
「ええ。どうやら、奥様の浮気が発覚したそうで……ミラ様からの贈り物で発覚したらしいですわ!」
どうやって分かったの? と、令嬢は憧れ者でも見るかのような視線を向けてくる。
そう。私の元には執事長から数々の報告が届いていた。
解雇した料理長は、昼食で夫と私の毒殺を図っていたことが判明した。
潰した馬小屋からは、病原菌を持ったネズミが見つかった。
天井は屋敷の老朽化により、今にも崩れんばかりの限界を迎えていた。
夫の浮気癖は使用人の女性までに及んでいた。どの娘も夫からの無理やりな強要ばかりされており、私の元には解雇に感謝するとの手紙が絶えず届く。
そして、今日の報告も。
黄色のカサブランカの意味は「裏切り」。
私は相手と縁を切るつもりで送ったのだが、屋敷に届いた花を見て訝しんだ旦那が妻を調査し、浮気が発覚したという。
政略結婚の多いこの貴族社会。唯一夫側の体裁が保たれたまま離婚を申し込めるのは、妻の浮気だけ。
初めは私の行動を不気味がっていた執事長も、ここ最近では笑顔で頷き、素直に言うことを聞くようにまでなってしまった。
『一度は地に落ちたかと思った奥様の評判ですが、以前の倍にまで評価があがり、わたくしめは夢心地にございます!』
老いているというのに足を跳ねさせながら廊下を歩く執事長の姿に、私が不気味さを覚えるくらいだ。
「ミラ様?」
「いえ、なにもないわ。続きを聞かせて頂戴」
思い出を振り返っていた私は、令嬢からの問いかけに笑みを作る。
「それでミラ様。舞踏会やお茶会でミラ様が気にくわないと判断した令嬢らには、何か秘密や企みがあると今や有名ですのよ!」
「過信しすぎよ」
「どうやったら人を見抜く力を持たれるのですか!? 私……ミラ様のようになりたいです!」
確かこの娘はまだ未婚。
……私はその純粋無垢な目に、フッと本当の笑みを浮かべた。
「見た目で寄ってくるような人はこちらから振りなさい。嫌なときは嫌だと声を上げなさい。……誰かに憧れて、なぞった気だけになる人生はやめておきなさい」
「ミラ様に憧れてはいけませんの?」
「そうよ。私も、憧れの人をなぞった人生では嫌な思いしかしなかったわ」
それだけ言って、私は席を立つ。
「あ、もう少しお話を!」
私を追おうと慌てて立ち上がった令嬢は、「きゃ」と声を上げた。
見れば、急ぎ過ぎて靴でドレスの裾を踏んでしまっている。それによって、裾が破けてしまったのだ。
「ああ……先日お父様に買っていただいたものなのに」
「落ち着くことも、良い人生には必要よ」
「はい……」
しょんぼりとその子はうなだれる。よほど気に入っていたドレスだったのか、涙を浮かべて悲しんでいた。
その様子を見て、私は「はあ」と息を吐く。そして、控えていた侍女に視線を送り、裁縫道具を持ってこさせた。
「ミラ様?」
「じっとしてて頂戴」
私は胸元の薔薇の花飾りを手に取り、破れた部分に合わせる。そして、手際よく縫い付けていった。一つでは不格好なので、小さな飾りもいくつか。
「み、ミラ様! そんなに胸元が開いては!」
「いいのよ。また買えばいいの」
どうせ、私が一人で稼いだお金だし。
「……生地が桃色で良かったわね。よく馴染んでいるわ」
「わあ……!」
あっという間に飾り付けが終わった。桃色のドレスは赤い花の飾りが付き、少女ならではの可憐さと大人への入り口の中間を表しているようだった。
「こんなあっという間に! 凄いです!」
「……私の実家は、元々繊維業で成り立っていたと聞いたわ。幼い頃は家の歴史を学ぼうと、仕立て屋の真似事をしていたことがあったのよ」
はい、もうおしまい。と私は感極まっている令嬢と別れを告げ、家へと帰る。
このことが、私の人生の大きな転機となった。
◆
「奥様! ご令嬢らからこんなにもお手紙が!!」
後日、執事長が大慌てで大量の郵便物を抱えて部屋を訪れた。
「皆様、ミラ様に舞踏会やお茶会に赴く際のドレス生地や飾り立てを選んで欲しいと!」
どうやら、先日助けた令嬢のドレスが舞踏会で大好評だったみたいだ。
私が仕立てたと大げさに言ってしまったせいで、この有様である。
「……結構な額になるわね」
手紙に書かれている依頼料はどれもそれなりで、これ一本でも生計計画が立ちそうなほどである。
「面白いものね。私のドレス姿をみて、みんな離れたくせに、今度は助けて欲しいと寄ってくるのね」
「時代が奥様に追いついたのですよ!」
「一カ月で追いつく時代なんて、別に遅れてすらないわよ」
必死にフォローする執事長にバッサリと切り返しつつも、私はふむと考える。
(私の正反対な生き方が、このしきたりで溢れた貴族社会を揺るがせられるのなら……)
ドレス一つで変わるなんて思ってない。
それでも、私はあの女性騎士の絵を思い浮かべた。
(なぞるんじゃないわ……超えてあげましょう)
ああ、なんて傲慢な考え。以前は絶対持たなかった考え。
だから……心地がいい。
以降は、あっという間だった。
私が見立てるドレスはどれも高評価。噂が噂を呼び、まねっこが始まり、似たようなドレスばかりだった舞踏会は多様性に溢れていく。
はしたない。みっともない。淑女らしくない。
そう不満を口にする男性らは、女性から「時代の変化ですわ!」の一言で頭を抱える。
その様子が面白くて仕方がなかった。
私は今日もまた、舞踏会の控室で令嬢らのドレスを見繕う。
「貴方、髪が白くて綺麗なんだから、もっと派手な色にしなさい。淡い色同士の組み合わせは、どっちの姿もぼやかしてしまうわよ」
「はい! ミラ様!」
「貴女はなんて地味な髪飾りなの。他国じゃ今頃こんな髪飾りを着けている娘なんかいないわよ」
「はい! ミラ様!」
私の歯に衣着せぬ物言いにも、令嬢らはニコニコと幸せそうな顔をする。
さてさて、今日の仕事も終わりね。あとは男性らがどんな愕然とした表情をするか楽しむだけ……なんて思っていた時、控室の扉が勢いよく開いた。
「ミラ!! お前と離婚する!!」
扉を突き破らんばかしの勢いでやってきたのは、ウィルム様だった。
「……はい? この部屋をどこだとお思いで? でていってくださいます?」
「関係ない! 不貞を働いた者は口を開くな!」
「……はい?」
「夜な夜な毎日舞踏会に向かって、帰るのは朝方ばかり! 毎日男をとっかえひっかえして遊んでるんだろう! 充分な離婚理由だ!」
ようやく私と別れる口実ができた。と言わんばかりの自信満々なご様子だ。
周囲の令嬢らは「この人、何を言ってるの?」という目をしている。
私の些細な意地悪に見事に引っかかってくれたのかどうかはさておき。
「わかりました。離婚しましょう」
私は笑顔で頷く。
◆
それから半年後。
町はずれにあるのは、完成したばかりの小さなお店。諸外国から輸入した繊維や装飾品を扱うお店だ。
(今の時代、貿易しか勝たん……!)
性根とも言える経営欲求は、最後まで変えられなかった私の美点。
帳簿を見ながらニコニコと椅子に座る私の元に、一人の初老の男性が歩み寄る。
「ミラ様。ティータイムのお時間にございます」
「ありがとう」
元・執事長である。そして、私のそばに立つのは、長らく私一筋で仕えてくれた侍女。
二人とも、一人で家を出ると決めた私の意見を押し切り、最後までついていくと言ってくれた。
「それと、ウィルム様より本日もお便りが」
「捨てて頂戴」
「はい、もちろんにございます」
執事長もニコニコとしながら、手紙をゴミ箱に投げ捨てる。
離婚後、夫からはすぐに復縁の申し込みがあった。
『ミラ。家の不備を救ってくれてありがとう。君は俺の命を助けてくれたんだ』
『ミラ、頼む。仕事は君でなければ回らない』
『愛している、ミラ。不妊は俺のほうだったと認めるよ』
『ミラ、頼む、戻ってきてくれ。君がいなければ、家の評判が立て直せない』
『ミラ、控室への無断侵入のせいで、俺は社交界での笑い者だ。君が弁明してくれ』
ミラ、ミラ、ミラ。どの手紙も、私に媚びを売った独りよがりなものばかり。
実家は夫の所業を知って、支援を断ち切った。貴族議会への投票権も持たない夫に、付き合ってやろうなどという貴族家も女性もいない。
結婚時以上の危機に見舞われたトルジェ家が今後どうなろうと、私の知った話ではなかった。
私は帳簿をパタリとたたみ、クスリと笑う。
「……貴方が私に死ねと言われましたのよ」
だから死んでやった。
夫と家のために身を犠牲にするミラはもうどこにもいない。
知っていますか? 一度死んだ者は生き返らないの。
子供でも知っている常識に駄々をこねるなんて……。
「馬鹿らしいわね」
淑女らしくつつましく。贅沢は控えて家のために。夫の気を害する我儘は心に留めて。
……いつまで皆様、誰かが勝手に決めた世間の常識に従っているの?
見た目で寄ってくるような人はこちらから振りなさい。
嫌なときは嫌だと声を上げなさい。
誰かに憧れて、なぞった気だけになる人生はやめておきなさい。
貴女が生きるはずだったありのままを奪われては、何一つ変えられやしないわよ。
町はずれの小さな仕立て屋、ミラ。
彼女の元に一人の若い男性が訪れるのは、もう少し後のお話……。
スカッとする話を目指して一生懸命書きました!
ミラの今後の人生をぜひブクマや高評価★★★★★で応援していただけると嬉しいです!
また、新作公開中です。
婚約破棄ですって?私は溺愛されて忙しいので問題ありません
https://ncode.syosetu.com/n3986ir/
下に直リンクもありますので、こちらもぜひ応援お願いします♪